お前の肉を頂く
目を開けると、私は暗い部屋、タイル張りの床に横たわっていました……。
体の自由が利かず、動かせるのは眼だけ。そして、その部屋には手術台のようなものがあり、その向こう側に男が一人、こちらに背を向けて立っていました。
男は私の視線に気づいたのか振り返り、そして足音を響かせ私に近づき、見下ろしながらこう言ったのです……。
『お前の肉を――キロ頂く、と』
男は私を抱え上げ、台の上に乗せました。そして……そして、わ、私の指をノコギリで切り始めたのです! まるでトマトのように血が、血が、噴き出して……。それから、さらに、さらに……。
「大丈夫。落ち着いて、そう、深呼吸を」
「はい……すみません」
「もう少し、ベッドを倒しましょうか。疲れたでしょう」
医者の男はそう言うと、女の目の下の大きな隈から痩せこけた頬、そしてベッドの上に力なく置かれている骨張った手首に視線を向けた。
女をこの病院で引き取ってから一週間が経過したが、一向に回復する気配がない。
食事はちゃんと摂っている。体重も増えるのだが、一時的。どういうわけか一晩経つと前よりも減っているのだ。
ここは個室でトイレもある。もしかしたら中で吐いているのではと食後、看護師に度々様子を見に行かせているが、そういったことをしている様子もない。
そう、初めは摂食障害の類かと思ったが医者は今では女が話す夢のことが気がかりに、原因とまで思っていた。
「……あの男は毎回、違う量の体重を持っていくんです。量が多いときは指じゃなく、腕、腕を……。
夢……ですから痛みは感じないんですけど、音、音が……それに、匂いもすごくリアルで……いつか、痛みを感じるようになるんじゃないかと思うと怖くて、それに全部、全部貰っていくって言われたら私、私いったい……」
涙ぐみ、鼻を啜る女に医者はただ大丈夫としか言えず、やきもきしていた。検査をしても体に異常は見られず、このままでは体重が零になることはないまでも、命を落とす危険は大いにある。
ゆえに医者は女にこう提案した。
「催眠……療法……ですか?」
「そうです。まあ、私も専門ではないのですが調べ、その専門家に話を聞き、やり方は習得しました。
女性は過度なダイエットをしがちです。恐らく、痩せなければならないという強迫観念が、あなたを追い詰め神経を擦り減らし、体重までも……と。
ストレスで痩せるのは良いことではない。このままでは危険です。私も付き合います。一緒に治しましょう。夢と向き合うのです」
「……はい」
医者の熱意に押され、診療室のベッドに横たわった女。
「さあ、リラックスしてください。そうです、体の力を抜いて。エレベーターで下の階に降りるようにスーッと意識を下へ下へ。そうです、そう。私の声だけはあなたと繋がっていますよ。そうです。そう、そう……」
聞きかじりの見様見真似。催眠療法なら、その道に詳しい医者に頼めばよいのだが、珍しい症例なので医者は誰にも譲ろうとは思わなかった。不安がないというと嘘になるが、上手く行ったようで女は次第に息を荒げ、恐怖で顔をひきつらせた。
「ああ、先生……あの場所、あの男がいます……」
「落ち着いて、そう落ち着いて。私が話す言葉をその男に伝えるのです。
大丈夫。口は利けるはずです。だってそこはあなたの夢の中。あなたが支配者なのです。
だから恐れる必要も自分を縛る必要もない。さあ、立ち上がって。指で男の胸を突いて言ってやるのです! 『お前に私の肉はやらない』」
「お前に……私の肉は……やらない……」
「そうです! 『一キロたりともやらない』」
「一キロ、たりとも……やらない」
「そうそう! 『消えろ! もう二度と現れるな!』」
「消えろ、もう二度と現れるな」
「いいですよ! ええとあとは『むしろ返せ! これまでやった私の肉を返せ!』」
「返せ。これまでやった私の肉を返せ!」
「そうですそうです! あなたは太ってもいいんです!」
「私は太ってもいい! 返せ! 返せよ! 私の肉を返せ! 全部返せ!」
「ええそうです、そう……え、あの、えあ、あ、あ、あ、嘘、あ、ちょ、ちょっと、太って、こんあ、あが、あがえない、くるし、くるしい、あの、あなた、いつからこの夢を見てると、も、もしかして、かなり前から、あと、あなたひょっとして、ものすごい、で、で、ぶふぅ!」