キスとキスとキス
重たい空気のまま、カイと二人きりで残されてしまった。
自分の部屋なので逃げたくとも他に行く場所はない。
「……ごめん。怖がらせに来たわけじゃないんだ。さっき戻って来たばかりで、ロザリアを心配してきた……その怪我、治してもいいかな?」
言われてカイを見れば、浄化魔法で清潔にはしているが治療の時に着ていた服で、長い金髪も後ろで束ねられてはいるが乱れたままである。
私が頷いたのを確認すると、そっと額に触れて治療魔法がかけられた。
「はあ、ロザリア……ロザリアっ」
無事に傷が治ると、何度も私の名前を呼びながら、カイは私を強い力で抱きしめた。
耳元で「本当にごめん」と少し掠れた声で呟かれる。
「何があったのか聞いた。僕のせいで怖い目に合わせたよね……」
「カイ様のせいじゃないってば」
「今日だけじゃない。この間のリーナ殿下の時もだ。ライカンは3回目だって言ってた。きっと他にも君を危険な目に合わせてるんだよね」
多分、あと1回はジーンさんが狐の魔物を仕掛けてきた時のことだろう。
だけど、どれもカイが直接悪いわけじゃない。
カイの周りの人間が、きらきらしたカイに惹かれて焦がれてどうしようもなくなって手を出してくるんだ。
私がそう説明しても、カイは首を横に振った。
「好きな子1人守れないなんて格好悪い。いつも後手に回るばかりで、気づいたら君は傷ついている。魔法で外傷は治せても、心に背負ったものは治せないのに……いつも君を守るのは別の男だ。本当に情けないよ」
「こうやって訪ねてきてくれるから私は嬉しいよ」
「言い訳っぽくなるけど、どうしても女神のお気に入りとしてふさわしく動こうとする自分がいるんだ。君の事をもっと甘やかして常に傍に置いておきたいのに、そうしたらいけないって思ってしまう。仕事なんて放りだしてロザリアのところへ行きたいのに、君を傷つけた奴らを癒したくなんてないのに」
「それはカイ様のいいところだよ。私はそんなカイ様が好きなんだから」
落ち込むカイの姿が、記憶を失う前と同じで私もそっと抱きしめ返した。
「カイ様には悪いけど、弱音をそうやってはいてくれるのが嬉しい。全然格好悪いとか情けないとか思わないよ。だいたいカイ様はいつも頑張りすぎ、そうやってなんでもかんでも1人で出来るなんて思わないで。私がカイ様に守って欲しいなんていつ言った? むしろ私が守ってあげたいと思っていたのに、何の力もなくなっちゃってさ……」
「そんな事思っていたの?」
「そうだよ。だから女神様にお願いしたの。すぐ隣で、貴方の事を支えたい、その為の力が欲しいって。最初は女の子だって思っていたから、親友として傍にいたかったんだけどカイ様の気持ちを告げられて、男の子だってわかってからは私も……同じ気持ちで、好きになって。恋心を代償に得ていた力だったから、今は何もできなくなっちゃったけど、それでも傍に居るのを諦めたくなかったから頑張って文官になったの」
頭のどこかで、「俺もだけどお前も大概だよな」とライカンが言った気がして私はふふっと笑った。
諦めの悪いロザリア……その通りだ。
「全然覚えてなくてごめん……」
「それもカイ様のせいじゃないでしょ。私が勝手にやったのよ」
「ロザリア、好き。そんなの知ってしまったらもっと好きになるよ……。でもね、僕はどうしても君を守りたいからその権利が欲しい」
「権利?」
「僕と結婚してほしい」
抱き締めていた腕が緩んで、真正面から顔を合わせて言われた言葉に私はぱちぱちと目を瞬かせた。
「記憶のない僕じゃだめ? やっぱりロザリアは昔の僕じゃなきゃ嫌?」
「そ、そんなわけない。ただ吃驚して」
「嫌な訳じゃないなら、僕に君を守る口実を頂戴。この手にピアスよりももっと、強い願いを込めた指輪を贈らせて欲しい」
私の左手をとると、その薬指にカイはキスを落としながらこちらを伺う。
色を含んだ紫色の瞳で見られた私は、遅れてきた嬉しさと恥ずかしさがこみあげてきて顔を真っ赤に染めた。
心臓がどくどくいって壊れそうなくらいなのに、ちっとも痛くない。
「う、うん。したい、カイ様と結婚」
「よかった。実はね、アレスやライカンにも嫉妬してたけど、本当は誰よりも記憶を失くす前の自分に嫉妬してたんだ。僕の知らないロザリアをいっぱい知っていて、愛されていた僕自身に。だから本当は、少しずつ思い出を塗り替えてから申し込もうと思っていたんだけど、そんな悠長なことしてたら駄目だってわかったよ。君はすぐに危険な目にあうし、他の男にとられそうになる……さっきだってキスされそうになってた」
「うっ」
実はもうされたとは言えず私が呻くと、カイは瞬きを何度かした後鋭い目つきに変わった。
「……もしかして、既にされたの?」
さっと目を逸らしてしまってから、まずいと思ってカイの方にすぐに視線を戻したが既にあとのまつりだった。
その動きだけで悟ったらしいカイが「へーえ」と低い声で呟いた。
「ほんっとに油断も隙もない。言ったよね、ロザリア……他の男にされたら同じことを僕もするって」
「言ったけど、でもそんな理由でキスされるなんてなんか嫌だ!」
私は自分の口を両手で覆った。
もっと純粋に素敵なキスがしたいよ!
その様子をじっと見て、カイは吊り上げた目をふっと緩めた。
「ねえ、記憶を失くす前の僕とはキスをしたことはあるの?」
「……あるよ」
「どんなの? 1回だけ?」
私は思い出して顔を赤らめながら答えた。
「初めてしたのは、医療行為だったよ。魔力がうまく扱えない私がパニックになって過呼吸になってしまったのを、カイが口で塞いでとめてくれたの。それから……2回目は、舞台の上で演技してる最中に、演技じゃなくて本当にしちゃって」
「ああ、想像ついた。我慢できなかったんじゃないかな、その僕は」
恥ずかしくて火が出そうだ。
けれど、カイは他には?と続きを促してくる。
「実は男で、私の事好きだって初めてカイに言われた時。いっぱいちゅっちゅってされて、気が遠くなる私の意識を魔法で無理矢理戻してたくさん……あぅ、もう言えないよ。勘弁して」
とうとう私は臥せってしまった。
思い出してしまって胸が、痛くないけど苦しいくらいにきゅんきゅんする。
自分で聞いたくせに、私の頭上から「ずるい」とカイの声が降ってきた。
「やっぱりロザリアにキスしたい」
ぽつりと懇願されるように言われて、私はのろのろと顔をあげた。
まだ顔の火照りも治らず、たぶん困った顔をしてるだろう。
「ねえ、キスしたい」
カイが同じ言葉を繰り返した。
お願いされている筈なのにまるで命令のように聞こえる。
既にロックオンされて視線は私の唇に注がれ、1ミリも動かない。
私は観念して目を瞑った。
その合図を受け取って、カイが私の頬にそっと手を添えてくる。
暖かくて柔らかいものがちょん、と唇に触れたと思った瞬間、カイがぴくりと震えて、「リア」と呟いた。
今、なんて?と聞き返そうとした私の言葉が、もう1度重なってきたカイの唇に吸い込まれていった。
「リア、舌だして」
間違いない、やっぱりリアって言った。
それは小さい時に読んでた愛称だ。
聖女になってからは1度も呼ばれなかったそれを、たまたま呼んだのかそれとも思い出したのかわからず尋ねたかったが、私の口はカイにせっつかれるようにしてこじ開けられ、舌が中まで侵入してきたので何も言えないまま深いキスを交わし続ける。
息が思うように吸えなくなって、んん、とくぐもった声を出すが離してはもらず、私は力が完全に抜けていつの間にか押し倒されており、そのまま味わわれ続ける。
目を開けば、カイの紫色の瞳とばっちり視線が交差して、とろけるように微笑まれた。
ようやく解放してもらえた時には、私は息があがってひたすらに酸素を求めていた。
「リア、ねえ、お互いの唾液でぐちょぐちょ。リップクリームはいらなさそうだね」
「っは、カイ……さま?」
「様付けも悪くないけど、やっぱりリアには呼び捨てされるのが一番かな。こんなに愛しいのに、どうして君の事を忘れていたんだろう?」
宝石みたいな紫色の瞳を少しだけ細めて、私の大好きな優しい顔でカイが微笑んだ。
「……思いだしたの?」
「うん。ロザリアにキスした途端、胸に刺さっていた矢みたいなものがすうって消えていったように見えたと思ったら、急にね」
私を押し倒したまま、カイは愛しそうな目で見下ろしてくる。
「嬉しかった。ロザリアが記憶を失った僕を追いかけてきて、好きだって言ってくれて。結婚してくれるって言ったよね……夢みたいだ」
今までひっかかっていたものがなくなったせいか、ふわりと優しく微笑むカイを見て、あぁ、本当に記憶が戻ったんだなと思った。
もう1度キスをしようとカイが顔を近づけて来たので、私も答えようとしたその時、魔法の手紙が届いた。
”カイ、戻ったのなら王太子の執務室にロザリアを連れて来るように。お前を『鑑定』に使うよう弟から頼まれている。カイにとっても悪い話ではないから俺の手の空いているうちにやるぞ。なに、疲れていようがすぐ終わる。終わったらエスメラルダのところへ行くんだから早くな!”
手紙の内容を読んだカイに私も見せてもらって、「あっ」と声がもれた。
「そういえば、『女神の試練』のためにカイを『鑑定』してもらう約束をしてたんだった。でも、今もう記憶は戻っちゃったし……」
「ロザリアがメビウス殿下に頼んだの? まぁ、『鑑定』してもらおうか。その方が誰の目から見てもわかりやすいしね」
カイはそういうと私を助け起こした。
甘い雰囲気が消えて少しだけ残念に思っていると、「そんな目で見ないで、行きたくなくなるでしょ」と白い頬を朱に染めてカイが言った。
慌てて外で待ってもらうようカイを部屋から追い出し、王太子殿下に会うために軽く身支度をすませる。
扉に鍵をかけて2人で並んで執務室に向かった。
扉を開いて入ると、執務室で私たちを待ち構えていた王太子殿下とメビウス殿下は、説明しようとしたカイをすぐに椅子に座らせると、その口を開く前にさっさと『鑑定』を展開してしまった。
「んん?」
きらきらした魔法がカイを包んで、王太子殿下はカイを『鑑定』するとわたしの方をちらりとみた。
「まさか、たった今試練が終わっていたとはな」
「なんだって!? まさかロザリア、カイの子供をもう身ごもったのか!?」
「違いますううう!!!」
メビウス殿下の頓珍漢な言葉に私はおもいきり突っ込んだ。
「そんなわけないでしょう!? その……キスしたらカイが思い出したんです……!」
恥ずかしかったが、妙な勘違いをされたままは困るので私は照れながらもはっきりと伝えた。
「ああ! なるほどな。確かに多くの神話において呪いと呼ばれる類はだいたいキスで解けるものだからな。まぁ、呪いじゃなくて女神の試練だがそれなら納得だ。是非論文にして発表しよう」
「やめてください~~!!」
私が引き留めるのもむなしく、メビウス殿下はそのまま魔法を使って塔へ戻っていってしまった。
残された王太子殿下がこほんと咳ばらい1つをして口を開く。
「その、『鑑定』したら隅の方に女神からのメッセージが届いていた。『良いもの見たわ。祝福を結婚式に贈ってあげる』と」
「そんなフレンドリーなかただったっけ……」
「一般には知られていないが、神託では結構そうだぞ。なんだ、結婚式はもう予定してあるのか?」
「いえ、まだですけど僕はしたいと思っていますよ」
「するならエスメラルダが出産してからにしてくれ。絶対出席したいというだろうからな。それから無事結ばれたのならロザリアを医務部からエスメラルダ付きに引き抜きたいからそのつもりで」
「えっ……」
言いたい事だけいうと、王太子殿下はさっさと出て行ってしまった。




