見えない美術作品
時期は八月、お盆を控えた季節。
謎や怪異が大好きな女子生徒、高山真紀は、
部活動などには参加していないにもかかわらず、
夏休みもほぼ毎日、学校に通っていた。
その目的は、同じ謎好き仲間で懐いている、
先生である細田譲のところを訪ねるため。
そしてあわよくば、学校で起こる怪異現象に居合わせられたら。
そんな下心で、今日も真紀は暑い中、学校へと足を向けた。
真紀の通う学校では、夏休み中も部活動や自主活動を促すために、
学校の教室や設備が生徒や一般の人達にも解放されている。
部活動と合わせて、今が夏休みとは思えないほどに活気に満ちている。
するとその中で、妙なことをしている人物を見つけた。
校庭で、一人の男子生徒が、水を湛えたバケツを手に、柄杓で水を撒いている。
校庭は直射日光から逃れる日陰もなく、その男子生徒は汗だくになっている。
それでも水を撒く手は止めない。一心不乱に水を撒いている。
「何、あれ?打ち水でもやってるの?」
真紀は手近にいる生徒に、その一連の行為について尋ねた。
「さあ?美術部の子らしいから、美術部に聞いてみるといいよ。」
「そうなんだ。ありがと。」
真紀は早速、美術部の部室へ向かった。
美術部では、夏休み中にも関わらず、
美術部員達が自主的に登校して絵画や彫刻などの制作に勤しんでいた。
そこに真紀が入ってきても、部員達は作品制作に集中していて目もくれない。
真紀は手が空いてそうな部員を見つけて、声をかけた。
「あのう、聞きたいことがあるんですけど。」
「あら、入部希望者?」
「いえ、そういうわけではないんですけど・・・」
「そう、それは残念。
わたしはこの美術部部長の本中典子。」
「あたしは、高山真紀です。部活動は特にやってません。」
すると美術部部長の本中は、手を合わせて目を輝かせた。
「まあ!部活をやってないの!だったら美術部はどう?
制作物も活動時間も自分で決められる、自由な部よ。」
「か、考えておきます・・・。」
近寄る顔と顔に、真紀は苦笑いで額から汗を流した。
それから真顔に戻って、本題に入る。
「ところで、聞きたいんですけど、
校庭で水を撒いてる男子生徒って、この美術部の部員なんですか?」
「ええ、そうよ。
彼の名前は、新田賢治君。」
「どうして美術部員が打ち水なんてしてるの?」
すると本中は困った顔になった。
「それがね、あれは打ち水じゃないらしいのよ。
新田君が言うには、あれも美術の作品なんだって。」
「校庭に水を撒くのが、美術の作品?」
美術に詳しくない真紀にはわからない世界だった。
いや、それどころか、美術部員にもわからない世界のようだった。
「新田君はね、雨の日以外は、毎日ああやって校庭に水を撒いてるの。
いくら作品制作にしたって、身体に毒だから、
止めたほうがいいっていってるのに。
本人は全然聞く耳を持たなくて、もう意味わかんない。」
本中は絵筆で画用紙にクエスチョンマークを描いていた。
「何か理由があるのかなぁ?」
「さあ?興味があるなら、直接聞きに行ったら?
どうせ今日も、そろそろだから。」
何が、とは聞き返せず、
真紀は校庭に水を撒き続ける新田のところへ向かうことにした。
校庭は隅々まで夏の日差しに照らされていた。
そんな過酷な校庭で活動するのは、場所を選べない野球部などの運動部や、
元気な子供達くらいなもの。
その中で、一心不乱に水を撒く新田賢治の姿は異質だった。
一生懸命に水を撒いているその姿は、ただの打ち水にはみえない。
校庭を使う人達は邪魔しないよう、新田の周辺を避けて行動していた。
真紀も、新田の邪魔をしないように、ちょっと離れた所から声をかけた。
「ねえ、君!美術部の新田賢治君だよねー?」
真紀が呼びかけても、新田は水を撒く手を止めない。集中しているのだろう。
何度目かの呼びかけで、やっと、新田は真紀の声に気がついたようだ。
反応を示した。しかし水を撒く手は止めない。
「そうだけど、僕に何か用?」
「用ってわけじゃないんだけど、そんな暑いところで何してるの?」
「何って、美術作品の制作だよ。」
「・・・美術作品の制作?」
言われて真紀は改めて賢治の姿を見る。
新田は日に照らされて全身汗だく、真っ赤な顔をしている。
しかしやっていることは、
ただバケツの水を柄杓で撒いているだけにしかみえない。
真紀は二の句が継げず、新田の姿を見ている。
こうして見ていると、新田はただ打ち水をしているわけではないようだ。
水を撒くにあたって、規則性というか法則のようなものが見られる。
それが何を意味するのか、真紀はその時には気が付かなかった。
新田は水を右に撒き、左に撒き、パタッと地面に倒れ込んだ。
真紀はハッと気がついて賢治に近づいた。
「ちょっと、君、大丈夫!?」
すると、慣れた様子で、美術部の部室から部員達が何人かやってきた。
先陣を切っていた美術部部長の本中が言う。
「ほーら、無理をするから、また倒れた。
このところ、新田君が倒れるのは毎日のことなのよ。
熱射病だか熱中症だか、とにかく身体に悪いことは確かね。」
美術部員達が慣れた手つきで、倒れた新田を抱えて保健室へ運んでいく。
真紀はまだ新田から話を聞けていない。
新田を運ぶ美術部員達の後について行った。
保健室では保健の先生は不在だった。
しかし美術部員達は慣れた様子で、新田をベッドに寝かせ、
その頭や身体に氷嚢を乗せて、うちわで扇いでやった。
美術部部長の本中が声を掛ける。
「新田君、大丈夫?
直射日光の中で無理はダメって、あれほど言ってるのに。」
「本中部長、すまない・・・」
新田は本中の呼びかけに応えている。
意識もはっきりしているし、命に関わるようなことはなさそうだ。
「やれやれ、今回も無事でよかったよ。」
「新田が倒れるせいで、作品制作の邪魔をされるのは困ったものだ。」
美術部員達はあれこれとおしゃべりをしている。
今は本中が新田の汗を拭いてやっているところだ。
真紀は間を見て、ベッドに横になっている新田に呼びかけた。
「新田君、具合が悪いところ悪いんだけど、話せる?」
すると新田は身体を動かさずに声だけで応じた。
「ああ、君はさっきの・・・。要件は何だ?」
「うんとね、そんなに急ぎや重要な話じゃないんだけど、気になって。」
「何が?」
「新田君、毎日倒れるまでして、どうして校庭で水を撒いてるの?」
「・・・あれが僕の美術作品だからだよ。」
「美術作品?あたし、そういうのよくわからなくて。」
「わからなくていい。伝わるべき人にだけ伝われば。」
「毎日続けているのに、完成しないの?」
「・・・ああ、伝わるべき人に伝わるまでは。」
新田は何を言っているのだろう。
校庭に水を撒くのが美術作品?伝わるべき人?
「伝わるべき人に向けて作るもの・・・。」
真紀はそれにおぼろげに心当たりがあるような気がした。
翌日。天気は快晴。
真紀はまたも、学校の校庭を訪れていた。
校庭では相変わらず、新田が地面に水を撒いていた。
真紀はそれを邪魔しないように、ちょっと離れた場所から観察した。
相変わらず、新田は一心不乱に柄杓で水を撒いている。
上から下へ、左から右へそして下へ。
やはり新田が撒いている水には、一定の法則があるように思えた。
「なーんか、気になるんだよなぁ。」
真紀はしゃがんで頬杖をつきながら言った。
新田が撒いている水には法則性があるように見える。
それは新田は撒いた水の跡からも、水を撒く動作からもわかる。
しかし水は透明で、水を撒いた跡を見ても、よくわからない。
「・・・そうだ!こういうときこそ、細田先生だ!」
真紀は思い立って、校舎へと駆け込んでいった。
真紀が尋ねたのは、謎解き仲間と勝手に思っている、
真紀が懐いている先生の細田譲のところだった。
部屋の前に来て、真紀はノックも無しに扉をガラッと開けた。
「細田先生!今日も来ちゃいました!」
毎度のことで、細田はもう慣れている。
目にしている本を閉じて、真紀に言った。
「おやおや、今日は昨日よりも随分早いお着きじゃないか。
それで?今度は何の怪談を持ってきたんだい?」
「今度は怪談じゃないですよ、細田先生。
校庭で毎日水を撒いている美術部員の話は知りませんか?」
すると細田は頭を横に振った。
「いいや、私は知らないが。打ち水のことかい?」
「それとは別です。
校庭に柄杓で水を撒いているのは、美術部員の新田賢治君。
毎日、直射日光の下、倒れるまで続けてるそうです。雨の日以外は。
本人が言うには、これは美術作品なんだそうです。
あたし今、この件について調べていて。
どうも見た所、水はデタラメに撒いているんじゃなく、
規則性があるように見えるんです。
細田先生、この話を聞いて、わかることはありませんか?」
真紀の不躾さに細田はもう慣れている。
いや、正確には、細田は謎解きに飢えている。
急な来訪を咎めること無く、顎に手を添えて考え始めた。
そして言葉を紡ぎ始めた。
「新田賢治君という生徒がやっていること。
それは本人が美術部員であるところからも、ただの打ち水ではないのだろう。
そういう点では、美術作品と言える。
たとえ地面に水を撒いているだけだとしてもね。
新田君は水で何かを表そうとしているのだろう。
雨の日にやらないのは、地面が雨に濡れるのを嫌ってのこと。
水を撒いた跡の形が見えることに意味があるからだ。
きっと、水を撒いて地面に何か描いているのだろう。」
「なるほど!あたしが感じた法則性、規則性は、
デタラメじゃない、絵を描いているって意味だったんですね。」
「ところで、高山君。
法則性、規則性を持った絵のことを、何と言うか知っているかい?」
「法則性、規則性を持った絵、ですか?
うーん、ドット絵とか?」
「それも一つの答えだ。でも今は違う。
もっと単純に、私達が日常的に目にしているものだよ。」
「日常的に目にしている絵・・・あっそうか!字だ!」
「そう。象形文字にしろそうでないにしろ、
法則性、規則性をもって書かれたものはおそらく字だろう。
ただの絵という可能性もあるが、
それは新田君が誰かに伝えたい、と言っていたからおそらく違う。」
「ということは、新田君は毎日、校庭に水で字を書いてたんですね。
なんて書いてたんだろう。」
「真紀くんは近くで見ていたんだろう?
文字は判別できなかったのかい?」
「水は透明ですもん。書いた字なんて読めるわけないです。」
「何で人に伝えたいことを、透明な水で書くんだろうね?」
「うーん、どうしてでしょう?何かを書いてることはわかるんですが。」
「じゃあ、水が透明じゃなければ読めるんだね?
それなら、ちょうどいいものがある。
真紀君、これを新田君が撒くバケツの水に混ぜてくれるかね?」
「?。いいですけど・・・」
細田は液体の入った容器を真紀に見せた。
何もわからない真紀に対して、
細田はいたずらを思いついた子供の顔をしていた。
次の日もやはり太陽は燦々と照りつけていた。
いつもより早い時間に学校に来た真紀は、
途中、細田のところに寄ってから、美術部の部室に向かった。
そこでは、今日も校庭に水を撒こうと、新田が準備をしていた。
そこに真紀が、細田のところから持ってきた小さなバケツを新田に見せた。
「新田君、今日は気温が高いから、水なんてすぐ乾いちゃうよ。
もっとたくさん持っていった方が良いよ。
このバケツの水を足しておくね。」
「あ?ああ。」
新田はバケツの水に水を足されても、特に気にしていないようだった。
今日も直射日光の中、新田はバケツの水を地面に撒き始める。
それが文字を書いているであろうことは、
昨日、真紀と細田で推理した通り。おおよそ正しいだろう。
こうして意識してみると、確かに文字を書いているように見える。
新田は周囲のことなど一切気にせず、水を撒くことに集中している。
だから、自分の撒いた水に異変が起こりつつあることなど、
思いも寄らないようだった。
新田の手が一旦止まった。
どうやら、書きたい文字は書き終わったようだ。
いつもの新田なら、さらに続けて同じ文字を書き続けるはず。
それこそ、日が暮れるか自分が倒れるまで。
しかし今日は、それ以外の条件が隠されていた。
「・・・!?なんだ?これは!」
異変に気がついて、新田が声を上げた。
それもそのはず。
地面に撒かれた水に、色が付き始めていた。
「どうして!?ただの水なのに!」
泡を食って地面の字を消そうとする新田に、
真紀が文字通りにしがみついて止めた。
「消しちゃ駄目だよ!大事な作品でしょ!?」
「いや、しかしこれでは・・・!」
新田が撒いた水に色がついたのは、真紀と細田の仕業。
真紀が新田が撒くバケツの水に、特殊なインクを混ぜた影響。
そのインクは、始めは透明だが、
紫外線に反応して徐々に色がつく、という特殊なインク。
それに気が付かず、新田は今日も見えず伝わらないはずの文字、
メッセージを校庭に書いていた。
誰かに伝えるための文字、それは即ち手紙、メッセージ。
それが今、真紀と細田の策略によって白日の元に晒される。
真紀と新田が揉めているのを見て、美術部から美術部員達がやってきた。
その先陣にいるのは、もちろん、部長の本中典子だった。
「きゃっ!なにこれ!?」
校庭に書かれた文字を見て、本中は小さく悲鳴を上げた。
それも無理はない。
校庭に書かれた新田からのメッセージは、こんなものだったから。
「本中典子さん、好きです。付き合ってください。新田賢治。」
これは愛の告白に他ならない。
新田は美術部の部長の本中のことが好きだった。
しかしそれを直接言えず、ラブレターを渡す勇気もなく、
だからこうして毎日、
水という見えないインクを使って地面にラブレターを書いていたのだった。
それを真紀と細田によって暴かれてしまった。
新田が今、顔を真っ赤にしているのは、熱射病や熱中症のせいではないだろう。
顔が真っ赤なのは本中も同じ。
「新田君、これ、本気・・・?」
本中の問いに、新田は震えながらもしっかりと答えた。
「本気、です・・・!」
二人のやり取りに、周囲に集まっていた美術部員達はわっと騒ぎ始めた。
「ヒュー!校庭にラブレターで告白なんて、やるね!」
「ロマンチックでいいじゃない!」
「実はわたし、前から部長と新田君ってお似合いだと思ってたのよね。」
「本中部長もまんざらじゃないみたい!」
「お互いにOKってことはカップル成立だ!」
騒ぎを聞きつけて、細田も校舎の窓から校庭を見下ろしている。
美術部員達はいつの間に用意したのか、紙吹雪を撒いて新田と本中を祝福した。
「ちょっと余計なことをしちゃったかな?」
反省する真紀と細田だったが、
見つめ合い手を取り合う新田と本中の耳には入ってないようだった。
こうして、校庭に水を撒く行為は、ラブレターの作成とわかった。
新田の告白を本中は受け入れ、二人は晴れて付き合うこととなった。
美術部員達だけでなく、他の生徒達からも祝福の嵐。
今、新田と本中の二人は、毎日学校に一緒に来て、一緒に帰っている。
学校にいる間も、作品作りは共同でしているのだから、正にべったり。
誰もが、しあわせの只中にいるかというと、そうでもなかった。
暑苦しい公認カップルがまた一組誕生した代わりに、
今、校庭では、厳しい日差しの下、真紀が校庭の掃除をさせられていた。
水で書いたラブレターの字が読めるようになった、ということは、
言い換えると校庭にインクを撒いたということになってしまうから。
真紀は他の先生達に怒られ、校庭の掃除をさせられることになった。
「なんであたしだけ?撒いたのは新田君ですよ。」
「新田君が撒いたのはただの水だ。
水に反応するインクを混ぜたのは高山君、君で間違いないね?」
まさかそれを供給したのは先生である細田だと言えず、
真紀は一人、細田の分の罪も背負うことになった。
細田が真紀のところにこっそりやってきて手を合わせる。
「すまない。私も一応先生だから、
インクを用意して校庭に撒かせたなんて言えなくてね。
高山君だけに罪を負わせてしまって誠に申し訳ない。
その代わり、高山君の希望を一つだけ叶えてあげるから。
それで許してくれ。」
「本当ですか!?」
細田の言葉に、真紀は飛び上がらんばかりに喜んだ。
細田には何を叶えてもらおう。
パフェ食べ放題?
新しい洋服?
それとも、彼らの真似をしてしまおうか?
浮かれた真紀にとって、もうお仕置きはどうでもよく、
頭の中はご褒美のことばかりで埋め尽くされていた。
そして、真紀が細田に頼んだのは・・・。
終わり。
伝えたくても伝えられない想い。
それを透明な水で書き続ける男子生徒の話でした。
周囲からはもちろん、奇行としか思われませんでしたが。
学生であれば好きな人の一人もできることでしょう。
でもそれを口に出して直に相手に伝えることは、
場合によっては相手に迷惑をかけることにもなります。
透明な水に色がつくことで、想いは伝わり成就しました。
実際の恋愛も、ほんの僅かな差で想いを伝えられることもあるかも。
がんばれ、恋する人達!
お読み頂きありがとうございました。




