実験失敗
「はあっ……はあっ……! くそっなんで……何でこんなことに!」
何キロ走ったのか、自分は正しい道を戻っているのか。
何度頭の中で繰り返したかわからない疑問は、右腕があった“はず”の部位の痛みで消える。
俺は出血を抑えるために上腕の切断面を着ていた服で覆った。すでに大量の血を出しただろうに、巻いた服は瞬く間に鮮血の色に染まる。
吸う息が喉を裂き、肺を突く。うまく酸素が取り込めていないのか、視界に移る木々から垂れ下がっている蔓や枝が、甲冑を着た追手かと空目する。
「畜生……っ! こんなことになるなら、こんな能力いらなかった!」
目や鼻から汁を垂れ流しながら泣き言も垂れる。歯を食いしばりながらこぼれる泣き言の何ともみっともないことか。それもこれも、俺が持った能力のせいだ。
——この、金を錬成する能力のせいだ。
半年前。
「実験開始5分前です」
若い女性研究員が告げる。
ガラス越しに研究員たちを見下ろしながら、ほりが深い中年の男性は了承の頷きをする。
「いよいよだね、幸哉君」
中年の男性はそう言いながら熱伝導式たばこをふかせた。宙に溶け出す煙からはフルーツのフレーバーが香る。隣に立つ青年は緊張の面持ちで研究員たちの準備を眺めている。
「はい。ここまでこられたのも近藤教授のおかげです」
「はっはっは、何を言うんだい。君が新金属であるアルベニウムを発見があっての実験だろう。それに、まだ成功してないんだ。気が早いんじゃないのかい」
中年の男性——近藤教授の言葉に、幸哉は照れるしぐさを見せながらも委縮した頬をかいた。教授はその様子を見て気の抜けた笑いを繰り返しながら、実験の概要を説明する。
「アルベニウムと金を1:9の割合で混ぜ合わせることで作られる超合金ミスリウム。この合金の強度と加工性はさることながら、注目すべきはその蓄電量。たった30gのサイズで東京1年分の電力を蓄電できると聞いたときは腰を抜かしたわ」
「ミスリウムの超微細に入り組んだ多構造によるものだと考えていますが、まだ詳細な原理はわかっていないんです。加えて蓄電方法が少し厄介で」
「うむ。だがそれを理解するのが今回の実験だ」
教授はそう言い終わると、加熱式たばこを深く吸い込んだ。同時に、ガラスの向こうに広がる巨大な実験室に横たわる、円状に繋がれた筒のような装置を眺める。
その様子を横目で見た幸哉は小さく咳払いをして続けた。
「この粒子加速器に稲妻を発生させ、中にセットしたミスリウムに衝突させることで蓄電させます。放射実験より100%に近い出力で蓄電できるので、ミスリウムのポテンシャルを最大限に活かせるかと」
教授はふむとだけ言うと、唇を尖らせて煙をゆっくり吐いた。教授が知りたいのはそこではないのだと幸哉は悟った。
教授が見ているのは結果ではなく、その先のことなのだ。それは幸哉とて同じことである。3年前、幸哉が発見したアルベニウムの利権だけでも莫大な金が動いた。この実験の結果によっては、それこそ世界のエネルギー問題の根底を覆しかねない、いや、それすらも生ぬるいのかもしれない。
「実験1分前です」
先ほどまでの準備に追われる喧騒が一転して静まり返える研究所。微かに低音のハミング音が響いているのが異様な不気味さを演出する。それこそ、異世界に場面が切り替わったような錯覚すら覚える。
教授の持つ加熱式たばこがわずかに震える。静寂の中ではそのバイブレーションの音さえもよく響く。教授はゆったりとした動作でたばこを抜き取り、胸元から取り出した携帯灰皿にしまいこむ。携帯灰皿と加熱式たばこの本体を無造作に白衣のポケットにしまい込み、2回ほど襟を正す。
その動作が終わったタイミングで、壁に掛けた時計の秒針が0に合わさった。
「始めろ」
「実験開始!」
幸哉が手元にある赤いスイッチを押し込んだ。
びぃい、という短くも低音が伸びるアラームが繰り返し響く。部屋の照明が赤暗く落とされ、天井から吊られたパトランプが赤く、赤く、明滅する。
アラームを合図に、研究員たちが散る。一人の研究員がレバーを下すと、加速器が駆動する。駆動する音で起きる微振動で幸哉の前のガラスがカタカタと震え始めた。
駆動音が加速していく。それに呼応するかのように、幸哉の心臓も高鳴っていく。
「粒子加速器、稼働率80%に到達。100%まで30秒前」
スピーカーからアナウンスが流れる。
幸哉は腕を組み、深く呼吸する。
「緊張しているねぇ幸哉君」
「そりゃあしますよ、緊張」
教授がいたずらに雑談を挟む。幸哉は苦笑いしながら軽く受け答える。余裕がない幸哉には、このタイミングの雑談は耳障りでしかない。失礼がないように見せた苦笑いも1秒も持たずかき消えた。
「粒子加速器、稼働率100%。システムオールグリーン」
アナウンスが流れ、幸哉がマイクへ口を近づける。
「ミスリウムへのエネルギー照射開始」
今、光速となった粒子が円状の加速器の内部を廻っている。その軌道を変え、中心に控える1円玉サイズのミスリウムに照射し、エネルギーを蓄電する……それが今回の実験の山場である。
がちん、と重い音が研究所内に響く。
それは加速器の内部の軌道が切り替わった音。
同時に、ミスリウムへの照射が始まることを意味する。
それを証明するかのように、加速器の至る所から光が漏れだした。
「美しい……」
そう呟いた教授の顔は、まるで山の頂から水平線から昇る朝日を見るように惚けていた。
事実、その光は黄金だった。蛍光灯から漏れるような光とは違う、そう、雲の切れ目から差す光芒にも似た光。
ゆらゆらと揺らめく光の帯からは、生物のような脈動すら感じる。神々しいなんて言葉では表現がつきはしない。
それは教授だけではなく、幸哉も、他研究員ですら、その光に見惚れ、計器が示す事の重大さに、深刻さに、異常さに気が付かせるのを遅らせた。
「加速器に何が起きている!」
最初に声を上げたのは幸哉だった。
嫌に耳に残るビープー音。それは、機器類が発する警告音の他ならない。
幸哉のあげた声にようやく我を取り戻した研究員の一人が、慌てて計器に目を戻す。ずれた眼鏡を人差し指で戻し、眉をしかめた。
2度、3度、他計器の示す数値を見比べる。そして動揺を隠す気もなく、幸哉のほうへ顔を向き直す。
「予定の蓄電量をすでに超えています! 120……130……140%! 尚も上昇中です!」
「馬鹿な! 照射するエネルギー量はこっちで制御しているはずだぞ!」
教授の怒声にも近い声でハッとする幸哉。幸哉は指であご先を叩きながらつぶやき始めた。
「そうか……ミスリウムの内部がプリズム多元構造だとすると、照射されたエネルギーは倍加どころか指数関数的に増える……だとしても溢れたエネルギーはどこに?」
幸哉が思考している最中、教授の「止めろ」という命令が下る。研究員はスイッチを切るが、漏れる光は一向に収まる気配を見せない。
反して、どうん、どうん、と段階的に加速器の駆動音が収まっていく。
「ダメです! エネルギーの上昇が止まりません!現在予定の蓄電量の300%を超えています!」
「ミスリウムの温度が急激に上昇中! 現在300度!」
「温度の観測続けて逐次報告! これはすごいぞ!」
興奮する教授の横で、幸哉はある一つの結論に達し、顔を青ざめた。
「エネルギーの供給を止めても蓄電が止められない? 博士! 実験を中止し、今すぐミスリウムの冷却を!」
「中止だと!? 何を言っているんだね幸哉君! ミスリウムの蓄電量は予想を超えているんだよ!」
「違います教授! ミスリウムはもはや自らエネルギーを生み出しているんです! それもあり得ない速度で!」
「エネルギーを生み出す?」
その時、とある計測器の赤ランプが点灯し、ブザーが鳴る。
通常、その計器に反応を示すことはない。あってはならないはずだった。
「ミスリウム周辺の重力場に異常が見られます!」
重力波検出器。
その名の通り、重力の波を検出する計器である。粒子加速器の使用に伴い、ある程度の磁場の乱れが生じるのは予測できてはいた。重力検出器もただのデータ集めの一環だった。
だが、その重力に、警告を知らせるほどの歪みが生じたのだ。
「馬鹿な、重力の乱れなど!」
「教授! 今すぐミスリウムの冷却と待避を!」
「待て幸哉君、待避ってどのくらいだ!」
「……全員です!」
教授が幸哉の肩をつかむが、それを振りほどき火災報知機を鳴らす。
けたたましい鐘の音が館内に鳴り響く。
「館内にいる全員に告げます。今すぐ待避してください。これは訓練ではありません。今すぐ外へ待避してください!」
幸哉のマイクでの音声を聞き、研究所内にいる研究員たちがワッと散っていく。
「幸哉君、なんてことを! この実験にいくらかかったと……」
「教授! あれを見ても同じことが言えますか!?」
幸哉は教授の胸ぐらをつかみ、加速器を指さす。
加速器からは変わらず黄金の光がこぼれていたが、明らかにさっきまでとは違う点があった。
それは、今まさにミスリウムが収納されているであろう加速器の中心が凹み始めている。いや、その表現はもはや違う。否、遅い。
凹みは瞬く間に歪みとなり、捻じれ、瓦解する。
崩れた加速器から、眩い黄金の光の塊が現れる。
当然、その中心点はミスリウム。しかし燦然と輝くことから直視は困難を極めた。
光の塊は加速器を飲み込み、やがて風を生む。風は円を描き光の中心へと飲み込まれていく。
徐々に膨れ上がる光に、教授はわなわなと指を震わせた。
「こ、これはいったい……」
「膨大なエネルギーがミスリウムの中心に集まっています。それで重力場が歪んでいるんです。このままでは……」
「良くて爆発か」
途端、幸哉が駆ける。
「どこへ行く!」
「ミスリウムを止めます!」
「君一人では無理だ!」
と、教授も幸哉の後を追い、ガラスの向こう側へと向かう。
扉の開閉ボタンを叩くように押すと、空気を吐き出すような音と共に両開きのドアが開く。強い光が幸哉と教授の顔を焼く。熱と空気の流れが、幸哉と教授を拒絶する。
「時間がない。冷却と同時に格納しよう。幸哉君は冷却装置へ。私は格納ボタンを操作する」
「はい!」
幸哉と教授はお互いの配置場所へ移動する。
「いくぞ!3……2……」
教授のカウントダウンの終わりと同時に、二人の手が動く。
刹那。 一瞬の閃光が空間を切り裂き、音さえもかき消して膨張した。
そう、まさしく金光の爆発。其処に在るのは、光の暴力だった。
金の融点をも超えていた熱と衝撃波が、幸哉と教授の体を焼く。
研究所内の備品や装置もさることながら、空気さへも逃さぬと云わんばかりに光で焼き尽くし、粉々に粉砕していく。
熱で融解したガラス片や機械だったモノが音速を超えて弾け飛び、幸哉の体を突き抜けていく。すでに死に体の体からは血液が噴き出るが、それすらも次の瞬間には蒸発する。
そこでようやく、幸哉と教授の体が衝撃波で浮き上がる。
衝撃波の威力に、もはや生物だったのも怪しい肉の塊も木の葉のように、簡単に宙に舞う。
——暗転。
そこで幸哉の意識はふつりと、完全に途切れた。