金の鎖と逆転の蹴り
カイルの姿が一瞬で空気を切り裂き、突進を開始した。黒曜石のナイフが月光を冷たく反射し、死の刃として幸哉の喉元へと猛然と迫る。よろめく両脚を引きずりながら、俺は必死に右腕を振り上げ、即席の黄金の壁を構築して防御に徹する。
心臓が激しく鼓動し、恐怖と決意が交錯する。刹那、ナイフが金の右腕に深々と突き刺さる。ズブッと鈍い衝撃が腕を貫き、次の瞬間、炸裂音が轟いた。
「ぐっ……!」
破裂魔術式が発動し、黒曜石の刃が内部で細かく砕け散り、爆発的な力で右腕を抉る。金の装甲が粉々に砕け散り、肘から先が吹き飛ぶ激痛が全身を襲う。しかし、その犠牲もカイルの猛攻を止めるには及ばなかった。
「甘いな」
カイルの冷酷な声が耳に響き、彼の鉄のような手が俺の顔面を鷲掴みにする。視界が一気に暗転し、息が詰まる恐怖が胸を締め付ける。直後、額に容赦ない頭突きが叩き込まれた。
「ッ……!」
呻きが漏れる。こめかみを打たれた衝撃が頭蓋を揺らし、めまいが脳を支配する。追撃が容赦なく続いた。カイルの両拳が雷鳴のように連続でみぞおちを打ち抜き、激しい痛みが内臓を抉る。吐き気が込み上げ、意識が遠のきかける中、最後に放たれた回し蹴りが俺の身体を空高く舞い上がらせた。
「がはっ!」
地面に叩きつけられ、転がる。痛み以上に視界の揺らぎと耳鳴りが脳を混乱させるが、幸哉の精神はまだ折れていなかった。
「くそ……!」
歯を食いしばり、口の端から滴る黄金の血を無視して立ち上がる。咄嗟に錬成を起動し、右手の残骸を媒介に鋭い金のディスクを生成。力任せにカイルの首元へ投擲する。ディスクが空気を切り裂き、鋭い唸りを上げて敵を捉えようとする。
「ほう?」
カイルが驚嘆の声を漏らしつつ、身を翻して紙一重で回避。ディスクは石壁に突き刺さり、衝撃で岩片が飛び散る。
「面白いね」
カイルが足元の金塊を拾い上げ、勢いよく俺に向かって投げ返してきた。咄嗟に再錬成した右手で受け止め、金塊が掌の中でどろりと液化し、瞬時に細長く鎖状に変形。俺は「今度こそ」と息を吐き、カイルの腕へ巻きつけて拘束を試みる——はずだった。しかし、カイルは逆に鎖を逆手に取り、ぐっと引き寄せる。俺の両腕が交差するように絡め取られ、締め上げられる。
「なっ……!」
驚愕の声が漏れる。金の鎖が自らの腕を縛るという、まさかの“錬成返し”に完全に裏をかかれた。
「戦闘経験値が違うんだよ」
瞬間、カイルが地を蹴り、強化術式が込められた一撃が炸裂する。音速を超える重い衝撃が鋼の杭のように腹部を貫き、「ぐっ…!!」と絶叫が響く。金属的な破裂音と共に俺の身体が宙を舞い、背後の古びた喫茶店の壁を突き破る。
爆風が木片とガラス片を舞い散らせ、店内の床に叩きつけられた。崩れた柱の破片が周囲に転がり、テーブルクロスがゆっくりと舞い落ちる。血混じりの息を吐きながら、俺は天井を睨みつけ、屈しない意志を燃やす。
「諦めろ坊主。お前に勝ち目はない」
カイルの声が崩れかけた入口から低く響き、黒い外套が揺れる。水飛沫を上げる音が続き、異変を予感させる。「ん?」とカイルが足元の水たまりに気づき、眉をひそめる。
店内は異様に濡れており、床も壁も天井から滴る雨水がまるで沈みゆく船のようだった。だが、さらに異常なのはその水中に広がる金の糸。店内中央に円形に配置され、淡く光を帯びた金の線が水を伝い広がる。その先端には輪切りのレモンが等間隔に並び、金属片が二本ずつ突き刺さっている。
「なんだこれは……」
異様な陣形と奇怪な果実。水面に浮かぶ泡が「ぶく、ぶく」と上がる中、崩れた柱の影から不気味な笑い声が漏れる。
「ふっ……ふふふ……」
思わず不敵に笑ってしまった。
俺は金の血を吐きながら立ち上がる。
「確かにお前と俺じゃ、戦闘能力に差がありすぎる……だがな」
ゆらりと身体を起こし、幸哉が静かに宣言する。
「ここから先は……俺の領域だ。さぁ、科学実験を始めようか」
カイルが目を細め、「科学……だと?」と疑念を口にする。
「レモンに含まれるクエン酸は電解質。そこに電位差の異なる金属を差すと電解質を通じて金属の間を電子が移動。つまり電気が発生する」
「デンキ……? まさか雷のことか? ばかな、雷属性の魔法は選ばれた人間にしか扱えん! ましてやレモンなぞで感電など……!」
「そうだ! ここから発生する電気は非常に微弱。何十個も並列に並べてもせいぜいLEDを光らせるくらい。だけどなぁ、目的は感電させることじゃないんだよ。水に電気を流すと電気分解され、水素と酸素に分かれる」
「デンキ分解?」
「これら日常にありふれた元素だ。だけど、その混合ガスが溜まり、火が付くと……どうなるかな?」
幸哉は左手を見せる。そこにはティナから借りた、「着火」の魔術が施された手袋。
「まさか!!」
カイルの表情が硬直する。
俺が左手を掲げ、指先が震えつつも揺るがない決意を示す。
——パチン。
指を鳴らす音が小さく響き、魔術印が手袋に反応。火花が走った瞬間——喫茶店の空気が膨張し、光と爆音、熱の嵐が全てを飲み込んだ。
「————!!」
世界が白と黒の狭間に沈み、音と光が消え去る。しばらくして、瓦礫の隙間からティナとアルヴェンが駆け寄る。
「幸哉ッ!」
「ユキヤさん……!」
幸哉は金の盾で身を守り、右肩から血が滴るが命は繋がっている。立ち上がれないが——勝った、と思ったその瞬間。がれきの山が軋み、動き出す。
「……まさか……」
幸哉が息を呑む中、炭化した柱が崩れ落ち、片腕を焼かれたカイルが現れる。苦痛の影はなく、むしろ笑みを浮かべていた。
「見直したぞ、坊主。10年この家業をやってるが…ここまで俺を追い込んだのはお前が初めてだ」
「くそ……!」
俺は呻きながら崩れた金の盾に体を預ける。手足の感覚が薄れても、声を絞り出す。
「ティナ! アルヴェンを……!」
ティナが反応する前に、カイルの足が音もなく瓦礫を踏み、鋭利な木片を手に取る。視線はアルヴェンを貫いている。
「この戦いに免じて、お前ら二人は見逃してやる。だが」
カイルの瞳が凍る。
「そこのハーフエルフだけは、必ず殺す」
「やめろおおおおッ!!!」
絶叫が店内に響き渡る。ティナがアルヴェンを抱きしめるが—空気が一変。アルヴェンの瞳とカイルの視線が交錯し、世界が一瞬静止。その脳裏に、突然、記憶の奔流が殺到する。遠くから聞こえる泣き叫ぶ声が耳元でこだまし、炎に包まれた家の崩れ落ちる音が現実と重なる。血だまりに沈む赤子の影が、薄暗い視界に鮮烈に焼き付き、カイルの心を抉る——それは誰かの過去、埋もれた記憶の断片が、制御不能な勢いで押し寄せる嵐だった。それはまるで魂の共鳴だった。
アルヴェンの内に秘められた記憶が、隠された傷跡のように逆流し始め、一本の川のように溢れ出す。その水流は静かでありながら力強く、カイルの脳内に侵入し、彼の意識を飲み込んでいく。
過去の叫び声が再び響き、炎の熱が肌に蘇り、血の匂いが鼻腔を刺す。カイルの胸は締め付けられ、抑えていた感情が堰を切ったように溢れ出し、彼の理性は無力に揺らぐ。アルヴェンの瞳から放たれる無垢な力が、カイルの心の奥底に眠っていた何かを無理やり引きずり出し、対峙する二人の間に見えない絆を築き上げていた。
木片がカランと軽い音を立てて地面に落ち、カイルの膝が力なく地面に沈む。 彼はアルヴェンをまっすぐに見つめ、敵意を完全に失った瞳に静かな問いを浮かべる。
「お前、名前は?」
「アルヴェン……です」
「……どこで生まれた?」
「見世物小屋です」
「両親は?」
「……いません。最初から一人でした」
「年は?」
「……10です」
カイルが目を伏せ、額に手を当てる。
「10歳か……」
カイルは呟き、立ち上がって背を向ける。
「……まて、殺さないのか…?」
「先にやることができた。この決着は今度だ」
カイルは静かにそう告げ、瓦礫の影へと姿を消す。 爆発の残響が残した熱い風が頬を刺すように焼け、戦いの終幕を静かに告げる中、深い静寂が周囲を包み込んだ。




