転生錬金術師は修行する
目を覚ましたとき、空はまだ薄暗く、朝の光は遠い。寺院の窓から差し込む微かな月光が、畳に淡い影を落としている。寝返りを打つと、全身の筋肉が軋む。
昨日の戦い――いや、ロウ老師の言う“教育”のせいだ。胸に食らった掌底の鈍い痛みが残り、腕も脚も鉛のように重い。まるで身体が石畳に縫い付けられたみたいだ。だが、妙なことに、俺の胸の奥には清々しさが湧いている。負けた。はっきりそう言える敗北だ。なのに、あの戦いの中で見えた“何か”――あの電撃の一瞬、金の剣が老師の肩をかすめた手応え。あれが、俺の未来を変える可能性だと、気づいてしまった。
「よし……鍛えなおすか」
布団を蹴飛ばし、俺は勢いよく起き上がる。外では、夜明け前の風が静かに竹林を揺らしている。
〇
「というわけで。今日から、全員“基礎”を叩き込むぞい」
ロウ老師の声が、朝霧に包まれた大鳳寺の境内を切り裂く。地獄の始まりだ。最初の試練は、境内を十周。だが、この“十周”はただのランニングじゃない。山の斜面に建つ寺の境内は、石段の急な上り下りと、森の獣道を縫う過酷なコースだ。
一周数百メートル、岩や木の根が転がる道を駆け抜ける。朝露で濡れた石が滑り、足元を危うくする。額に汗が滲み、息が小石を噛むように荒い。
アルヴェンは森の中で、リンリンと競走中だ。ハーフエルフの青い長髪が風に揺れ、まるで兎を追う猿の遊びみたいだ。
「のろま! もっと速く! その足飾りは飾りじゃないんでしょー?」
リンリンが笑いながら木々の間を跳ねる。彼女の声が、朝の森に軽やかに響く。
「待ってください! 足が……くっ」
アルヴェンが木の根につまずきそうになるが、軽やかに転がって回避する。青い瞳に汗と土が滲むが、彼女の動きはまだ鋭い。だが、息はすでに乱れている。
一方、ティナは――
「はじめ!」
「うおわあああああああああああ!!」
監督僧の合図が響き、ティナは修行僧たちと廊下に横並びになり、両手に雑巾を持って床を磨きながら走る。まるで古い時代劇で見たような光景だ。縁側から渡り廊下まで、果てしない木の床を滑るように進む。
ロウ老師の「床に顔が映るまで磨け」という言葉が、彼女の背中に重くのしかかる。ティナの髪が汗で張り付き、気迫に満ちた目で雑巾を握りしめる。
「そこぉ! 遅い! 隊列を乱すなぁ!」
「はぁいいい!」
監督僧の檄が飛び、ティナが呟く。
「これの……どこが修行なの……」
「お前は老師から基礎体力がとにかく足りないとのことだ。黙って磨けぇ!!」
「はぁいいいい!!」
偉い人の言葉によれば、真の修行は日常の中にあるらしい。だが、俺にはその真偽はわからん。ティナには悪いが、この狂気じみた光景は見なかったことにしよう。
〇
次のメニューは、俺にとっての本番だ。
「でりゃっ……ぶぐっ!」
ロウ老師の掌底が俺の腹を捉え、身体が宙を舞う。空気が肺から押し出され、情けない声が漏れる。畳に叩きつけられ、しばらく動けない。朝の寺院の空気が冷たく、畳の匂いが鼻をつく。
「構えが甘い。重心が浮いておる。まずは“受け”からじゃ」
「ぐっ……」
何度転がされても、老師は淡々と構え直しを命じる。受け、構え、投げられる。背中が畳に打ち付けられるたび、身体が悲鳴を上げる。息が上がり、視界が揺れる。気づけば、俺は一歩も動けなくなっていた。
「はぁ……ッ! はぁ……ッ! くそぉっ……」
「おぬしはいつも必死じゃのう」
ロウ老師が俺の顔の近くに腰を下ろし、穏やかに言う。白い袍が朝風に揺れ、髭がわずかに動く。
「必死にもなる……この能力のせいで大切な人たちを失い、変な組織に狙われ、指名手配にもなった……強くならないと同じことを繰り返すことになる」
俺の言葉に、老師は頷かず、ただ髭を撫でる。ほっほと笑い、目を細める。
「若いのう」
「え?」
「若くて、実に愚かじゃ」
「愚か……? 俺が?」
「“”豆を植えれば豆が得られ、植えねば何も刈り取れぬ”。今のお主が在るのも、過去の自分の選択があったからじゃ。能力を使ったは、お主の選択じゃろう。それを能力のせいにして自分は悪くないなんて道理、通じる世界があろうか」
老師がキセルをスパッと吸う。煙が朝の光に溶ける。俺は横になったまま、奥歯を噛みしめる。あの時、ココット村で金を錬成しなければ、こんな過酷な道には立っていなかったかもしれない。だが、俺はそれを能力のせいにしていた。老師の言葉は、まるで庭の石を砕くように俺の心を穿つ。
「じゃが、迷うな少年」
ロウ老師がキセルで俺の額をコンッと叩く。乾いた音が響くが、なぜか痛みはない。
「自分の愚かさを認めよ。そしてただ突き進むのじゃ。尻の青さは、お主の持っている最大の強みであると知れ」
認める――簡単そうで、難しい言葉だ。朝陽が寺の屋根を照らし、遠くの鳥の声が響く中、俺はただその言葉を反芻する。
〇
アルヴェンは森を駆け抜ける。青い長髪が風に流れ、足音は苔に吸い込まれる。背中の弓と腰の小瓶が軽く揺れる。彼女は気配を殺し、魔物の痕跡を追う。木々の間を縫うように進む姿は、まるで森の一部だ。
「……いた」
草陰に潜むのは、森リスに似た中型魔物。赤い目がアルヴェンを睨む。彼女は瞬時に矢をつがえ、呼吸を止める。弦が軋み、矢が音もなく放たれる。鋭い矢先が魔物の首筋に突き刺さり、麻痺毒がじわじわと効く。魔物が崩れ落ちる。木の陰から現れたリンリンが、軽く口笛を吹く。
「やるじゃん。あたしが初めてコイツ仕留めた時は、3発かかったよ」
「……ありがとうございます」
アルヴェンの青い瞳がわずかに緩み、口元に小さな笑みが浮かぶ。朝の森に差し込む光が、彼女の長髪を輝かせる。そんな、変わり始めた日常。俺たちは、確かに“鍛えられていた”。
午後になると、修行の空気が変わる。朝の肉体酷使から、頭と理を磨く時間へ。寺の一室に集まり、俺たちは畳に正座する。目の前にはロウ老師。部屋の隅では、線香の煙がゆらりと立ち上り、木の香りが漂う。
「さて。今日はお主たちに、“二術”の違いを叩き込んでやろう」
二術――魔法と魔術。この世界の根幹なのに、違いを説明できる者は少ない。老師は背筋を伸ばし、静かに語り始める。
「まず、“魔法”とは――“燃やす術”じゃ。体内のマナを燃やし、現象を引き起こす。ゆえに瞬発力に優れ、戦闘向きじゃ。マナを体内の月臓に蓄積できる量は個人差がある。それで魔法使いの“格”が変わる」
「マナの蓄積量は訓練では増やせないのですか?」
ティナが手を挙げて問う。老師は小さく頷く。
「その説が最も有力じゃ。じゃが儂はそうは思わん。鍛えれば筋肉は肥大化するし、走りこめば肺は広がる。何事も訓練と気の持ちようじゃよ」
「は、はい」
ロウ老師がにたりと笑い、黄色い歯を見せる。ティナは少し気圧されて手を下げる。どうやら、彼女のマナ貯蔵量の少なさを気にしているのを、老師に見透かされたらしい。
「さて……魔術についてじゃが。“術”は“式”じゃ。体外に展開した術式を用い、空気中のマナを引き寄せて発動する。持続性に優れ、構築には知識が要る。魔術は魔法よりも普通の人にも当たり前に使われている。例えば靴に“強化”の魔術を加えれば、瞬発的に速く走れる。強力なものや便利なものも多いが、万能ではない」
ロウ老師が前に立つ。腕を交差し、舞のような型を取る。右手を広げ、グッと上へ掲げると、老師の周りに火の玉が現れる。炎がゆらめき、部屋の空気を熱くする。
「これは魔法の”イグニフェルマ”。早い話、火球じゃな。魔法を発現させるにはイメージを確固たるものにするが重要じゃ。人によってイメージは異なる。魔法名を直接叫ぶ者。杖の振り方でイメージを表現する者。儂の場合は、この”型”じゃな」
老師が右手を払う。火球が一気に加速し、部屋の奥へ飛ぶ。壁に当たる直前、老師が指を鳴らすと、火球は光の塵に変わり、はらはらと火の粉が畳に舞う。
「すっげ」
思わず声が漏れる。こんな近くで魔法を見たのは初めてだ。部屋の空気が熱を帯び、線香の香りと混じる。
「ティナ君。今のを魔術でやってみなさい」
ロウ老師の言葉に、ティナが目を丸くする。
「できません。魔術には同じようなものは存在しないからです」
「ふむ。本当にそうかな?」
ロウ老師が俺をじっと見る。
「幸哉君。君はどう思う?」
「えーっと……理論上は可能です。まず“着火”と“安定化”のルーンで火種を作り、“供給”と“増幅”のルーンで出力を上げ、“射出”のルーンで飛ばす、とか」
「ほっほっほ。そうじゃ。魔術は式。つまり組み合わせることが可能なのじゃ。これを“魔術式”と呼ぶ」
俺はすでに知っている。前にモノクルに施した魔術がそれだ。可能性は無限に広がるが、工程の多さが魔術の弱点でもあるのだ。




