アレス殿下の忠告
翌日、アレス殿下が医務部を訪ねてきた。もともとカイとは親友と言えるほどの2人なので、周りの人間がすぐにカイに取り次ごうとするとアレス殿下はすぐにそれを制して「ロザリアに会いに来た」と言ったらしい。
呼ばれていると伝えに来た人にお礼をいって顔を出すと、昨日の今日なのに嬉しそうに破願して私の手をとった。周囲が何事かと見守る中、「ロザリアを引き抜きに来た」と言われて思わずジト目でアレス殿下を見返した。
「アレス殿下の部下になったらカイ様の傍にいられないじゃないですか」
「だけどここで働くよりも待遇はいいぞ。ロザリアなら信頼できるし、成績はすごく優秀だと聞いている」
「光栄ですが謹んで辞退させて頂きます」
「カイばかりロザリアを独占してずるいだろう。ならば1週間だけでもどうだ? その間にどろどろに甘やかして帰りたいと思わないほどにしてやる」
アレス殿下が私の隣で機嫌をとろうとあの手この手で誘いにくるのに対し、まわりが「あのアレス殿下がこうまで言っているのに……」と同情的になってくる。1週間だけならいいかな、と返事してしまおうかと迷っているとカイが現れてアレス殿下と私の間に割って入った。
「アレス何してるの……」
「カイ、ロザリアがいてもいなくても一緒なら俺に欲しいと思って口説きに来たんだ」
「……彼女は困ってるみたいだけど?」
その通り。私は首を上下に振った。
「だがこのまま彼女をここで働かせるのは不安だ。最近嫌がらせを受けているらしいからな」
「どうしてそれを……」
思わず口走って私ははっと自分の口を押えた。嫌がらせのせいとはいえ、一瞬でも書類を紛失しかけた事を言えば怒られると思ったから言わなかったのに!
「嫌がらせ? いつの間にそんな……うん? よく見たら手を怪我してるじゃないか」
カイは目ざとく私が棘だらけの生垣をかき分けたときに出来たたくさんの切り傷を見つけて眉をひそめた。触れることもなく一瞬で治され、慌ててお礼を言う。
「その傷は彼女が書類を中庭に飛ばされて探したときに出来た傷だ。それから、後は未然らしいが魔法騎士のライカンからは彼女が寮に帰ろうとした時に怪しい人物が声を掛けようとしていたと報告を受けているし、法務部のトゥーリオも上から彼女に植木鉢を落とそうとしている女がいたと言っていた。どちらも気づかなければ大事になっていただろう」
そんな事があっていたとは知らず私は驚いてぶるりと震えた。知らない間に私は2人に守られていたらしい。
「なんでロザリアがそんな嫌がらせを受けているの?」
「ほら、カイはそんな事も知らないだろう。常々思っていたことだが、カイはもう少し自分の影響力を理解した方がいい。美しく力も地位もそれなりにある男に寄っていくのは綺麗な花だけではない。部下を守れもしないのに俺の大事なロザリアを預けたくない」
「アレス殿下、誤解を招く言い方をしないでください!」
「まさか、僕のせいで? ただ部下に配属されただけで……?」
カイは驚いた顔をしているが、その通りである。治してもらい綺麗になった私の手をとって、カイが「僕のせいで傷を負うなんて……」と呟くと、アレス殿下に向き直り、「2度とこのような事がないようにする」ときっぱりと言った。
「新人とは言え僕の部下になったのだから、そんな風に演技しなくともきちんと気を付けるよ。忠告ありがとうアレス」
「半分以上本気だったんだが?」
「だとしても駄目。こう見えてロザリアは女性にしては珍しくきちんと仕事をこなしてくれるんだ。シェノンからも真面目で優秀だと聞いているしようやく慣れた頃合いなのに引き抜いてほしくない。」
意外と高評価な言葉を頂けて、わたしはさっと顔を赤らめた。嬉しい、カイに褒めてもらえた……!
によによしてしまいそうな頬を両手で包み込んで抑えていると、カイに「君も、そういう嫌な目にあったなのならすぐに言いなさい」とこつんと頭を叩かれた。その怒り方がまた孤児院の時の仕草そっくりそのままでますます喜ぶ私を見て、アレス殿下は「ならば仕方ないな。くれぐれも大事にしてくれ」と私にウインクして帰っていった。
それでようやく、アレス殿下がそのためにわざわざ来たという事に気が付いた。気遣いの塊は健在だった。
「アレスの大事な人って……そういえばつけていた腕輪にも同じ名前が刻んであったし、もしかしてそういう関係なの?」
「いえ、その……お友達です。とても仲良しな」
「ふぅん……いつの間に知り合ったの? 昔からアレスとは一緒にいるけど知らなかったな」
「その、今度お茶でも一緒にしながらでも、そのお話しませんか!?」
「断る。そこまで興味はないよ」
またしてもお誘いには惨敗したが、今度は冷えた目つきはされなかった。
カイは周りでアレス殿下とのやり取りをちらちら見ていた人たちや私に仕事に戻る様に促すと自分も仕事に戻っていった。
いざ仕事に戻ると、昨日休んでいた分も書類が溜まっている。これは少し帰りが遅くなってしまいそうだ。
皆が居なくなった後も少しだけ仕事を続け、少し暗くなりかけるくらいに帰ろうと立ち上がると、書類部屋の扉がこんこんとノックされた。もしかして追加の仕事かな?と少し疲れた顔で「どうぞ」と返事をすると、現れたのはカイだった。
「まだやってるの? もしかして嫌がらせで押し付けられた仕事とかじゃないよね?」
「いえいえ、昨日お休みをいただいていたのでその分が溜まっていただけです。もう帰ります」
「そう、じゃあ送っていく」
今日アレス殿下に言われたことを気にかけてくれているらしい。私は遠慮なくお願いすることにして、カイと並んで歩き始める。
職員寮までは歩いて15分。1人で黙々と歩くと少し長いが、カイと居れば会話はなくともあっという間だ。
せっかくこうして一緒に帰ってくれようとしているのに、不用意に慣れ慣れしくすればまた冷たい目に戻ってしまうかもしれないと思い、私はただ黙って歩く。身長差が開いたので、歩幅が合わず遅れ気味な私に気づくと、カイが気遣って調整してくれる。そんな些細なことがどうしようもなく嬉しくて幸せな気持ちになった。




