05
七緒が美味しい昼ご飯に満足しながら残っていた紅茶を飲んでいると、渉が追加の紅茶をカップに入れた。
「食べ終わってすぐで申し訳ないんだけど、ちょっと話の続きというか、場合によっては相談になるんだけど、いいかな?」
「あ、はい。私もちょっと気になったことがあって……」
「先に聞いとこうか」
渉がそう言う傍ら、キッチンの奥から誰かが出てきて七緒達の皿を持って行く。丁司かと思ったが、相変わらず分厚い眼鏡を掛けた陵だった。
「あ、陵君、帰ってたんだ」
「ついさっき帰りました。買ってきた物は冷蔵庫に入れてます」
「ありがとう」
陵は七緒に向かって軽く頭を下げるとキッチンの奥へと戻っていった。
「ちょっとお遣いを頼んでてね。もし昨日のことで陵君に訊きたいことがあれば呼ぶから言ってね」
そう言われて七緒は昨日のことを思い返す。
何故あの時あの場に陵がいたのか、それも気になりはするが、他のことに比べれば些細なことだ。
「えっと、今は特に……」
「そう。じゃあ、気になってることって?」
「私、今までそういうの……その、神様とかお化けとか、見えたことがないんですけど、何で昨日は見えたのかなって……」
あぁ、と渉は軽く頷いて、考え込む。
「理由としてはいくつかの可能性があるかな……一つ目は、急に視えるようになった可能性。こういう――能力っていうのかな、普通の人には視えないものを視る力って、大体子供の頃から持ってるものなんだけど、偶に何かのきっかけで視えるようになる人もいる」
「きっかけ、ですか……」
「例えば、強い霊障――要するに、心霊鬼物が起こす悪影響を強く受けたとか。僕も、視えるくらいで他には何の力も持ってないからそこまで詳しい訳じゃないんだけどね、こう、普段は絶対に合わないチャンネルが霊障とかの影響で合うようになる感じかな?」
テレビのチャンネルを合わせるところを想像して、なるほど分かりやすい、と七緒は軽く頷く。
「そうやって変なものが視えるようになったって、神社に相談に来る人が偶にいてね……まぁ、本当に視えてるのか、そうじゃなくて病気として幻覚を見ているのかは、きっちり判断しないといけないんだけど、本当に視えるようになった人も何人かいたかなぁ」
いきなり妙なモノが見えるようになれば、それはかなり困るだろう。
七緒の場合、昨日の狐は見えたが、それ以外にはそういった類のモノは見えていない。
「まぁ、こういう視る力って、子供の頃には持ってたけど、その内視えなくなりましたってパターンの方が多いんだけどね。“七つ前は神の内”なんて僕らの界隈ではよく言ってるよ。世間一般の使い方とは違うけど」
昔は子供が亡くなりやすかったから言われるようになった言葉だっただろうか。
今度ちゃんと調べてみよう、と七緒は頭の中にその言葉を残す。
「二つ目は、相性が良かった可能性。普段は視えなくても、偶々条件が合ったりして視えることがあるみたい。どんな条件かはその時の状況とか、本人の体調とか、相手がどんな性質とか色々あるだろうから、相当調べないと分からないだろうけどね」
これも偶々チャンネルが合うのと似たような感じだろう。一つ目の場合はずっとチャンネルが合い続けるのだろうが、二つ目の場合だとその瞬間だけチャンネルが合ったのだと考えると分かりやすい。
「うちは神社のことで忙しいから拝み屋みたいなことはあまりしてないんだけど、拝み屋をやってる人からそういう話を聞いたことがあるよ。特別な状況下で起こる現象を色々と調べたりして、拝み屋っていうより、探偵って名乗った方が良いんじゃないかなって思えるくらい調査と推理が必要な内容だったよ」
拝み屋と聞いて一瞬胡散臭いと感じたが、よくよく聞いてみるとちゃんと調査が行われるらしい。色々調べたり考えたりするのは少し面白そうだと七緒は思った。
「最後三つ目。これは、あんまり聞きたくないかもしれないけど、視えてるけどそうだと認識できてない可能性」
「見えてるけど、認識できてない……?」
一体どういう状況だろうかと七緒は首を傾げる。
「普段から幽霊とかも視えてるんだけど、普通の人と区別が付いていない場合。今回は堕ちた神様で姿も変わってたから異様だと認識できたけど、元々人間とか動物だった霊は生前と変わらない姿で目に映ることが多いから、生きてる人や動物だと思ってしまっている可能性もある」
渉の説明を飲み込んで、七緒は思わず通りの外に目を向けた。
疎らにに道を行く人々が見える。昼を少し過ぎたくらいだから人通りもまだ多めなのだろうと思ったが、本当にこの人達の全てがちゃんと生きている人間なのだろうか。三つ目の可能性の場合は、そうではない人がまぎれている可能性も――。
七緒はさぁと顔を蒼くして渉の方を向いた。
「あ、僕はちゃんと生きてる人間だよ?」
もちろんそうだ。そうであってもらわないと困る、と七緒は何度も首を縦に振る。
「試しに、そこを歩く人が何人いるか数えてみる? 僕は区別が付くからどっちの数も――」
「いいえ! 結構です、大丈夫ですっ!」
七緒は渉の言葉を遮り、勢い良く首を横に振る。
「まぁ、相模さんの場合、単に相性が良かったのかなぁと僕は思ってるんだけど」
渉の言葉に七緒は少し安堵した。昨日のことも相性など合わなければ良かったのだが、兎にも角にも、今後似たような体験をすることはそうないということだ。
「今回は、稲荷の方が鈴の飾りを欲しがったでしょう? 相手に視てもらえないと交渉もできないというか、陵君の話だと、持ってるのは分かってるけど、何処に入ってるかは分からなかったみたいだから、相模さんに御守りを出させるためにも姿を見せようって意思が強かったんだと思う」
「な、なるほど……」
他にも条件が合ったのかもしれないが、今回七緒に見えた理由としてはそれが一番大きかったのかもしれない。
「他に訊きたいことはある? 無いようだったら、僕からの話をしたいんだけど……」
一瞬あの色褪せた光景が脳裏をよぎったが、あれに関しては七緒もどう説明していいのか未だに分からない。
あれが何だったのか訊きたいのは山々だが、きっと長くなる、と七緒は口にするのをやめた。
「えーと、大丈夫です。ありがとうございます」
「じゃあ、こっちの話に入るね。と言っても、さっきの話の続きみたいな感じになるんだけど……」
渉は一呼吸置くと、続きを話し始めた。
「あの稲荷は悪い神様になりかけてたから、そのままにはしておけなくて、僕の兄に頼んで昨日の内に清めてもらったんだ。それで今のところは問題ないと思うんだけど、結局あそこまで堕ちた原因を解決できた訳じゃないから、また同じ状態に戻ってしまう可能性があってね……」
「え……」
「あぁ、心配しなくても、数日そこらで戻ったりはしないよ。一年とか二年とか、最低でもそのくらいは掛かると思う。まぁ、その間に相模さんにあげた御守りが効力を失くしてしまったら、昨日みたいに狙われることはもうないんだけど、僕達としてはそうやって堕ちかけた神様がいると分かっていて放置はできなくてね……できれば、原因を取り除きたいと思ってるんだ」
「原因を……原因って、何だったんですか……?」
そう尋ねた七緒に、渉は苦い笑みを返した。
「残念ながらまだ分かってないんだ。兄に清めてもらったんだけど、結構ぎりぎりの状態まで堕ちてた所為か、稲荷の方にもかなり負担が掛かってたみたいでね、昏倒したまままだ目覚めてない。もちろん、目覚めたらすぐに理由を訊くつもりではあるんだけど、あの稲荷がご神木の飾りを欲しがったのなら、それを渡すことで解決する可能性が高い。だから、もしそうすることでしか解決できない場合には協力して欲しいんだ」
「それは、構いませんけど……ご神木って隣の神社にあるんですよね? だったら、店長さんとかご家族さんから渡したりとか……」
七緒が貰った小さな飾りよりも、神社に保管してあるご神木の一部の方が大きいだろう。分け与えるならばそちらからの方が良いのではないか。
そう訝しがった七緒に、渉は難しそうな顔をした。
「うーん、何て言ったらいいのかな……うちは確かにずっと隣の神社の神主をやってるんだけどね、ご神木を誰かにあげる権限は持ってないというか……ちゃんと然るべき手順を踏まないと、ご神木って神様を宿しやすいだけのただの木なんだよね……」
「えぇ……?」
「もちろん、普通の木と違って特別ではあるんだよ? ただ、相模さんにあげた鈴の飾りみたいにちゃんとした力を持たせるには相応のことをしないといけなくてね……僕達が保管してるご神木の一部を稲荷にあげても、何の効果もないんだ」
七緒は出したままにしていた鈴の飾りをまじまじと見る。
「あの、これって、ご神木使ってるだけでも結構特別だと思うんですけど、もしかして、私が思ってる以上に……」
「かなり特別かな……? まぁ、だからこそ、悪いモノが狙わないように魔除けの鈴も一緒に付けてあるんだけどね……」
七緒は鈴がメインで飾りがおまけだと思っていたのだが、もしかしなくとも、逆なのかもしれない。
「本当はね、陵君が、渡さない方がいいって言ってたんだ……でも、魔除けの鈴も付いてるし、正常な状態の神様なら襲ったりしないから、大丈夫だろうって僕も高を括っちゃってね……本当に、申し訳ないことをしたと思ってるよ……」
「いえ、そんな……本当に偶々だったんでしょうし……」
偶々、家から程近い所にある祠の稲荷がそんな状態に陥っていて、偶々、普段は通らない道だけど工事の所為で仕方なくその道を通っていて――。
偶然がいくつも重なった結果なのだから、渉が責任を感じる必要はないと七緒は思う。
魔除けの鈴も、七緒から見れば効果が定かではないが、渉の口振りでは彼はその効果を信じているようだった。それならば渉は安心してしまうだろう。
「あの、陵さんは寧ろ、何で渡さない方がいいって思ったんですか……?」
「本人の口から説明してもらってもいいけど……」
渉はキッチンの方に目を向けながら、「陵君、あんまりそういうこと話したがらないからなぁ」と呟く。
「何というか、陵君はそういう危険な感じとかに敏感なんだよ。本人は面倒事に巻き込まれないように警戒してるだけだって言うけど、勘みたいなものが働いてるんじゃないかと思う」
「じゃあ、昨日あの場所にいたのも……」
「――駅であんた見掛けた時、嫌な予感がしたから跡を追っただけ」
突然ぶっきらぼうな声が割って入って、七緒はキッチンの入り口に目を向ける。陵が腕を組んで入り口横に凭れ掛かっていた。
相変わらず、眼鏡の所為であまり表情が読み取れない。が、声音を聞いた限りでは不機嫌な感じはしなかった。
「陵君、それ、一歩間違えればストーカー……」
「仕方ないだろ。じゃあ、なんて説明するんだよ。祟り神レベルまで堕ちそうな稲荷が御守りを奪おうとしてます、なんて言ったって誰も信じないだろ」
「た、確かに……」と七緒は頷く。
もし何か起こる前にそんな風に声を掛けられていたら、きっと陵から逃げていたに違いない。
「あの、昨日はありがとうございました」
「別に大したことはしてない。丁司さんが来なきゃ、かなり危なかったしな……」
実際、あの狐を捕らえていたのも丁司だった。
あの時七緒は、妙な光景を見た影響か、一時的に意識が飛んでいたと思われるため、助けてくれたのは陵だという認識が強いが、陵の言う通りなのであれば丁司の方にこそ感謝しなければならないのだろう。
だが、倒れかけた七緒を支えてくれたのは陵だし、それ以前に状況が分からない七緒をずっとあの狐から庇ってくれていたのも陵だ。
「いえ、陵さんがいなかったら多分もっと危なかったでしょうし……本当に、ありがとうございました」
改めて礼を言うと、陵は軽く視線を逸らしながら「だから、別に大したことはしてない……」とぼぞぼそ呟く。
彼自身は本当にそう思っているから、礼を言われるのも違和感があるのだろうか。何度も言わない方がいいのかもしれないと思いながら、七緒は渉に向き直る。
「あの、丁司さんにもお礼を……さっき言えたら良かったんですけど……」
「伝えておくよ。基本的に料理のことしか興味ないから、気にしてないだろうけど」
渉は苦笑しながら肩を竦める。
「それで? あんた、オガタマの飾りを稲荷にやんの?」
陵に問われて、七緒は小さく頷く。
「そうしないとまたあんな風になるなら、あげた方がいいのかなと……」
そう答えた七緒に、陵は軽く溜め息を吐いた。
「渉さん、もっときちんと説明した方がいいと思うよ……」
「そうは言ってもねぇ……僕達としては相模さんには協力して欲しいし、あのひとにはこっちからどうにか取り成せるかな、と思って……」
どういう意味だろうか。自分が協力することで何か不都合があるのだろうか、と七緒は小首を傾げる。
「他人があんたに礼をしたいってやった特別なものを、別の誰かにやんのかって話。やった側からすれば、あんたにやりたくてやったのに、それを別の誰かが使うのを見てて快いかって言われると、そうとは限らないだろ」
「あ……ええと、そうですね……」
渉が困っているならと思ったが、七緒に御守りをくれた人物の気持ちまでは考えられてなかった。
その人物の気持ちを慮るなら、直接本人に他者に渡して良いか尋ねるしかないだろう。とはいえ、事情の分からない者が急にそんなことを言われても快く承諾してくれるとは思えない。
(事情を話して……って言っても、信じてもらえるか分からない内容だし……)
「あげるんじゃなくて、貸すとかなら大丈夫なんですかね……?」
「さぁ、どうだろう……? もし貸したとしても、稲荷がご神木に宿る力を全部使い切ってしまったら、相模さんにそれをあげた意味はなくなるし……」
悩まし気に口元に手を当てる渉に陵が尋ねる。
「まだ直接確認してないんですか?」
「今、不在にされてるんだ。そう長くは空けたりされないと思うけど……」
渉の丁寧な口振りからするに、七緒に御守りをくれた人物は彼よりも立場が上のようだ。
「先に稲荷の事情を訊いた方がいいかな……何に使うつもりなのかで、場合によっては許可が下りるかもしれないし……」
「まだ気絶してんの? あの稲荷……」
「兄さんから連絡がないからそうだろうね。ちょうど今日が店休日だったから、今日訊けたら良かったんだけど、明日辺り臨時休業しないとだめかな……」
このカフェの店休日は週に一日だけだ。
「今日は夜もあるんだし、明日休みにしてもいいんじゃない?」
夜、と聞いて七緒は一瞬疑問に思う。ここは昼間の営業だけだった筈だ。
(お店とは別の用事ってことかな……)
それに、たとえ夜の予定が空いていたとしても、夜にあの場所に行くのは良くないのではないだろうかと七緒などは思ってしまう。
「うーん、まぁ、そうだね……平日はお客さんも少ないし……」
陵の提案に渉も腹を決めたようだった。
「相模さん、少し日にちが空いてしまうかもしれないけど、詳細が分かったら連絡してもいい? 大学、今試験期間だから忙しいかな?」
「ええと、あとレポートの提出が一つ残ってるくらいなので、大丈夫です。それが終わったら春休みで、特に用事も入ってないので……」
自分で言っていて、七緒は少し悲しくなった。アルバイトでも探してみようとは思っているが、まだ明確にどうするかは決めていない。
「じゃあ、連絡先教えてもらってもいいかな?」
「あ、はい」
七緒は頷いて携帯を取り出す。昨夜、何かあった時の為にと渉が連絡先を教えてくれたが、七緒の方は伝えていなかった。
「陵君も連絡先交換しとく?」
渉の言葉に、陵は一瞬沈黙した。表情は相変わらずよく分からないが、何となく空気が少しピリついたように七緒は感じた。
「……渉さんが知っておけば十分だと思いますけど」
「そう? 陵君の方が何かあった時身動きが取りやすそうだけど……まぁ、その時は僕から連絡すればいいか」
七緒は何処かほっとした気持ちになりながら、渉にのみ連絡先を教える。
「じゃあ、稲荷のことで何か分かったら連絡するね」
「はい。ありがとうございます」
携帯を鞄に仕舞いながら時計を見ると、もう午後三時になろうとしていた。
七緒は昼食の礼をもう一度言い、店を出た。
外の冷たい空気を吸うと頭が冴えたような気分になる。どこか、今まで聞いていた話は非現実的で、作り話でも聞かされていたのでは、と疑う気持ちが少し芽生えた。
だが、七緒が経験した昨日の夜の出来事は、紛れもなく現実だった。暗がりの中見た黒い影、手に触れた毛の感触――。あれは嘘でも幻でもない。ならばやはり、渉が語って聞かせた話もきっと本当のことなのだろう。
冷静に考えてみても結論は変わらず、七緒は、「不思議な気分……」と小さく呟いて駅へと向かう道を歩いた。
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