衝突
町を出て、すでに二日が経っていた。
荷物をまとめ、人気の少ない南門から抜けるようにして出立したのは、まだ夜明け前のことだった。地平線がわずかに白んで、野鳥が寝起きの声を漏らす頃、俺たちはすでに舗装の切れた山道を踏んでいた。
誰も言わなかったが、あのまま街に長居するのは危なかった。酒場で交わされた視線や、ギルドでの妙なざわつき。して壁に貼られていたあの紙。剥がして丸めて捨てたが、記憶の中には焼きついて離れなかった。
夜が深くなるにつれて、森の空気は水気を帯びていく。
煙で眠れなくなるというアルヴェンのひと言に従って、枯れ枝の炎は早々に潰してある。今はティナの持っていたランタンが、魔石の灯りでじんわりと明かりを作っているだけだった。
草の上には、藁と布を束ねてこしらえた簡易な寝具。
ティナとアルヴェンは並んで横になっていたが──先に眠ったのは、アルヴェンだった。
すぅ、すぅ、と穏やかな寝息。どこかまだ幼さの残る寝顔で、彼女は安らいでいた。
「……寝たね」
囁くように言ったティナが、そっと上体を起こした。
俺も同じように腰を起こす。夜気が肌を撫でて、吐息が白くかすんだ。
しばらく、無言の時間が流れた。
やがて、ティナが俺を見て、ぽつりと。
「連れていこうと思うの。アルヴェンちゃん」
静かな声だった。だが、意思の強さが言外ににじんでいた。
「そうか」
とだけ返して、俺は石を拾い、指先で弄んだ。
「……それだけ?」
「何か言ってほしいのか?」
俺は焚火のあった場所に拾った石を投げる。まだ燃え尽きていなかったのか、パチッと赤い火花が散った。
「幸哉さんは、反対?」
「アルヴェンは子供だろう。……悪いけど、足手まといだ」
「私も足手まとい?」
「いや、それは……」
ティナの優しさは、時に刃になる。それは俺が誰よりも知っている。俺自身が、その優しさに救われてここにいるのだから。
だけど。
この旅が、優しさで歩ききれるほど生ぬるくはないことも、同じくらい知っている。
──だから、迷う。
「ただ、見捨てたくないの。助けた命を、そのままにしておくなんて……それって、殺すのと同じじゃない?」
「だから俺も助けたのか? 見殺しにするとバツが悪いから」
「……そんな言い方」
ティナが言いかけて、黙る。
その目に浮かんだ感情が、痛いほどだった。
「──そんなの、悲しいよ」
悲しい、か。
俺は視線を逸らして、空を見上げた。
木々の合間から見える星が、やけに滲んで見えたのは、きっと夜露のせいじゃなかった。
「……今日はもう、寝よう」
それだけ言って、俺は背中を地面に落とした。
ティナが何か言いたげに見ていたが、やがて肩を落として横になった。
酷いのはわかっている。だけど俺と一緒にいる限り、ティナは常に危険な目に合い続ける。ただの科学者だった俺が、いつまでも彼女を守り続けられるとは思えない。
もし、ティナを失えば、今度こそ俺は……。
寝息の混ざる静けさの中、目を閉じても、しばらくは眠れなかった。
朝霧が薄く漂っている。
草原の端に陽が差し込みはじめると、夜の冷気を包むように空気がほころびはじめる。ティナは寝袋を畳み、アルヴェンは小さな手でパンをかじっていた。昨夜の喧騒が嘘のように静かで、穏やかだ。
だが俺の内側には、まだ薄く残る靄のようなものがあった。
「……そろそろ、歩こう」
荷をまとめ、進路を確かめていた時だった。森道の向こうから、がらがらと車輪の音がした。
現れたのは、二頭立ての小さな馬車。御者台には陽焼けした初老の男と、その隣に少女らしき人影が見える。
「よう、旅の方かい。良かったら乗ってくか?」
男の声は朗らかだった。旅慣れした商人。そんな雰囲気だ。俺たちは互いに目を見合わせ、小さくうなずき合う。ティナが礼を述べ、アルヴェンを促して馬車に乗せた。
荷のあいだに藁が敷かれており、座り心地も悪くなかった。木々が後方に流れ、旅の速度は一気に緩やかになる。
馬車のなかは、やけに静かだった。ティナも、アルヴェンも、何かを考え込んでいるように見える。
重い空気を裂いたのは、アルヴェンだった。
「……昨日の夜、私のことで、喧嘩してましたか?」
その問いに、俺とティナは同時に顔を上げた。
「べ、別に……」
「な、なんでもないよ……!」
声が重なって、間があく。
気まずさだけが空気に残った。
アルヴェンは小さくうつむき、手を膝にそろえて置いた。
「ごめんなさい。私のせいで……その……」
かすれるような声。
その声音に、どこか責める色はなかった。ただ、自分が迷惑をかけたという罪悪感だけが滲んでいた。
「ちがうよ」
ティナが、きっぱりと遮った。
「喧嘩じゃないの。ちょっと話してただけ。あなたが悪いんじゃない。誰も、悪くなんてないんだから」
アルヴェンはしばらく黙っていたが、やがて、ふわりと微笑んだ。
「……ありがとうございます」
その笑顔は、まだ不安の影を残していたが、それでも確かに、心の奥に温かいものを灯していた。
俺は、ぼんやりと馬車の板壁に寄りかかりながら考えていた。
――気付いたんだな、こいつ。
空気を読んだというより、もはや「察した」と言った方がいい。
視線の動き、言葉の間、目に見えない波のような感情の揺らぎ──
まるで感覚が鋭い生き物のように、アルヴェンは何かを感じ取っている気がした。
その理由を問うほど、俺も野暮じゃない。
──鋭い子だ。けれど、それ以上に、傷つきやすい子なんだろう。
木々の隙間から、遠くに塔のような影が見えはじめていた。
あれが、オラの首都だ。
再び、俺たちの物語がひとつ、動き出す。
馬車の車輪が荒い石道を噛むたび、荷台が軋んだ。
しばらく森沿いの平地を進んでいた俺たちは、やがて徐々に開けていく視界の向こうに、目的地の街影を見つけた。
それは、断崖の縁に築かれた巨大な要塞都市。
鋼のような色をした外壁が、空に向かって垂直に突き立ち、角張った塔の数々が街の境界を見下ろしている。
「……あれが、オラの首都か」
ティナが感嘆の息を漏らす。アルヴェンもまた、無言のまま唖然としていた。
オラの首都──ヴァルクゼン。
軍事国家の象徴とも言えるこの都市は、かつて幾多の戦争を防衛で切り抜けたという。
門前には槍と盾を装備した騎士団の姿が並び、街へ入る商隊を一つひとつ丁寧に検問していた。黒と青を基調とした軍服が規則正しく並ぶ光景は、訓練の賜物というより、国是として徹底された武の文化そのものだ。
その厳粛さに、俺は思わず背筋を伸ばした。コズモとはまったく質の違う緊張感が、街そのものから漂っている。
「入れるか?」
俺がぼそりと漏らすと、ティナが肩をすくめた。
「身分証はちゃんとあるし、私はオラのギルドに登録してあるから大丈夫」
「来たことあるのか?」
「祖父に連れられて一度だけ。素材を買うにも登録がいるから」
なるほどねと会話を終えた。妙な距離感はまだ埋まらずにいる。
小一時間ほどの待機の後、俺たちは簡単な質問と手荷物検査を経て無事入城を許された。
内部は、石造りの街道が幾何学的に走り、建物はどれも機能的で装飾を排した重厚な造りだった。
通りを巡回する警備隊の足音が、武装と秩序の象徴として耳に残る。
馬上の騎士たちが睨みを利かせ、行商人も決して大声を上げない。ここには、弱さを容れない空気があった。
「……ここで騒動を起こしたら無事じゃすまないだろうな」
誰に向けたでもない独り言だった。
「錬金ギルドは中央区の通りを右折したところよ」
ティナが前を歩きながら振り返る。
ギルドの建物は、簡素ながら手入れの行き届いた石造りで、扉には錬金術の紋章が刻まれていた。
扉を開けて中に入った瞬間、俺は思わず息を呑んだ。
壁一面に並ぶ素材、素材、素材。
金属粉、鉱石片、濃縮液、乾燥薬草、珍獣の骨、さらには触媒と見られる結晶類……。
「……すげぇな、ここ」
ぽつりと呟いた声に、誰も応えない。
視線の端で、ティナとアルヴェンが一緒に棚を覗き込みながら何やら笑っているのが見えた。
アルヴェンは硬さを忘れたように、無垢な笑みを浮かべている。
ティナはまるで妹の服を選ぶ姉のように、布地や装飾を手に取りながら真剣に選んでいた。
俺は石灰の袋を取りながら、目の端に映るふたりを無言で眺めた。
「お客様、お探しのものはありますか?」
「おわぁ!?」
店主の突然の呼びかけに、思わず石灰の袋を落としかけてしまった。俺はアハハと苦笑いし、ごまかすように答えた。
店主は鼻の下に生えたちょび髭をさすり、怪訝な顔でのぞき込む。怪しい人物ではないと弁解するため、商品に気があるそぶりを見せたほうがいいだろう。
「ここには宝石もおいてるんですね」
俺は部屋の中央にあるガラスケースを指さした。そこには、ルビーやサファイア、ガーネットなどの宝石が無造作に置かれていた。宝石と言っても、綺麗に研磨されているわけではなく、ある程度形が整っているだけのものや、原石のまま置かれているものもある。宝飾用というわけではないようだ。
「ええ、もちろん。宝石にはマナを貯める力がありますから」
「マナを貯める?」
「おや、錬金術師では基本中の知識ですよ」
店主はガラスケースの天蓋を開けると、いくつかの宝石をテーブルの上に並べた。
右からガーネット、サファイア、ルビーの順で置かれている。店主はガーネットを摘み、右目にかけたモノクルで鑑定するように見つめる。
「例えばこのガーネット。魔法使いの中でも最も流通量の多い宝石です。初心者向けの宝石ですね。なのでマナの貯蔵量も少ないです。ですが火属性魔法との相性が良いのが知られています」
次にサファイアを摘み、同じく鑑定するようにモノクルで見つめる。
「青色が美しいサファイアは中級レベルの魔力貯蔵量を持っています。水や氷属性の魔法との相性がいいみたいですね。そして最後に……」
店主はルビーを摘み、俺の前に差し出す。
「ルビーは上級クラスのマナ貯蔵量を誇ります。火属性に加え、爆発属性との相性が抜群にいい」
店主は興奮し始めたのか、セリフの所々に吐息が混ざっている。
同じコランダムでできているサファイアとルビーで性能と評価が大きく違うのは面白い。俺のいた世界の希少性が、この世界でもこういう場面で反映されているのかと思うと少し興味深い。
「ちなみにダイアモンドはないんですか?」
「ダイアモンド!? あっはっはっは! “指定魔核結晶“のダイアモンドがこんなところにあるわけないでしょう!」
「あ、あはは、そうっすよねぇ~……」
店主の高々と笑う声に押し負け、俺は再び苦笑いをして茶を濁す。
“指定魔核結晶”……。
ティナの店にあった本に書いてあったのを思い出した。魔力を宿すことができる物質のことを通称“魔核結晶”と呼び、その中でも群を抜いて魔力を宿すことができる魔核結晶を“指定魔核結晶”と呼ぶ。そのカテゴリに組み込まれた魔核結晶は国の所有となり、個人で所有することはできない。魔核結晶が魔力を宿すメカニズム……いつか解明したいものだ。
今はそれよりも、この店主に聞きたいことがある。
「そのモノクル……魔具ですか?」
「はい。私、鑑定士でもありますので。ご興味が?」
「ええ。ちょっと見せて頂けますか?」
「それでしたら試供品がございますよ。当店では魔具も取り扱っていますので」
魔具とは、魔力を流すことで様々な魔術を行使できる道具のことである。
魔術は魔法と違い、空気中のマナをお吸収して発動するため、マナのない俺にも扱える……はずだ。確信がないのは、一度も使たことがないため。
店主に連れられ、店の一角に移動する。
そこには埃をかぶった羽ペンとガラス製の眼鏡などが並んでいる。石英やガーネットが嵌った「自動書記ペン」や「真実視の眼鏡」などの珍品が目を引く。
店主はそこから一つのモノクルを取り出して俺の前に差し出した。そのモノクルを受け取り、じっくりと観察する。レンズは透明なガラス製だが、よく見ると魔術陣の繊細な刻印がうっすらと浮かび、マナの青い光が僅かに脈打っている。レンズを囲うのは少量の金とアルミニウムで出来たフレーム。蔓模様の装飾が施され、先端には小さなサファイアが魔力を秘めて煌めいている。
「見事ですね」
なんて、通ぶったことを言ってみる。この世界の装飾や美術感性なんて俺にはわからない。
だが、この店主にはこの言葉は聞いたようで、満足げにちょび髭を触る。
「そうでしょう。これは有名なガラス職人と魔術士によって作られた一級品なんですよ」
そうですか。
俺はそのモノクルを右目にかける。
その瞬間、頭の中に、目に映った魔具の情報が雪崩のように流れ込む。素材や名称、魔力量が無秩序に響き合い、俺は思わず目を抑えて膝をつく。
店主はにやにやと笑みを浮かべ、俺の肩に手を置いた。
「ね? だから鑑定士の資格があるんですよコレ。大事なのはイメージです。頭の中で必要な情報だけを見るイメージをするんです」
イメージ。イメージとだけ聞くとあやふやで具体性に欠け、いかにもファンタジーっぽい。
だが、この世界はファンタジーっぽくもあるが、どこか現実味を帯びている。つまり、俺の知識が通用する。
となると、イメージと言うのは結局のところ脳波だ。
脳から出る微弱な電波をモノクルが受け取り、それを可視化しているのだと推測する。
俺は深呼吸をし、再度モノクルを通して世界を覗き見る。
俺は頭の中で入り乱れる情報の混沌の中から、ある一つの情報を吊り上げる。
“軽銀”。
アルミニウムとも呼ばれるその金属を手に取ってみる。
触れた手がアルミニウムと僅かに共鳴する。純度は高い。
アルミニウムは、元の世界ではあり触れた金属。だが、アルミニウム単体で自然界からとれるのは極稀だ。それがこうしてここにあるという事は、ボーキサイトなどからアルミニウムを取り出す精錬技術、もしくは抽出技術があるという事。
アルミ皿が売られていたことから、もしかしたらと考えていたが、どうやら予感は的中したようだ。
「軽銀ですか。軽銀は魔力抵抗率が高くてオラでは騎士兵団の鎧に使われていたりするなどメジャーな金属なんですよ」
「それはそうと店主」
俺はモノクルを外し、店主のほうへ向き直した。
「買うよ」
「ありがとうございます。ご購入はモノクルと軽銀でございますか?」
「いや、ここにある魔具と素材すべてだ」
「……は?」
俺は革袋を取り出し、カウンターの上の小皿に中身を広げる。
どざざざっと無機質な音がこすれる音。小皿からあふれた小粒が、目を点にした店主の足元へ転がっていく。その金に光る粒を拾い上げた店主は、光の粒を見覚えのある仕草でモノクルを通して見据えた。
「こ、こここれは……砂金!? 全部!?」
「モノクルで見てるならわかるでしょう」
実はちょっとやってみたかった、この“ここからここまで”ムーブ。
得意げに鼻をこすっていると、遠くの棚からティナとアルヴェンが冷ややかな目でこちらを除いている。俺は急に恥ずかしくなり、姿勢を正して咳払いをする。
用が済んだら、早いとこここから出て宿屋を探そう。実験したいことが山ほどあるのだから。




