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 翌日はまだ天気がぐずついていたため、翌々日に朝から稲荷の所へと向かえば、一面緑だった苺畑にぽつぽつと白い花が咲いているのが見えた。

 たった二日で花が咲いている事実に、七緒は最早何も考えるまいと目の前の現実だけを受け入れることにした。

「稲荷さん、おはようございます。花が咲き始めたんですね」

 朝から苺畑の手入れをしている稲荷に声を掛ける。稲荷はぱっと顔を上げると嬉しそうに目を細めて微笑った。

「ああ! 苺がなるまであともう少しじゃ!」

 良かったですね、と七緒も微笑う。

 見た限り、最初の方に増えただろう株にはほとんど花が付いている。

 雨で来れない間に苺の育て方を調べたが、株によっては花が咲かないこともあるらしい。

(株が増えるとその分花も実も小さくなるって書いてあったけど……)

 七緒の感覚ではどの花も特に小さいとは感じなかった。

(寧ろ写真で見たのよりちょっと大きいような……?)

 何にせよ、苺が実るならそれでいいと、深く考えずに雑草取りを手伝う。

 苺の苗を踏みつけないように気を付けながら徐々に徐々にと奥へと進み、雑草を抜いていると、近くの葉っぱが揺れていることに気付いた。

 鳥か何かいるのだろうかと見詰めていると、苗の間に何か白いものが見え隠れする。

(猫……?)

 苺の苗に埋もれるくらいだから大きさ的に鳥かと思ったのだが、薄茶色の毛並みが見えたから子猫なのかもしれない。

 猫が苺を好んで食べるのかは知らないが、悪戯されても困ると七緒はそちらに近寄った。

 近付いても逃げないことを少し不思議に思いながら覗き込むと、雑草を銜えた小動物がこちらを見上げた。

(えっと、犬……? いや、狐……?)

 大きな耳と尻尾。猫ではなく犬や狐の類であることは分かるのだが、恐ろしく小さい。掌に乗るサイズだ。

「子、狐……?」

「――管狐くだぎつねの類かなぁ」

 思わず呟いた独り言に横から返答があり、七緒は軽く飛び上がる。

「いや、一応入ってきた時に声は掛けたんだよ? 相模さん、気付かなかったけど……」

 そう言って、返答した人物――渉は困ったように苦笑した。

「て、店長さん……すみません、気付かなくて……」

「ここ意外と広いからね。にしても、随分増えたね。ここまでとは思わなかった」

 苺畑を見渡して感心した渉は、足元にいる小さな狐に目を向ける。

「管狐も出てきてるし」

「くだぎつねって、何なんですか……?」

「この管狐は、多分稲荷の眷属かなぁ。元々は憑き物の一種で、竹筒なんかの細い穴に入ってるから“管狐”っていう名前が付いてる」

「はぁ、憑き物、ですか……ええと、狐憑きみたいな……?」

「狐憑きはこの管狐が憑いているっていう話もあるけど、狐憑きは色々バリエーションもあるから一概にそうだとは言えないかな? その辺は調べ始めると奥が深くてね……僕の印象では、憑き物って恨みを買って憑かれる場合が多いんだけど、管狐の場合は主人の命令で憑いてる話ばかりなんだ。基本的に主人に使役されてる存在だと思っていい」

 なるほど、と七緒は頷く。

 自分の意志で憑くのと命令されて憑くのでは大分印象が違う。

「この子は稲荷と雰囲気も似てるし、やっぱり眷属として仕えてる御先神みさきがみ――神の使いみたいなものかな。稲荷もオガタマのお蔭で大分力も戻ってるみたいだし、こうして御先神も使役できるようになったんだろうね」

 管狐は見られていても特に問題ないと思ったのか、我関せずといったように再び草抜きに勤しみ始めた。

 稲荷のように人型にはなれないのだろう。草の根元を銜えては身体を使って引っこ抜いている。

 一生懸命な様子に手を貸したくなるが、御先神も神と付くくらいだから安易に触れてはいけないのだろう。

 自分も他の場所の雑草取りをしようと身体を起こし、七緒はふと隣に渉がいることに疑問を覚えた。

「あれ、そういえば、店長さん、今日は定休日じゃないですよね?」

 定休日は週に一回、火曜日だけだ。

「うん、違うよ。ちょっと様子が気になったから、開店前に見に来ようと思って。流石にもう戻らないといけないから、僕は帰るね」

「あ、はい。お疲れさまです」

 軽く会釈をすると、渉は、またね、と手を振って苺畑から去っていく。

 何も考えずに見送った七緒だが、その後ろ姿が見えなくなってしまってから、渉に相談があったことを思い出した。

(まぁ、いっか。お店に戻らないといけないなら、相談聞いてる時間はなかっただろうし……)

 店で美味しい物を食べるのも楽しみだからこれで良かったと思い直し、七緒は再び草取りの手伝いに戻った。



 前回と同じで今回も渉に相談がある為、混雑する土日やランチ時を避けて七緒はカフェへと赴いた。

 ランチも食べたいところではあるが、今後もカフェに通うことを考えるとランチは偶に食べる程度にするしかないだろう。

 店の中へ入ると、若い女性客が二人テーブル席に座っていた。

「いらっしゃいませ」

 七緒に気付いた渉がにこりと微笑む。

「お一人ですか?」

「はい、一人です」

 テーブル席の横を通りながら、ちらり先客の様子と窺うと、テーブルの上にはデザートと飲み物が少々残っている程度だった。食事自体は終えたらしく、話に花を咲かせている。

 これなら渉に相談を持ち掛けても大丈夫そうだと、七緒は最近定位置になりつつあるカウンター席に座った。

「今日は何にする? ランチセットはもう売り切れたんだけど、他のならまだできるよ?」

「あ、えっと、今日もお昼は食べてきたので……」

「じゃあ、デザートかな?」

「はい」

「この前とあまり変わってないんだけど……」

 そう言いながら渉が開いてくれたデザートページに七緒は目を通す。

 ガトーショコラに蜜柑のパウンドケーキ、この前来た時にあった蜜柑のタルトレットはないが、代わりに蜜柑のチーズケーキが載っている。蜜柑祭りはまだ終わっていないようだ。

「タルトレットはもうないんですね……」

 美味しかったからまた食べたいと思っていたのだが、メニューにないなら仕方がない。

「あれ、結構手間が掛かるからね……先週はバレンタインがあったから特別メニューって感じかな?」

「なるほど……」

 タルト台から手作りのタルトレットを作るのはやはり大変なようだ。

「ええと、じゃあ、蜜柑のパウンドケーキでお願いします」

「かしこまりました。飲み物はどうする? パウンドケーキなら紅茶が結構おすすめだよ」

「じゃあ、紅茶で。あ、ポットサーブでお願いします!」

 料金は少し高くなるが、今日も相談で長居をすることになりそうだからとポットで注文する。

「珍しいね。もしかして、何か相談事?」

「あ、はい。他のお客さんいなくなってからいいので、後で少しお時間下さい」

 軽く頭を下げると、渉は「もちろん」と頷いた。

「準備するからちょっと待っててね」

「はい」

 渉が紅茶やケーキを準備する様子を眺めていると、店の奥の方から扉を開け閉めする音が聞こえてきた。

 ややあって、陵が「戻りました」と言いながら奥のキッチンから顔を出す。

「お帰り、陵君」

 今日はアルバイトの日だったらしい。

(バイト、何時までだろう……陵さんが奥に行った時とかに相談できるかな……)

 そんなことを考えながら陵の様子を窺っていると、陵はテーブル席の方に目を向けた。

 近くにあったお盆を取って、陵は女性客達の方へ行く。

「空いてるお皿、お下げします」

 そう言って淡々とケーキ皿を回収して戻ってくる。

 ――ねぇ、あの店員さん、なんか恰好良くない?

 ――思った! マスクと眼鏡で顔そんなに見えないのになんか格好良いよね。後ろ姿も恰好良いし!

 ――あと、声が良い……!

 ――それ!

 ひそひそと話す声が七緒の耳に届く。恐らく陵にも聞こえているのだろうが、陵は無視を決め込んでいるのか、何の反応もせずに奥へと入っていった。

 もう一回来たら眼鏡とマスク外してもらおう、等と言う声が更に聞こえてきて、七緒はカウンターに視線を落とした。

(普通はあの人達みたいな反応なんだろうな……)

 七緒のように“何だか少し怖い”とは微塵も感じていないのだろう。

「陵君、モテるでしょ?」

 渉がそんなことを言いながら、ティーカップとポットを七緒の前に置く。

「マスクと眼鏡してても声を掛けるお客さん、結構いるんだよね」

「それは、大変そうですね……」

 絡まれるのが嫌だと陵本人も言っていたし、彼はこのような状況を歓迎していないだろう。

「まぁ、そういう時はさっきみたいに奥に引っ込んでもらうんだけどね。――はい、蜜柑のパウンドケーキです」

 目の前に置かれた皿には、厚めにカットされたパウンドケーキが載っている。シンプルなパウンドケーキかと思っていたが、上には皮付きの蜜柑の輪切りが載っており、クリームも添えられている。

 少しお洒落なパウンドケーキに自然と気分が盛り上がり、七緒は勢いのままに手を合わせた。

「いただきます!」

 カトラリー入れからフォークを取り出し、早速一口切り分ける。

 どっしりとした重めのパウンドケーキだが、口に入れると予想以上にしっとりとしており、蜜柑の爽やかな香りと甘味が口の中に広がった。

 蜜柑は家でも良く食べるが、こうしてケーキになっているとまた味も違って感じられる。

 家でも作れるだろうか、と考えながら七緒はもう一口分を切り分ける。二口目はクリームと一緒に口に運んだ。

 甘過ぎないクリームは軽く、重めの生地も先程より軽く感じられる。クリームのコクが加わるとまた一味違って楽しい。

 コンビニ等で個包装のパウンドケーキを買うことがあるが、こうして皿に盛りつけられてクリームも添えてある方が断然満足感が高いと七緒は感じた。

「タルトレットも美味しかったですけど、こういうのもいいですね」

「気に入ってもらえたなら良かった。パウンドケーキってシンプルだからか、注文してくれる人少ないんだよね……」

「そうなんですか?」

「うん。パサパサしてるイメージもあるからかな? できるだけしっとりするように作ってるんだけど、同じシンプルなケーキだとシフォンケーキの方が人気がある感じがするなぁ」

 七緒はシフォンケーキとパウンドケーキを思い浮かべる。確かに二つを並べられたら、シフォンケーキを取るかもしれない。

「シフォンケーキはあんまり捻ってなくても頼む人が一定数いるかな」

「ふわふわしてて美味しいですもんね。蜜柑のシフォンケーキにはしないんですか?」

「この前柚子でシフォンケーキ作っちゃったから、同じ柑橘系でシフォンケーキにすると似通っちゃうかなぁと思って。まぁ、まだ蜜柑ジャムが余ってるから、次はシフォンケーキになると思う」

 これは来週あたりにまた来ないといけないかもしれない、と七緒は来週の予定を組み始める。

「僕個人はパウンドケーキみたいなずっしりしたケーキの方が好きなんだけどね」

 渉はそう言って苦笑した。男性は食べ応えのある方が好きなのかもしれない。

「そういえば、相談事って何? 今お客さんも少ないし、急ぎですることないから聞けるよ?」

「あ、えっと……」

 七緒はちらりと奥のキッチンの入り口に目を向ける。

「陵さんのことなんですけど……」

 陵に聞こえてしまわないようにと声を潜めて言うと、渉は軽く首を傾げた。

「陵君?」

「あ、いえ、大したことではないんですけど……色々助けてもらった上に飲み物まで奢ってもらったので、せめて飲み物くらいはお返ししたいんですけど、要らないと言われてしまいまして……」

「ああ」

「大した額じゃないからとは言われたんですけど、貰ってばかりなので……店長さんは陵さんの好きな飲み物とか知ってますか? 好きな飲み物なら受け取ってくれるかもしれないので」

「本人が気にしなくていいって言ってるなら、気にしなくていい気もするけど」

「いえ、私は気になるんです……!」

「まぁ、貰った側はそう思うよね」

 そう言って渉は苦笑する。

「うーん、じゃあ、こういうのはどう? うちのメニューのコーヒーを内緒で陵君に一杯奢るっていう案」

「内緒で、ですか?」

「うん、内緒で。多分、好きな飲み物を教えても、陵君受け取らないと思うんだよね……」

「や、やっぱりですか……?」

 ちょっとしたお礼すら要らないと陵は突っ撥ねたのだ。何となくそんな気はしていた。

「僕なら、自分が飲みたい時とかに淹れたやつを陵君にもあげたりするから、相模さんからってことを内緒にして淹れれば飲んでくれると思う」

「な、なるほど……」

 どうしようか、と七緒は考える。

 自分でちゃんとお返しができる訳ではないが、そのまま渡しても陵が受け取ってくれないのでは意味がない。感謝の気持ちは言葉でも伝えたのだから、後はもう奢ってもらった分をこっそり返す、ということでもいいのかもしれない。

「えっと、じゃあ、それでお願いします」

 七緒は渉に頭を下げる。

「了解。ブレンドコーヒーでいいかな?」

「はい。陵さんが良く飲まれてるなら、それで」

「じゃあ、お会計の時に足しとくね」

「ありがとうございます」

 他の女性客二人は陵が奥から出てくるのを待っていたようだが、結局陵が姿を現すことはなく、諦めて席を立っていた。

 会計も渉が対応し、残念そうな様子で店を出ていく。

 あの二人は陵目当てでまた来そうだ、等と思いながら、七緒はパウンドケーキをちまちまと口に運ぶ。紅茶との相性もとても良い。

 女性客が姿が見えなくなると、見計らったかのように陵が奥から出てきてテーブルを片付け始める。

 女性に人気があるのも大変だなぁと眺めていると、グラスなどを回収して戻って来た陵が七緒の近くで立ち止まった。

「タオル、今度返す」

「あっ、はい。いつでも大丈夫ですので……」

 陵は特にそれ以上何も言わずに奥のキッチンへと入っていった。

「タオルって何の話?」

 レジの整理をしていた渉に尋ねられ、七緒はこの前稲荷の手伝いに行った際のことを話す。

「元々雨が降るって予報だったんですけど、午後からって言ってたから傘を持って行ってなくてですね……降り始めてすぐに帰ろうとしたんですけど、あっという間に土砂降りになってしまって、陵さんの傘に入れてもらったんです。けど、その分陵さんが濡れてしまったので、タオルをお貸しして……」

 思い返してみれば、自分の所為で濡れてしまったとはいえ、かなり強引に引き留めてしまった。

(いや、うーん、でも、流石にそのまま帰すのはあれだったし……)

 陵の方は多少迷惑に思ったかもしれないが、今日見た限りでは風邪も引かなかったようなので、大目に見て欲しいと七緒は思う。

「どちらかというと、半分押し付けたような感じでしたけど……」

「まぁ、素直に受け取らなそうだよね」

「陵さんって、天邪鬼あまのじゃくな感じだったりしますか……?」

「天邪鬼ではないかな?」

 何となくそんな風に見えたので言ってみたのだが違うらしい。

(じゃあ、やっぱり単に人と関わるのがそんなに好きじゃないとか……?)

 陵とのやり取りを振り返ってみると、必要な時以外はあまり喋らないし、外に遊びに出掛けると絡まれるので面倒だ、等とも言っていた。

(あれだけ綺麗なのに勿体ない気もするけど、陵さんからすると大変なだけであんまり良いことないのかも……)

 この前の雨に濡れた陵の顔をうっかり思い出してしまい、意図せず背筋が震える。

「どうかした?」

「あ、ええと、何というか……陵さんって凄く綺麗なんですけど、なんかちょっと、怖いなって……」

 震えた理由など誤魔化せば良いのに、気付いたらそう口にしており、七緒は慌てて弁解する。

「あっ、いえっ! 決して、怖いというのは悪口とかではなくてですね、綺麗すぎて怖いと言いますか……! 美人が怒ると怖い、みたいな感じで、多分私がよく怒られたり呆れられたりしてるので、怖いと思ってしまっている可能性もあって……!」

「綺麗すぎて怖い、ねぇ。そんな風に言う人、あんまりいないけど、間違ってはないかも」

「店長さんも、陵さんのこと怖いって思うことがあるんですか……?」

「んー、僕はないかな?」

 渉は曖昧な笑みを浮かべながら小首を傾げる。

「綺麗な人とかを見てぞくぞくする感じを、怖さのぞくぞくと同じように感じてしまうことってあると思うよ。どちらも神経が興奮してることには変わりないからね。俗に言う吊り橋効果と同じ仕組みかな?」

 恐怖で起こるドキドキを異性に対するときめきだと勘違いするというアレだ。

 そう言われてみると、七緒が感じている怖さも錯覚なのかもしれないと思えてくる。吊り橋効果とは逆で、プラスの感情がマイナスの感情に変わってしまっている点は違うのだが。

「まぁ、陵君と話せないくらい怖いって訳じゃないみたいだし、それで良いんじゃないかな」

「はぁ……まぁ、普段の眼鏡とマスク付けた陵さんは怖いとか感じませんけど……」

 やはり顔が見える時に怖いと感じてしまっているのだから、あの美貌が問題なのだろう。

(吊り橋効果みたいに好意を感じるなら兎も角、逆に怖いって感じるとか、結構失礼かも……?)

 意識していれば錯覚はなくなるだろうか。

 何か釈然としないものを感じつつ、七緒は少しぬるくなった紅茶に口を付け、飲み込んだ。



     ◇



「――陵君、帰る前にコーヒー飲んでいかない?」

 バイト上がりの陵にそう声を掛けながら、渉はマグカップにコーヒーを注ぐ。

 淹れる前なら兎も角、淹れてしまった後なら陵が断ることはないと分かってのことだ。

 陵は仕方ないといった様子でカウンター席の一つに腰掛ける。

 その目の前にマグカップを置くと、少し躊躇った様子を見せながらも最終的には取っ手に指を掛けた。

「これ、あいつからなんでしょ?」

 言いながら、陵はマスクを外す。

「やっぱり聞こえてた?」

「丁司さんが作業してない時は、奥にいても店の会話は大体聞こえるんで」

 最初こそ声を潜めて話していた七緒も、途中からは普段通りの声の大きさに戻っていた。きっと聞こえているだろうと渉は思ったが、陵にコーヒーを飲ませる方法ならいくらでもあるためそのまま話を続けたのだ。

「もう料金貰っちゃってるし、淹れてしまえば陵君も断らないと思って」

「それで断ったらもうただの嫌な奴ですよ」

 既に諦めはついていたのか、陵は躊躇わずにコーヒーを口にする。

 その眼鏡が湯気で少し曇るのを見て、渉は手を伸ばして勝手に眼鏡を外した。

 相変わらず、男にしておくのは勿体ないと思えるほどの秀麗な顔だ。ここまで綺麗な男というのを、渉は陵以外に知らない。

「うーん、でもやっぱり怖くはないかなぁ」

「怖い?」

 その辺の会話は聞いていなかったのだろうか。陵は訝しげに訊き返す。

「ちょっとそんな話が出てね」

「丁司さんなら兎も角、俺程度じゃ貴方には何もできないんですから、怖いなんて感じないと思いますよ」

「まぁ、僕はねー。でも、多分、悪意を感じ取っての“怖い”でもないんだよね。まぁ、陵君に悪意なんてないんだけど」

「さっきから何の話です?」

「相模さん、陵君のことがちょっと怖いんだって」

 その言葉に陵の指がぴくりと動く。

「綺麗過ぎてって言ってたけど、見惚れる前に怖いって感じるのは、綺麗過ぎるのが理由じゃないと思うんだよね」

 ふっ、と陵はどこか嘲笑にも似た笑いを漏らした。

「危機感薄すぎって思ってたけど、意外と持ってんじゃん」

 ニヒルな笑みはこれまで見てきたどんな表情よりも蠱惑的で、ほんの一瞬だが囚われそうになったのを渉は感じた。

(閉店後で良かった……)

 同性の渉でこれなのだ。女性客が見ていたら一瞬で堕ちていただろう。相模七緒を除いて――。

(こんな顔見せたら、相模さん、更に怖がっちゃうだろうな……)

 人嫌いの陵が自ら関わろうとするような相手だ。最初はちょっと気になっている程度なのかと思っていたが、今の陵を見ると楽しそうにすら見える。

 いつまでこの縁が続くかは分からないが、まだ暫くは店に通ってくれると嬉しいと、渉は心の中で願った。


お読みいただき、ありがとうございます。

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