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夜空に踊る、月の下にて

 ロウ老師の修行を始めて三日が経った。

 過酷な試練の連続だったが、俺、ティナ、アルヴェンの三人には、まるで一本の糸で繋がれたような連携が生まれつつあった。寺の庭を渡る夜風が、汗と土の匂いを運び、遠くの木々のざわめきが静かに響く。


 ティナが魔術の供給源として、小さな術式を組み上げる。彼女の指先が空気を切り、淡い光のルーンが浮かぶ。まるで朝霧に溶ける光の粒だ。アルヴェンはその“流れ”を読み取り、青い瞳で風の動きを捉え、術式を敵の位置に導く。彼女の長髪が風に揺れるたび、まるで森そのものが彼女と共鳴しているようだ。そして、俺が最後に錬金術で仕上げる。金の右腕から迸る光が、術式に秩序を与え、完成させる。


 マナは“秩序”の影を落とし、俺たちはその影に手を添える。まるで三人の心が一つの意志を共有するような、奇跡的な瞬間が何度も訪れた。庭の石灯籠の影が月光に伸びる中、俺たちの動きは一つになる。


 ロウ老師は遠くからそれを見ていた。白い袍が夜風に揺れ、髭が月光に銀色に光る。


「これが、“理と術と心”の交差点。お主たちの道は、ここからじゃの」


 その言葉は、静かな夜の空に溶けた。時間の流れはあまりに穏やかで、目を閉じれば風の音と畳の匂い、墨の香りが鼻をくすぐる。目を開けば、庭の向こうで誰かが拳を振るう影が見え、遠くから木槌の音が響いてくる。寺の夜は、静かでいて、どこか生きている。この三日、俺たちは自分の弱さと向き合ってきた。


 ティナは毎朝の掃除と魔術写経で、魔力の制御を研ぎ澄ました。彼女の髪が朝露に濡れ、写経の筆が畳に墨を落とすたび、彼女のマナは少しずつ安定していった。

 アルヴェンは森を駆け、魔物と渡り合い、身体と感覚を極限まで鍛えた。青い長髪が木々の間を舞い、弓弦の響きが森にこだまする。

 俺は――拳を振り、受け身を繰り返し、自作の“装置”を試してきた。右手の“黄金”は、以前より鋭く反応する。今なら、戦場で“意志”を自在に通わせられる気がする。月光に照らされた庭で、金の右腕が微かに光を放つ。


 〇


 その夜、俺たちは縁側に並んで座っていた。満月が雲の隙間から顔を覗かせ、木の葉が夜風にそよぐ。寺の屋根に月光が反射し、静かな光が俺たちを包む。


「……たった三日だけど、だいぶ動けるようになったね」


 ティナがぽつりと呟く。膝に置いたタオルには汗が染み、両手の指には掃除でできた小さなマメが並ぶ。


「ああ。魔力の流し方が変わった。“流しっぱなし”じゃなくて、“整えて送る”って感じだ」


 俺の言葉に、ティナは指を組んで小さく頷く。アルヴェンも、青い瞳を月に向け、静かに言う。


「リンリンさんが、何も言わずに頭を撫でてくれたんです……びっくりしましたけど」

「あいつ、アルヴェンのこと気に入ってるようだしな」

「でも、うれしかったです。少しでも、追いつけてたらいいなって……」


 夜風が吹き抜け、俺たちの間を冷たく通り過ぎる。


「俺も……少しは“戦える”ようになったと思う。体術も、錬金術の応用も……でも一番大きいのは」


 俺は右の拳を見つめる。月光に照らされた金の右腕が、かすかに輝く。


「この手が“恐くなくなった”ことだ」


 ティナがそっと目を伏せる。


「前は、躊躇してたもんね……」

「使うたびに、誰かを壊す感覚があった。金は、奪われるし、狙われる。でも今は……“使い方”を覚えた気がする」


 金は力だ。だが、それは“選び取る力”でもある。破壊のためじゃなく、守るために。奪うためじゃなく、与えるために。この右腕に宿る“意味”を、ようやく掴み始めていた。


「ちょっとトイレいってくる」


 感傷に浸りすぎた自分に気恥ずかしさを感じ、俺は逃げるように立ち上がる。顔が熱い。空を見上げると、赤い月が真上から俺を覗いている。昼間の世界は元いた世界とあまり変わらないのに、夜にあの月を見るとここが異世界なんだと改めて実感させられる。

 あの月は、なぜ生まれたのだろうか。どうしてここまで異質で不気味なのだろうか。そばに浮かんでいる白い月は、元いた世界と”何ら変わらない姿”なのに。

 そう考えていたところで、俺はいつもロウ老師にしごかれている庭先に出る。夜風が竹林を揺らし、遠くの木々のざわめきが聞こえる。ふと視線を天から地へ落とす。


 ――そこに、天女がいた。


 紅蓮に映える布には金色の龍の刺繍が昇り、彼女のシルクのように真っ白な四肢が伸びる。しなやかに、そして強く伸びる枝のような指先で持つのは鉄扇。金属の冷たい輝きが、まるで内側から熱を帯びたように脈打つ。彼女の動きは、松の葉を揺らす夜風と溶け合い、庭の空気を熱く焦がす。鉄扇が一閃するたび、月光がその軌跡に踊り、まるで炎の尾を引く。彼女の足音はなく、ただ衣の擦れる音と風の唸りが響く。情熱と静寂が交錯し、俺の胸を締め付ける。矛盾にも思えるその幻視を可能にしたのは、天女と見まがう程に美しい舞を踊る彼女の所業だった。


「何見てんのよ?」


 リンリンの声で、俺は我に返る。ハッとして首を振る。ちかちかと瞬きをし、何をしているのだと自分を戒める。


 あの生意気女をこともあろうに天女? はっ。笑わせる。


「別に何も見てない」

「嘘。舞ってる間でも見えてるんだからね。あんたが嫌らしい目でじろじろ見てきてたの」

「見とらんわ!」


 リンリンは地面に置いてあった瓢箪から盃へ酒を酌み、クイッと呑む。ほわっとした顔で夜空を見上げるその姿に、不覚にも美を意識してしまう。

 だが、それとは別に違和感を覚える。リンリンの腕と脚に、やんわりとした光の模様が浮かび上がった。その光は一瞬であり、自分の目の錯覚かと俺は眉をしかめた。


「なによ」

「あ、いや別に」


 錯覚だったらまた嫌味を言われると思い、深く追及することもしなかった。

 リンリンは再び盃に酒を酌む。今度はそれを呑むことはなく、盃に酒が入ったまま、くるっと身を翻す。ゆっくりとした動きで身を沈め、静止する。まるで糸が切れた人形のように動かずにいると思いきや、次の瞬間にはまるで蝗のように高く跳びあがった。


 重力に逆らうような、スローで宙を跳ぶリンリン。盃を持った手を中心に、くるりと宙返る。本来なら派手に飛び散るであろうはずの盃に注がれた酒は、美しく波紋を広げるだけ。まるで酒自身が、自分が宙に浮いていることに気付いていないようだ。

 深紅のチーパオが靡く。しなやかに伸びた脚先に映える薔薇色のフラットシューズが地面に着く。リンリンはそのまま、俺がいることなど忘れてしまっているかのように再び舞い始める。この場に「春江花月夜」でも流れていれば、俺はきっと酒を片手にその舞を眺めてしまっていただろう。


「——見つけたぜぇ、"27番"」


 そんな気持ちの高揚感は、その一言で地へ叩き落された。

 寺を取り囲む塀の上の瓦。そこにはさっきまでなかった一つの人影がおりていた。

 逆立った銀髪が月の光を反射し、チカチカと煌めいており、片目には黒い帯を巻いている。全身を黒装束で包んだ一人の少年が、胡坐をかいてじっとこちらを観察していた。


「27番?」


 俺は小声でつぶやく。だが、その声に一番反応したのは、さっきまでの様子からは想像できないほど絶望の顔に染まったリンリンだった。


「"24番"……」


 そうして理解できた。お互いを番号で呼び合っている。

 その背景は知らない。だが、これから起ころうとしていることは、間違いなく災いなのだと。

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