3度目の薔薇
文官は仕事を6日頑張れば、1日お休みが貰える。これはだいたいどの部署も共通で、もしお休みの日に出仕することになればその代わりの休日が別の日に与えられる。
私もお休みをもらい、ライカンの近衛就任式を見にやってきた。
ランハート様が近衛になった時は見られなかったが、この就任式は招待状を受け取っていれば入ることができ、昨日ランハート様グッズを届けにいったエスメラルダ様情報によるとファン眉唾もののイベントらしい。
基本的には王族、もしくはその婚約者につけられる近衛騎士は、この日仕える主に対して誓いを行う。ライカンはアレス様に仕えることになる予定だ。アレス様にはお別れの挨拶もせず、頂いたお手紙にも返事せずにいるので見つかるとちょっとどころではなく気まずい。私は一般招待客の隅の方で帽子を深く被って見守ることにした。
ライカンの他にも数名近衛に任命された騎士が各々の主に誓いを表明して傍に侍ったのち、最後の1人になったのがライカンだ。
やはり1番の注目株なので扱いが少し別格な気もする。たった1~2年の間に一体どれだけの功績をあげたのかわからないほどライカンの臙脂色の軍服にはたくさんの勲章がついていた。耳が入りきらないためか軍帽は被らず、尻尾の方はさすがに特注らしいズボンを履いている。というか、身長が大きすぎてそもそも軍服自体が特注なのではないだろうか?
名前を呼ばれたライカンが、誓いの為に主の元へと歩き出す……筈が、きょろきょろと辺りを見回している。
見ていた招待客がそれにざわつきはじめて、名を呼んだ陛下もコホンと咳ばらいをするともう1度ライカンの名を呼んで仕切りなおそうとした。しかし、そんなの関係ないとばかりに気にせず何かを探している。
思わず「アレス様のところへ行くんじゃないの? はやく行きなさいよ……」と小声でひとり言をいうと、ライカンの灰色の耳がぴくりと揺れ、私の方を見た。ライカンの特殊能力『地獄耳』で聞こえたらしい。私に向かって歩き出したライカンを騎士たちが止めようとするのをアレス様が「好きにさせろ」と言う。そのアレス様の青色の瞳もまた私を捉えていて、目が合ってしまい「ぴゃっ」と変な声が漏れた。
私の目の前まできたライカンが腰の剣を抜いて私に差し出した。
さっきまで他の騎士たちを見ていたので、私に剣を取って誓いの儀式をさせようとしているのはわかるが、そんなこと出来る筈もない。
狼狽える私をライカンがまっすぐ見ながら、「剣を取れ」と催促した。
しん、と会場が静まりかえって、私とライカンの動向を見守っている。痺れをきらしたアレス様が「ロザリア、やれ」と言ったので、私は震える手でその剣を受け取った。
ライカンが振るのにふさわしく、大きく長く、重たい剣は両手で支えるのがやっとである。
跪き、頭を垂れたライカンに対して、肩に剣を軽く置かなければならないのにまさかの重たすぎて持ち上がらない!
これ持ち上がったとしても軽くトン、なんてできないんじゃないの!?ドンって置いてライカンの肩がズバーッって切れたらどうすんの!?
剣と格闘していると、その様子に俯いたままのライカンが肩を震わせて笑いながら私に身体強化の魔法をかけてくれた。ようやく剣が持ち上がり、固唾をのんで見守っていた周りの人たちにほっとされる。うう……格好がつかない……。
とん、とん、と両肩に刃を交互に添えて、ライカンの為に騎士の文句を与えなければならない。
うまい文句など咄嗟に思いつくわけもなく、私は前の人たちの儀式を思い出しつつ、少々どもりながら言った。
「えぇと……自らの姿に誇りを持て、騎士の道を欺くことなく敵を穿つ牙となれ」
あれ、自らの姿にじゃなくって、自らに誇りを、だっけ?まぁちょっとくらい違ってもいいでしょ……。
なんとか唱え終えた私は、ライカンの肩から剣をはずした。それからどうするんだっけ?
顔をあげたライカンが嬉しそうな顔をしながら、私の持つ剣の切っ先を掴んで持ち上げキスをした。そうだ、ライカンに差し向けなきゃいけなかったのにわからなかったせいで自分で持ってこさせてしまった……。
それで儀式は終わりの筈だが、ライカンが立ち上がると、灰色の耳についた薔薇のピアスを触りながら私をじっと見下ろして言う。
「剣と、お前を模したこのピアスに誓ってその言葉を受け取る」
真摯な台詞に、招待客の中にいたらしきライカンファンの女の子の黄色い悲鳴があがった。
私から剣を受け取ったライカンはそのままアレス様の隣に侍りにいった。自由すぎるが何故見咎められないのかわからない。陛下は不満そうにしているが、肝心の主であるアレス様が由としているのでこの場では何も言わないようだ。
こうして無事就任式は終わったのだが、ライカンの誓いによって私が居ることに気づいてから、アレス様はひと時も私から目線を外すことがなかった。そんなに手紙に返事を書かなかったことに怒っているのだろうか?
冷や汗をかきながら私が退出しようとすると、入口で待機していたヴァルヴァロッサ様に「どうぞこちらに」と止められた。まずい、逃げようがない!
案内された客間にはやっぱりアレス様が居た。水色の髪は更に輝きを増し、青い瞳は落ち着いた海を思わせるほど深くきらめいている。口元のほくろが凶器かというほど心臓を壊しに来ている色っぽさだ。もともときらびやかだったお顔が、成長して更に眩しくなっている。まともに見ることができず私がそっと目線を逸らすと、アレス様が「こっちを見ろ」と不機嫌な顔で言った。いやああ、やっぱり怒ってるうう!
びくびくしながら覚悟を決めて仰ぎ見ると、「別に怒ってない」と言って微笑んだ。あまりの顔面偏差値の高さにふらりとよろける。カイも大概美人だが、この王子様は流し目をするだけでそこら辺の女子がばたばたと倒れるんじゃなかろうか。
耐えきれずに目線をまた逸らした先で、アレス様の手に銀の腕輪が光っているのが映った。既に学園は卒業したあとなのに何故バディの腕輪をしているのかと疑問に思っていると、その視線に気づいたアレス様が頬を染めて恥ずかしそうに腕輪を私によく見える様差し出した。腕輪には、私の名前が刻まれている。
「ロザリアが居なくなった後も、はずせずにこのままだ……笑ってくれ」
笑えるはずがない。まさかの激重感情を向けられて固まる私に、アレス様が自嘲するように笑った。
「婚約は解消になったが、俺の気持ちは青い薔薇のように変わらずロザリアの中にある」
「いえその……たぶんもうトイレに流れて行ったと思います」
「もう1度食べさせられたいようだな?」
ぶぉんぶぉんと音がなるほど私は首を左右に振った。茶化してすみませんでした。だってそうでもしないとこの空気が重すぎて耐えられそうにない。アレス様には悪いけれど、何を言われたって私はもうカイが好きだって認めたし、それ以外は受け入れられないのだ。
「無理矢理婚約者に据えようとした罰があたったのかもしれないな。それよりも、先ほど調べさせたんだが、ロザリアはお前のことを忘れたカイの下で今働いているんだな?」
私を発見してから今までに30分もない。恐るべし情報収集能力の高さである。部屋の隅に控えているヴァルヴァロッサさんが遠い目をしていた……お疲れ様です。
「そうです。私、カイの事を好きなので。例えカイが私の事を忘れてしまっても、好きなので」
言いながら、私は自分の涙腺が緩むのを感じた。泣きはしないが、目は潤んでしまっているだろう。
「そのために必死に勉強をしました。アレス殿下、お願いです、邪魔しないでください」
はっきり言ってしまった!アレス様の海のような瞳からすっと光が失われていく。
「何年でも待つ。駄目か?」
「私も、カイが振り向いてくれるまで何年でも頑張るつもりです」
「……そうか」
アレス殿下の伏せられた瞳から、つ、と涙が一筋流れ落ちた。泣き顔も美しい……なんて見惚れている場合ではない。掛ける言葉もないので、私はヴァルヴァロッサ様にそっと視線を送った。ヴァルヴァロッサ様が頷いて、「どうぞお帰り下さい」と私に声を掛けてくれる。
帰ろうと背中を向ける私に、アレス殿下が待ったをかけた。振り向くと、魔力で造った黄色とオレンジを混ぜたような薔薇を差し出している。
「今度は、受け取ってくれるか?」
オレンジ色の薔薇の花言葉は、信頼や絆。黄色の薔薇の花言葉は、友情や嫉妬を表すが、その2つが混ざっているのなら、おそらく嫉妬よりも愛から友情へ変わることを意味するだろう。
「はい、喜んで」
私が受け取ると、ほっとした表情でアレス殿下が微笑んだ。それに会釈を返して、私は退室した。
扉が閉まると、その向こうでアレス殿下の嗚咽が聞こえたが知らないフリをして歩き出す。
頂いた薔薇は、ずっと消えずに咲き続けていた。




