メビウス殿下にご相談
翌日からカイがよく私に話しかけるようになった。
ちょっとしたことでも用事があると人に頼まず自分で言いに来るし、休憩時間になるとすぐに構いに来る。
今まで女性に見向きもしなかったのにすごい変化だとシェノン先輩が言っていた。
「もしかして記憶を取り戻したのかな?」
「いえ、そうではないみたいなんですけど……」
「じゃあ単純に好かれたんだね。おめでとう」
「ありがとうございます……?」
言われてみれば確かに嬉しいことではある。
だけど、今までが割と強めの塩対応だったので、急に甘く接してこられると戸惑いの方が大きい。
なんて贅沢な悩みなんだ。
幼馴染相手にようやく両思いになったというのに、こんなに緊張してしまうわけはやっぱり、カイが私の事を忘れたままだからなんだろう。
私の言動に対してこう反応するかな?っていうのに対してまったく違うことをされるのだ。
例えば、資料を渡すと微笑んでありがとうっていうのが、私の知っているカイ。
でも実際には、資料を持つ手を引かれて壁に閉じ込め「今日はいい子にしてた?」と耳元で囁くのだ。
私がかくかくと頷くと、優しく頭を撫でてから解放してくれるのだが、いつもこんなふうにぐいぐい来るのでとても心臓に悪い。
私の知っているカイじゃない!!
「え?男なんてみんなそんなもんじゃない?好きな子にはすぐ触りたがるしいじめたくなる。可愛がって自分しか見せないようにしたい……若いねえ」
「シェノン先輩だって若いでしょ」
「ロザリアさんだって好きなんだから何も問題ないじゃん。受け入れちゃえばはやいよ」
「それはそうなんですけど……」
でも、ちょっと対応に困る。
せめて仕事中は控えて欲しいとお願いするべきかもしれない。
しかし、カイに言うとまた不機嫌になりそうでなかなか言い出せないでした。
そのうちに激甘対応なカイに私も周りも少し慣れてきたころ、医務部にメビウス殿下がやってきた。
「ロゼリア=ルルーシェを借りたい!」
水色の長い髪に、アレス殿下とそっくりの顔に眼鏡をかけて現れたメビウス殿下は、出没すること自体が相当珍しいらしく、医務室は一瞬騒然となった。
私が呼ばれて出てくると、破願して私の手をとりぶんぶんと縦に振りながら「この間の続きを聞かせてくれ!」と言う。
その為にわざわざここまで来たのか……。
ちょうどその時は陛下に呼ばれていてカイがいなかったので、代わりにシェノン先輩に許可をもらって魔術研究棟で話をすることにした。
メビウス殿下に直接お付きの人やメイドはいないらしく、自ら魔法を使って紅茶を淹れてくれ、この間の続きを促される。
「2つも能力を得たのにどうして失ったの?」
「能力を得たのは『恋心』を代償にしたからなんです。好きな人ができたから女神様としていた契約が解消されたんです」
「解消? 契約を破ったのではなく?」
「詳しく言うと、私は聖女カイの為に能力をもらい、カイの為にその心を捧げるといったので……」
「ああ! つまり君は聖女カイに恋をしたからセーフなんだね!」
メビウス殿下のあけすけな物言いに少し照れながらも、私は「はい、そうです」と肯定した。
「それで、解消された時の様子は?」
「『一矢』を心臓に受けました。でも、一矢は全然痛くなくて、むしろそれまで感じていた胸の痛みがとれたような感じで……その、それまで朧気だった『恋心』を一気に自覚させられました」
「なるほどね、一矢は攻撃や天罰以外としても使われるというのは本当だったんだな!」
目をきらきらしてメモを書き込んでいくメビウス殿下は、随分女神様に関して詳しいようだ。
アレス殿下に毎月女神様に関する書籍を取り寄せてもらっているようだし、相当なファンなのだろう。
ふと、もしかしたら知っているかもしれないと思って私はメビウス殿下に尋ねてみることにした。
「あの、『女神の試練』ってご存じですか?」
「知っているよ。わずかだけど、今までに数件受けたことがあるという軌跡が残っている。いずれも歴代の聖女様や勇者などの『お気に入り』の人物に授けてくれるものらしいね……僕も受けてみたいよ。で、それを知っているという事はもしかして……」
「今、カイは『女神の試練』を受けている最中なんです。どうやったらこの試験は終わるのか……見当がつかなくて」
「なんでそういうことは真っ先に言わないんだ!!」
長い髪を振り乱しながらメビウス殿下が身を乗り出してきた。
だって私、殿下の事知らなかったし。
「どうせ聖女カイの傍にいたアレスだって知っているんだろう? くそ、わたしに言えばカイに纏わりつくと思って言わなかったんだろうな……その通りだよ!今からでも詳しく聞きに行こうかな……」
「あの、カイに聞き入っても無駄だと思います。カイ自身には、その自覚がないのです」
「なんだって?」
鞄にメモ帳や資料らしき本を突っ込みながらばたばたと出かける用意をはじめていたメビウス殿下を引き留めるようにそういえば、殿下はすとんとソファーに座りなおして紅茶を1口飲んだ。
さっきまで荒かった鼻息を落ち着けて、冷静な顔に戻っている。
「詳しく聞こうか」
あ、嫌駄目だ。
眼鏡が反射してきらりと光っている……好奇心が抑えられていない。
「女神のお気に入りには、結婚が許されない。好きだと告げても結ばれることはない筈ですよね。歴代の聖女たちはそうやって力を維持してきたと聞いています。けれど、カイも私にその……恋をしてくれてたみたいで」
「ははぁん、わかったぞ。聖女カイは魔王を倒して聖女の称号を返還したって聞いて、なんて馬鹿な事をするんだと思っていたが、君と結婚したいがためだったのか」
「けっこ……いえ、その、そこまでかはわかりませんが。とりあえず、それでカイは『女神の試練』を受けることになったんです。具体的には、それまで好きだった人の記憶を失くして、再び恋をすれば、女神様もその仲を認めてくれるって」
それまでメモをとっていたメビウス殿下は、ピタリと筆を止めてしばらく考えると、魔法でいくつかの本を取り出してぱらぱらと流し読みをし始めた。
何かを調べている様で、邪魔してはいけないと思いじっと待つ。
「その情報はどこで?」
「王太子殿下に私を『鑑定』して頂いたんです」
「カイ自身は『鑑定』していないんだな? それで、その試練はまだ終わっていないということは、カイは君を忘れたまま?」
「はい。たぶん、また私の事を好きにはなってくれたんですけど、記憶が戻らないままなんです」
読み終えられた書物が次々に積み重ねられていって、テーブルいっぱいになってしまいそうになった時、ようやく殿下は満足したのかぱたんと本を閉じた。
同時にそれまでに読み終わった本たちがさっと本棚に自分で戻っていく。
「今までに似たような『女神の試練』を受けた事例は、ある。だけど、その試練の乗り越え方法については特に記されていないな。両想いになって結ばれ女神にも祝福されたとしか」
「そうですか……」
「カイ自身を『鑑定』してみるのはどうだ? 兄上の能力なら詳細までわかってもおかしくない。君から頼みづらいならわたしから一筆書いてあげよう」
ことりと机の引き出しが魔法で開かれ、便箋と封筒1式に封蝋までセットで飛んでくる。
机に行儀よく並んだそれにさらさらと書きしたためて、封をするとその手紙は自動で受け取り主まで飛んで行ってくれる例の高級品だったらしく、扉を開けて自ら出て行った。
「返事があるまでわたしの方でも予想をいくつか立てて見せよう。既に両想いになっているのに女神から許されていない理由は、おそらく女神に対してその証拠となるものを見せる必要があるのではないかなと思われる」
「証拠ですか?」
「例えば子を成すとかだな」
「こっ……」
私は思わず言葉につまった。
カイと私の子供!?
まだ結婚の約束すらしていないというのに、そんなのできるわけないじゃない!
「例えばの話だ。そう顔をトマトのようにするな」
「せめて結婚の誓いをするとかじゃないんですか……?」
「そういうのも証拠になるかもしれないな」
メビウス殿下が「しかし結婚よりも子を成す方が速くないか?」などと言っているが私はそれを思い切り否定した。
この王子様、すこし倫理観がずれている。
「しかし『女神の試練』を受けられるなんてうらやましい。わたしも聖女カイに結婚を申し込めばよかったな」
「カイは男ですよ……」
「それがどうした?」
殿下の表情は全く変わらず、本気か嘘か冗談なのかまったくわからない。
今の流れからだと半分以上本気でやりそうだ。
そうしているうちに、王太子殿下からの返事が届いた。
メビウス殿下が手紙の内容を魔法で音声再生させる。
この人本当に何でも魔法でやるな……。
「メビウス、久しぶりに連絡をしたと思ったら妙な願い事を。アレスやロザリアから聞いたのか?叶えてやりたいが、先ほどカイはこの王宮を離れたばかりだ。王都近くの村で感染病が発生したと報せがはいって陛下がすぐに出立するよう命じられたのでな。カイが戻れば『鑑定』することにしよう。立ち合いたいのならその時報せをやるから来るといい」
手紙は内容を発し終えるとひらりと机に舞い落ちた。
「なんだ、今いないのか。残念だったねロザリア」
「いやいや、そんなことより感染病の発生ですよ!? すみませんが私、仕事に戻ります!」
「もう? まだ話聞きたかったのにな。まぁいいや、今日聞いたことをもう少しまとめてみようっと」
呑気なメビウス殿下を置いて、私は魔法研究棟を後にした。
医務部に戻ると、案の定皆あわただしくしている。
シェノン先輩から、カイがとりあえず先に感染地域に向かったと教えてもらった。
その後、必要だと思われる道具や人材を2陣として送るために今まとめている最中なのだとか。
「わたしも! わたしも行かせてください!」
「ロザリア、君は魔法も使えないのに……」
「雑用は得意です! 現地での薬の管理や道具の配分なんかは、現場の肩には把握しづらい筈。ぜひお手伝いさせてください!」
「……まぁ、実際の志願者は少ないから助かるけど」
押しに押して、私は2陣の馬車に乗せてもらえることになった。
カイが頑張っているなら、いつだって、どこへだって行くし、私はその隣でお手伝いをしてあげたい。




