02
七緒の目論見通り、その次の週もランチタイムにカフェに来ることができた。
今日はこの前悩んで選ばなかったオムライスセットだ。ふわふわとろとろの卵に手作りだというトマトソース。店長曰く、料理担当の人の気分でソースがデミグラスソースやその他に変わるらしい。
ほんのりとバターが香る卵にチキンライスの香ばしさが食欲を更に掻き立てる。ケチャップだとくどくなり過ぎるところだろうが、トマトソースの酸味と仄かな甘みが絶妙にマッチしていた。
(これは、何度でも食べたくなる……)
多少料理はできるためオムライスなどは自分でも作れるが、こういう美味しいオムライスに出逢うと、飲食店のオムライスが格別に感じられる。
「お冷足しておきますね。――オムライス、どうですか?」
カウンター越しにグラスに水を注ぐ店長が七緒に尋ねる。
今日はテーブル席が埋まっていたため、カウンターに座ったのだ。
「とっても美味しいです! 卵とろとろだし、中のチキンライスも美味しいし、ソースも本当良くて……!」
やや興奮気味の七緒に店長は微笑を浮かべる。
「良かった。うちの料理人もお客さんの反応を気にしてたから喜びます」
「この前のサンドウィッチといい、オムライスといい、お料理とても上手ですよね」
「相当叩き込まれたらしいですよ。でも、元が和食の料理人だから、こういう洋風の味付けは色々と悩むみたいで……僕も美味しいって言ってるんですけどね、やっぱりお客さんの反応が一番気になるみたいです」
基本的に和食の料理人が洋食を作るというイメージがないだけに、店長の言葉に七緒は少し驚いた。
照り焼きサンドはまだ醤油を使うが、今日のオムライスは決して味付けが和風に寄っているということはなく、洋食店などでも通用する美味しさだと七緒は感じている。
(洋食でこんなに美味しかったら、和食はどうなるんだろう……)
それとも、和食で修業をしたが苦手で洋食に転向したのだろうか、などという考えもよぎったが、そんな人がここまで美味しい洋食を作れるとは思えない。
ランチでちょっと和食っぽいものが出ることはないのだろうかと、少し期待が膨らむ。
「和食がメニューに出たりとかは……」
「ないですねぇ。この店開く時にメニュー入れるかどうか聞いたんですけど、折角洋食が作れるんだから、ここでは和食は作らないって言われちゃって」
こだわりが強い人なのかもしれない。
苦笑する店長にほんの少しがっかりしたが、洋食でも十分美味しい物を食べられるのだから決して損ではない。
「まぁ、僕がお菓子類しか作れないから、料理してもらえるだけでも十分有り難いんですけどね」
「えっ!? ケーキとかって店長さんが作ってるんですか!?」
「ええ、まぁ。独学ですけどね、子供の頃から趣味で」
照れたように微笑う店長に、七緒は驚きを隠せずにいた。
確かに、パティシエなどは男性も多く活躍しているが、子供の頃から趣味でお菓子作りをしている男性というのは七緒の周りでは聞かない。
「何で趣味になったんですか、って訊いても大丈夫ですか……?」
「大した理由じゃないんですけど、たまたまテレビで男性パティシエが綺麗なケーキを作ってるのを見て、凄いなぁって思ったのがきっかけですね。何となく自分でも作ってみたら、意外と面白くなって。まぁ、最初に作ったのは普通のホットケーキだったんですけど。ちょうど兄二人が食べ盛りだったから、あっという間になくなって。それも嬉しかったんでしょうね」
なるほど、と七緒は頷く。作ったものがすぐなくなるくらい喜んで食べてもらえたのなら、それは嬉しいだろう。
そんな話をしていると、「すみませーん」と別の客から声が掛かり、店長は「あ、はい、行きます」とカウンターを離れていった。
カフェでこういった対面カウンターに座ることはほとんどないが、こうしてお店の人と話せるのも意外と楽しい、と七緒は感じる。
(偶にはこういうのも良いかも……)
レポート課題がある時に立ち寄ることが多いため、店の隅にあるテーブル席を選ぶことがほとんどだったが、店員との会話を楽しむために立ち寄るのも良いかもしれない。
食べかけのオムライスが冷めてしまわない内に、とスプーンを進めていると、厨房へと繋がる入り口からアルバイトの店員が出てくるのが見えた。
「戻りました」
と、若い店員は店長に声を掛ける。店長も若い方だとは思うが、この店員は七緒とそう歳が変わらなそうだ。
「リョウ君、お帰り。お遣いありがとう」
何度か見掛けたことのある店員だったが、名前を聞いたのは初めてだった。
リョウさんというのか、と思っていると、その店員と目が合う。――否、多分合ったのだろう。分厚い眼鏡の向こうにある目と本当に目が合ったのかは分からないが、店員に軽く会釈されたところを見ると、七緒が感じたことは間違いではないのだろう。
何となく会釈を返していると、彼は特に何も言わず他のテーブルの片付けを始めた。
態度が悪い訳ではないが、何とも物静かな店員だ。店長が朗らかで会話も進んでする人だから、余計にそう感じるのだろう。
何となく“もったいない”という言葉が思い浮かんだが、何故そんな言葉が思い浮かんだのかも分からず、七緒は今は取り敢えずオムライスだ、とまだ少し残っているオムライスを掬い、頬張った。
オムライスとセットのスープ、サラダを平らげて幸せに浸っていると、目の前にシフォンケーキの乗った皿が出される。
「はい、セットのケーキの柚子シフォンです。柚子のマーマレードを生地に入れて焼いて、添えてるクリームにも少し柚子の果汁を混ぜてます」
七緒は目を輝かせながらケーキを眺める。柚子のチーズケーキも美味しかったが、シフォンケーキの方も美味しそうだ。
すぐにセットの紅茶も出され、七緒は頬を緩めながら紅茶を一口飲んだ。この前と同じく、香りが良い上にほとんど渋みがない。
ケーキの方も、フォークで少し切り分けてクリームと一緒に口に運ぶとふわりと柚子の香りが漂った。
オムライスで結構満腹になっていたと感じていたが、やはり甘い物は別腹だ。
もう一口、二口とケーキを口に運びながら、ふと、この前の柴犬が銜えていた籠に入っていたケーキと見た目が同じ物だと気付いた。
(やっぱりここのケーキだったんだ)
あの柴犬は無事に飼い主の元に帰れただろうか、と思いながら、カウンターの向こうでカップを拭いている店長に声を掛ける。
「店長さん、この前なんですけど、帰る時に柴犬を見掛けたんです。ちょっと小さめの茶色と白の」
「あ、もしかして、その子、籠を持ってたりしました?」
店長の反応に、やっぱり、と七緒のテンションは上がる。
「持ってました! 枝に引っ掛かって動けなくなってて。枝から外した時にちょっと中を見ちゃったんですけど、あれってこのお店のケーキですよね?」
「ええ、そうですよ。偶にお遣いに来るんですけど、君だったんですね、手を貸してくれたの」
「偶々通りかかって。凄いですよね、ちゃんとお遣いできるなんて」
「まぁ、普通の犬よりは賢いかもですね」
柴犬はそういう犬種なのだろうか。犬は近所で飼われている犬と偶に戯れるくらいで、よく知りはしないため、七緒は犬種によってはお遣いも可能なのだと納得する。
「でも、良かった。ちょうど、飼い主に頼まれて助けてくれた人を探してたんですよ」
「そうなんですか?」
「お礼がしたいから、見付けたら渡してくれって……ちょっと待ってて下さいね」
そう言って店長は奥へと消えていく。
お礼なんて、そんな大層なことをしたわけでもないのに、と七緒は思う。店長が何を預かっているのか分からないが、物によっては遠慮すべきかもしれない。
そんなことを考えていると、程なくして戻ってきた店長が、和柄の布に包まれた何かをカウンターの上に置いた。
――りぃん。
と、涼やかな音が鳴る。
「これなんですけど……」
店長が小さな包みを開くと、中には銀色の鈴のキーホルダーが入っていた。鈴の横には桜の形をした飾りも付いている。
「うちの神社――あ、隣の神社は僕の実家なんですけどね、というか、ここも元々神社の敷地内なんですけど……えっと、こういうのを作るのを手伝ってくれているひとが飼い主でして。飼い犬が困ってる時に手を貸してくれた人が見付かったら、これをお礼に渡して欲しいと」
神社で売られている御守りだろうか。隣の神社が店長の実家だということにも驚いたが、わざわざ用意してくれた物を受け取らないというのも申し訳ない気がする。
「えっと、そんなに大したことはしてないんですけど……」
「受け取って下さい。その方が飼い主も喜びますし」
値の張る物ならば固辞すべきところだが、小さな御守りならば大した額ではないだろう。
「そうですね、そうします。あ、飼い主さんに、ありがとうございます、って伝えてもらえますか?」
「ええ、伝えておきます」
御守りを手に取ると、鈴が揺れて、りぃん、と涼やかな音が鳴る。
(綺麗な音……)
何に付けようかと考えながら、七緒はふと柴犬を見付けた時のことを思い出した。
(そういえば、飼い主さんっぽい人、近くにいなかった気がするけど……)
何処か離れた所から見ていたのだろうか。
(家の二階とか……?)
そこなら気付いてもすぐには来られないだろう。
きっとそうだったに違いない、と独り納得して、七緒は御守りをバッグの中に仕舞った。
◇
ランチタイムの繁忙さが終わりを見せ、境陵はほっと小さな息を吐いた。
元々、ランチタイムなどの客が多い時間帯に人手が欲しいと言われてアルバイトに来ているため、陵がいる時間帯は比較的忙しい。
それにしても、手伝い始めた当初よりも客足が伸びているのは気のせいではないだろう。
最後の客が使っていたテーブルを片付けてから奥のキッチンに戻り、陵は違和感を覚えた。
――アレがない。
数日前に、店長の渉が預かったからと置いていた御守りの気配がないのだ。
あれ程異質な御守りもそうそう見掛けないためすぐに分かった。
「丁司さん」
と、陵はキッチンの隅で難しい顔をしながら料理本を見ている料理人に声を掛ける。
「あの預かり物、渉さんが持って行きました……?」
「ああ、少し前にな」
余程考え込んでいるのか、料理人は陵の方を向くこともなく答える。
自分と同じで丁司が触る筈もないか、と納得しながら陵は渉の姿を探してキッチンを出た。
ランチタイムが終わったため、表の看板の表示を変えていたのだろう。ちょうど店の入り口から入ってきた渉を見付けて、陵は軽く眉を顰める。
渉がアレを持っている感じがしない――。
「渉さん」
「何? 陵君、どうかした?」
思ったよりも硬い声になってしまったせいか、渉も怪訝そうに首を傾げる。
「あの御守り、もしかして渡したんですか?」
「ああ、うん。渡す相手が見付かったからね。ほら、今日カウンターでオムライス食べてた女の子。偶にしか来ない子だったから早めに渡せて良かったよ」
ああ、あの女子大生か、と陵はカウンターに座っていた歳若い女性を思い出す。
週に数回しかアルバイトに来ない陵が彼女を店で見掛けたのは数える程度だが、偶々使っている沿線が同じなため、印象に残っている。
「俺は、渡さない方が良かったと思いますけど……」
「魔除け付きの御守りだよ? 若い子だし、ちょうど良かったんじゃないかな? まぁ、陵君はあんまり好きじゃないかもしれないけど……」
「いや、俺は別に……近くにあるくらいじゃ何ともないですから……」
好ましいかと言われれば、存在感が強すぎてあまり好ましいとは言えないが、特に心身に害があるわけではない。
「アレ欲しがるやつ、結構いると思うんですけどね……」
「欲しがったところで、悪いモノは近寄れないから大丈夫なんじゃないかな?」
確かに、魔除けとしての性能は普通の御守りの比ではないだろう。
だが、陵が思うに、あの御守りを欲しがるのは悪いモノだけではない気がするのだ。
(寧ろ、そっちの方が……)
とは言え、依頼主の要望通り、御守りは既に依頼主の従者を助けた者に渡った。ここから先は最早陵が気にすることではないだろう。
(トラブルにならないと良いけど……)
お読みいただき、ありがとうございます。