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転生錬金術師の金の使い道

 

 ナイーザが眠っている。あの日から三日。熱はあるが、意識は戻った。唇も、呼吸も、少しずつ元に戻ってきている。安堵はした。だが、俺の頭の中には別のものが張りついて離れなかった。

 森には、まだ魔物がいる。いや、もっといる。あれは一匹で狩っていたわけじゃない。群れだった。あのときたまたま運が良かっただけだ。もう一度、同じような襲撃があれば、この村は——きっと、持たない。


「備えが必要だ」


 それが結論だ。守る手段。魔物から人を守るための、最低限の力が。この村にはない。木の扉も、錆びた鎌も、やせ細った男たちの腕も、獣の牙の前には何の意味も持たない。必要なのは、壁と警備、戦える人材。そして、それを支えるだけの資金だ。


 俺にはそれがある。金の錬金術。あの夜、偶然生まれた力。自分でさえ理解できていない。危険で、予測不能で、正体の見えない力。でも、それが誰かを守れるのなら——使う意味は、ある。

 村の人々が、ナイーザの回復を喜ぶために集まっていた夜。俺は皆の前に立った。マーカス、エリー、ライアン、年寄りと若者、農民と職人、そしてナイーザ自身。


「……俺は、この村に金を生み出すことができます」


 一瞬、沈黙が落ちた。意味が分からない、という顔。それから、誰かが笑った。冗談かと思ったらしい。


「金、って、あの……金か?」


 俺はうなずいた。言葉を挟まず、右手を前に出す。何も持っていない手のひらに意識を込めた。思考の代わりに、あの光景を思い出す。黄金。熱。圧倒的な存在感。

 空気がきしみ、掌に光が灯る。にじみ出すように、金色の粒が浮かび、指先にころりと落ちた。大きさは豆粒ほど。それでも、目にした者すべての顔色が変わった。


「お、おい……」

「これ、金か?」


 誰かが声を漏らす。ライアンが前に出て、その粒を手に取った。掌に乗せて、目を細める。重さを確かめ、舌打ちのような小さな息を漏らしてから、そのまま軽く噛んだ。純金は柔らかく、噛むと歯形が残る。現代では使わない判別法だが、中世ではよくつかわれた金の判別方法だ。


「……本物だ」


 その一言で、場がわずかにざわついた。


「これは、俺にしかできない錬金術です。今はこの程度しか作れません。でも、これを定期的に作って王都に売りに行けば、村に資金をもたらせます。柵を作り、道を整え、傭兵を雇う。魔物から皆を守れるようにしたい。俺はそのために、力を使いたい。……これが、俺の提案です」


 皆が黙った。笑う者も、否定する者もいない。ただ、真剣に、考えていた。

 それはつまり、「信じようとしている」証だった。

 この村が変わるかもしれない。そんな予感を、誰もが抱き始めていた。


 夜。誰もいない納屋の片隅で、俺は一人、右手を見つめていた。光は弱い。だが確かにそこにある。指先の奥が、何かを覚えている。あの夜、魔物を貫いた刃の感触。体の奥底に沈んでいた何かが、形を取って外へ出たような、奇妙な感覚だった。


「今のままじゃ、足りない」


 小さな粒は錬成できる。けれど、それは極めて非効率で、消耗が大きすぎる。村のために金を作るというなら、もっと安定した方法が必要だ。

 俺は釘を一つ手に取った。農具の補修用に使っていた、ただの鉄の釘。だが、これを持った瞬間、指先の反応が変わった。右手が、熱を帯びる。明らかに、さっきまでとは違う脈動がある。

 釘を強く握る。意識を集中する。金、という“形”をイメージする。次の瞬間、釘の表面が鈍く光を放ち、金へと変化していった。サイズはさっきと同じだが、明らかに疲労が少ない。


「媒介……なのか?」


 理解が追いつく。鉄という素材を“足場”にして、錬成はずっと楽になった。形も、密度も、安定している。イメージ力を補助する“芯”として、金属が必要なのだ。まるで、化学反応における触媒のように。

 あの時の魔物との戦闘を思い出す。あの時は必死だったが、確かにクワの金属片を握りしめていた。それがナイフになったのだ。

 納得だ。この力は制御できる。そして、制御できるのなら、使える。村のために、いや、誰かを守るために。


 その夜、マーカスに話を通した。王都へ行く、と。

 金を売る。金を得る。その資金で村を守る。そのために、俺はコズモへ行く。

 ナイーザは少しだけ寂しそうな顔をしたけれど、最後には「気をつけてね」と言って、手編みの袋に干し肉を詰めてくれた。

 ライアンは「変な連中に目をつけられるな」とだけ言って、ナイフを一本貸してくれた。錆びていたが、研ぎ直されてよく切れる。

 朝靄の中、村を出た。クワではなく、袋に入った金と、小さな希望を背負って。


 村を出たのは、夜明け前だった。空にはまだ星が残っていて、空気は湿っていた。干したばかりの革靴が湿気を吸って、歩くたびにわずかに軋む。

 コズモまでは歩いて三日。馬があれば二日だが、俺にはそれほどの余裕もなかった。足で稼ぐしかない。手製の革袋には干し肉と水、そして小粒の金。

 道中に目立ったものはなかった。曲がりくねった小道、切り株、倒木、獣の糞。時折すれ違う荷車の商人たちが、物珍しそうに俺を見ていった。会話もなければ、出来事もない。山道を下り、川を渡り、丘を越えてただ歩いた。


 夜は焚き火。獣の気配を気にしながら眠る。朝は冷たい水で顔を洗い、再び歩く。そんな繰り返しだった。

 変化が訪れたのは、三日目の昼だった。

 地面の質が変わった。石が増え、踏みならされた道が広がる。人の往来が多くなった証拠だ。

 そして、視界の向こう。丘を越えたとき、視界の先に“それ”は現れた。山かと見間違うほどの巨大な人工物。自然が作った斜面ではなく、人の手で積み上げられた巨壁。王都コズモは、都市ごと一つの要塞だった。

 灰色の壁が空を遮る。左右に果てがなく、地平線にまで連なっているように見えた。壁の高さは少なく見積もっても三十メートル以上。城壁の上には武装した兵士が点々と見え、遠くに回転する監視塔の影が見えた。


 これは都市というより“要塞都市”。防衛を第一とした構造。何かを守っているのか、それとも——何かを閉じ込めているのか。

 門は三重。外門、内門、そして最奥の“境界門”。それぞれの門前には検問があり、兵士たちは槍を持ち、貨物や旅人を隈なく調べていた。

 俺も当然、足止めを食らった。見た目は農村の青年。持ち物は干し肉と小袋に入れた金数粒。兵士の視線が小袋に釘付けになるのを見て、思ったより売れるかもしれない、と無関係なことを考えた。

 通過を許され、門をくぐった瞬間、世界が変わった。

 城下町。道は石畳。建物は二階建ての商館が並び、瓦屋根には色とりどりの旗が翻っていた。香辛料、果物、鉄製品、布。空気には火薬の匂いと、焼き菓子の甘さが同居していた。馬車が走り、商人が叫び、音楽隊が広場で笛を鳴らす。

 雑踏、喧騒、賑わい。それは豊かの象徴。


 だが——その豊かさの影に、異様な静けさもあった。

 道端に膝をついていた一人の男。腰に縄。首には金属の輪。目を伏せ、手を汚れた布で覆い、誰とも視線を合わせない。女が肩を寄せるように男に水を与え、それを見ていた子供が「奴隷だ」と言って笑った。

 目を凝らせば見える。建物の裏。荷物を運ぶ者たち。首に革紐、腕に焼印。無言で働く者たち。そこに人間性はない。制度としての人間。それが、この都市のもう一つの顔だった。


 都市の中央には、遠目にもわかるほどの巨大な建物がそびえていた。

 コズモ城。

 天を貫くような白亜の塔。その根元に広がる複数の棟と広場。あれは軍政機関だ。独裁者が住む場所。権力と軍事が結びつく“中心”。それが都市全体の“心臓”となって、血のように支配を流し込んでいる。

 俺は歩きながら、理解した。ここは文明の極地であり、統治の実験場であり、そして何より——

 この世界がどんな構造で動いているのかを知る鍵なのだ、と。


 金の取引は、驚くほどあっさりと終わった。

 コズモの北区、金融通り。両替商と質屋が軒を連ねる一角に入った瞬間、街の空気が一変する。汚れているのに磨かれている。不自然なまでに整った石畳。靴音が響きすぎるほど静かな道。人々の視線はよく訓練された獣のようで、無駄がなかった。

 俺が選んだのは、表の装飾が地味で、客の出入りも少ない店。

 古びた木の扉をくぐり、小粒の金を一つ、机に置いた。初めは鼻で笑われたが、すぐに笑みは消えた。店主の目の奥が、音もなく動いたのが分かる。試金石、天秤、比重測定。手際が早い。沈黙は続いた。


「……取引は一度きりですか?」

「いいえ、定期的に」

「でしたら——」


 店主は扉を閉め、鉄の鍵をかけた。


「今後は裏口からお入りください。できれば、目立たぬ時間帯に」


 それがこの街の“反応”だった。

 言葉は丁寧でも、目の奥は計算している。客でもなく、歓迎でもない。ただ、利用する対象として、俺は“歓迎された”。

 金は換金された。思っていたより高く、そして……思っていたより、ずっと静かに。


 村に戻ったのは、それから四日後だった。

 疲労と泥にまみれて帰還した俺を、ナイーザが見つけて走ってきた。「おかえり!」と叫んで、またしても足に抱きついてきた。干し肉の袋は潰れ、俺の手は泥だらけだった。

 マーカスは俺の背中を叩いた。「よくやった」とだけ言って、後は何も聞かなかった。

 そこから、変化が始まった。


 まずは食事。保存食の質が上がり、干し肉だけだった食卓に、野菜が戻ってきた。次に道具。壊れていた農具が新しくなり、工具を入れる棚が村の広場に設置された。

 それから、木材。外から取り寄せた材が届き、柵の補強が始まった。道も広げられ、石を敷いて水捌けが良くなった。荷車が通りやすくなり、近隣の村からも商人が来るようになった。

 子どもたちは靴を履き替え、夜の焚き火には笑い声が混ざった。兵士を雇い、日替わりで村を巡回させると、誰かが言った。


「コズモと変わらないくらい、ここも栄えてきたな」


 俺は笑わなかった。もちろんコズモとは雲泥の差はあるのは理解しているが、否定もしなかった。

 俺の錬成した金は、世界を変えていく。ゆっくりと、けれど確かに。

 ただ、それがこの村の幸福なのか、この世界の歪みなのかは、このころの俺には、判断がつかなかった。

 ——そう、俺は判断を誤ったのだ。


 それは、いつもと変わらぬ朝のはずだった。だが、陽の昇りきらぬうちに、村の入り口に四頭立ての馬車が現れた時点で、それは確実に「いつも」ではなくなった。

 青と銀の紋章が刻まれた旗を掲げた従者が先頭に立ち、続くのは立派すぎる馬車。その背後には、軽装の兵士たちが数名、長槍を持って周囲を警戒している。彼らは無言で村の広場へ進入した。そこに言葉も挨拶もなかった。ただ、既に知っている道をなぞるように、迷いのない足取りだった。


「王都コズモより視察団の到着である。村の代表に、話を伺いたい」


 声を上げたのは、浅黒い肌を持ち、艶やかな紺色の軍装に身を包んだ男だった。口元に薄く笑みをたたえながらも、目だけは微動だにせず鋭く、まるでこの場にいる全員の身辺調査が完了しているかのような錯覚を覚える。

 マーカスが前へ出た。穏やかで老成した態度を崩さず、彼は腰を折る。


「マーカス・クレイドン。ココット村の村長を務めております。どうか、お手柔らかに」

「柔らかくも固くも、我々の任はただ一つ。報告の確認です」


 団長が口元だけで微笑んだ。


「先月より、このココット村から金貨への両替申請が増加しています。いずれも、ほぼ新品。刻印の摩耗もなく、地金としての純度も高い。……奇妙とは思いませんか?」


 村の空気が、わずかに揺れた。


「我々は、王都からこの地域の財政調査を命じられています。奇しくも、貴村はかつて炭鉱により繁栄した歴史がある。そこで、一つ、伺いたい。——金は、どこから出ているのです?」


 その問いに、マーカスは答えられなかった。

 誰もが、言葉を失ったわけではない。言えるはずのことが、ないのだった。

 視察団の騎士がひとり、何かを確認するようにうなずいた。


「鉱山は既に視察済みです。閉山後の状態で、人が立ち入った痕跡はない。採掘の気配も、器具も、坑道の強度も残っていません」


 つまり——視察というのは、最初から名目だったのだ。

 団長の目が、村の誰にも向けられぬまま、探している何かを浮かべて泳いでいる。


「再度、聞きます。村の金は、どこから出たのですか?」


 誰も答えない。

 だが、その空気の中に、ひとつだけあった。「何かを隠している」という共通認識だった。

 団長は首を傾け、穏やかな声で言った。


「なるほど。では、我々が確認するしかありませんね。……この村に、錬金術師はおられませんか?」


 どこか、わざとらしい言い回しだった。

 その問いが、場に投げ込まれた瞬間。幸哉の胸には、ある確信が浮かんでいた。

 ——これは、最初から知っている側の問いだ。


「もう一度言いますよ。この村に、錬金術師はおられませんか?」


 その一言で、場の空気は凍った。いや、最初から凍っていたのかもしれない。俺がその変化にようやく気づいただけで。

 団長の声は変わらない。穏やかで、礼儀正しく、それでいて無慈悲だった。声の抑揚ではなく、選ぶ単語のひとつひとつが、隠された刃のように鋭かった。

 誰も答えなかった。マーカスの背中が少しだけ揺れる。エリーがナイーザをそっと背にかばう。

 ライアンが一歩だけ、俺の前に出ようとし、俺はそれを右手で制した。


「……俺が、やった」


 口にした瞬間、何かが音を立てて崩れた気がした。自分の中にある“秘密”という壁。それを壊したのは罪悪感ではなく、これ以上沈黙を守れば、目の前の兵士は何をするかわからない。

 団長はその告白に、少しだけ口元をほころばせた。笑っていた。俺にはそう見えた。


「ほう。それは、自らの手で金を“生み出した”という意味で?」

「そうだ。……金を錬成した。俺の右手で」

「では、問います。金を生み出すにあたって、何らかの鉱石や金属を使用しましたか?」

「時と場合による。だが、小さなものなら……空気からでも、引き出せる」


 団長の目が細くなった。沈黙。誰かの喉が鳴る音だけがやけに大きく聞こえた。


「奇跡だ」


 そう呟いたのは、団員の一人だった。


「いえ。奇跡ではなく、“脅威”かもしれません」


 団長が訂正する。穏やかに。静かに。だからこそ、嫌な感じがした。


「錬金術というのは本来、金を生み出すための術ではありません。“癒し”や“加工”の技術。それを超えて、金そのものを創り出すとなれば……王都としては見過ごすわけにはいきません」


 団長が手を挙げた。その瞬間だった。

 森の中から、装甲の擦れる音が聞こえた。気配が、四方から押し寄せる。

 出てきたのは兵士だった。最初の数人ではない。三十はいる。弓兵、槍兵、重装歩兵。奴らは“いた”のではない。最初から“隠していた”のだ。団長の合図ひとつで、姿を現しただけだった。


「俺を連れていくつもりだったな、最初から」

「ええ。だが、それは“あなたが告白すれば”の話です。協力的な態度は、後の待遇に大きく影響しますからね」

「もし断ったら?」

「その場合、我々は村の全戸を捜索し、必要に応じて逮捕・拘束の上、王都へ護送します。何もやましいことがないのなら、それも問題ないでしょう?」


 “やましい”の定義を決めるのはお前らだろう、とは思ったが、言わなかった。

 俺は一つ、息を吸った。

 もはや選択肢などなかった。村を守るために金を使った。それが、王都の理屈では“背く”ことになるなら、俺は従って、堂々と睨み返すまでだ。


「わかった。行くよ」

「賢明な判断です」


 団長はまた笑った。


 馬車はすでに準備されていた。御者は無言で手綱を握り、兵士たちは距離を取って俺を囲むように立っていた。囲む、というより、囲い込む。だが逃げる気はなかった。逃げた先に、何もないとわかっていたからだ。

 村の広場に、ぽつぽつと人が集まり始めた。マーカスは言葉を発さなかった。エリーは涙を流していたが、それを拭こうとはせず、ずっと俺の目を見ていた。ライアンは立ったまま腕を組み、うつむいたまま顔を上げなかった。たぶん、最後まで不満だったのだろう。俺が勝手に抱えて、勝手に差し出したことが。

 そして、ナイーザが走ってきた。髪を乱して、靴も履いていなかった。駆け寄ってきて、何も言わず、俺の服を握った。


「ナイーザ」


 呼ぶと、ようやく顔を上げた。泣いていなかった。でも、目は赤かった。


「行っちゃうの?」

「ああ。少しだけな」

「……うそ。そう言って、もう戻ってこないんでしょ?」

「わかんないよ。でも、ちゃんと戻ってくるつもりだ。約束する」


 ナイーザは唇を噛んで、何か言いたそうにした。だけど言葉にはならなかった。俺も、何かを返すべきなのか迷ったが、やめた。言葉じゃ足りないってこともある。だから、代わりにそっと頭を撫でた。少し、背が伸びていた。


「元気でな。あんまり泣かすなよ、兄ちゃんを」

「……うん」


 視察団の兵士が一歩、馬車の脇に近づいた。無言の合図。時間だ。

 俺は足を踏み出した。荷物はほとんどない。金の錬成も、この場ではできない。何の装備も、何の保証もないまま、ただ一人の錬金術師として、王都に向かう。それでも、この歩みは俺自身が選んだものだ。

 馬車の扉が閉まる。窓越しに見た村の風景は、どこまでも穏やかだった。夕焼けが、柵の影を長く伸ばしていた。

 音もなく、馬車は走り出す。俺を乗せて。コズモ城へ。



 目が覚めた時、天井が低かった。

 石でできた天井と壁。そこに浮かぶのは、微かな苔の匂いと、遠くで響く水の滴る音。明かりはないが、細い通気孔から差し込む光で、俺は自分がどこにいるのかを察した。

 地下。王都の、地下だ。

 寝台は藁敷きの簡素なもの。服は取り換えられていた。腕に縄はない。だが、自由ではなかった。扉は鉄格子で、番兵が交代で見張っている。監視の目は、何かを恐れているようで、どこか異常に丁寧だった。

 食事は一日二回。温かいパンとスープ。毒味済みらしい。風呂もあった。皮の桶に湯を張り、布で体を拭く時間もくれた。怪我をしていないかも確認された。

 これは待遇ではない。隔離だ。人としてではなく、危険物としての隔離。


 三日目の朝、扉の前に騎士が二人現れた。


「起きてください。王の勅命により、能力の確認を行います」


 声は冷静だった。感情も、尊敬もない。だがその態度に、俺は思ったより腹が立たなかった。ずっと感じていたのだ。自分が、何者でもなくなっていく感覚を。

 広間の一角に通された。長机、記録用の書記官。軍服の男と、錬金術師らしき白衣の老年。いずれも俺を睨みつけるでもなく、見るでもなく、ただ“観察”していた。


「君が……錬金術で“金”を生み出す者か」


 白衣が言った。声は弾んでいたが、目は濁っていた。


「君のような存在が、かつていただろうか。否、文献にはない。理論的には、物質変換に近い。“媒体を消費せず金属を生む”なら、これは世界経済の構造を揺るがす発見だ。いや、“災害”だ」


 それがこの国の学者の言い分らしい。俺は何も言わず、差し出された鉄の塊を手に取った。

 呼吸を整え、イメージを明確にし、集中する。

 金属の流れを思い浮かべる。構成式も化学変化も、もう頭ではなく、身体が知っている。

 手の中で、鉄が黄金へと変わった。一瞬、空気が震えた。誰もが微動だにせず、金のかけらを見つめていた。記録係のペンがわずかに揺れた音が、妙に響いた。


「……本物だな」


 軍服の男が言った。声は低く、感情を押し殺していた。

 白衣が金塊を手に取り、鼻を近づける。


「密度よし、色味よし、手触りにも違和感なし……天然鉱とは比べものにならない純度だ。まるで、“誰かが完璧に設計した金属”だよ……!」


 軽く笑っていた口元が、いつの間にか震えていた。喜びというより、これは恐怖に近い興奮だった。


「次の段階に進ませてもらおう」


 そう言って、彼らは俺を再び地下に戻した。

 彼らにとっての“確認”は終わった。

 次は、“利用”だ。

 俺の心に、その言葉だけが、じっと熱を持って沈んでいた。


 足音が、やけに響く。

 いつも通りの朝。固いパンと薄いスープ。兵士は俺の姿を一瞥するだけで、何も言わない。

 だが、その日は違った。

 扉が開くと、兵士は二人だった。銀の飾緒を肩に巻いた男が前に立ち、無言のまま手錠を差し出した。俺は、それが「散歩」でも「尋問」でもないことを、直感的に悟った。

 そのまま連れ出された通路は、これまで通されたことのない方向だった。灯りは増え、壁は大理石に変わり、飾り彫りの柱が並ぶ。赤い絨毯が敷かれた階段を上がるごとに、空気が変わっていった。

 俺の足は、妙に力が抜けていた。寒気のせいか。なのに額には汗が滲む。


 何度目かの角を曲がった先、正面の扉が開かれていた。巨大な空間、天井の高い玉座の間。

 その中心に、装飾のない石の台座と、俺を待つ視線の列があった。

 王。王妃。軍の将。錬金ギルド長。兵士たち。誰一人、俺に笑いかける者はいなかった。

 このとき、ようやく俺は思い至った。

 見せしめでもなく、裁判でもない。


 これは儀式だ。「価値の測定」だ。

 俺という存在が、いくらの金に換算できるか。人か、資源か、道具か。それを決める、ただそれだけの舞台だ。どこまでも静かに、俺は台座の上へと導かれた。


 招かれた玉座の間は、思ったよりも静かだった。

 荘厳な赤い絨毯、陽光を反射する黒鉄の柱、壁に刻まれた獅子と鷲の紋章。俺の立っている場所は、玉座から見てやや低く設計された半円状の石壇。見下ろされるために作られた舞台だった。


「では、始めましょう」


 そう言ったのは錬金ギルド長。鼻眼鏡をかけた白髪の老人で、言葉の端々に“測る”癖がある男だ。何を測っているのかは知らないが、目つきはずっと俺の右腕ばかりを見ていた。


「素材はここにある。錬成は可能か?」


 俺の前に置かれたのは、鉄屑の塊と石炭片。意味があるのかは分からない。だが、逃げ道もなければ、拒否もない。


「やるよ」


 ゆっくりと右手をかざす。構造式を思い浮かべる。流動性、密度、形状、色味、そして、崩壊までの時間を。

 金の“感覚”が身体に宿る。それは既に“理論”ではなく、“反応”だった。

 手のひらの上に、光が集まる。錬成が始まる。周囲の金属分子を再構築し、表面張力と重力のバランスで形を整える。

 光が収束すると、掌には金の粒が生まれていた。誰の目にも疑いようがない、それは“黄金”だった。

 玉座から立ち上がったのは王だった。歳は四十を過ぎたあたりだろうか。黒の礼装に身を包み、白金の冠を戴いたその男は、何の感情も見せずに言った。


「見事だ。実に価値のある力だ」


 言葉の裏に熱はなかった。ただ、“利用”の視線があった。


「……その力、どこに宿している?」

「さあな。わからない。体のどこかかもしれないし、全部かもしれない」

「だが、お前は常に右手で錬成を行っている。そうだな?」

「……ああ」


 王が右手をわずかに掲げた。誰かが動いた。鉄鎧の擦れる音と、風を裂く気配。

 俺の両腕を後ろから押さえた兵士がいた。次に、横合いから処刑人のような男が斧を持って現れた。目が合う。その目に、何の迷いもなかった。


「待て、何を——」

「力の所在を知るための“実験”だ。お前の力が右腕に宿っているのなら、その右腕を切り落とせば、すべてが明らかになる」


 その一言で、場の空気が一変した。言葉ではなく、現実が迫ってくる感覚。

 俺は暴れようとした。だが両腕を押さえつけられ、膝を突き、顔をしかめ、口を開くも、声にならない。

 斧が振り上げられる。


「やめろっ……! おい、待て……!」


 乾いた音が鳴った。

 感覚が飛んだ。視界がねじれ、重力が消えたかのようだった。

 次に来たのは、地鳴りのような痛み。


「――――ッッ!!」


 喉が潰れるほどの叫び声が漏れた。骨が砕け、肉が裂け、神経が焼けたかのように、ただひたすら痛かった。冷や汗が噴き出し、胃の中のものが逆流しそうになる。

 右肩の先から、ぶしゅ、ぶしゅ、と音を立てて血が噴き出していた。床に転がる自分の右腕が、視界の端に映った。

 あれが、俺だったもの。

 頭が割れそうに痛む。何が起きたのか、もう分からない。ただ、体が震え、息が詰まり、心臓が今にも止まりそうだった。

 既に感覚はなく、視界は明滅していた。次第に意識が遠のいていく感覚。

 腕を失ったあとの時間は、やけに長かった。

 否。それは一瞬だった。

 一瞬が、細長く引き伸ばされているのだ。

 脈打つ痛み。耳鳴り。視界の端に揺れる鉄の色と、誰かの足音。

 自分の声が聞こえない。いや、もう叫びすぎて、枯れてしまったのかもしれない。

 ただ、俺は――意識を失っていなかった。

 生きている。まだ、目が開いている。おかしい。これだけの出血と衝撃で、なぜ……。


 ──そのときだった。


 断面が、脈打った。

 ずぶ、と肉の奥から何かがこみ上げてくる感覚。

 ぬるりと、滴がこぼれた。血ではなかった。もっと重たく、もっと硬質で、ありえないほどの“光”を含んでいた。

 それは金。

 俺の切断された右肩の断面から、どろり、と金がにじみ出していた。

 痛みの向こうで、脳が混乱を訴える。


「……っ、なんだよ、これ……」


 吐息のように漏れた言葉を追うように、視界が熱を帯びる。

 目の奥から熱い何かがこぼれ落ちる。

 それも、金だった。液体の金が、俺の目のふちから、涙のように零れていた。

 ざわざわと、誰かがざわめいた。

 それは見物人でも、兵士でもない。

 ──金属だった。

 部屋の空気が震える。足元の鉄板が微かに、振動している。王座の柱が、甲高い共鳴音を発する。

 そして、それは始まった。

 王宮に満ちたすべての金属が、唸り始めた。壁の装飾が、剣の鍔が、兵士の鎧が、金に変わる。熱を帯びて、溶け始める。

 指輪が、剣が、肩当てが、床に流れ落ちていく。


「な……なにが起きている!」


 誰かが叫ぶ。悲鳴が混ざる。

 俺は、まだ地面に倒れたままだった。でも、知っていた。

 これは、俺だ。

 俺の叫びに、金属が応えたんだ。

 息を吸う。残った左手で地を掴む。金で濡れた床を滑りながら、なんとか立ち上がる。

 兵士が剣を抜こうとし、その剣が、鞘ごと溶けた。

 ——逃げなければ。

 兵士たちの混乱をすり抜け、俺は壁際へと走った。溶けた金属の床を踏み抜きそうになりながら、口の中は鉄の味でいっぱいだった。焦げた空気、溶ける柱、砕け散る武器。俺を捕まえようとする者は、誰も、いない。


 そう思ったとき。

 石畳の隅、半ば隠された扉。重い鉄格子のようなそれの奥から、風が吹いていた。ぬめるような湿気を含んだ空気。どこか遠くで、水が落ちる音。

 城の排水口か。地下へと続く排水施設。かすかに、汚水の流れる匂いがした。


 俺は迷わなかった。

 光も音も狂ったこの場に比べれば、暗闇の穴の方がまだマシだった。金属の鍵が溶けかかっていた扉を、力任せに蹴り開けた。痛む肩の傷を庇う余裕もない。階段を駆け下りる。闇がすぐに包んできた。

 背後で誰かが叫んでいた。金属がきしむ音。熱が崩れ、崩れ、また崩れる。冷たい空気が俺の肺に突き刺さった。

 そして、湿った石の通路が、まるで“逃げろ”とでも言うように、俺の前へと続いていた。

 俺はその闇へ、ただ走った。


 三日三晩、俺は走った。

 昼も夜も、影も命も、足元をすり抜けるように過ぎ去った。何も食べていない。何も飲んでいない。なのに、死ななかった。眠気すらやってこなかった。ただ心臓だけが、何かの拍動に合わせて過剰に動き、筋肉は悲鳴を上げながら、それでも前へ前へと身体を押し出していた。

 逃げていた。あの玉座の間から。血と金が混ざった床から。右腕の不在から。


 だが、それ以上に恐ろしかったのは、自分の中で――何かが目を覚ましたという事実だった。

 あの異形の現象。腕の断面からあふれた金。視界を焼いた金色の涙。そして、王宮に満ちた金属すら震え、共鳴し、溶け崩れた。


 あれは、何だったのか。

 自分が“何か”に変わりつつあるという予感は、右腕の喪失よりも、ずっと深い恐怖だった。

 だから、俺は帰ろうとした。村に。ナイーザに。あの焚き火の夜に。

 そうすれば、目の前の現実が戻る気がしていた。全てが元に戻るなんて思ってない。だけど、せめて——。


 それは、甘い考えだった。

 森を抜けた先、まず、鼻がそれを拒絶した。土の焦げた匂い。炭と脂の混じった空気。風が、血の記憶を運んでくる。

 そして、見えた。


 ——煙だ。

 灰をまとった雲が、村の空を覆っていた。

 足が止まった。いや、止まってしまった。

 頭は動けと叫んでいたのに、身体が、あまりに呆然としすぎていた。

 やがて、足元がふらりと傾いた。

 意識だけが地面に先行して墜ちていくような、気味の悪い浮遊感。


 それでも歩いた。

 焼けた柵、崩れた家屋、木材の屍。村の輪郭が、まるで誰かの手で押し潰されたかのように崩れている。

 最初に見たのは、マーカスの帽子だった。村長が大事にしていた革帽。あれだけ手入れしていたくせに、今は焦げと泥で色もわからなかった。

 エリーが倒れていた。赤ん坊を抱くように、何かを守る形で伏していた。

 その腕の中には……ナイーザの髪飾りが落ちていた。

 見知った顔が、次々に土に還っていく。

 薬師の婆さん。井戸を管理していたサムおじ。人懐こかった商人の娘。

 誰一人、目を閉じている者はいなかった。

 ……俺は、何を見てるんだ?

 そして、見つけた。


 井戸のそば。まるで遊び疲れて眠る子供のように、もたれかかる姿。

 ナイーザだった。

 声が出なかった。時間の流れが、寸断されたかのように全ての音が遠のいた。

 足が勝手に動き、膝が地に触れ、左手が彼女の体を持ち上げた。

 軽い。軽すぎる。

 目を閉じたまま、夢を見るような寝顔で、彼女は動かない。

 鼻の奥が焼けつくほど痛んだ。何もしていないのに、視界がにじんでいた。


「……ただいま、ナイーザ」


 ようやく出た声は、ひどく小さくて、情けなくて、音にならないほどだった。

 その瞬間だった。

 何かが崩壊した。

 否。何かが、開いた。

 胸の奥が破裂したような感覚。呼吸ができない。脳が焼けつく。

 怒り、悲しみ、恐怖、それとももっと名状しがたい感情の奔流が、臓腑からこみ上げ、喉をつんざいて、俺の口から咆哮となって溢れた。


「うあああああああああああああああああああああっ!!!!!!」


 右肩が、爆発したように光を放った。

 皮膚を割り、筋肉を裂いて、黄金の光が這い出す。骨が、肉が、神経が、“構築”されていく。まるで神経に直接焼き込まれるように、鋳型に溶かし込まれるように、俺の右腕が——金で作り直されていく。

 痛みなど、もはやなかった。

 あるのは、圧倒的な“力の実感”だった。

 目を見開く。視界は金に染まる。音が、全て遠ざかる。


 ——世界が、自分を中心に再構成されるような、錯覚。


「……復讐だ」


 口が勝手に言葉を紡いだ。


「復讐してやる。奪った奴らに。焼いた奴らに。この世界のすべてに――俺の大切なものを壊した全てに!」


 そうして、俺はもう一度立ち上がる。

 焼け野原に、金の右腕を振りかざして。


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