第1話 秘密クラブへの招待状
チャイムが鳴り終わった教室に、夕日が静かに差し込んでいた。
窓際の机の上に、オレンジ色の光が長く伸びる。
日常の音が遠ざかっていく中で、相川空はノートを閉じ、ふとため息をついた。
青葉高校――県内でも有名な進学校でありながら、ひときわ特徴的な校則がある。
それは「恋愛禁止」。
交際はもちろん、告白や手をつなぐといった行為までもが暗黙で禁止されている。
恋愛によるトラブルや成績低下を防ぐため、というのが理由らしい。
けれど、高校生の男女が恋をしないなど、現実的には無理な話だ。
空もまた、その矛盾を感じていた。
「恋愛禁止」と言われるほど、恋というものが遠く、どこか特別なものに見えて気になってくる。
そんな彼の机の中に――その日、一通の封筒が入っていた。
白く、上質な紙。
差出人の名前はない。
中には、たった数行の文字だけ。
『秘密クラブへのご招待。放課後、図書室の資料室へ来てください。』
「……秘密クラブ?」
空は思わずつぶやいた。
青葉高校では、以前からある噂が囁かれていた。
――放課後、校則では禁止された恋愛をこっそり練習する、秘密の集まりがあるらしい。
噂好きのクラスメイトが言うには、
「選ばれた人しか入れない」とか、
「恋愛禁止の学校で、唯一、恋が許される場所」なんて話もある。
信じる者は少なかったが、妙に現実味があった。
恋愛禁止とはいえ、それを全員が守っているとは思えない。
「……いたずら、かな。」
そう呟きながらも、心のどこかで期待していた。
恋を知らない彼にとって、恋愛はハードルが高く感じていた。
しかし、恋愛の練習ということであればできそうであり、気にもなる。
胸の奥が、少しだけ高鳴っていた。
◇
放課後の校舎は静まり返っていた。
廊下を歩くたびに、靴音が響く。
図書室へ向かう途中、夕焼けが窓を真っ赤に染めていた。
空は図書室のドアを開けると、独特の紙の匂いに包まれた。
人気のない静けさの中、資料室のほうから、かすかな光が漏れている。
“誰かいる”――そう直感した。
そっと近づいてノックすると、内側から小さな声が返ってきた。
「……どうぞ。」
静かな声。
聞き覚えがある。
扉を開けると、そこにいたのはクラスメイトで図書委員の一ノ瀬未来だった。
「……一ノ瀬さん?」
空は思わず目を見開く。
夕日が窓から差し込み、一ノ瀬の黒髪がやわらかく光を受けて揺れていた。
整った横顔と、落ち着いた瞳。
クラスでも目立つ存在だが、派手ではなく、いつも静かに本を読んでいる印象だった。
「相川くんも……来たんだ。」
「えっと……手紙、もらって。」
「私も。多分、同じだね。」
一ノ瀬は胸元から同じ白い封筒を取り出して見せた。
中身を見ると、文面までまったく同じだった。
二人はしばらく見つめ合う。
沈黙が重くなるほど、心臓の音が大きく聞こえる気がした。
「秘密クラブって……なんなんだろうな。」
空が机の上の手紙を見ながら呟くと、一ノ瀬は少し首をかしげた。
「……ほんとにあるんだね、噂のやつ。」
「あの噂?」
「うん、知ってる? 秘密クラブって、選ばれた人しか入れないとか、恋が許される場所とか言われてるんだよ。」
「それ、聞いたことある。けど、実際に呼ばれるとは思わなかったな。」
「私も。……なんか、ちょっと怖いけど。」
一ノ瀬は苦笑いを浮かべた。
その笑みが妙に柔らかくて、空は一瞬、視線を逸らした。
なぜだろう、胸が少しざわつく。
彼女の笑顔をまっすぐ見られない。
やがて、空が小さく息をついた。
「でもさ、誰が俺たちを呼んだんだろ?」
「それが分からないんだよね。」
一ノ瀬も不思議そうに首を振った。
「最初からこの資料室、鍵が開いてたの。」
「……誰かが、仕組んでる?」
「もしかしたら、ほんとに秘密クラブがあるのかもね。」
「うわ、それはそれで怖いな。」
二人で笑い合う。
不安よりも、奇妙な高揚感が勝っていた。
資料室の奥には、小さな机と二脚の椅子が置かれていた。
その上に、一冊のノートが置かれている。
古びた革の表紙に、手書きの文字が刻まれていた。
『秘密クラブ活動記録帳』
「……これ、まさか。」
空がつぶやくと、一ノ瀬がページを開いた。
最初の見開きには、きれいな字でこう書かれていた。
『このノートに名前を書いた者は、秘密クラブの一員となる。
恋を学び、恋を演じ、恋を知ることを許される。』
「……恋を演じる?」
「演じる、って書いてあるね。」
一ノ瀬は不思議そうに指で文字をなぞった。
「演劇みたいに、ここで恋人を演じるってことなのかな。」
「恋の、練習場所……みたいな?」
空がそう言うと、一ノ瀬は静かに笑った。
「……ちょっとロマンチックだね。」
その言葉に、なぜか空の心臓が一瞬、跳ねた。
ロマンチック――そんな言葉を、学校で聞いたのは初めてだった。
青葉高校では、そんな感情を誰も表に出していないから。
ふと、一ノ瀬がノートを手にして言った。
「……名前書いてみる? 」
「いや、でも……もし罠だったら、どうする?」
「そのときは、二人で笑い話にすればいいよ。」
一ノ瀬の声は落ち着いていて、不思議と安心感があった。
空はしばらく迷い、そして息を整えた。
胸の奥で、何かが小さく弾けたような気がした。
「……じゃあ、書くか。」
空はペンを取り、ノートの最初のページに名前を記した。
相川空。
続いて、一ノ瀬も静かにペンを走らせる。
一ノ瀬未来。
二人の名前が並んだ瞬間、ノートから小さな紙がひらりと落ちた。
どうやらノートの隙間に小さな紙が挟まっていたらしい。
一ノ瀬が拾い上げて、読み上げる。
『ようこそ、“秘密クラブ”へ。
この扉を開いた者にだけ、恋を教えましょう。』
二人は顔を見合わせた。
言葉が出ない。
心臓が、まるでどこか遠くで鳴っているように感じる。
窓の外では、夕日が沈みかけていた。
金色の光が二人を照らし、長く影を伸ばしていく。
その光の中で、空は思った。
――何かが、ここから始まる。
そんな気がした。
◇
資料室を出るころには、校舎は暗くなってきていた。
廊下に響く足音が、妙に近く感じる。
一ノ瀬は少し後ろを歩きながら、ぽつりと言った。
「ねえ、相川くん。」
「ん?」
「次の放課後も……ここ、来てみようか。」
空は振り返って、少し笑った。
「……そうだな。せっかく秘密クラブに入ったしな。」
一ノ瀬は小さくうなずき、ふたりの間に静かな風が通り抜けた。
こうして――恋を練習する場所の扉が、そっと開いた。
本日もう一本投稿予定なので、ぜひ読んでください!
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