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転生錬金術師の復讐

 

 夜の王都コズモは、静かだった。

 空には雲が広がり、月は隠れていた。街灯の光が石畳をぼんやりと照らし、城壁の上には武装した兵士たちが詰めていた。

 とはいえ、緊張感は皆無だった。


「……ったく、暇だな」


 西門の門番の一人が、溜息混じりにあくびを噛み殺す。夜番の交代まであと二刻。辺境の村が潰されたという報告はあったが、そんな話は珍しくもない。王都の鉄壁を崩す者などいない。いたとしても、門前で屈するのが常だった。


「なあ、あれが例の金だって話、ほんとか?」


 もう一人の門番が、退屈しのぎに始めた話題に返事をしようとした、その時だった。


 ドン。


 低く、地面の奥から響くような重低音が鳴った。大地がわずかに震える。


「今の、なんだ?」


 振り返る。だが、何も見えな――。

 ぶしゅ。

 乾いた音が、夜を裂いた。

 門番の片方が言葉を失ったまま、後ろへ倒れ込む。

 首が、無い。


 いや、よく見ると――頭部の中央を、金色の何かが貫いていた。

 槍だった。地面から生えたように突き出した、細く、鋭い金の杭。

 その根元がじわじわと揺れ、蠢き、まるで“命”を持っているかのようだった。


「ひ、人――っ」


 もう一人の門番が叫ぼうとした瞬間、彼の腹部にも金の杭が突き上がった。声が切れる。悲鳴は、夜に吸われた。

 門前に屹立していた巨大な鉄格子が、溶けた。

 音もなく、金となり、粘液のように流れ落ちていく。

 焼けた鉄の匂いと、濃密な空気の波動が空気を震わせる。


 そして、見えた。

 王都へと続く直線の道。その遥か向こうから、何かが、歩いてくる。

 ぼろぼろの上着。裸足。血に濡れた足跡。そして、右腕だけが、不自然に光を放っていた。

 黄金の右腕。

 その存在は夜を照らし、炎のようにゆらめき、かつて人だったはずのものを、異形へと染めていた。

 男——神蔵幸哉は、もう何も言わなかった。

 叫ばず、怒らず、ただ歩いていた。


 その瞳は怒りに灼かれ、憎悪に焼き切れて、すでに言葉の意味を失っていた。

 彼の歩みに合わせて、道端の鎧が溶け、標識が崩れ、剣が金へと変わる。

 まるでこの都市そのものが、彼に膝を折っているかのように。


 ──都市が金に飲まれる。夜が、静かに崩壊を始める。


 兵の群れが、通りを埋め尽くしていく。城門を突破された報が王都に響いたのは、ほんの数十秒前のこと。だが、それだけで十分だった。民衆は地下へ避難し、兵団は動員され、弓兵、槍兵、騎馬隊、そして魔法支援兵までが中央広場に集結する。

 彼らが守るのは、王都の中枢。城下町の豊かさと軍事力を象徴するその場所が、今、ひとつの焦点となっていた。

 誰よりも静かに、誰よりも確かな足音で、彼は現れた。髪はぼろぼろに乱れ、衣服は焼け、武器すら持っていない。


 その右腕だけが、不自然なほどに輝いていた。


 鋳型から抜けたばかりの剣のように、光を孕んだ金属の右腕。それが、この都市にとっての“終わり”を表現するものだとは誰もが想像しない。

 兵が、号令もなく殺到する。槍兵が構え、弓兵が放ち、火球が宙を飛ぶ。騎馬隊が一斉に駆け、男を囲むように突撃する。

 だが——


 男は、右手を胸の前で握った。

 すると、兵士たちの装備が悲鳴を上げた。鉄の鎧が、剣が、靴底の留金が、金へと変わっていく。

 否、変わる、のではない。これは「共鳴」だ。街全体に張り巡らされた金属が、彼の呼吸に、鼓動に、心情にさえ応えるように金属の性質そのものを捨てていく。

 そして、横一線に右腕を振り抜く。それだけで、兵士たちは金色の爆風に包まれ、空へと吹き飛ばされた。

 街路の石畳が割れ、水路が暴れ、屋根の鉄板が金の花弁となって宙を舞う。そして、空から降り始めた。


 ——金の雨。


 微細な粒子が、空気中に舞い、肌を焼き、視界を曇らせる。それは降り注ぐだけで、兵士の皮膚を裂き、鎧を貫いた。


「化け物だ!」


 叫んだのは、魔法兵だった。火球を生成し、真紅の塊を男へと投げ放つ。だが——

 男の右腕が、空へと掲げられた。

 その合図に、周囲の金属がうねり、光の糸となって集結する。金は宙に浮き、回転し、球体を成し始めた。

 それは、意思を持つかのように浮遊し、炎の弾丸を受け止め、反射した。

 反射した業火が兵を、家屋を、コズモを焼く。焼き払われたココット村のように、跡形もなく。彼の網膜にもそれが写し鏡のようにフラッシュバックしたのだろう。今までの怒りに満ちた表情に、悲痛の色が混ざった。

 そして次の瞬間、球体が変形を始める。

 盾。刃。円盤。棘。

 めまぐるしく形状を変えながら、金の塊が戦場を駆け抜けた。弓兵の陣を切り裂き、槍兵の間をすり抜け、棘を伸ばして騎馬兵を串刺しにする。


 まるで都市そのものが彼の武器だった。

 背後から襲い掛かった兵士の剣が振り下ろされる。が、彼の足元の金属が突き出し、兵士の全身を飲み込む。わずかな抵抗ののち、そこに残ったのは黄金の像。先ほどまで命を持ち、彼を殺そうとしていた男の像。


「剣が溶けた!」

「鎧が効かない!」

「逃げろ……逃げ――!」


 叫びが聞こえる。叫びは悲鳴となり、悲鳴は音にもならず、夜の中へと消えていく。

 彼はなおも歩く。彼は、喋らない。叫ばない。ただ、歩いていた。

 金の雨の降る都市の中を。

 そしてその背後に、倒れた兵士たちの黄金の群像が残されていく。王都コズモは、夜の闇と、金の静寂に包まれていた。


 街路を焼き尽くす金の光が、夜の帳を押し戻すように広がっていた。

 もはや抵抗らしい抵抗はなかった。騎士団も傭兵も、火術士たちすらも為す術なく金に呑まれ、雨に濡れる石像のように沈黙していった。大地は錬成され、鉄は金へ、命は静寂へと変わる。王都の心臓部まであと一筋の直線。


 そこに、彼女は立っていた。

 背に背負うは純白の篭手と装甲。その身を包む鎧は光を反射し、月の残滓すら跳ね返すほどに輝いていた。黄金の光のなかに、ただひとつ、変わらぬ“光”があった。


 金髪の女騎士。


 名も素性も明かされないその存在は、本国では知らぬ者などいない騎士団最精鋭の一角——などという説明は、彼には意味をなさない。なぜなら、彼は喋らない。名を問わず、聞き返さず、語らない。すでにその心は、言葉という概念から遠ざかっていた。


 女騎士は、己の武器を構えた。

 それは剣。だが、その質量には存在の強度があった。細身の刀身は光を帯び、刃の周囲に漂う蒸気のような粒子は、魔法を形成する粒子、“マナ“によって形を成していた。金に変えられない。錬成の支配を受けない。

 魔法で構成されたそれは、まさに黄金の支配に抗う“異物”。

 間合いを測ることなく、彼女が踏み込む。地を抉るように低く跳び、閃光の如く斬撃を放つ。光を裂く一閃が、幸哉の喉元を狙う。

 だが、黄金の右腕がそれを受け止めた。衝突と共に、火花が弾ける。


 女騎士は体勢を崩さず、すぐさま第二撃。だが幸哉の身体はわずかに軸をずらし、流れるように受け流す。黄金の腕が鈍く震え、空気がねじれる。金属と魔力の摩擦が、夜の静寂を切り裂いた。

 斬撃、跳躍、突き。攻防の応酬は、どちらも一歩も引かぬまま続く。彼女は剣術の天才だった。一撃一撃が的確で無駄がなく、その中に宿る激情だけが、わずかな乱れとなって戦場に現れる。

 だが、それは相手が人である場合の話だ。

 金属が支配するこの空間において、幸哉の右腕は圧倒的な優位性を持つ。鎧すら破壊してきた黄金の力は、たとえ魔法で覆われた装甲を前にしてもなお、侵食をやめない。女騎士の剣が、三たび振るわれた。

 それを、幸哉は掴んだ。直接、右手で。


 魔力の刃が手の中で唸る。火が散る。彼女の瞳が驚愕で揺れる。

 次の瞬間、女騎士の体が宙へ浮かび上がった。まるで風に持ち上げられた羽根のように。

 そして、放たれた。

 地面に突き立っていた一本の金属の柱が、突然せり上がり、空中の彼女に向かって軌道を変える。それはまるで雷を帯びた怒りの槍。衝突音が空を裂き、金の光の尾を引きながら、彼女の身体を王城の外壁へと叩きつけた。

 光の装甲が砕け、白の粒子が霧散する。


 彼女はそのまま意識を手放し、王都の外縁へと放り出される。彼女を見送ることはない。幸哉はただ、また歩き始める。

 右腕が脈打つ。その一歩一歩が、金を呼び、命を奪い、復讐を果たしていく。

 沈黙は続く。喉を焼く怒りは、もはや声という形を必要としていない。

 そして、王の玉座が、彼を迎え撃つべくその先に待っていた。

 

 王城の前庭に、風が吹いた。

 それは、金属の香りを運ぶ風だった。破壊された壁、倒壊した門、熔けた装飾、焼けた石畳。すべてが金に蝕まれた世界の中、ただ一つ、崩れぬ存在が立っていた。

 ヴァレン・クラウザー将軍。

 王都コズモにて、その名を知らぬ者はいない。王国随一の猛将にして、百戦を越えてなお無傷の戦歴を誇る男。重厚な全身鎧は、かつて西の鍛冶王が鍛えた魔鋼の逸品。左腕に抱えた双刃の戦斧は、触れたものを粉砕する重量を持つ。


 だが、そんな彼の背後には、誰もいない。部下はすでに全滅。王も、今は玉座の奥に姿を隠したまま、沈黙を守っている。

 彼は一歩、踏み出す。足元の石畳が、鈍く鳴いた。

 真正面から、歩いてくる男がいた。右腕だけが黄金に染まり、その光が夜の空間を焼くように脈動していた。口は閉ざされたまま。何も語らないまま。

 両者の距離が縮まる。


 そして激突。


 斧が振り下ろされる。地が揺れ、空が裂け、風圧だけで周囲の瓦礫が吹き飛んだ。その質量は、魔法などに頼らぬ“純粋な暴力”の極致。

 だが、黄金の右腕はそれを止めた。掌で斧の刃を掴み、力任せに軌道を逸らす。火花が弾ける。目にも止まらぬ連撃が交差する。

 斧を振るう将軍の動きは、もはや人のものではなかった。その速度、重さ、殺気、いずれも常軌を逸している。


 しかし、それでも。

 金は砕けない。右腕は折れない。黄金は、憎しみによって鍛えられた。

 城壁が崩れ、彫像が裂け、空気が焼け焦げる中、二人の戦いは続いた。

 拳と斧が交差し、互いに数歩ずつ下がったその瞬間、将軍の鎧が、ひび割れた。

 亀裂は右胸部から肩口にかけて。魔鋼のはずの装甲が、黄金の圧力に抗いきれず、わずかに軋んだのだ。


 将軍の目が細められる。

 それは戦士の直感だった。


「このままでは負ける!?」


 だが、退かぬ。背後には王がいる。ここが最後の砦なのだ。

 将軍は雄たけびと共に、斧を逆手に構え直した。全身の力を込めて、一撃に賭ける。まさに“殺すための一撃”。

 対して、男は何も構えない。右手をゆっくりと掲げ、何かを“呼んだ”。

 地面から、無数の黄金の杭がせり上がる。

 そして、斧が振るわれた瞬間、そのすべてが将軍を貫いた。

 鎧を砕き、骨を穿ち、心臓を突き刺し、膝を砕いた。剛力を誇った巨体は、鉄塊のように崩れ落ちた。


 それでもなお、将軍は倒れなかった。

 玉座の前、扉を背に、仁王立ちのまま動かぬ身体を支えていた。

 その姿は、まるで忠誠と誇りを象った彫像のようだった。だが、それも。

 最後の杭が喉を貫いたとき、静かに沈んだ。

 男は一歩、前へ進んだ。何も言わず、何も振り返らず。扉が音もなく、開いた。

 その先にあるのは玉座。

 王との再会が、待っていた。


 玉座の間。かつて王の栄光とされていたその空間は、今やただの巨大な棺だった。

 高く積み上げられた柱、金をあしらった壁、歴代の英雄たちを描いた壁画。そのどれもが、黄金の暴威を前にしては、単なる虚飾にすぎない。

 扉が音もなく開いた。

 姿を見せたのは神蔵幸哉。血と焦げの混ざった布をまとい、泥にまみれた髪を垂らし、光を孕んだ右腕だけが異質な輝きを放つ。

 その一歩は、まるで棺に蓋をする鎚音のようだった。


「ひ、ひぃっ……!」


 崩れかけた叫びが、玉座の上から聞こえた。

 王——アンドリウス・コズモバイル。かつて国家を率いた男は、今やその椅子に座り込み、顔を引きつらせていた。全身の肉が震えている。腹の贅肉が、吐息と共に上下するたび、玉座の高みがどんどん矮小に見えてくる。


「……ば、ばかな。ここまで来るなど……どういう……どうやって入った……!」


 声がうわずっていた。それでも、王冠をかぶっている限り、自分は王であるという幻想だけは失っていない。


「ま、待て……誤解だ。あの村のことも、すべては誤解なんだ……!」


 幸哉は何も答えない。

 ただ歩く。重い足取りで、一歩ずつ、玉座に近づいていく。


「た、たしかに、焼いた。だがそれは……! お前が、そうだ、お前が金をばらまくからだ! 経済が乱れ、秩序が壊れ……そう、国家の安定のためには、必要な措置だったのだ!」


 吐き出すような言葉が、乾いた空気を震わせた。言葉の輪郭すらあやふやな叫び。だが、彼は止まらない。


「な、ならば話し合おう。私と、お前の力を組み合わせれば、世界を変えられる。そうだ、どうだ? お前は新たな貴族となれ。国の礎となり、私の、いや……次の王として、あの椅子に座ればいい!」


 叫びは哀願に変わり、哀願は怒号に変わる。


「こ、ここ答えろ! なぜ何も言わぬ! 黙るなッ、私が誰だかわかっているのか!? この国を築き、この王都を治め、この玉座に君臨した王ぞ! お前のような野良の化け物に、貶められる筋合いはないッッ!」


 汗が顔を流れ落ちる。贅肉が跳ね、唇が震える。彼は、足をもつれさせて立ち上がった。


「くっ……や、やはりお前は人ではない……災厄だ……異物だ……!」


 だが、その言葉に意味はなかった。すでに“終わり”は始まっていた。

 幸哉の右腕が王冠に触れる。

 その瞬間、金属の気配が密度を上げ、床が、壁が、玉座が震え始める。王の足元から、金がにじみ出た。


「や、やめろ……ま、まだ……私は、王だぞ……! この国の、支配者だ……!」


 足元からふくらはぎ、膝、腹部へと、金の膜が這い上がっていく。皮膚を侵食し、血液を変質させ、体温を凍らせるように“変わっていく”。


「ちが……違う、これは……ま、待ってくれ……助けてくれ……っ!」


 金が胸を覆い、喉を包み、口元が動かなくなる。

 右手を差し出す。見苦しく、情けなく、哀れに突き出された指が、まるで命綱でも掴もうとしているようだった。


「よ、よ……夜明けは……き、き来たらず……黒き使途が、夜を継ぐ……これ、救済、か、た、ち……」

 最期に残ったのは謎の囁き。残された目が、震えながら、恐怖と後悔と罵倒の残滓を湛え——固まった。


 王の姿は、片腕を差し出したままの黄金の像となった。

 痩せ細った精神がそのまま現れたかのような、ちっぽけで、滑稽で、惨めな姿だった。


 幸哉は、何も言わず、何も振り返らず。その像を見ようともしなかった。

 足音だけが、響く。玉座の間にひとつきりの音を残して、彼は歩み去った。


 ——復讐は、終わった。だが、王の最期に残した言葉が幸哉の耳に残る。

 黒き使途。

 幸哉は、それがこの世界での目的となることに、この時点ではまだ気づいていなかった。


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