第一章
「こんな仕事もまともにできないのか!?」
朝から上司に叱られるなんて、今日はツイてない一日になりそうだ。
毎日毎日、得意先には頭を下げ、上司の機嫌を伺い、同僚や職場の人間には気を使い、本当に今の自分がこのままでいいのか疑心暗鬼に陥ってしまいそうだ。
麻衣 「おはよう!」
そう言ってお茶を出してくれたのは、同期社員でもあり、付き合って半年になる彼女の「麻衣」だ。
聖也 「朝から格好悪いとこ見せちゃったね。俺も今回のミスはかなり凹んでるよ」
麻衣 「失敗は仕事で取り返すしかないんじゃない?聖也なら大丈夫よ!」
麻衣はいつもそうやって俺を励ましてくれる。なのに最近の俺は小さなミスを連発しまくって怒られてばかり。情けなくお粗末な話だ。それでも時間は待ってくれない。今日も愛想笑いと頭を下げに得意先に行かなくてはならない。
数件の得意先を回り、ふと路地裏にあった年期の入ったラーメン屋を見付け昼食をとる事にした。
店主が一人、他の客は誰もいない。私はカウンター席に座りラーメンと餃子を注文した。待っている間、隅に置かれたテレビを見ている。何やらタレントが観光地でレポートをしている番組だった。
聖也 「俺もたまにはのんびりしたいなぁ」
そんな事を思いながら出されたラーメンをすすっていた。
店主 「顔に疲れったって書いてありますよ」
いきなりの店主からの言葉に驚いた。
聖也 「やっぱり分かりますか?」
店主 「疲れたって感じた時は、身体が休めって言ってるんですよ。休暇でも取ってゆっくり温泉にでも行ったらどうですか?」
店主には全て見抜かれていたようだ。
確かに最近は旅行にすら行けてないしミスも多かったから、一度リセットするのも悪くないかもしれない。しかし、会社が休暇を取らせてくれるか当てにはならない。
聖也 「ごちそうさま」
店を出ると何だか無性に今の自分に嫌気がさしてきた。一か八か、ダメ元で私は上司に休暇願いを出してみる事に決めたのだった。
翌日、上司に呼ばれたのでまた何か怒られるのかと思いきや、以外な言葉が帰ってきたのだ。
上司 「昨日の休暇願い、上層部から許可がおりたぞ」
そう言って、私は週末から一週間の休暇を取ることができた。とは言うものの、思い付きで出した休暇願い。何の当てもなく、どうしていいか検討も付かない。そんな時、ふと、思い出したのは小学生の頃に習っていた「剣道」の合宿で行った、とある山中にあるペンションである。大人になったらまた皆で来ようと約束していた思い出の場所。そんな約束をした事すら忘れていたのに、何故かあの場所が急に懐かしく思えてきたのだ。俺は帰宅するなりパソコンに向かい、今でもあの場所があるのか調べる事にした。
しかし、しばらく検索してみたものの、それらしきペンションは出てこなかった。急遽、当時の友人に連絡をしてみると、そこは確か栃木県の日光東照宮の近くだったと判明した。あとは、当時の写真を頼りに、地元の人に聞き込みながら探すしかないと、まるで冒険にでもでるかのようにワクワクしてきた自分がいた。
聖也 「こんな気持ちになるなんて何年振りだろう」
俺は早速麻衣に連絡し、しばらく留守にする事を伝えた。
麻衣 「何で急に?相談もなしに出掛けるなんておかしいよ!」
言われてみれば確かにその通りだ。彼女を放ったらかして旅行に行くなんて有り得ない事だ。しかし、今の自分をリセットしたい気持ちを素直に伝えると、麻衣は渋々だが「一日一回は必ず連絡する」という条件を付けて許してくれた。俺は週末の出発に向けて支度を始めたのだった。
電車に乗ると、車窓に映る自分の顔は不思議と生き生きとしていた。おおよその場所と写真だけが頼りの旅行なのに、不安になるどころか、まるで吸い寄せられるかのようにあのペンションを目指した。
聖也 「まずは東照宮にお参りしてから聞き込むかなぁ」
ホームに降りると迷わず東照宮に向かい始め、そして目の前には異空間の入り口かのような立派な鳥居が現れた。
聖也 「さぁ、冒険の始まりだ!」
そんな子供染みたセリフを思いつつ鳥居をくぐった時、フワッと暖かい風に包まれるやうな不思議な感覚が押し寄せてきた。
境内で手を合わせた後は、早々にあのペンションを探し始めたが簡単には見付かるはずもない。交番、地元の人、観光案内、土産屋と、手当たり次第に声を掛けたが成果は得られなかった。半分諦め掛けていた時、朧気ながら小さな川沿いを歩いた事を思い出した俺は、近くの川を探索することに決め動き出した。
東照宮からさほど離れていない小さな川を見付け、ひたすら川沿いを上流に向かい歩き続けた。一時間以上歩いた頃、古びた看板が目に止まった。
聖也 「あった!このペンションだ!」
そこにはペンション入り口と書いてある。俺は無我夢中で山道を上がって行き、とうとう目的のペンションへと辿り着いたのだった。
しかし目の前に広がる風景は、あの頃の友と過ごした記憶とは掛け離れていた。建物は朽ち果て、広場だった場所は草木が生い茂り、「廃墟」と言っても過言ではなかった。あれから二十年の歳月が流れ、思い出の地が変わり果てた姿に俺は落胆した。しばし辺りを見回し思い出にふけていた俺は、朽ちたペンションの柱に触れ、最後の挨拶をして帰ろうとした。すると、俺の視界に獣道のような山林に続く一本道を見付けたのだ。
聖也 「この道はなんだろう?」
まだ時間に余裕があった俺は、興味心でこの獣道を進んでみる事にした。何もなければすぐ引き返せばいいと歩き始めたのだが、少し進んだ先には「小さな祠」が現れたのだ。何が奉られているかと近付いてみると、石積みされた祠の中にはこれと言った仏像などもなく、一枚のお札のような物が奉られていた。見るからに古く見えるそのお札にはかろうじて「慶長・・年」と書かれているのが分かった。
聖也 「慶長?いったいいつのものだ?」
歴史にうとい俺には、全くいつの時代の物なのか検討も付かなかった。取り敢えず、何か大切な物が奉られているのだと感じた俺は、祠に向かいゆっくり目を閉じ手を合わせた。その瞬間、俺は強い風と眩い光に包まれたかと思うと意識を失ってしまったのだ。
どのくらい意識を失っていたのだろう。朝もやのような霧が立ち込めている山林からすると、きっと時刻は早朝なのか?目の前には先ほどの祠があるだけで何も変わってはいない。ただ、持っていたリュックサックが見当たらない。もしかしたら、意識を失っている間に盗まれてしまったのかもしれない。一先ず下山し、助けを求めなければ自宅に帰る事すらできない状況である事は分かっている。俺は来た道を戻り、駅前の交番を目指した。しかし、来た時と何やら景色が違うような違和感を感じた。道には看板や標識などが無くなっており、道も凸凹で整備されていない。不思議に思いつつもひたすら歩き続けた。そしてようやく建物が見え、街中に戻ってくる事ができた。だか、目の前に飛び込んできた広がる風景に自分の目を疑ったのだ。
聖也 「ここはいったい…どこなんだ?」
そこは木造作りの家屋や、ちょんまげ姿の侍、商人、町娘など、どう見ても江戸時代かなにかの風景になっていたのだ。まさか道を間違えて「撮影所」に入り込んでしまったのかもしれない。そう思い、俺は申し訳ないのだが、近くにいた着物姿の女性に声を掛け、駅までの道を訪ねる事にした。
聖也 「すみません、道に迷ってしまい駅まではどう行ったらよいのでしょうか?」
町の女性 「えき?それは何でございましょう?」
聖也 「えっ?駅です!あの電車が停まる…」
町の女性 「でんしゃ?おっしゃられてる事が分かりませんので、ごめんなさい」
いったいどういう事なのだろう。他の人に聞いても知らぬ存ぜぬ。むしろ、俺の事を怪しむように逃げて行く人までもいた。何が起きているのか分からないまま、俺はその町を確かめるように歩き始めた。撮影所にしてはやたらと人が多いし、何より俺を不思議そうに見ている。早くこの場から逃げたい気持ち一心で進むと、侍の格好をした二人組が近寄ってきた。
おかっぴき 「お前、どこから来たのだ!名は何と申す!」
聖也 「いや、俺は旅行で来たんですけど、道に迷ってここに…」
おかっぴき 「家はどこなのだ?」
聖也 「東京です」
おかっぴき 「とうきょう?そんな所はない!怪しい奴め!番屋まで同行願おう!」
俺は侍二人組に捕らえられ、「番屋?」という所まで連れていかれたのだ。そこにはその二人組の上司らしき侍がいて、何度も名前や住んでる場所を聞かれ、まるで警察の取り調べを受けているかのようだった。そしてその時に思い出した事がある。確か、俺が幼い頃に父親がよく見ていた時代劇ドラマのワンシーンで、番屋とは今で言う「交番(警察)」と言っていた事だ。そう、俺は不審者扱いでここに連れて来られたという訳だ。
聖也 「ちょっと待ってくれ!俺は怪しくもないし、ただ道に迷っただけの旅行者なんだ!」
いくら説明しても取り合ってくれない。むしろ、俺の服装や言動がこの場に相応しくない状態に「異国人」とまで言われる始末である。俺は本当にタイムスリップでもしてしまったのだろうか?今の状況がうまく飲み込めずパニックに陥りそうだった。そして最悪の事態に、牢に閉じ込められてしまったのである。
どのくらい時間が経ったのだろう。壁の高い所にある小さな格子からは、すっかり日が落ちた暗闇のみが広がっていた。色々と頭の中を整理して落ち着かせようと考えてみる。
聖也 「俺は旅行に来た。そして目的のペンションは無くなっていた。暇潰しにペンションの裏にあった獣道を進んだ。祠の前で気を失い、目覚めたら江戸時代っぽい所にいた。そして、おかっぴき(警察)らしき奴等に捕まって、牢屋に入れられた!」
いくら考えても何が何だか分からない。夢を見ているのか、何かに騙されているのかと絶望の淵を彷徨っていると、先ほどの2人組の侍の1人が牢にやって来た。
おかっぴき 「出ろ!身元を保証する者が来たから釈放だ!」
よく分からないが、ここから出られるなら何でも有難い。言われるがまま牢から出て無事に釈放となった。表に出ると、そこには「伝馬町牢屋敷」と書かれた大きな看板が掲げてあった。
聖也 「伝馬町…?確か東京にも似た地名があったような…」
俺は今の自分がどこで何をしているのか確かめようにも手掛かりがなく呆然とするだけであった。その場にしゃがみ込み、目の前の石ころをボーッと眺めていると、ゆっくりと人影が近寄ってくるのに気付いた。
女 「無事に出れたのですね?」
そう、話し掛けてきたのは若い着物姿の女性であった。
聖也 「あなたが俺の保証人になってくれたのですか?」
女 「そうです。少々お金が掛かりましたけどね!」
聖也 「何故です?というより、ここはどこであなたは誰なんです?もう、何が何だか…」
俺は怯え、訴えるようにその女に詰めよった。その女は、ここではまた怪しまれると歩き始めた。
女 「ここなら大丈夫でしょう…」
そう口を開くと、誰もいない神社の片隅でその女はこう話し始めた。
女 「私が近所の祠にお参りに行くと、突然、祠の中が光始めたのです。私は怖くなって祠から離れ木の影へと逃げ込みました。するとその光が消えたと同時にあなた様が倒れていたのです…私は怖いながらもあなた様がいったい何者なのか後を付けていました。お召し物もお言葉も、全てがここお江戸の方とは思えずに…」
聖也 「江戸?ここは江戸なのですか?」
女 「ここは江戸城下町の外れにございます」
聖也 「俺はあの祠の前で気を失い、目覚めると江戸時代へとタイムスリップしていたというのか?確かに町並みも人も、全てが俺のいた現実と掛け離れ過ぎている…こんな事があるのか?」
半信半疑で受け入れつつある俺は、もう目の前の女性に頼るしか方法はなかった。
聖也 「俺の名前は聖也。あなたのお名前は?」
お菊 「お菊と申します」
聖也 「お菊さん。信じてもらえるかどうか俺にも分からない状況ですが、俺はこの日本の未来から来たようです。今からおよそ四百年後の…四百年後の、とある祠で俺はお参りをしている所、突然気を失い気付いた時にはこの時代に来てしまったようです」
俺は今までの経緯を全てお菊さんに話した。こんな信じられない事を言った所で何も解決しない事は分かっていたが、お菊さんは疑う様子もなく受け入れてくれたのだ。お菊さんは澄んだ瞳で、真っ直ぐ俺を見つめこう話してくれた。
お菊 「今の私は怖い物はありません。そして聖也殿が私の前に現れたのは祠の神様の思し召し(おぼしめし)だと思っております…」
鈍感な俺でも、お菊さんが今、何かに困っていて神頼みをしているという事だけは悟った。しかし、この時代に生きている訳でもない俺に、いったい何が出来るのであろう。ただ、お菊さんに助けてもらったのは事実。この恩は返さなくてはならない。もう少しだけお菊さんの話を聞いてみる事にしたのだ。
お菊 「一年ほど前に、父親が何者かの手により辻斬りに合いました。それからは母と私は細々と裁縫で生計を立てておりました。しかし先日、その母も買い物に出たきり行方知れず(行方不明)になってしまったのです。もうどうして良いのか分からず、三人でよくお参りしていたあの祠に手を合わせていた次第でございます」
お菊さんの身の上話に俺は心を痛めたと同時に、こんな俺にも役立てる事があるのか考え始めていた。俺はお菊さんの住む長屋に行き、父親が着ていたという小袖(着物)に着替えた。まず俺に出来る事と言えば、お菊さんの母親を一緒に探す事だ。この時代に来てしまった以上、色々と一から知り直す必要もあるし、明日からお菊さんと母親探しに同行する事にした。
この時代に来て早三か月。
お菊殿の母親の行方は未だ手掛かりが掴めずにいる。お菊殿は裁縫を、俺は「聖吉」と名を変え、とある旗本(はたもと→将軍直属の身分の高い家臣)に通い奉公(ほうこう→主君、主人のために尽くし働く。現代で言う家政婦)として働きながら過ごしていた。
ある日の事、いつものように庭を掃き掃除していると、この家の主人が声を掛けてきた。
主人 「せいきち、毎日ご苦労だね。ところで、せいきちの出身はどこなのだ?」
せいきち 「はい…私は……」
俺が四百年後未来から来たなんて言った所で、頭のおかしい奴としか思われない。とりあえずこういう時は「上州(現在の群馬県あたり)」から出稼ぎに来たと言っている。そして知人のお菊殿の母親探しを手伝う条件で住まわせてもらっている事を伝えた。
主人 「そのお菊と申す母親の名は何と申す?」
せいきち 「お清と言います」
主人 「お清…!?まさか、町外れの長屋に住んでいたお清殿の事か?」
せいきち「はい。以前はその長屋に住んでいましたが、今は人探しに都合の良い城下に越してきました。ご主人様はお清さんの事をご存知なのでございますか?」
主人 「いや…ちょっとした昔の知り合いでな…」
明らかに主人様は何かを言い留まった様子だった。もし、お菊殿の母親に関する事を知っているのであれば、どんな小さな手掛かりでもいいから俺は知りたかった。その日から俺は、主人様には申し訳ないが奉公の仕事をしながら主人様の行動を盗み見る事にした。もちろん、この事をお菊殿には話したが、怪しまれたりすると無礼打ち(ぶれいうち→身分の高い人に無礼を働くとその場で斬られる)にあう恐れから反対されたが、俺を助けてくれたお菊殿の恩は必ず返したい思いが心を奮い立たせていた。
数日後、屋敷内ではご主人様と客人が話をしていた。俺は気付かれないよう襖の向こうの会話に聞き耳を立てる。しばらく雑談混じりの会話が続いたが、その後、思いもよらぬ情報を聞いてしまった。
主人 「先日、うちの奉公人から聞いたのだか、あのお清殿が行方知れずになっておるそうな。やはり、あの噂はまことだったのだろう。もしまことならば、次は娘のお菊が危ないかもしれんな」
せいきち 「あの噂?」
俺には何の事だか検討もつかなかったが、ただ一つ分かるのは、お菊殿にも危険が迫っているかもしれないって事だ。
早速、俺はお菊殿にこの事を伝えたが、まったく身に覚えがないらしい。このままでは何時お菊殿に危険が及ぶか分からない。何としてでもその噂が何なのかを知る手立てがないだろうかと考えたが、ご主人様から聞き出す他に答えはなかった。
せいきち 「ご主人様。誠に申し訳けございません。先日のお客人との会話を私は聞いてしまいました。どんな罰でもお受け致しますので、どうかお菊殿に関わる噂というのをお聞かせ願いたいと存じます。お願い致します!お願い致します!!」
俺はサラリーマン時代に取引先に頭を下げる事が仕事だと思っていたが、今は人の命を救いたい気持ちで、初めて何度も何度も頭を下げていた。
主人 「お菊殿は、母親や父親から何も聞かされておらんようじゃのう。ならば、わしの口からは何も言えんのじゃよ。勘弁してくれ」
ご主人様は固く口を閉ざしてしまった。何も情報を得られぬまま、俺は重い足取りでお菊殿の待つ家へと帰った。しかしそこにお菊殿の姿はなく、何者かに荒らされた状態の薄暗い光景が待っていたのだ。
せいきち 「まさか!お菊殿の身に!」
慌てた俺は部屋を飛び出した!すると、ちょうど仕立てた着物を届けた帰りのお菊殿と鉢合わせた。お菊殿は無事だったのだ。お菊殿もこの部屋の有り様に驚いている。単なる盗っ人の仕業なら金目の物が無くなっているはずだか、それは手付かずのまま。となれば、やはりあの噂というのが気になってくる。この場に居ては危険と感じた俺は、お菊殿と簡単に荷物をまとめ、この家を出ることに決めた。
しかし、行く当てもない俺達は、無理を承知で奉公先のご主人様に頭を下げに出向いた。すると、ご主人様は俺達の様子を察し、何も言わずに部屋の奥へと通してくれたのだ。
主人 「何もないとこだか、この部屋を使いなさい」
ご主人様の有難い対応に感謝しかなかった。
その夜、俺はもう一度お菊殿に心当たりがないのか問いただした。父親が辻斬りに合い、母親は行き方知れず、そして今回の家中が荒らされる事態。お菊殿も平穏で質素な生活を送っていただけなのに、何故にこんな事が立て続けに起こるのか、震えながら涙を溢した。そしてその両手に大事に握られた「守り袋(お守り)」を胸に押し付けていた。
せいきち 「その守り袋は?」
お菊 「私が幼い頃に父親から頂いた守り袋です。困った時、辛い事があったらこの守り袋が助けてくれると言ってました」
せいきち「ちょっと貸して頂けますか?」
俺はその守り袋に"不思議な力"のような物を感じ、ゆっくりと中を確かめてみた。すると中身には折り畳まれた「御神璽(ごしんじ→御札)」が一枚納められていた。
せいきち 「東照大権現…?」
俺はこの文字に見覚えがあったが思い出せない。するとお菊殿が何かを思い出すように口を開いた。
お菊 「これは…もしかすると、せいきちさんが倒れていた祠の名前と同じかもしれないです!」
俺は、きっとお菊殿の家族とあの祠にはなにかしらの所縁があるのだと、あまり気にはしていなかった。
せいきち 「もう夜も遅い。明日からまたお母さんを探そう」
俺はそう言って床についた。
どのくらい時間が経ったのだろう。微かながら物音に気付いた俺はそっと目を開けた。暗闇の中、お菊殿は守り袋を抱きしめて泣いていたのだ。お菊殿の辛い気持ちは分かるが、このままではお菊殿が弱ってしまう。俺はそっとお菊殿を抱きしめた。
せいきち 「必ずお菊殿もお母さんも俺が助けます。だから、一緒に頑張りましょう!」
安心したのか、お菊殿は守り袋を握り締めたまま眠りについたのだった。
朝になり、俺はいつものように奉公仕事に取り掛かった。お菊殿も裁縫の仕事の傍ら、お世話になっているお屋敷の手伝いを始めた。
しばらくすると、俺の所に家来の一人が近寄ってきた。
家来 「ご主人様がお呼びだ!」
俺は急いでご主人の部屋に出向いた。そこには腕を組み、目を閉じ、凛とした、今まで見たことのないご主人の姿があった。
主人 「せいきちよ。全ては話せぬが一つだけ言っておかねばならぬ事がある。今後、お菊の身に危険が及ぶであろう。その時はお前しかお菊を守ってやれんのだ。せいきちにこれを託す。奉公仕事の傍ら、剣術にも励みなさい」
俺は一本の刀を受け取った。初めて持つ日本刀がこんなに重いとは、そしてこの刀を渡されたという事は、お菊殿が襲われた場合に俺が人を斬らなくてはならないとうい事を悟った。本来の俺が生きる時代なら、警察や弁護士に相談すれば大抵の事は解決できる。しかし、この時代では自分の身は自分で守るが鉄則のようだ。「お菊殿は俺が守る」と言った言葉の意味と刀の重圧に押し潰される思いだった。
その日から俺は、ご主人の許可を頂き、奉公の仕事の合間に家来に混ざり剣術にも精を出した。元々、剣道を習っていた事が唯一の救い。基礎的な事は一緒のようだ。もう元の時代に戻れないのらと、俺は寝る間を惜しんで稽古に明け暮れた。
ある日の夜、俺は誰かの叫び声に気付き目を覚ました。
家来 「押し込みだーっ!」
(押し込み→強盗)
家臣たちが慌てて盗賊に立ち向かう様子が伝わってきた。俺も刀を手に取り、お菊殿を奥の物陰に隠れさせた。するとその時、部屋の襖が勢い良く開いた!そこには覆面をした盗賊が押し寄せていたのだ。俺は震える手を抑えながら盗賊の前に立ちはだかり刃を突き付けた。お菊殿を守るため、死に物狂いで戦った。
お菊 「キャーッ!」
一瞬の隙を付き、お菊殿が盗賊に捕まってしまったのだ。そしてその瞬間、俺は背中を斬られ倒れてしまった。
盗賊は金品を盗むのではなく、お菊殿を拐っていったのだ。
せいきち 「お菊殿ーぉ!!!」
俺はそのまま意識を失ってしまった……。
真っ暗な闇の中を彷徨っている俺がいる。どこまでも終わりのない闇。
しばらく彷徨い続け、やっと小さな光が見えた。
その光に吸い寄せられるように歩き続けた。
そして、あの東照宮の鳥居をくぐった時と同じ、暖かい風が俺の背中を押し続けた。
主人 「目が覚めたか、せいきちよ」
俺は死んでいなかった。
せいきち 「ご主人様…ここは?」
主人 「無理に動くでない。わしの屋敷だから安心するがよい。傷の手当てはしてあるが、しばらくは安静にしているがよい」
その部屋には複数の家臣と俺が傷の手当てのために寝かされていたのだ。幸いにも俺の傷は急所を外れ、致命的にはならなかったそうだ。
せいきち 「お菊殿は?お菊殿はどうされましたか?」
俺はふと我に返り、主人に問いただした。
しかし、主人は首を横に振るだけで、何も答えてはくれなかった。俺は拳を叩き付け、悔しさと自分の力の無さに涙を溢したのだった。それからというもの、魂が抜けたような放心状態の俺は、お菊殿の無事を祈りながら傷の治療と奉公仕事を続けていたのである。
数日後、屋敷の柱に「矢文(やぶみ→弓矢に手紙を付けて飛ばす)」が刺さっていた。俺はすぐさまご主人の元へ届けた。
眉間にシワを寄せ読み入る視線に、事の重大さが俺にも伝わってきた。
主人 「せいきちよ。お菊は生きておる」
せいきち 「囚われの身になっているのでございますか?」
主人 「そうじゃ。ただ、返してほしくばソハヤノツルギを持参せよとの事だ!」
せいきち 「ソハヤノツルギとは何でございますか?」
主人 「わしも詳しくは分からぬが、徳川家初代将軍、徳川家康公の愛刀だと聞いておる。だが、家康公の死後、どこか所縁のある場所に奉られたはずだが…。せいきち、すぐにその刀について調べて参れ!」
手掛かりは徳川家由縁の刀。しかし何故、徳川家由縁の刀の身代わりがお菊殿なのか…。腑に落ちない俺だったが、今はお菊殿の命を救うため動くしかなかった。
数日後、ソハヤノツルギは「久能山寺(久能山東照宮)」に奉納されている事が分かった。俺は江戸から駿河(現静岡県)まで馬を走らせた。
ようやくたどり着いた俺は、すぐさま住職の元へ行き、これまでの詳細を説明した。うなづくだけの住職は、顔色一つ変えずに、ただただ俺の話を聞くだけだった。そして、住職から意外な返事が帰ってきたのだ。
住職 「事情はよく分かった。が、しかし、ここにあるソハヤノツルギをお渡しする事はできん」
せいきち 「何故です!人の命が掛かっているのですよ!」
住職 「たとえこのソハヤノツルギをそ奴等に渡した所で、お菊さんは殺されるであろう…」
せいきち 「私が命懸けで守ります!」
住職 「違うのじゃ、せいきち殿。ここにあるソハヤノツルギは偽物なんじゃよ」
せいきち 「えっ!」
住職 「ここに奉納されているのは確かにソハヤノツルギ。しかし、家康様のご愛刀とは別物。ここにあるのは二振りの"裏打ち"の方。本当の"真打ち"は別の所にある」
俺には何の事だか理解できなかった。しかし、本当のソハヤノツルギはここにはないという事だけは理解ができた。要するに、偽物を奴等に渡した所で、お菊殿を解放する訳もなく、その場で殺されてしまうという事だ。それ以上の情報は住職から得られず、俺は仕方なく主人の元へと引き返し、主人にソハヤノツルギは持ち帰れない旨を伝えた。
主人 「そうか…裏打ちだったか…。確かに、名刀と呼ばれる物は、二振り(二本)作る。そして、出来の良い方を真打ちとして名乗るものなのだ。お菊を拐った奴等はそれを知っての事なのであろう。真打ちのソハヤノツルギはいったい何処に…」
それ以降、ソハヤノツルギの情報はまったく掴めず何も出来ずに刻一刻と時間だけが過ぎていった。
せいきち 「もう時間がない…。明日の刻限までにはソハヤノツルギを見付け出さないと…」
気持ちばかりが焦っている俺に、ご主人がやっと重い口調で答えてくれた。
主人 「奴等の狙いは徳川家の滅亡。徳川家康に打ち破られた豊臣家の残存。云わば徳川家に対する復讐なのだ。徳川の血を引く者、徳川の所縁の品々、全てにまつわる物を奪い破壊する事が目的なのじゃ!そして、最終目的は征夷大将軍奪還。天下を取る事なのだ」
せいきち 「しかし、その復讐とお菊殿は無関係。拐う理由が見当たりませぬ」
主人 「・・・」
主人 「実はな、初めてせいきちに会いお菊の話を聞いた時、母親の名がお清と分かったと同時に、わしはこうなる事を案じていた。お清は家康公の腰元(こしもと→身分の高い人に支える者)だったのだ。家康公はお清の立ち振舞いに引かれ、やがて恋に落ちた。しかし天下人と奉公上りの腰元では身分の違いゆえ、一緒になる事は許されんかった。しかし、お清は新しい命を宿しおり、産まれてきたのがお菊という訳じゃ。家康公は信頼できる家臣をお清の警護世話役にし、ひっそりと分からぬよう江戸の町へと逃がしたのだ。きっとお清は、お菊を普通の町人娘として育て、平穏な暮らしをしていたのだろう。家康公の娘と知られては危険が生じてしまうからな…」
せいきち 「ご主人様…何故その事をお菊殿に申されなかったのです?そして…何故そこまでお詳しいのですか?もっと早く言って頂ければ、お菊殿を守る何かしらの手段もあったはず。何故、隠されたか!?」
俺は主人に対して怒りと動揺が隠しきれず、奉公人である事を忘れて憤りに満ちていた。
主人 「すまぬ…せいきち。わしの祖先は代々徳川家に支えるお役目を授かっていた。今でこそ旗本とし支えているが、わしの叔父は家康公の側近としてのお役目だった。その叔父から聞いていたのがお清の話しだったのじゃ。まさかその話しが真実の事だったとは…こうしてお菊が拐われるまで確信が持てなかったのじゃ」
せいきち 「分かりました。でも今はお菊殿を救う事が優先です。何としてでもソハヤノツルギを見付けださなくてはなりません。いったい真打ちはどこに……はっ!」
主人 「何か思い出したのか?」
せいきち 「はい…いえ…定かではありませんが…お菊殿は父親から貰った守り袋を大事に持っていました。確かその中身には東照大権現と書かれていました」
主人 「東照大権現…?それは家康公の勅諡号。家康公が亡くなった後の天皇から頂いた神名じゃ!」
せいきち 「もしかしたら!」
俺はある場所に向かって走り出した。そう、俺が気を失い倒れていたあの場所に。確かにお菊殿が言っていたのを思い出したのだ。あの祠の名が「東照大権現」という事を。
せいきち 「はぁはぁはぁ…。あった!」
俺は祠の中に手を伸ばし、お札のような物を確かめた。
せいきち 「東…照…大…権…現。間違いない!」
俺は祠の下を素手で掘り始めた。50cm程掘った時、固い木箱が埋められているのを発見した。
せいきち 「これだ!」
やっとの思いで掘り出した木箱をそっと地面に起き、中身を確かめる。ゆっくり蓋を開けた時、またあの時と同じ暖かい風が舞い上がった。
「神君家康公ここに眠る」
厳重な包みを取ると、そこには豪華絢爛な輝きを放つ「ソハヤノツルギ」が眠っていたのだ!
俺はそっと手に取り、鞘からゆっくり刀を抜いてみる。
せいきち 「うわっ!」
その刀身の美しさ、曇り一つ無い輝きに一瞬目が眩む。そして、鞘から完全に姿を表したソハヤノツルギ。俺は柄を握り締め天高くに翳した!
ソハヤノツルギを手にした俺は、屋敷に戻りご主人様に報告をした。問題は、この刀を奴等に渡して本当にお菊殿を解放してくれるのかどうかだ。ご主人様のいう通り、徳川家の滅亡が目的なのであれば、その血を引くお菊殿も生かして帰してはくれないだろう。刀を渡し、隙をみてお菊殿を救い逃げだすか…、何か良い方法はないだろうか。さすがにサラリーマンだった俺でも、こんな命懸けの交渉なんてしたことがない。
そして、とうとう刻限となり約束の場所へと向かったのである。
盗賊 「約束の物は持参したかっ!」
俺はソハヤノツルギを奴等に見せた。
せいきち 「お菊殿は無事なのかっ!まずは無事を確認させろっ!」
すると、物陰から縛られたお菊殿が姿を現した。そして、そこにはもう一人、なんとお菊殿の母親「お清さん」も囚われていたのである!母親は窶れた姿で、今にも倒れてしまいそうな瀕死の状態だった。
せいきち 「ソハヤノツルギはお前らにくれてやる!だから二人を早く解放してくれっ!」
盗賊 「そうはいかん!先ずはソハヤノツルギが本物か確かめなくてならん。それを先によこすのだ!」
せいきち 「これは間違いなく本物だ!だから、早く解放してくれっ!」
盗賊 「早くこちらに持ってくるのだ。でなければ…殺す!」
せいきち 「やめろっ!…分かった!今、持っていく…」
俺は一か八かの勝負に出た。渡した瞬間、隙を付いて隠し持っている短刀を、あの大将の首に突き付けてやるしかない。俺は、お菊殿と母親の顔を見つめ、そして、ゆっくり歩きだした。
盗賊 「待てっ。まずはその懐にある物を置いて行け!」
俺が短刀を隠し持っていた事をバレいたのだ。
せいきち 「くそっ!万事休すか…」
成す術を失った俺は、もはや言いなりになるしかなかった。ゆっくり奴の元へ近付き、そして、ソハヤノツルギの入った箱を手渡した。
盗賊 「おぉ、まさにこれはソハヤノツルギ。待ち焦がれていたぞ!」
せいきち 「さぁ、これでいいだろう。二人を解放してくれ!」
盗賊 「あぁ、いいだろう。あの世で三人仲良く暮らすが良いっ!殺れっ!」
その時であった。
お清が最後の力を振り絞って奴等に体当たりをしたのだ。不意を突かれ怯んだ隙に、俺はソハヤノツルギを奪い取り、お菊殿の元へ駆け寄った。
盗賊 「三人とも殺せーっ!」
襲いかかっくる手下どもを切り交わし、お菊殿の元へ辿りついた。縄をほどき、母親の元へ駆け寄ろうとした次の瞬間、密かに様子を伺っていたご主人様とその家臣が応戦にきてくれたのだ。形勢逆転を機に、俺はソハヤノツルギを手に奴等との戦いに挑んだ。次から次へと湧き出るような敵と悪戦苦闘を繰り広げ、一瞬の隙も許されない戦いの中で、一発の銃声が鳴り響く。敵の一人がお菊殿を目掛けて短筒(たんづつ→短銃)を撃ったのだ。
せいきち 「しまった!」
振り返り、そこに倒れていたのはお清だった。娘の命を救うために自分が犠牲になったのだ。
お菊 「いやぁぁ!おかーさーん!!」
お清 「お菊…ごめんね。母親らしいこと…何も出来なかった…。そして…今まで黙っていてごめんね。お菊…生きて……」
お清はその場で生き絶えてしまった。
せいきち 「くそーっ!お前ら、許さねぇからな!」
俺は怒りと悲しみで、死に物狂いに切り掛かった。お清さんを守ってやれなかった悔しさに俺は我を忘れていたというのが正解かもしれない。何の変哲もない平凡で平和なサラリーマン時代には、こんな非道で屈辱感を味わった事はない。今は目の前の敵を倒す事が俺の精一杯の正義なのである。
盗賊 「引けーいっ!」
殲滅まであと一歩という所で、奴等は退散してしまった。俺は急に頭の中が真っ白になり、脱力感で立っているのが精一杯だった。そして、泣いているお菊殿の側へ行き謝る事しかできなかった。
せいきち 「ごめん…」
お菊 「せいきちさん…ありがとう」
せいきち 「えっ?」
お菊 「私、もう二度とお母さんには会えないと思ってた。でも、最後の別れになっちゃったけど、こうしてお母さんに会えて、そして、今はお母さんと一緒に居る。せいきちさんと出会ってなければお母さんに会えなかったと思う。だから、本当にありがとう」
俺はお菊殿に返す言葉がなかった。側では横たわるお清さんにご主人も手を合わせていた。
主人 「いつまでもここ居ても仕方あるまい。お清さんを家まで送り届けて弔ってやろう」
ご主人の言葉に少し救われた気がした。守ってやれなかった責任として、俺はお清さんを抱き抱え、家路へと歩きだした。
お清さんの四十九日を迎え、俺とお菊殿は墓前に手を合わせていた。母親が亡くなってしまった以外には、また以前と変わらぬ日々が戻ってきたような気持ちでもあった。しかし、俺はあの時の悔しさを忘れた事はない。お菊殿の為にも、そして自分の為にも仇を打ち、こんな悲劇を二度と起こさせたくない思いでいっぱいだった。
主人 「せいきちよ」
せいきち 「何でございましょう、ご主人様!?」
主人 「奴等はまたいつ襲い攻めてくるかもしれんが、今後はどうするつもりだ?」
せいきち 「はい。色々と考えてはいるのですが、江戸に居てはまた奴等に襲われる事が案じられます。お菊殿と相談して江戸を離れ、どこかひっそりと過ごせればと考えています。そして許されるのであれば、お菊殿の側で…」
主人 「そうか…分かった。では、ソハヤノツルギはどうするのだ?」
せいきち 「はい。しばらくは私が大切に保管し、時期が来ましたら、またあの祠に返そうかと思います」
主人 「……」
俺はお菊殿と話し合い、江戸から甲州街道を下り、宿場町である「八王子」へと流れてきた。八王子には養蚕や生糸の拠点ともあり、お菊殿の裁縫には丁度良い場所でもあった。新たな地で借家暮らしを始め、しばらくは急襲にも警戒しつつ、俺は宿屋で仕事をする事となった。
お菊殿がこの生活をどう思っているかは分からないが、俺は命を狙われている以外は、まるで新婚生活のようにも感じていた。別に付き合っている訳でもないし、ましてや結婚した訳でもない。予想も出来ない出会いから始まり、予期せぬお菊殿の過去が分かり、命掛けで戦い、そして今に至る。俺は、今こそお菊殿に俺自信の事を話すべきと考えていた。
お菊 「お帰りなさい、せいきちさん。今、夕食の準備をしますね」
せいきち 「お菊殿。話しがあるのですが、少しよろしいですか?」
お菊 「はい…」
お菊殿は夕食の準備をやめ、俺の前に座った。改まって何を言われるのか、不安そうな顔が俺の気持ちを鈍らせた。
せいきち 「俺がこの時代の人間ではないという事は以前に言ったと思います。信じる信じないはお菊殿に任せます。俺が本当に生きる時代はお菊殿が想像も出来ないほど文明が栄え、平和な日々を送っていました。そして、そこでは毎日毎日同じような仕事をして平凡な暮らしに少しうんざりしていました。何の因果か分かりませんが、今はこうしてお菊殿の生きる時代に来てしまいました。両親や兄弟、友達、そして惚れていた人もいましたが、今はもう会う事も出来ません。でも、俺はお菊殿を一人にする事も出来ません。この時代に来た当時は毎日が不安で動揺が抑え切れませんしたが、今は違います。お菊殿をお守りし、お清さんの命を奪った奴等を成敗したい!そしてこの戦いを終わりにしたいです!」
お菊 「ありがとう…。でも、出来る事ならもう争う事はやめてほしい。このままここでひっそりと暮らせるなら、私はこのままで十分です。もし…せいきちさん…いえ、聖也さんまでもが命を落とす事にでもなったら…私…。」
泣くお菊殿を、俺はそっと抱き締めた。
翌日から、新しく始めた宿屋の仕事が終わると俺は奴等の奇襲に備え剣術の鍛練に励んだ。
ある日の事、宿屋の仕事をしていると、とある客人が訪れた。
客人 「御免。こちらにせいきち殿と申す者はおられますか?」
どうやら、俺の客人のようだ。見た目はどこぞの武士のよだが見覚えはない。しかし、袴に記された家紋には見覚えがあった。
せいきち 「私がせいきちでございますが、何の御用でしょうか?」
新之助 「拙者は、鏑木藤十郎の家臣、三田新之助である。主人の使いにより、せいきち殿を迎えに参った。」
せいきち 「鏑木…、まさかご主人様ですか!」
鏑木藤十郎とは、俺が江戸にいる頃に奉公してお世話になっていた主人の名前である。
せいきち 「分かりました。これから準備して参りますので、少しお待ち下さい」
俺は急いで帰宅し、お菊殿にご主人に会いに行く旨を伝えた。そして旅支度をし、家臣と言う三田殿の元へ行き江戸へと向かったのである。
半時ほど歩いただろうか、山深い峠道に差し掛かった時、三田殿が立ち止まり何か思い詰めるような表情でうつむいている。
せいきち 「三田殿。どうされましたか?」
新之助 「・・・せいきち殿。すまぬっ!」
俺はいったい何の事だか分からずにいたが、辺りを見回した瞬間、三田殿が詫びた理由が理解できた。俺はどうやら騙されて敵に囲まれていたのである。刀も無く、戦う術も無い俺は逃げるしかなかった。しかし敵の数も多く逃げ切る事は出来ず、またすぐに囲まれてしまった。追い込まれた俺は覚悟を決めていた。
せいきち 「一つ聞かせてくれ!何故、俺の命を狙うのだ!」
家臣 「問答無用!死ね!」
まさかこんな形で俺は死ぬのかと、目をつむり走馬灯のように会社の仲間の笑顔や彼女との思い出、お菊殿の優しさが過った。
「うおぉぉぉっ!」
けたたましい叫び声に俺は驚き目を見開いた!そこには俺を騙した三田新之助が立ち塞がり助けてくれていたのだ。そして、手にしていた脇差しを俺に手渡した。
新之助 「せいきち殿!訳あって助太刀いたす!参れ!」
その言葉に奮い立たされた俺は、敵の包囲網に飛び込んでいった。
無我夢中に戦い、三田新之助と共に敵を殲滅(せんめつ→残らず倒す事)する事ができた。しかし俺を騙した三田新之助が、何故、俺を助けたのか…腑に落ちない行動に俺は詰め寄り胸ぐらを掴み問いただした。
せいきち 「どういう事だっ!お前は俺の敵なのかっ!何故、俺を助けた?これも俺を騙す手口なのかっ!答えろーっ!」
新之助 「…すまなかった…ただ、あの時はああするしかなかったのだ。奴等を信じ込ませ不意打ちを食らわすしか他になかった…」
せいきち 「いったいどういう事だ?」
新之助 「話は後だ。今は一旦、お菊さんの元へと戻ろう」
いったい何が起きているのか不安ではあったが、この三田新之助という男が本気で俺を騙しているようにも思えなかった。今はお菊殿の身も心配、三田殿の言う通り俺は来た道を急いで戻る事にした。
お菊 「あら!お忘れ物ですか?」
急な帰りに少し驚いた様子のお菊殿ではあったが、俺はそんなお菊殿が無事である事が分かった途端、三田新之助に詰め寄った。
せいきち 「さぁ、どういう事なのか説明してもらおう。何故、俺の命を狙い、さらには助ける真似をしたのだ!」
新之助 「真似ではない!助けたかったのだ!」
せいきち 「だったら全てを教えろ!」
新之助 「…私は鏑木家に支えし者。主君である藤十郎様には恩義があり今まで尽くしてきた。しかし、この間の戦いでソハヤノツルギを目にした藤十郎様は、その日以来、ソハヤノツルギに取り憑かれてしまったのだ。あの戦いの時、我らはせいきち殿の様子を影で伺っていた。最初はせいきち殿に加勢するつもりだったのだか、盗賊にソハヤノツルギを奪われるくらいなら隙を付いて奪う作戦に変更された。しかし、お清殿の捨て身が好機となり、奴等にソハヤノツルギを奪われる事はなかった。だが、せいきち殿は時期を見計らい、また元の祠へと返すと言った。しかし藤十郎様は祠に返すまで待てず、その間にソハヤノツルギが奪われてしまうかもしれぬと案じていたのだ。そこで我らに下された命令は…せいきち殿からソハヤノツルギを奪い持ち帰る事。しかし、自意識の高い家臣の中には、よそから来たせいきち殿を良く思わない連中も多かった。せいきち殿の首を取り、さらにソハヤノツルギを持ち帰る事で、藤十郎様に出世を取り入ろうと考えたのだ。だが…俺にはせいきち殿を打つ事は出来なかった。あの時、我々が加勢していたら、お清殿を助けられたはず…。お菊殿の涙が目に焼き付いて悔やみきれんのだ。お菊殿…すまなかった…」
俺は三田新之助という男が嘘を付いているようには思えなかった。もし三田殿の話が本当なのであれば、お清さんを見殺しにしたご主人…いや、鏑木藤十郎が許せない。お清さんの弔いも、ソハヤノツルギ欲しさの芝居だったという事になる。俺は押し入れの奥に隠していたソハヤノツルギを取り出し、切っ先を見つめた。
せいきち 「こんな刀が欲しい為に…。お菊殿は拐われ、お清さんは命を落とし、俺は命を狙われた。どいつもこいつもいったい人の命を何だと思っている!」
新之助 「せいきち殿。それともう一つ言っておかねばならぬ事が。お菊殿を拐いソハヤノツルギを狙っていた奴等の身元が判明しました。豊臣家に支えていた隠密、その中でも武闘派に属する残党と分かりした。あの戦いでは配下の者が相手だったので何とかなりましたが、本当の敵は他にいると思われます。そ奴等を叩かなければ、またせいきち殿もお菊殿もいつ狙われるか…」
せいきち 「三田殿は今後どうするですか?主君の命令に背いた以上、無事に済む訳もない」
新之助 「拙者は徳川家康公により築き始めたこの泰平の世に、無惨な血を流す争い事は食い止めたい。拙者の剣は天下万民の為に尽力したいと考えています。まずは、徳川家滅亡を企んとする輩を成敗する事が使命と心得ております」
せいきち 「分かりました。三田殿のお気持ちに嘘偽りがないと受け止めました。ならば、私もこの争いの終幕に向け微力ながらお力添えをしたい。共に戦いましょう!」
俺は三田新之助と共に、再度、立ち上がる決意をしたのだ。
三田殿は一足先に江戸に戻り、鏑木藤十郎の様子と豊臣家隠密の動向を探りに行った。俺は再度の旅支度を整え、今度はソハヤノツルギを手にした。そして…お菊殿に別れを告げなければならない。
せいきち 「必ず戻ってきます。この争いをソハヤノツルギと共に終わらせてきます」
そう言うと、黙ってうなずき一筋の涙を流すお菊殿を背に、江戸へと向かったのだ。
俺は、三田新之助殿と合流すべく江戸に入ったが、足取りは掴めずいた。一先ず安い宿屋を拠点とし、鏑木家の前で張り込みを続けて三田殿の行方を待った。数日後、鏑木家の前で張り込みをしていると、浪人に護衛された「籠」が敷地へと入って行くのが見えた。俺は裏口へと回り、気付かれぬよう侵入を試みる。警護が厚く近付く事が困難ではあったが、昔見た時代劇のテレビを思い出した俺は、床下へと入り込むのに成功した。
玄武 「鏑木殿。我らの目的はお察しの通り徳川家の滅亡。そして、我らが天下人と成り代わりこの世を我が手中にする事である。我らの仲間に加わりたいと申すのであれば、それも良かろう。先ずはそれなりの誠意を見せて頂きたい」
鏑木 「分かりました。では、手始めに徳川家の血縁である「お菊」と申す娘を差し出しましょう。家康公の隠し子であるお菊は、現在せいきちと申す元奉公人と暮らしているとか。すぐに家臣を送り連れてきましょう。ただ、そのせいきちという男が持っているソハヤノツルギは何卒それがしに頂けはござらんか玄武殿!」
玄武 「分かった。もはや我々にとっては家康の愛刀などはどうでも良い事。一刻も徳川家の血縁を絶やし、我ら豊臣家隠密に日の光が当たるのを待ちわびておるのだ!」
再度、お菊殿の身に危険が迫っている事を何とか知らせなければないと思った俺は、三田殿を探す前にもう一度八王子に戻らなくてはならなかった。焦りを抑えきれず慌てて引き返そうとした時だった!振り返り様に誰かに口を塞がれ捕まってしまったのだ。
せいきち 「うぅぅ…」
新之助 「声を出すな!こんな所で何をしているのだ!」
せいきち 「その声は…」
新之助 「拙者だ!」
せいきち 「三田殿!」
心臓が止まる思いをしたが、奴等ではなく三田殿であった事に胸を撫で下ろした。そして、ここで聞いた話を三田殿に伝えた。
新之助 「ならば、藤十郎様の目を覚まさせるのは今しかない!あの玄武という奴が屋敷を出たら乗り込む!」
せいきち 「三田殿!目を覚まさせるとはいえ、どうやって!?」
新之助 「藤十郎様も拙者も徳川家家臣。共に泰平の世のために尽くしてきたのだ。反旗を翻す事など許されぬ。もし駄目なら…その時はこの手で!」
この時代の者でもない俺でも、三田新之助という男が武士であり、また自らの命と引き換えに主君を打ち取る覚悟が出来ているのだと分かった。俺達はあの玄武と名乗る奴が籠に乗って出ていくのを見計らい、三田殿の正義と共に真正面から屋敷に乗り込んだ。玄関は家臣ら包囲され、通り抜ける事が出来ず、横から庭に回り居間にいる藤十郎の姿を見付けた。
鏑木 「何奴だ!」
新之助 「藤十郎様!私でございます。三田新之助でございます」
鏑木 「ほぉ、とんだ狼藉者(ろうぜきもの→無法な行い、乱暴者)が現れたな。して、何しにここへ戻ったのだ」
新之助 「藤十郎様、目をお覚まし下さい。私達家臣は泰平の世のために尽くすお役目。反乱など馬鹿げた真似はおよし下さい!今ならまだ間に合います。もう一度奴等の目論見を共に打ち砕きましょう。ここにいるせいきち殿も共に戦うと言っております」
鏑木 「それがお前の答えか?」
新之助 「はい!もう罪なき人が血を流すのは見たくありません!」
鏑木 「なぁ、新之助。わしら鏑木家は代々徳川家に支えてきた。汗水を滴し、血の滲むような働きをし、時には命を掛けてお守りしてきた。しかし今はどうだ?泰平の世と言い庶民を優先し、わしらはどんどん役目から外され今では隠居同然。何も褒美を遣わされる事もなく何が泰平の世のためだと!そこにいるせいきちが持っているソハヤノツルギはわしが頂く。それが長年尽くしてきた唯一のわしへの褒美だからな!そしてもう一度武士として返り咲くのだっ!」
せいきち 「・・・三田殿。鏑木藤十郎はもはや救えん。きっと用が済んだら玄武に消されるであろう…」
鏑木 「皆の者!出合えーっ!そこにいる二人を斬るのだっ!」
新之助 「せいきち殿っ!覚悟はいいか!」
せいきち 「新之助殿っ!やるしかねーだろ!」
せいきち・新之助 「うおぉぉーっ!!!」
俺と三田殿は鏑木家臣を相手に戦い始めた。次から次へと迫り来る家臣に刃を交え、隙を見せたら一瞬で終わる。呼吸をすることさえ忘れてしまいそうだ。俺の生きる時代に、これほどまで自分の命を掛ける戦いなんてあり得なかった。たが今は違う。同じ日本なのに400年もの歳月を遡ると、そこは生きるか死ぬかの世界。自分の暮らしていた時代がいかに平和であったかを痛感させられる。お菊殿やこの日本の未来を守るため、俺は三田殿の足を引っ張らぬよう、まさに死に物狂いで戦った。三田殿の太刀筋は見事であり、俺も遅れを取らぬよう食い付くのが精一杯だった。しかし、不思議と剣術の日が浅い俺ではあったが、このソハヤノツルギを手にしている時だけは、手のひらから暖かい力強さが全身に駆け巡っている。一人また一人と迫り来る家臣共を切り倒し、残るは藤十郎ただ一人となった。
新之助 「やっと大将のお出ましかっ!」
俺と三田殿は互いに刃を藤十郎の前に突き出した。
せいきち 「さぁ、残るはお前一人だ」
新之助 「せいきち殿、ここは拙者に任せてくれ!」
三田殿の鋭い眼光が、藤十郎との間合いを少しずつ詰めていく。藤十郎も刀を抜き、時が止まっているように微動だにしない。俺は目の前で睨み合う本当の「もののふ」の姿を目の当たりにして、まったく動く事すら出来ずにいた。額からはゆっくりと汗が流れ、息を飲んだ瞬間、先手に攻めたのは三田殿の方だった。
「ガキーンッ!!」
三田殿の刃を受け止め、力で押し合う二人は共に互角。だが、一瞬の隙を付いて三田殿が藤十郎を蹴り飛ばした。すかさず三田殿の刃が藤十郎をめがけ討ち下そうとした。しかしその時、どこからか矢が放たれ、三田殿が崩れ落ちるように倒れてしまったのだ。
せいきち 「うそだろ…マジかよ…三田殿ーっ!」
俺は急いで三田殿の元へ駆け寄った。
せいきち 「大丈夫かっ!しっかりしろっ!!」
新之助 「うぅ…だ、大丈夫だ…脇腹をかすっただけだ…」
新之助は脇腹を抑え苦しそうに悶えている。そして、誰が矢を放ったのかはすぐに分かった。立ち去ったと思っていた「玄武とその一派」が戻ってきていたのだ。
玄武 「お楽しみのところを邪魔して悪いな!あまりにもそこの鏑木がグズグズしているものでなぁ。見てられんかったわ!」
せいきち 「お前が玄武だな!何しにきたっ!」
玄武 「我々が素直に帰ったとでも思ったか、せちきち?お前が床下でこそこそと盗み聞きしていた事なんて百も承知だわ。さぁ鏑木、好機を与えてやったのだ。お前の望むソハヤノツルギも手に入る。そやつらを倒し、我らに忠誠心を見せる時がきたのだ!」
鏑木は体制を立て直し、俺と三田殿を嘲笑うかのように刀を握りしめた。
鏑木 「そういう事だ。悪いが死んでもらうぞ、せいきちっ!」
高く振りかぶった鏑木の刃が、俺たち二人を今にも切り裂く瞬間だった。
新之助 「せいきちっ!俺に構わず逃げろっ!」
せいきち 「…冗談じゃねぇぞ…」
せいきち 「冗談じゃねーぞ、このやろーっ!!」
俺は怒り狂ったように鏑木に立ち向かっていった。刃と刃がぶつかり合い、火花が飛び散る接戦を繰り広げ、俺は何としてでも三田殿を守らなくてはならない使命感と、このくだらない争いを食い止め、これ以上の無駄に命を落とす事を阻止したかった。
せいきち 「…ご主人様…いえ、鏑木殿。もうこんな争いはお辞め下さい!今ならまだ戻れます。こんな刀より泰平の世の為に尽力して下さい。俺はあなたを斬りたくはありません!」
鏑木 「せいきち…。わしはソハヤノツルギが欲しい訳ではないのだ。鏑木家が代々徳川家に支えてきた証が欲しいのだ。そうは思わんか?何十年にも及びこの身を捧げてきたのだぞ。それが、天下人として成し遂げた途端、わしらはお払い箱だ。こんな馬鹿げた話があってたまるか!せいきちがソハヤノツルギを見付けた時、これはわしへの下賜となるべき物と悟ったのだ!わしはソハヤノツルギを手に入れ、もう一度返り咲いてみせると決めたのだっ!」
刃を交え合う目の前の鏑木は、すでに強欲に満ちた凶漢の目であり、以前の穏やかなご主人ではなくなってしまっていた。
せいきち 「ならば…仕方ありません…」
俺は、欲に変貌してしまった鏑木を倒さんと全力で挑んだ。しかし、鏑木も隠居していたとはいえ元々は武士。太刀筋は衰えることなく攻撃を仕掛けてくる。早く決着をつけ新之助の怪我を処置しなければ命が危ない。俺の視界には倒れた新之助がチラつき焦っていた。
せいきち 「うあっっ!」
鏑木の刃が俺の腕をかすめた。
鏑木 「もうその腕では今までのように刀は振れまいな、せいきち。そろそろ終いにするかっ!」
鏑木が刀を振り上げた時に、俺は一か八かで鏑木の懐に飛び込んだ。一心不乱に立ち向かい、刃を受け止めては鏑木の心が立ち直ってくれる事を願い続けていたが、もうそれは叶わないのだと確信した。
せいきち 「もう…このままでは俺も三田殿も殺られてしまう…。さらには、お菊殿の命まで…。俺がこの手で食い止めるっ!」
俺と鏑木は鍔迫り合いになり、渾身の力で柄を握り締めた。俺の震える両腕と、鏑木の額からは汗が滴り落ち、まさに死闘の激突であった。しかし、俺の斬られた腕ではもはや限界を超えていたのだ。互いに歯を食いしばり睨み合う…。
せいきち 「あっ!この風は…」
一瞬の事であったが、俺はこの時、確かに感じたのだ。あの時と同じ風。暖かくて包み込まれるようなあの風を。
せいきち 「この風は…俺が東照宮の鳥居をくぐった時と同じ風だ!」
すると俺は意識が遠退き眠りに落ちるかのような心地良ささえ感じ始めたのだ。
せいきち 「・・・・」
鏑木 「何をほざいておる!念仏でも唱えはじめたのか、せいきち!これでお終いだっ!」
鏑木の声は聞こえるが、俺は声を出すことすらできない。鏑木の姿は見えているのに、身体を動かすこともできない。いったいどうしているのか分からなかった。
せいきち 「・・・かぶらぎ・・・」
鏑木 「なんだ、せいきち…!?いや、この声は違う!?」
せいきち 「鏑木藤十郎…余が分からんか?」
鏑木 「余…?まさかっ!?」
家康「そうだ、余は征夷大将軍…家康である!そんなにわしが憎いか?だが、わしは、鏑木家を粗雑に扱ったことなど微塵もないぞ。わしが天下を取った頃、お前の父「鏑木平八」は側近として十分に尽くしてくれた。そして、泰平の世を築きあげようと全ての政(まつりごと→現代でいう政治)に全身全霊に務めてくれた。いつしか、このまま天守に居ては庶民の暮らしや安泰を守れないと、自ら城下へと移り住みたいと願い出たのだ。平八は、自分の目で庶民の暮らしを見届けたかったのであろう。わしはその熱意を無下にはできんかった。わしの意思を継いで泰平の世を守ってくれていたのだ。もちろん、褒美もつかわした。しかし平八は受けとらんかった。何故だか分かるか、藤十郎。平八はわしにこう言ったのだ。『泰平の世になり、子や孫と代々平穏で争いのない暮らしが出来る事が何よりの褒美でございます。私はそれだけで十分なのです』とな。いいか藤十郎、親とはそういうものなのだ。子供には苦労を掛けたくない。幸せに生きてほしいと願っているのだ…」
俺の意識はあるのに、喋っているのは間違いなく家康だった。ソハヤノツルギを握る俺の両腕は熱くなり、まるでソハヤノツルギがあの世に居る徳川家康と俺とを繋いでいたのかもしれない。そして、鏑木の力が少しずつ抜けていき、膝から崩れ落ちていった。
俺は、跪き何かを諭された表情の鏑木に少しほっとしていた。たぶんだが、家康公の声が鏑木の心に響いてくれたのであろうと信じていたからだ。その証拠に、鏑木の手には刀が握られていなかった。
鏑木 「すまなかった…せいきち。わしの負けだ…」
これまでの徳川家に対する憤りは消え、もはや戦う気力は無くなっていた。俺は振り返り、新之助殿がうなずくのを確認すると安心したかのように気を失ってしまった。俺はそっとソハヤノツルギを鞘に戻した。鏑木との戦いは終わったのだ。
鏑木 「ぬあっっ!!」
誰かの叫び声が聞こえた途端、先程まで跪いていたはずの鏑木は横たわっていた。そして、鏑木の背後には不気味に笑みを浮かべた玄武がおり、その片腕に持つ刀からは血が滴り落ちていた。
玄武 「この役立たずがっ!まぁよい。どのみち最後は殺すつもりだったからなぁ。なかなか面白い戦いを見せてもらったぞ、せいきち。だが、その刀は厄介だな。なにやら不吉な気を感じる。お前ら共々、木端微塵にしてくれるわっ!」
玄武の殺気に満ちた攻撃を受け交わすために俺はもう一度ソハヤノツルギを抜いた。すると、ソハヤノツルギは激しい光を放ち、誰もがその目映い真っ白な世界に目を背けずにはいられなかった。すると辺りは静けさに包まれ、次第に白い世界がうっすらと霧が晴れて行くように元の景色を取り戻していった。
せいきち 「えっ?ここは!」
先程まで居た鏑木家ではなく、緑の繁った木々を緩やかな風が通り過ぎる優しい葉音がする森の中であった。いったい何が起きたのか分からない。しかし横には怪我を負った新之助が倒れている。俺は真っ先に新之助の手当てをした。
せいきち 「早く病院に…いや、この時代に病院なんて無いんだ…。医者だ!怪我を診てくれる医者に連れていかなくては…」
俺は新之助を肩に担ぐと、とにかくこの場所から早く町へと出なくては辺りを見回した。すると、うっすら霧がかった向こう側に見覚えのある石碑があるのに気付いた。
まさしくそれは俺がこの時代に迷い込み、最初に倒れていた…あの祠であった。ゆっくりと一歩ずつ祠に近付き確認してみると、間違いなくあの祠。この下を掘り起こし、俺がソハヤノツルギを手に入れた場所でもある。すると、どこからともなく話し掛ける声が聞こえたのだ。
家康 「せいきち…。いや、確か聖也だったかな。わしが誰だか分かるな?」
せいきち 「…はい…家康様で…ございますね?」
家康 「いかにも。まずはこんな危険な目に合わせてしまった事、深く詫びる」
せいきち 「どういう事でしょうか…?」
家康 「わしは長い年月、ずっと待ち続けていたのじゃ。わしが死んでからも、お菊の行く末を案じ気に掛けておった。わしの死後、徳川家隠滅を企んとする輩にお菊の命までもが狙われる結果となってしまい、わしはどうしてもお菊には生き延びて欲しかった。しかし、母親のお清も、警護に付けた腕の立つ下役も奴等の手に落ちてしまい、そしてお菊もその後、奴等によって殺されてしまう。あの世からでは何もしてあげられないわしは、怒りと悲しみで激昂していた。それからは、わしの時間は止まり、お菊を助けたい想いだけで何百年もの時を過ごしていたようじゃ。そして、やっとわしの心が通じる者が現れた。あの祠に手を合わせてくれた…そう聖也、お主だ!理由は分からんが、お主が現れた時、わしの目の前には一筋の光が舞い降りたのだ。そして、わしに代わりお菊を助けて欲しいと願った。その願いが通じたのか、お主がお菊の元へ導き現れたのだ。まことに勝手な話ですまないが、どうかお菊を守ってはくれまいか?」
俺はこの話を聞いて、これまでの経緯が全て合致した。こんな事が本当にあるのかと、今でも夢を見ているようではあったが、今の俺に出来る事はお菊殿を守るしかないのだと納得していた。
せいきち 「家康様。話は分かりました。今でも半信半疑な所はありますが、今の私の使命はお菊殿をお守りする事。こんな私にどこまで出来るか分かりませんが、最後まで戦わせて下さい!」
家康 「ありがとう、聖也……」
そう言うと、辺りの霧は晴れ渡り、全てが見渡せるようになった。俺はすぐさま新之助を町の医者へと担ぎ込んだ。
致命的ではなかったが、傷が深く動けるようになるには数週間は掛かるとの事だ。俺は有り金を全て置き、後の事を医者に託し、お菊殿の待つ八王子へと出発したのだった。
せいきち 「ただいま戻りました!あれ?お菊殿は留守かな?」
久し振りに帰ると、お菊殿の姿はなかった。まさか先回りして奴等に拐われたのかと思い焦りを感じた時、奥の部屋からお菊殿が顔を覗かせこちらを見ていた。
せいきち 「お菊殿!ご無事でしたかっ?」
すると部屋から勢いよく飛び出し、俺に飛び付いてきたのだ。
お菊 「ご無事だったのですね…。良かった…良かった…」
お菊殿は泣きながら俺を出迎えてくれた。その様子から、俺が無事に戻るか不安の日々を送ってきたのだと分かった。俺は心配させてしまった事を謝り、これまでの経緯をお菊殿に話した。
奉公先のご主人の裏切り、徳川家滅亡の企み、三田殿が怪我を負った事、そして、ソハヤノツルギについて。
そして、まだ「玄武」という奴が残っており、いつまた襲ってくるか分からない状況である事を。ここは奴等にバレている可能性があると思った俺は、お菊殿を連れてまた他の土地へと引っ越す事を提案した。お菊殿は頷くと、残りの仕事を片付けて数日以内にはここを出ると決めた。
夜になり、俺はお菊殿に家康公と会話した事を告げた。
せいきち 「信じてもらえるか分からないけど、家康公は娘であるお菊殿を亡くなった今でも心配に思い、そして…後悔されています。だから、ソハヤノツルギのありかを守り袋に託し、私がここへ呼ばれたのではないでしょうか。勝手ながら私は、お菊殿を必ずお守りすると約束をしました。だから…私はそう簡単には死んだりしませんよ!」
お菊 「ありがとう…。でも、もう無茶はしないで下さいね。私だって、いざとなったら敵の一人や二人くらいはやっつけられるんだからっ!ねっ!」
心の底では不安でいっぱいだったはずなのに、俺たちは久し振りに笑顔になり、その夜はぐっすりと眠る事ができたのだった。
翌日からは、お菊殿は残りの仕事に取り掛かり、俺は引っ越すための準備をしている。時折、三田殿の怪我の具合が心配で思い出すが、筋の通った一本気な男だから必ずや回復してまた俺の前に現れると信じて待つ事にした。世話になった近所の方や、仕事先だった宿屋に挨拶し、お菊殿の仕事が片付くまでは畑仕事や薪割りなどの手伝いをしてその日が来るのを凌いでいた。
おばちゃん 「あんたら、いつ祝言上げるのよ~。いつまでもお菊ちゃんを待たせちゃいかんよ!」
せいきち 「えっ!!何を言うんですか!俺たちはそんな…」
気さくな近所のおばちゃんは、遠慮もなしに冷やかしてきた。今まではうまく二人の関係を誤魔化してきたつもりだったが、変な噂話が独り歩きしているようだ。まんざらでもないが、俺の顔は真っ赤になってしまい見事に笑われてしまった。俺はこの時代の人間ではないのに、今はこうして町の人たちとも仲良くなり玄武一味に狙われている以外は、何の隔たりもない暮らしをしている。元の世界へ戻れないとなれば、こんな平穏な暮らしも悪くはないのかもしれない。俺は呑気にもそんな小さな幸せを感じつつ家路に着いた。
お菊 「おかえりなさい。ちょうど最後の針仕事が終わったところなの。すぐにご飯の支度をしますね」
早ければ明日にでも引っ越さなければならないのに、お菊殿が明るく振る舞っている姿に、俺は少し違和感を覚えた。
せいきち 「何か良い事でもあったの?」
お菊 「ううん。別にないわよ!ただ…」
せいきち 「ただ…?」
お菊 「…何でもない!ご飯の支度しますね!」
俺はそれ以上にあえて深くは聞かなかった。もし本心は不安や怯えがあって無理に気丈に振る舞っているのかもと思ったからだ。
せいきち 「そうだな…ご飯を食べて、今夜は早く休もう。明日には出発しなきゃだから…」
そう言うと、ここでの最後の晩餐を過ごし、いつもより早く床に着いた。
お菊 「ねぇ、せいきち。次の引っ越しはどこに行くか決めてあるの?」
せいきち 「いや、まだ当てはない。でも、ここにいるのよりは安全だと思う…」
お菊 「そう…だよね…。ごめんね、迷惑掛けちゃって…。おやすみなさい」
せいきち 「大丈夫だよ…おやすみ」
俺は産まれて今日まで、こんなに何かを守ったり助けたり、戦った事などない。無論、頼られた事も初めてだ。こんな俺にでも何か一つくらいはやれる事があると、今はそう思っていた…。
「…カッ……カーン………カーンカーン!」
いつの間にか眠ってしまったのだか、微かに鐘の音のような音が聞こえる気がした。
「カーン、カーン、カーン!!」
間違いなく鐘の音だ。俺は布団から飛び起き、外の様子を確認した。すると、辺りはオレンジ色の火柱と煙が上がっていたのだ。先ほどの鐘の音は、火の見櫓(ひのみやぐら→火事を知らせる鐘の付いたやぐら)の音だった。しかし、見る限りは火事というレベルではなかった。一ヵ所からの炎なら火事だと思えるが、そこから飛び火したとは思えない。町の至る所から炎が上がっている。
せいきち 「これは付け火だ!」
俺は急いで消火に加わるために家を出ようとした時、玄関戸に矢文が刺さっているのに気付いた。
せいきち 「これは!」
それは「玄武」からの脅迫状であった。
(三日後午の刻、ソハヤノツルギと家康の娘を差し出せ。断れば、火の海がお前をどこまでも追い続けるであろう)
この付け火の犯行は奴等だったのだ。俺が奴等の言いなりにならなければ、どこまでも追い掛け、罪無き人々を苦しめる脅迫であった。こんな酷い事をする奴等にお菊殿を渡せば間違いなく殺されてしまう。ソハヤノツルギを渡せば、また罪無き人が血を流す事になる。しかし、関係のない人々を
巻き込む訳にもいかない。俺は焦りと怒りで混乱しそうであった。だか今は目の前の逃げ惑う人々を助けなくてはならない。俺は急いで燃え盛る炎に飛び込んだ。泣き叫ぶ女性や子供たち、火消しや男衆が集まり必死に消火している様は、まるで悪夢を見ているような生き地獄だった…。
ようやく鎮火した頃には、すでに太陽が上り辺りは明るくなっていた。燻る瓦礫の山から立ち上る煙が先ほどまでの悪夢を物語っている。一晩中、消火活動をしていた俺は疲れきってその場に座り込んでしまった。焼け出された人々が行き交う中、俺は罪悪感に押し潰されそうにいた。ふと顔を上げると、煙の向こうの離れた場所に俺の方を見ている人影に気付いた。
せいきち 「あれはっ!」
そこに居たのは「玄武」であった。嘲笑うかのように俺を見ている。その余裕に満ちた立ち姿に、俺の怒りは頂点に達した。
せいきち 「冗談じゃねーぞ!このやろー!」
なりふり構わず玄武の所まで突っ走って行ったが、もうその場に玄武の姿は無かった。夢か幻でも見たのか、俺だけはもう逃げも隠れもせず、玄武と戦ってやろうと決意したのだった。
俺は玄武討伐に向かう決意をお菊殿に知らせに急いで戻った。
せいきち 「お菊殿ーっ!…えっ?いないのか?」
部屋の中も、家の周りも探したがどこにもいない。お菊殿も消火の助っ人に行ったのかと、もう一度部屋に入り待つ事にした。腰を下ろすと、ちゃぶ台の上には先ほどの矢文が置いてある。
せいきち 「まさかっ!?」
俺はお菊殿の着物が無くなっている事に気付いた。やはりお菊殿は自ら玄武の元へ行き、事を収めようと考えたのだ。だが、お菊殿が一人で行った所で、奴等に無残に殺されるだけで、また血の雨が降り続けるであろう。今から追い掛ければまだ間に合うかもしれない。俺はソハヤノツルギを手に急いでお菊殿を追い掛けた。
奴等が指定した場所は江戸城下町の外れにある寺であった。俺はお菊殿が奴等の手に渡る前に連れ戻し、そして、今度こそこの戦いに終止符を打つべく、玄武を倒すために江戸へ向かった。
約束の時間までもう少しだというのに、俺は一向にお菊殿を見付ける事が出来ずにいた。
せいきち 「もしかしたら、すでに奴等の手に…」
そして約束の時が。俺は何の策もないまま奴等の元へと乗り込んでいった。
せいきち 「ここが奴等の屋敷なのか…?」
そこは廃墟となった、今では誰も寄り付かない薄気味の悪い寺の境内であった。辺りを警戒しながら進んで行くと、縁台に座り玄武が待ち構えていた。
玄武 「待っていたぞ、せいきち。ソハヤノツルギは持ってきたか?」
せいきち 「ああ、持ってきた。だが、お菊は俺のいない間に家を出たまま行方が分からない。だから、このソハヤノツルギで勘弁してくれないか?」
玄武 「お菊…?あぁ、その女なら町の外を一人で歩いておったから、とっくに捕まえておいたわ!自分の命と引き換えに、もう止めてくれってギャーギャー喚いておったわ。殺すのは簡単だが、まだ利用できるかもしれんからのぉ、牢に投げ込んでおいたわ」
せいきち 「やはり…。頼む!ソハヤノツルギも渡す、俺はどうなってもいい!だから、お菊だけは見逃してくれないかっ?」
玄武 「貴様ごときの分際で、わしと取り引きするというのか…?面白い…、では条件を出そうではないか!」
せいきち 「条件?なんだ!」
玄武 「首を捕ってこい!」
せいきち 「いったい…誰の…?」
玄武 「フッ、二代目将軍、徳川秀忠の首に決まっておるだろう!」
せいきち 「!!!」
玄武 「無理なら女は殺す。そうだなぁ、五日だ。五日以内にここへ首を持ってこい。その時、あの女は返してやろう。それが条件だ!」
せいきち 「くそっ………、本当だな…。約束は守れよ!」
玄武 「わしは冗談は言うが、嘘は言わんよ、フッフッフ」
せいきち 「分かった…。その時は必ずお菊殿を返してもらうぞ!」
俺は不可能に近い約束をしてしまった…。
今頃になって後悔しても仕方がないとは分かっているが、お菊殿の命を救うためには、あの条件を飲むしか方法はなかった。
俺は正直、途方に暮れていた。将軍の首と言っても、相手は江戸城当主。鉄壁に守られ、俺のような忍でもない素人では付け入る事すら不可能だろう。
せいきち 「どうしたら良いか…」
奉行所に相談しても、将軍の首を狙うバカげた話を信じてもらえるか分からない。俺は川のほとりで何も出来ないまま思いふけていた…。
新之助 「どうした、せいきち殿。」
俺を呼ぶ声に驚いた。振り返って見ると、そこには三田新之助が立っていた。鏑木との戦いで傷を負い、まだ完治はしていないはずなのだが、どうしてここにいるのか不思議であった。
せいきち 「三田殿!もう傷の具合は大丈夫なのか?」
新之助 「あぁ。いつまでも横になっていては体がなまってしまうからな。少しは体を動かさんと。それと、せいきち殿のお陰で命も助かった。本当に世話になった。ありがとう」
せいきち 「いや、そもそもこちらが三田殿を争いに巻き込んでしまったのです。申し訳ない…」
俺は新之助に会い、少しホッとした気持ちになった。歳も差程離れてはいないのに、命懸けで生きている新之助が立派に思えた。俺のように、平々凡々と生きてきた男とは雲泥の差だ。
新之助 「それよりせいきち、お菊殿は無事だったのか?」
せいきち 「鏑木との戦いの後までは・・・」
新之助 「どういう事だ?」
俺はお菊殿と暮らしていた八王子での出来事を全て話した。
新之助 「新たな敵は玄武ってことだな!しかし、どうするのだお菊殿は?助けるには将軍の首が必要なのだろう?拙者たちでは千代田の本丸にすら近付く事すら不可能だぞ!」
確かに新之助の言う通りだった。しかも、もし俺が将軍の首を捕ったともあれば未来が大きく変わってしまう。俺の生きる時代の教科書が大きく変わる事になるし、最悪、俺の名前が歴史に残ってしまう恐れもある。将軍の首を捕らずに、かつ、お菊を助けるには…。
新之助 「他に策はあるのか、せいきち?」
せいきち 「いや、それを今考えていたところだよ…」
お菊殿だけは助けたいが、これといった良い方法が思い浮かばず八方塞がりとなってしまい、頭の中は真っ白。そんな時、またあの暖かな風が吹き抜けたのだった。もしかしたら家康様が何か知恵を授けてくれるのではと思い耳を澄ませた!しかし、家康様の声は聞こえる事はなく、砂ぼこりが俺をからかうように舞っているだけであった。
せいきち 「風まで俺をバカにしやがって…そんな都合良く家康様が力を貸してくれる訳ないかぁ……ん!?そうか!!」
俺は一か八かの勝負にでる事に決めた。心配してくれる新之助をよそに、俺は五日後の玄武との戦いに備え急いで準備をはじめたのだった。
そして約束の期限。俺は大きな木箱を手に、玄武の前に出向いた。
せいきち 「玄武っ!約束の物は持ってきたぞ!」
玄武 「本当に秀忠の首なのか?」
せいきち 「あぁ、今頃江戸城は大騒ぎだろうな」
玄武 「ほう、では中身を検めようではないか」
せいきち 「その前に、お菊殿の無事なのか!」
玄武は手下にお菊を連れてくるように指示をだした。両腕を縛られた状態のお菊は無事のようだ。
せいきち 「分かった。ではそちらに持っていく。首を確かめてくれ」
俺はそっと玄武の前に木箱を差し出した。玄武は手下に箱を開けるようにと顎で指示を出した。俺は息をのみ箱が開くのを待ち構えていた。結びが解け、蓋に手を掛けた時だった。
「バーーーンッ!」
爆音と共に、箱の中から白い粉煙が一面に飛び出したのだ。玄武も手下達も一瞬の出来事に牢籠いた!俺はその隙にお菊殿の元へ一直線に駆け寄り、手下の一人を斬り抜いた。その勢いのまま俺はすぐさまお菊殿を解放し、お菊殿の手を引きここから逃げ出すために走り出した。
せいきち 「お菊殿、待たせて悪かったな!さぁ行くぞ!」
お菊 「せいきち!なんで来たのよ!?」
せいきち 「言ったろ!必ず守るって!」
お菊は強く俺の手を握り締めた。
玄武 「ぐわっ!ふざけよって!追えーっ!奴等を逃がすでないぞっ!」
俺はお菊殿の手を引き、追っ手から逃れるため必死に走った。だがこのまま走り続けるにはお菊殿の体力が持たない。
せいきち 「どこか身を隠す所がないか…」
俺はお菊殿の手をもう二度と離さず守り抜く決意でいっぱいだった。最悪、追い付かれたとしても、お菊殿を先に逃がし俺一人でも戦う心構えはできていた。
そんな時、町の路地裏へと駆け込んだ先に、材木問屋があるのに気付いた。俺は積まれている材木の影にお菊殿を隠し、奴等の動きに身を潜めて伺う事にした。
せいきち 「お菊殿。何故あんな無茶をしたのですか?」
お菊 「ごめんなさい。でも、もう私のせいで皆が傷付くのは耐えられないの…だから私…だから私…」
せいきち 「大丈夫だから、もう泣かないで下さい。後は俺に任せて下さい」
俺たちを見失い、必死に探している。だがここに居てはいずれ見付かってしまう。俺はどうにかまた追っ手から逃れる策を考えていた。その時、材木問屋の母屋の影から俺に向かって手招きをしている人影に気付いた。
せいきち 「あれは、新之助殿!」
追っ手の隙を付き、見付からないよう新之助殿の方へ逃げ込んだ。
せいきち 「なぜ、こんな所に新之助殿がいるんだ?」
新之助 「話しは後だ。ここから抜け出すぞ!」
言われるがままに新之助の後に付いていくと、無事に町外れの小高い丘まで辿り着く事ができた。
新之助 「ここまで来れば大丈夫だろう」
せいきち 「新之助殿、助かりました」
新之助 「ったく、無茶しやがって。だが、なかなかの作戦じゃないか、せいきち!」
せいきち 「えっ!見ていたのか?」
新之助 「あぁ、心配で物陰から見ていた。危険になったらいつ飛び出してもいいようにな。しかし、あんな道具をよく思いつたなぁ?」
せいきち 「あぁ、あれか。あれはビックリ箱って言うんだ」
新之助・お菊 「び、びっくり箱~?!」
せいきち 「そんな二人揃って驚かないでくれよ。俺が子供の頃、親が作ってくれたんだ。フタを空けると中から人形が飛び出して驚かせる、子供の玩具だよ。それを思い出し、人形の代わりに小麦粉をたくさん仕込んどいたのさ。本当ならバネの力で…と言ってもこの時代にバネなんてないから分からないかぁ…箱の中で竹をしならせて勢い良く飛び出す仕掛けだよ。江戸で小麦粉を探すのは一苦労だっよ。江戸の食と言えば蕎麦だからなぁ。蕎麦粉はあっても小麦粉はなかなか集められなかった。鏑木家に奉公してる時の事を思い出して贔屓にしていた問屋から譲ってもらったって訳です」
新之助 「はははっ!これは愉快な作戦。目眩ましってやつだな。しかし…問題はこらからじゃないのか、せいきち?奴等を本気で怒らせてしまったんだ。もういつまでも逃げてはおれんぞ」
せいきち 「あぁ、今度はこっちから乗り込む番だ!」
新之助 「ならばせいきち殿。奴等のアジトの探索は拙者に任せてくれ。居場所の検討はついておる。ただ床に伏せていた訳ではないのだ。それとなく仲間を通じて玄武の事を調べていたのだ」
せいきち 「かたじけない、新之助殿!」
お菊殿を危険にさらす訳にはいかないので、新之助の妹に預かってもらうことになった。俺は出来るだけの準備を整え、玄武との戦いに備え新之助からの報告を待った。
新之助 「せいきち殿!奴等の居場所が分かり申した。ここから差程遠くではござらん。手下を含め15~20人程が屋敷内にはいるとの話だ」
新之助からの報告を受け、俺はこの戦いに決着を付けるべく、出発の準備に取り掛かった。勝てる自信なんてないのに、避けられない勝負というか、もう玄武と戦う以外に選択の余地がない事に腹を括っていた。もし俺が玄武に敗れたとしても、お菊殿が助かってさえくれれば、きっと家康様もお許しくれるであろう。俺は元々この世界の人間ではない。せめて誰かの為に役に立って死ねるなら、それも本望…。
せいきち 「新之助殿。俺は今夜出発する。負け戦になるかもしれないが…その時はお菊殿を頼みます!俺はお菊殿に出会い救われた。今度は俺が命を掛けてお菊殿を救う番だ。お菊殿には母親の分まで幸せになってもらいたい…」
新之助 「せいきち殿…お菊殿には挨拶していかなくていいのか?」
せいきち 「あぁ、今夜出る事は内緒にしておいてほしい。ああ見えてお菊殿はお転婆な所がある。これ以上、無茶されても困るからな。新之助殿も…ありがとう…。では…」
俺はソハヤノツルギを握り締め、玄武たちのいる屋敷へと歩き出した。
屋敷の前には二人の門番が見張りをしている。間違いなくここが玄武の屋敷だと分かった。もう逃げも隠れもしない。俺は正面から堂々と屋敷に乗り込んでいった。一直線に門番へ斬り掛かり、相手が驚き臨戦態勢に入る前に二人を倒す事ができた。何故かこのソハヤノツルギといると、自分では意識できないほどの力が漲ってくるのだ。もしかすると、これが家康様の御霊なのかもしれない。俺はその意思に成り代わり、今ここで玄武を成敗するしかないのだ。
俺は重い門を両手で押し開け、その先の屋敷を真っ直ぐに睨み付けた。
せいきち 「この奥に玄武がいる!」
俺の目に映るのは「打倒!玄武」。四方八方から手下たちが俺の行く手を阻むように斬り掛かってきた。手下と言えども俺よりは遥かに剣術歴は上。一瞬の油断も許されない。だが、こんな未熟な俺を後押しするように、ソハヤノツルギが相手の刃を弾き返してくれる。一人、また一人と、敵の攻撃を躱しながら斬り倒していく。しかしながら敵の数が多すぎる。そんな時、数人の敵が同時に俺に向かって斬りかかろうとしてきた。さすがにこのままでは殺られてしまう。
せいきち 「ヤバい!!」
俺は懐に忍ばせておいた(小麦粉袋)を相手に目掛けて思い切り投げ付けた。少々、卑怯な手かもしれないが、多勢に無勢では仕方のない事。手段は選んでいられないのだ。忍が手裏剣を使うように、俺にはこの小麦粉での目眩まし位しか思い付かなかった訳だ。こんな所で、幼い頃に父親とキャッチボールをして鍛えられた抜群のコントロールが活きてくるとは思いもしなかった。でも、いつまでもこんな子供騙しな手が効く相手でもない。俺は相手の動きを読み、間合いに入っては斬るのを得意としてきた。今は目の前の邪魔する者を全て叩き斬って進むだけだった。
せいきち 「はぁはぁはぁ…」
屋敷の前には、侵入を拒むように手下が待ち構えている。すでに何人の敵を倒したのだろう。いまだ玄武は姿を見せる事はなかった。
せいきち 「やべぇ、さすがに体力がもたなくなってきた。このままじゃ玄武に辿り着く前に殺られちまう…」
どうにか十数人の手下どもを斬り抜けた所で、体力をかなり消耗してしまった俺は、片膝を付いた状態で起きているのがやっとになってしまった。そして、俺の疲れきった状態に追い討ちを掛けるように、残りの手下どもが一斉に襲い掛かってきたのだ。もうこれまでかと覚悟をした時、目の前には白い砂煙が舞い上がった。
せいきち 「あれは小麦粉袋…!?」
強襲を仕掛けた手下どもに向かい、いくつもの小麦粉袋を投げつけているのだ。手下どもは怯んで立ち止まり俺は難を逃れたが、いったい誰がこんな事をしたのか分からなかった。
新之助 「せいきち殿!遅れてすまんな!」
せいきち 「えっ!まさかっ!」
新之助 「お節介助っ人の三田新之助が参ったぞ!」
そこには俺を助けるべく、武士としての三田新之助が悠然と立っていた。
せいきち 「どうしてここに?まだ傷も治ってないだろ!それに、あの小麦粉袋は?」
新之助 「拙者だって武士のはしくれ。一度乗り掛かった舟を途中で降りる訳にはいないんだよ!せいきち殿があの目眩ましを作っているのを見て真似してみただけの事だ。効果覿面だったな!」
せいきち 「フッ!新之助殿らしいな…」
新之助 「あぁ、それともう一つ。お菊殿からの伝言を預かってきてな…」
せいきち 「伝言?」
新之助 「『私に黙って出ていったんだから、負けたら承知しないからね!』だそうだ」
せいきち 「フッ!それもお菊殿らしいな…」
新之助 「それとお菊殿は、一生懸命に食事の支度をしておったぞ。何故だか分かるか、せいきち?」
せいきち 「…いや…」
新之助 「『せいきちは必ずお腹が空いたって帰ってくるから、たくさん用意しておかないと』とも言っておった。料理をしている後ろ姿ではあったが…せいきちの無事を祈り泣いていた。良いかせいきち!お菊殿には幸せになってほしいのだろう?だったら、いつまでも泣かせていたら、せっかくの料理が涙でしょっぱくなっちまう。とっとと玄武とやらを成敗して帰ろうではないかっ!」
俺は新之助の言葉に励まされたと同時に、お菊殿の笑顔を思い出していた…。
せいきち 「新之助殿の言う通りだ。必ず俺が玄武を仕留める!!」
新之助 「ここは拙者に任せろ!せいきち殿は早く玄武の所へ行くのだっ!」
せいきち 「ありがとうよ。新之助殿も絶対に死ぬなよ!」
この場は新之助殿に任せ、邪魔な敵をすり抜け俺は玄武のいる屋敷の中へと駆け込んだ。
屋敷の中は気味が悪いくらいの静けさに包まれていた。奥の部屋へと続く長い廊下をゆっくりと歩き出した。いつどこから急襲されるか分からない。俺はソハヤノツルギを握り締め、一歩また一歩と、僅かな気配も逃さぬよう神経を尖らせていた。一番奥の一際大きな襖の前に辿り着くと、確かな人の気配を感じた。殺気こそ感じられないが、不気味な気配だった。
せいきち 「ここに奴がいる!」
そう確信した俺は、襖を勢い良く開けた。
玄武 「ほう、ここまで来れるとはなぁ。久し振りにわしに逆らう馬鹿に会えて嬉しいぞ!褒美として血祭りにしてくれようぞ!」
せいきち 「生憎だがなぁ、俺はお前のツラを見てめちゃくちゃ機嫌が悪いんだよっ!!」
俺は真っ先に玄武目掛けて突っ走り斬り掛かった。
せいきち 「うぉああああああっ!」
玄武も刀を抜き、俺の攻撃を刃で受け止めた。
「ガキーン!ギィシッッ!」
鉄と鉄とが軋み合う鈍い音が二人の闘争心を露にしていた。ただ今までと違うのは、俺が渾身の力で押し込む刃をいとも簡単に受け止めた事だ。互いにこの力の差を感じ取り、焦る俺に対し玄武は余裕さえ見れる。俺は一旦、玄武から離れ、再度、渾身の力で斬り掛かった。だが、やはり力の差は歴然。一瞬で俺の刀を弾き返してしまった。
せいきち 「はぁはぁはぁ、畜生…ぜんぜん当たらねぇ…」
玄武 「もう終いか?もっとわしを楽しませてくれると思ったんだがなぁ。なら、今度はこちらから行くぞっ!」
玄武の動きは素早く、目で追うのがやっとだった。そして、玄武の姿が消えたと思った時、なんと頭上から刀を突き下ろしてきたのだ。俺は必死にギリギリの所で玄武の攻撃を避けた。しかし、まだ玄武の攻撃は終わらない。避けた俺に水平に刀を降り、鼻を掠める間一髪の所であった。すかさず玄武は刀からの攻撃を止め、今度は打撃技に転じてきた。俺は何度も何度も殴られ意識が朦朧とし、ぶっ倒れてしまった。
玄武 「おや?寝るのはまだ早いぞ!もっと楽しませてもらわなくてはなぁ」
笑いながらゆっくりと近付き、思い切り俺の腹を蹴り上げた!
せいきち 「ぐはっ!!」
俺は死を感じた。こんなにも自分が無力で力の差を見せ付けられ、今までの戦いが"まぐれ"だったかのようだ。奴は産まれた時から剣術が周りにあり、そして忍の道で腕を磨き続けてきたのだ。この間まで平凡な会社員をやっていた俺とは格が違う。
せいきち 「ごめん…お菊…」
俺はそのまま意識を失ってしまった…。
謎の声 「せいきち!せいきち!」
俺を呼ぶ声に目が覚めた。
せいきち 「ここはあの世…?俺は死んだのか?」
謎の声 「せいきち!目を覚ましたか!」
せいきち 「その声は…家康様…ですか!?」
そこは真っ白な世界。俺は玄武に殺られ、あの世に来たのだと思った。そして目の前には眩しくてはっきりとは見えないが、家康様らしき人物が立っていた。
家康 「せいきち、すまぬ。お主には辛い思いをさせてしまった。玄武という男が、ここまで強い力を持っていたとは…わしの誤算じゃった」
せいきち 「家康様。俺は死んだのですか?やはり奴には敵わなかったんですね?」
家康 「あぁ、残念じゃが玄武には勝てなかった」
せいきち 「やはりそうでしたか…」
家康 「だが、まだせいきちは死んではおらんぞ」
せいきち 「えっ?ここはあの世なのでは?」
家康 「まぁ、正確に言えばあの世と現世との狭間じゃな」
せいきち 「どういことでしょうか…?」
家康 「せいきちは玄武に殺られ気を失っている。いずれこのままでは本当に死んでしまうじゃろう。だが、まだ望みがある」
せいきち 「なんでしょうか?」
家康 「せいきちよ。一つ聞かせてくれるか?お主はわしに頼まれたからここまで戦ってくれたのか?」
せいきち 「・・・、いえ違います。最初はどうして俺なんかがと思っていました。もっと他に相応しい人がいるのではと。この時代に来て、もう元の時代に帰れないのなら、どうなってもいいとまで思いました。しかし、お菊殿に出会い、優しさに触れ、人の温かさを感じ、俺はこの時代でも生きる希望を貰いました。俺の居た時代ではなかなか味わえない"人情"ってやつかもしれません。一生懸命に働き、助け合い、ここで暮らす人々の笑顔は輝いていました。俺はこの人達の笑顔が好きです。お菊殿の笑顔が好きです。だから…俺は守ってやりたかった!でも…俺にはそんな力はなかった…。悔しさで胸が張り裂けそうです…」
家康 「そうか…。それを聞いて安心したぞ。やはりわしが見込んだ男じゃった」
せいきち 「すみません。期待に応えられなくて…」
家康 「せいきちよ。お主にわしから最後の力を与えよう。わしに出来るのはここまでじゃ。頼む、皆を守ってくれ!」
せいきち 「えっ!?うぁぁぁぁ!」
俺は夢の中で家康様と出会った。でも、玄武との戦いで瀕死の状態では、もう戦うことは出来ないだろう。でも、微かではあるが剣と剣とがぶつかり合う音が聞こえてくる。誰かが戦っているのであろうか。俺はゆっくり目を開け、霞む視界の先に誰かが交戦しているように見えた。俺は体をお越し、もう一度目の前で何が起きているのかを確かめた。
せいきち 「あれは、新之助じゃないかっ!」
俺が気を失っている間に、新之助殿が応戦に来てくれたのだ!だが、新之助殿も玄武の猛攻に押されている様子だった。攻撃してくる玄武に必死に食らい付き、それでも玄武に向かっていく。その姿から恐らく新之助殿も俺と同じ気持ちで戦っているのだと感じ取れた。
せいきち 「そうだ…。俺はこんな所でくたばる訳にはいかないんだ。俺は…俺はまだまだくたばっちゃいねーぞーっ!玄武ーっ!!」
玄武 「なにっ!?あやつ、死んでいないのかっ!」
新之助 「おぉ、せいきち殿!ずいぶんと寝てたみたいだな」
せいきち 「離れていろ新之助。こいつは俺が…斬るっ!」
玄武 「死に損ないが何をほざく!二人ともあの世に送ってやるわっ!」
いつの間にか体の痛みさえ忘れ、目の前の玄武に俺はソハヤノツルギを構えた。
玄武 「ん!?…なんだその構えは?気でも狂ったか!」
せいきち 「行くぞ、玄武!」
俺はもう一度、玄武目掛けて一直線に突っ込んでいった。当然、玄武も刃を盾に俺の斬撃を受け止め弾き返そうと身構えた。だが、俺はその瞬間を待っていた。防御の態勢に入った時は、次の攻撃に移るのに容易ではない。俺は斬り下ろす寸前に持ち手を翻し突きの攻撃を繰り出した。
玄武 「な、なに!?」
上段からの斬り掛かりから、瞬時に突きへの攻撃に変える、どこの流派にも見たことがない技、唯一無二の妙技に玄武は驚愕していた。俺の放った刃は玄武の横面を掠めるに留まったが、明らかに玄武は身動きが取れず、ただただ呆然とするだけであった。
新之助 「せいきち殿!今の構え…それに、たぐいまれな攻め技。いったい、いつのまに習得なされたのだ!」
今までの剣術とはまったく別の流派に、新之助殿も驚きを隠せなかったようだ。ただ、一番驚いているのは他ならぬ俺の方だった。確かに夢の中で家康様から力を与えるような事を言われた気がするが、それがこの剣技だったと言うのか…。俺も無意識に構え、無我夢中で玄武に突進していったが正直なところ俺にも何が起こっているのか分からなかった。
玄武 「きさま…まぐれにしてはわしも少々不意を付かれたぞ。だか、そんなまぐれは二度と通用せん!」
俺の攻撃に焦りと怒りを憶えた玄武は、真っ向勝負に打って出た。元隠密ともあり瞬発力は抜群に長けている。先程のように、目で追っているだけでは、またいつ不意を付かれて斬り掛かってくるか分からない。俺は玄武の動きを目で追うのではなく、次の動きを"読む"事に意識を集中させた。目を瞑り、足音を聞き分け、荒ぶる呼吸を感じ、俺を仕留めようとする殺気を嗅ぎ取る…。そして、奴の刀が空気を切り裂く時こそ!
せいきち 「後だーっ!!」
ソハヤノツルギは迸る霹靂の如く、迫り狂う玄武を貫いた!
玄武 「ぐぁっ!!」
ソハヤノツルギは玄武の肩を貫き膝から崩れ落ちた。利き腕を負傷した玄武には、もう本来の力は発揮できない。俺は玄武に近寄り、お菊殿の母親"お清"の仇と、八王子宿場町で犠牲になった人々の仇を取るべく、両腕で高くソハヤノツルギを振り上げた。
せいきち 「・・・」
新之助 「せいきち殿、何を躊躇っておる!今こそ玄武の首を取って終局させるのだ!」
せいきち 「・・・。玄武、俺はお前が憎い。先程までこの手で斬り捨ててやろうと思っていた。だけど…、もう戦う事の出来ないお前を斬る事はできない。どんな理由があるとはいえ、もう争い事から手を引くんだ!俺が言いたい事は、それだけだ…」
玄武 「きさまっ!俺を遇われんでいるつもりかっ!今ここで俺を仕留めないと後悔するぞ。またお前らの命を狙いに行くぞ!」
せいきち 「…あぁ、構わん!俺は必ずお菊殿も町の皆も守ってみせるさ!」
玄武 「…」
新之助 「甘いぞ、せいきち殿!こいつを生かしておけば、必ず命を狙いに仕掛けてくる!」
せいきち 「すまん、新之助殿。俺にはこれ以上出来ない…」
新之助 「…ったく…」
新之助殿の忠告も確かではあったが、隠密として生きてきた玄武にとって、二度と刀を振れなくなる事は、まさに生き地獄でもあった。
せいきち 「もう、こんな事からは手を引く…ん…!?」
玄武 「ぐぅっ!」
俺が振り返ると、玄武は自らの刀で腹を切り裂いた!これから先、刀を握れないと分かった以上、自分が隠密として役に立たないと分かっての事だろう。さらに言えば、任務を失敗し恥をさらして生きるよりも、潔く腹を切りケジメを付けるといったところだろう。
せいきち 「何も自ら命を絶つなんて…」
新之助 「せいきち殿…我ら武士にしても、玄武のような隠密にしても、任務に失敗したら腹を切る。この時代はこれが当たり前の事。玄武も隠密の一人として仕方のない結果だ」
玄武 「うぅぅ…わしの命がここで朽ちても、我らの意思は朽ち果てることはない…。必ずや…同士が…」
玄武は最後に何かを言い残すと、その場で倒れ果てた。"同士"という言葉が、まだ他に仲間がいるのかを指しているのかは分からないが、ひとまず俺の目的は達成できたのだ。これで終わったのだと安心した俺は、思い出したかのように全身が酷く傷みだした。
せいきち 「痛てて…人生でこんなにボコボコにされたの初めてだよ」
新之助 「酷くやられたもんだなぁ。今、処置をしてやるから動くでない。」
せいきち 「すまない、新之助殿」
新之助 「…にしても、せいきち。お主、あの流儀はどこで得たのだ。攻撃の直前で構え変え、新たな攻撃を仕掛けるなんて、神業としか言えんぞ」
せいきち 「俺にもよく分からないが、意識を失っている時に、夢の中で家康様が現れたんだ。そしたら急に力が湧いてきて…って言っても信じてもらえないかな!」
新之助 「家康様!?・・・いや、有り得るかもだぞ、せいきち!」
せいきち 「ん!?どうしてそう思う?」
新之助 「昔、まだ俺が剣術を教わっている頃、師範から聞いた事があるのだ。限られた人物のみに引き継がれる流派があると。その流派は、一本の刀を自由自在に操り、神の目をも欺く早さで斬り、神の目のように相手の動きを読み取る、まさに神の道を行く流派。確か…『神道一刀流』。もし、徳川家康がこの"神道一刀流"の使い手だったとしたら…の話だがな。でも、この流派の使い手だからこそ、天下人となれた…とも考えられる。まぁ、千代田の本丸にでも行って、過去の書物でも見なければ、何の確証も得られんがな」
せいきち 「神道一刀流…かぁ」
新之助 「さぁ、これでいいだろう。歩けるか?」
俺は新之助の肩を借り、体を引きずるように歩き始めた。玄武の言い残した『同士』と、新之助から聞いた『神道一刀流』、どちらも気掛かりな事だが、今は玄武を倒し、これ以上の争いが起こらない事を祈るばかりだ。
長い戦いと、怪我を負った体であった為、お菊殿の待つ家に着いたのは夜明けになってしまった。朝日の眩しさが希望の光に感じたのは新之助も一緒だったはずだ。そして、その光に照された町並みの中に、お菊殿は俺たちの帰りを待っていてくれた。
お菊 「せいきちーっ!新之助ーっ!」
お菊殿は俺たちに駆け寄り肩を寄せ抱き締めてくれた。大粒の涙が朝日に照らされ光輝いた時、俺は生きている事に喜びを感じられずにはいられなかった。
せいきち 「ごめん、お菊殿。心配かけてすまなかった。でも、もう大丈夫だからな」
お菊 「…こんなに傷だらけになって…やられたら承知しないって言ったでしょ!」
せいきち 「おいおい、生きて帰ってきたんだから勘弁してくれよ!」
お菊 「そうだね!」
せいきち 「あっ!それよりお菊殿。お腹が空いたんだ。ご飯はあるか!」
お菊 「えっ!?フフッ、ちゃんと沢山あるわよ!二人とも、残したら承知しないからね!」
新之助 「お菊殿が一番手強いかもな、せいきち!」
せいきち 「あぁ、そうかもな!」
せいきち・新之助 『はっはっは!』
俺たちに久し振りに笑顔が戻った。
~ 一週間後 ~
怪我の具合も良くなり、あれ以降は普通の生活を取り戻していた。いつまでも新之助殿の妹の家で世話になりっぱなしという訳にもいかないので、俺やお菊殿は新たな住まいを探さないとと思い始めていた。だが、問題は俺の事だ。お菊は元々この時代に生きる人間として、新しく生活を送ればいい。でも俺はこの時代の人間でもなければお菊殿と恋人でもない。玄武との戦いが終わった今、俺は俺の生き方を見付けなければならなかった。
お菊 「せいきちさん…何を難しい顔してるのですか?何か困り事でもあるのですか?」
せいきち 「いや、困り事と言う訳ではないのですが、いつまでもここに世話になるのも悪いかと…。そろそろ長屋でも見付けて引っ越そうかと。ただ俺はこの時代の人間ではないし、今後の事を色々考えていた訳です。お菊殿はどうされるのです?」
お菊 「…私は…私は…。あっ!せいきちさんさえ良ければ、一緒に住むなんてどうです?」
せいきち 「えっっっ!?」
お菊 「へ…変な意味ではないですよっ!ほら、またいつ襲われるかもしれないし、女一人より男手があった方が何かと助かるし…。勿論、ご迷惑ならいいのですが…」
せいきち 「いやっ…迷惑だなんて…ただ、俺なんかと一緒でもいいのかなぁって…」
お菊 「深く考え過ぎですよ!それとも、変な下心でもあるんですかぁ!」
せいきち 「と、とんでもない!まぁ…ちょっと時間を下さい」
いきなりの同棲発言に、俺は動揺が隠せなかった。いくら江戸時代に来てしまったとは言え俺には彼女がいた…。
せいきち 「俺はもう元の時代に戻れないのか?麻衣は今頃どうしてるだろう…もしかしたら、俺の存在自体がなくなってしまっているのかもしれない…ならばこのままお菊殿の善意に甘えるしかないのか…あーっ、どうなるんだ俺はーっ!」
俺は河原で寝そべりながら自分のこれからについて考えてみたものの、まったく見通しが付かない事に葛藤していた。
せいきち 「そうだ!家康様に聞いてみよう…とは言っても、どうやったら会えるのか…」
この時代に呼び寄せた家康様なら何か分かるかと思ったのだが、神出鬼没でこちらかは手立てがない。結局、手詰まりとなってしまった。ただ、もし会えるとすればあの場所しかないと俺はダメ元で歩きだした。そこは俺がこの時代に現れた場所であり、ソハヤノツルギが眠っていた場所、石碑の前だった。俺は石碑に向かい手を合わせ、ひたすら家康様にコンタクトを取ろうとしたが現れる事はなかった。
その日の晩、俺は思いきって新之助に相談してみる事にした。
新之助 「結局、せいきち殿はどうしたいのだ?その、せいきち殿が未来からきたというのが本当だとしたら戻りたいのか?」
せいきち 「分からない…」
新之助 「なら、ここで暮らしていくしかないのではないか!?お菊殿も一緒にと言ってくれているのであろう?未来から来たという話しは、にわかには信じ難いが、せいきち殿がそう言うのなら本当なのであろう。しかし戻る手段がないのならここで暮らすしかあるまい。あまり深く悩むな!まぁ、今夜は呑もうではないか!」
結局、答えを見出だすに至らず、夜更けまで呑みそのまま眠ってしまった。
朝になると、慌てた様子のお菊殿が俺たちをお越しにきた。
お菊 「せいきちさん、新之助さん、外が大変な事になってます!起きて起きて!」
また奴等の急襲かと思い慌てて飛び起きた。格子戸から外の様子を伺うと、そこには正装した人集りがある。
せいきち 「あれは大名行列ってやつですか、新之助殿?」
新之助 「あぁ、そうみたいだな」
敵の急襲でない事にホッとした俺は座り込んでいたが、何故か新之助殿は格子戸から離れずに外の様子を見ている。
新之助 「せいきち!あれは大名行列ってもんじゃないぞ!あの真ん中にいる籠が見えるか?」
せいきち 「あぁ、あの派手な籠だろ」
新之助 「あの籠の家紋、あれは徳川家の"葵の家紋"だぞ!」
せいきち 「えっ!って事は、上様が来たのか!」
新之助 「上様か分からんが、何やら大事だぞ。それにこちらに向かっているようだ!」
せいきち 「まさか~。うちらに用なんて…」
『ドンドン!御免!』
お菊 「えっ!どうしよ!どうしよ!」
新之助 「落ち着きなされ、お菊殿。仕方ない、私が出よう」
新之助が戸を開けると、そこには袴に葵の家紋が入った年配の男性が立っていた。新之助とお菊は、すぐさまその場で平伏せた。
お菊 「せいきちさん!何してるの!早く頭を下げなさいよ!」
お菊殿に頭を押され、俺も意味が分からずに頭を下げた。微かな記憶ではあったが、幼い頃に見た時代劇で、お偉いさんの前では庶民は平伏していたのを思い出した。
大上 「手前、御側御用人をしている大上歳善と申す。こちらにお菊さんはおられるかな?」
お菊 「…わたしでございます」
大上 「おぉ、そなたがお菊さんですか。是非、手前どもと一緒に城へ来て頂けますかな。いきなり伺って驚いている事でしょうが、何も悪い事ではござらんので。籠を用意させたので、どうぞお乗り下さい」
お菊 「わたしのような者が何故お城に?」
大上 「残念ながら手前からはお話しする事ができないのです。全ては城に着いてから…、それと、そこにいる三田殿とせいきち殿も一緒に御足労願いたい。急ですまないが何卒」
いきなり将軍家家臣の者が訪ねて来た事に三人とも驚き言葉を失った。無論、断る事もできない俺たちはすぐに身支度を整え、言われるがまま城へと向かったのである。
新之助の話しによれば、庶民が城に入るなど前代未聞と言っていたが、果たして何が起こるのであろうか。俺たちは広い部屋に通され待つようにと言われた。しばらくすると上段(部屋の一部が高くなっている場所)に一人の男と、先ほど訪ねてきた大上歳善様が現れた。この男こそ、二代目将軍"徳川秀忠"であった!
秀忠 「説明しなくても儂が誰だか分かるな!?率直に言おう。この度の影働き、お主らの活躍、誠にご苦労であった。改めて礼を言う。玄武とか言う輩の始末、誠に見事であった!」
新之助 「手前、三田新之助と申します。この度の件、上様が何故ご存知なのでしょうか?」
秀忠 「うむ…、お主らが鏑木藤十郎屋敷ないにての抗争、しかと密偵より報告の伝えがあった。鏑木が徳川に背き、玄武なる反幕府に内応している事も承知である。そして、その反幕府一味に対し、せいきち及び三田新之助の両名が応戦している事も承知していた。そこで幕府としてはお主らの行動を密偵を通し探っておった訳だが、先日の玄武との戦いにて打ち負かした事、見事であった。そこで、この度の働きに褒美を取らせようと思い呼集願ったのだ」
新之助 「褒美だなんて、拙者もせいきちも、ただ…ここにいるお菊殿を守る為にしたまでの事でございます」
秀忠 「確かにきっかけはそうであろう。ただ、その結果が幕府を守る事にも繋がったのだ。そして何より、お菊の命を守ってくれた事に儂は感謝しておる。腹違いとは言え、儂に妹がおったとは驚きであったが、父、家康の手記を改めて見直していると、ある腰元との間に親密な関係があったのではないかと疑われる文面が記されている事が判明した。そして、とある帳面の間からは一枚の"書き付け"(メモ)が見付かった。そこには、
『野に咲くや 尊し我が子 菊の花』。
この句を見付けた時、お菊さんが間違いなく父の隠し子だと確信したのだ。父も身分違いとはいえ、相手が腰元ゆえに仕方なく手放す他に手がなかったのであろう。お菊さん、勝手な話しで申し訳ないが、どうか父を許してやってほしい」
お菊 「…わたしには…亡くなってしまいましたが、育ての父も、最後まで守ってくれた母もおりました。何不自由なく幸せに暮らしてきました。本当の父が家康様であったとしても、恨むような事はございません」
秀忠 「それを聞いて安心した。そこで、儂からの提案だが、三田新之助及びせいきちを江戸警護役大番頭として迎え入れたい!どうじゃ、やってくれまいか?」
新之助 「ほっ、本当ですかっ!? せいきち、これは大出世だぞ!」
せいきち 「・・・」
秀忠 「そしてお菊さん、いや、菊姫。菊姫にはこの城の妹君として是非とも江戸城に来てもらいたい。菊姫なら、町の人々に寄り添った良き政を提案してくれるはずじゃ。儂に力を貸してくれると信じておる。どうじゃ?」
お菊 「・・・」
秀忠 「今すぐにとは言わん。どうか三人の力をこれからの日本のため、庶民のため、江戸幕府に尽力してもらいたい。少し考えてはもらえぬだろうか」
俺たち三人は一旦それぞれの思いを内に秘め帰路に着いた。新之助は鏑木家の家臣であったが、あの一件から浪人となってしまい、思いもよらない出世話しに上機嫌になっていたが、俺とお菊殿はどうもやるせない感じでいた。帰宅すると新之助は宴とばかりに酒を用意し呑み始めた。が、やはりお菊殿は"心ここに有らず"のままだった。
新之助 「どうしたのだお菊殿!いえ、もう今度からは気軽に呼べないですな。俺もせいきちも今後は本丸直属の警護役!お菊殿は姫ですぞっ!嬉しい限りではござらんか!」
酒が回り饒舌になった新之助は浮かれる一方であった。俺にしたって、この時代の人間なら心置き無く喜べるだろう。しかし、やはり元の時代の事も忘れた訳ではない。本当に俺はこのままでいいのか、まだ迷っていた。そして、お菊殿も素直に喜べない様子は変わっていない。
せいきち 「お菊殿は何を悩まれているのですか?」
お菊 「…わたしが姫だんなんて、考えもしなかった。わたしがお城に入ってしまったら、もう簡単には皆とも会えないと思う…。わたしは今の生活でもとても幸せです。せいきち、わたし…どうしたらよいか…」
俺はお菊殿に何も答える事ができなかった。当然、姫として城に入れば何不自由なく暮らせるであろう。しかし、姫ともなれば城の中での生活が中心となる。もう、簡単には会えなくなるどころか、話し掛ける事すら制限されてしまう。たが、城に残れば、万が一の奇襲には安全なのかもしれない。俺も正直、お菊殿を本当に守り切れるのか、今になって考えさせられてしまった。
せいきち 「お菊殿。まだ時間はある。もう少し考えてから決めよう…」
上様からの提案を受けて二日目。相変わらず新之助は警護役にやる気を出していた。俺もそろそろ答えを出さなくてはならないが、今一つその気にはなれず心揺らいでいた。
お菊 「せいきちさんはどうするか決められたのですか?」
せいきち 「いえ…まだです」
菊 「こんなに良い話しを断る理由なんてないのではないですか?」
せいきち 「確かにそうですが…お菊殿は?」
お菊 「わたしは…まだ…」
結局、俺とお菊殿は答えを出せず三日目の朝を迎えてしまった。
布団から起き上がると、いつもなら朝支度をしているお菊殿の姿が見当たらず、辺りを見回してみると、台の上に手紙が置いてあった。
お菊 『せいきちさん、新之助さん。きちんと挨拶もせずに出てしまってごめんなさい。二人の顔を見たら、気持ちが揺らいでしまいそうで。わたしは城へと参ります。わたしと居ては、また二人がいつ襲われるか分かりせんから。もう、あのような命の危険に合わせる訳にはいかないのです。せいきちさんも、新之助さんも、これこらはわたしに関わらず、お役に励んで下さい。お菊』
お菊は俺たちの身を案じ、自ら登城する事に決めたのだった。最後の最後まで悩み続けた理由は俺たちにあったのだと痛感した。
せいきち 「新之助殿、お菊殿は今朝早くに城へと参った。俺たちに黙って行ってしまったよ…」
新之助 「俺たち…!? まだ気付かないのか、せいきち!俺たちじゃなく、お前にだよ!お菊はお前に惚れてたんだよ!だから姫になる事を最後まで躊躇っていたんじゃないか!お前は本当に鈍い奴だなぁ。姫になったら気安く俺らのような家臣や庶民とは会話も出来ない。ヘタすりゃ、二度と会う事もないご身分だぞ。それを分かっての決断なんだ。相当、辛かっただろうに…」
せいきち 「そうか…俺はまたお菊殿を泣かせてしまったのか…」
新之助 「迎えに行ってやらないのか?」
せいきち 「いや、これでいいんだ…」
数日後、新之助は警護役となり、お菊は姫君として立派に責務を果たしているという。俺は当てのないまま、また田舎の方にでも行ってひっそり暮らそうと思っていた。ただその前に、もう一度あの場所に行って、俺と共に戦ってくれたソハヤノツルギを返さなければならない。もうこの刀が必要にならないよう願ってくるのだ。俺は丁重に木箱に納め、また元の場所へと埋蔵した。そして、祠に手を合わせお菊殿の無事を報告すると、あの優しい暖かな風が俺を包み込んだのである。
家康 『せいきちよ。この度の働き、誠に感謝しておる。ありがとう。これで儂の良き冥土の土産となった』
せいきち 「いえ、俺の力では何も出来ませんでした。家康様お力添えがあったからこそです」
家康 『儂はせいきちだからこそ、力を授けたのだ。儂の"神道一刀流"もなかなかのもんじゃったろう?』
せいきち 「やはりそうでしたか!」
家康 『せいきちが心から皆を救いたいという気持ちが儂の心をそう動かしたのだ。悪人に神道一刀流を渡す訳にはいかんからなぁ』
せいきち 「ありがとうございます」
家康 『さて、せいきち。そろそろお主を元の生きる時代に返さなくてはならんが…よろしいかな?このままここで暮らす事も出来るが、いかがする?』
せいきち 「・・・、俺は元の時代に帰ります!」
家康 『二人に挨拶もしないで良いのか?』
せいきち 「はい…。新之助も今は立派にお役に励んでおりますし、お菊殿も姫君として、もう俺のような者と会ってはなりません。だから…俺はこのまま行きます!」
家康 『そうか…分かった!だか、最後に儂からの礼を受け取ってもらえぬか?』
せいきち 「礼…ですか?」
家康 『では、儂からは以上だ!』
そう言うと、俺の体は光輝き始めた。
その時!
新之助 「せいきち殿ーっ!」
お菊 「せいきちさーん!」
せいきち 「あれは新之助にお菊殿っ!なんでここに!?」
新之助 「何故か分からんが、頭の中でここに来るようにと告げられたのだ!」
お菊 「わたしも、必ずこの場所に来るようにと!」
せいきち 「そうだったのか…家康様も粋な計らいをしてくれるもんだな」
新之助 「まさか、本当に未来へと帰るのか?」
せいきち 「あぁ、新之助殿。あの時、新之助殿に助けてもらわなければ、今の俺はなかった。助けてくれてありがとう」
お菊 「せいきちさん!またいつか、お会いできますよね?」
せいきち 「はい、お菊殿の為ならまた必ず戻ってきます!」
新之助 「…せいきち殿!最後に一つだけ教えてくれまいか!」
せいきち 「うん」
新之助 『日本の未来は、明るいか!?』
せいきち 「…はい!この時代に生きる皆の力で、日本の未来はとても平和で明るいです!ありがとうございます!!」
新之助 「それを聞いて拙者も安心したよ!達者でなーっ!せいきちーっ!」
お菊 「せいきちさん・・・ありがとう!」
そして、俺は光に包まれながらゆっくりと二人の前から消えていった…。
目が覚めると、俺は気を失っていた石碑の前に倒れていた。まるで長い夢を見ていたような感覚であった。俺はどれほどこの場所に倒れていたのか、すぐに時計で確認したが、日付も時間も、倒れた時からまったく変わっていなかったのだ。
聖也 「やっぱり、夢だったのか…?」
夢にしてはリアルで不思議な体験だった事に、腑に落ちないというかモヤモヤした気持ちでいた。しかし、着物も着てないし、傷もない。やはり夢の中での出来事だったのだと、自分に言い聞かせた。
せっかく休暇で旅行に来たのに、この長い夢のせいでぐったりと疲れてしまった俺は、旅行を取り止めて帰宅する事にした。
帰宅すると俺はすぐに麻衣の携帯を鳴らした。
聖也 「もしもし、麻衣?今、帰ってきたよ」
麻衣 「えっ?もう帰ってきたの?泊まりじゃなかったの?」
聖也 「う、うん…泊まりのはずだったんだけど、途中でやたら疲れちゃってさ!でも、思い出の場所には行けたから満足してる!」
麻衣 「ふ~ん、そうなんだ。じゃあ、私の仕事が終わったらご飯でも行かない?もう少しで終わるから、また連絡するね!」
聖也 「あぁ、分かった。待ってる…」
麻衣との待ち合わせまで少し時間もあるので、俺はシャワーを浴びてから出掛ける事にした。いつものようにシャワーを浴びているだけなのに、久し振りに汗を流したような爽快感に幸せを感じていた。
聖也 「昔の人は、毎日風呂にすら入れなかったのになぁ…」
俺は何故か、夢の続きでも見ているかのように、あの江戸の暮らし振りを思い出してしまった。
聖也 「あ~さっぱりした!」
タオルで体を拭き、鏡に映る自分の姿は何ら変わりもない平凡なサラリーマンの男であった。
聖也 「俺も夢の中の"せいきち"のように、もっと強くならなきゃだな!」
そう自分に言い聞かせていると玄関のチャイムが鳴った。
麻衣 「ごめん、仕事が早く終わったから直接来ちゃった!」
聖也 「大丈夫だよ!ごめん、シャワー浴びてたから、すぐ着替えるね。ちょっと上がって待ってて!」
そう言うと、俺は麻衣を部屋に上げた。しかし、上半身裸の俺の後ろ姿を見た麻衣は少し驚いた様子で俺にこう問い掛けた。
麻衣 「ね…ねぇ聖也…。背中にそんな傷痕なんてあった?」
聖也 「えっ!?背中に傷痕?」
俺は慌てて洗面台に駆け込んだ。恐る恐る自分の背中を見てみると、そこには確かに刀で斬られたような一筋の傷痕が残っていたのだ。それはまさに、鏑木家で盗賊だと思っていた玄武一味の一人に斬られた時の傷痕であった。
聖也 「…なんで…、あれは夢じゃなかったのか…でも…」
俺は背中の傷痕が少し誇らしく感じ始めていた。夢でなかったとしたら、俺は江戸の暮らしを少しは守ってきたのだと思えたからだ。すると、目の前の鏡が少しずつ輝きだし声が聞こえてきたのだ。
家康 『すまんのぉ、せいきち。お主を元の時代に返す時、背中の傷痕を消しておくのを忘れておったわ』
聖也 「家康様!安心して下さい。俺この傷痕、けっこう気に入ってますから!」
家康 『だったら良いのじゃが。おーほっほっ!』
家康様は笑いながらまた鏡の奥へと消えていったが、俺はお菊殿や新之助殿との出会いが嘘ではなかった事が、何より嬉しく心の底から喜んだ!
麻衣 「ねぇ、聖也!誰と喋ってるの~?」
聖也 「いや、独り言!」
俺の旅行は江戸の暮らしを守るための"冒険"になったのだ!
聖也 「さあ、何食べに行こうか?たくさん食べるぞ~!」
麻衣 「またぁ、そんな見栄張って!残したら承知しないからね~!」
聖也 「そんなお菊殿みたい事言うなよ~」
麻衣 「えっ!?お菊?何それ?」
聖也 「いや、何でもないよっ!」
第一章 終わり




