既視感
トゥーリオに血を吸われた痕をいつものように絆創膏で隠して出社すると速攻カイに「怪我?」と見咎められた。
「治してあげるから座って絆創膏とって」
「いえ、大した傷じゃないんで本当……大丈夫です」
「怪我舐めてる? 小さい傷が化膿してあとあと酷いものになると余計な治療魔法まで使う羽目になるでしょ」
「カイ様、首筋の絆創膏って言ったら怪我じゃなくってアレですよアレ。ね、ロザリアさん?」
シェノン先輩がにやにや笑いながら茶化すと、カイが「アレ……?」といって首を傾げた。シェノン先輩はますます面白がって「き・す・ま・あ・く」とあだっぽくハートマークのつきそうな言い方でカイに耳打ちした。
私にも聞こえたので慌てて「違いますそんなんじゃないです!」と首を振る。
「違うなら見せても構わないでしょ」
と睨むように言われてしまえば見せざるを得ない。私はしぶしぶと絆創膏を取った。
「これは……吸血鬼の噛み痕……」
険しい顔をされて、私はトゥーリオが悪く思われない様に慌てて弁解した。
「大丈夫です! これは私が嫌々されたんじゃなくて、ちゃんと了承してされたことだから!」
「……そう、なんだ」
頭が痛むのか片手で押さえながら、カイは私についた噛み痕をすぐに治療した。
「あの、大丈夫ですか?なんだか私よりもカイの方が治療が必要なんじゃ……」
「君に呼び捨てされるのを許可した覚えはないよ」
「あう……すみません……」
謝る私にまだ何か言いたげな視線を向けるカイに首を傾げていると、「君はいつも噛まれているのか?」と尋ねられたので首を振る。
「なら、いい。あまり吸われすぎるとよくないので気を付けるように」
それだけ言うと、カイは朝から来る患者のために準備をしに向かった。
私も今日やる書類仕事を急ぎとそうでないものに仕分けしていると、シェノン先輩がすすす、と隣へやってきて話しかけてくる。
「ねぇ、その噛み痕って昨日一緒に帰ってたトゥーリオくんがやったの? なーんかカイ様不機嫌だったしロザリアさんの事気にしてたりして」
「そうですか?いつもと変わらない気がしますけど……」
ここ数日見た感じ、カイはいつも忙しそうでいつもあまり機嫌はよさそうには見えない。他人にも自分にも厳しく、何度怒られたことか……まあ、見捨てられないだけ優しいかもしれないが。
「いつもあんな風に当たられてんの? ロザリアさんよく耐えられるね。前に配属された女の子達はカイ様にちょっと怒られただけで泣いたり癇癪を起こしたりですぐに辞めちゃったけど」
「うーん、でもカイが……あ、カイ様が怒るのって私が悪い時だけじゃないですか。愛想がないのは当たり前ですよ、忙しくってイライラしてるんだと思います。元聖女っていったって人間だもの、いつもニコニコしているわけじゃないですし」
孤児院に居る時はもっと怒られてたってのは秘密ね。
書類を選り分けて、予算案をまとめたものが急ぎだったので、すぐに計算と項目をチェックすると、「提出してきまーす」とシェノン先輩に告げて部屋を出た。
提出の期限は明日までだが、万が一不備があった時のためにも早めの方がいい。中庭近くの渡り廊下を歩いていると、突然突風が吹いて持っていた書類のうち2枚が飛んで行ってしまった。
「あら、どんくさいわね。こんな子がカイ様の傍についた新しい子?」
「新人のくせに生意気なのよ。1位だかなんだか知らないけれど、書類をなくすようじゃダメダメね」
くすくす、と笑う女の子たちの声がして、私は魔法で悪戯されたのだと気が付いた。しかし顔を見る間もなく彼女たちはすぐに去って行ってしまう。
それを追いかけて咎めるよりもまず、書類を見つけ出さなければならない。学園の時のように先生に謝ればいいなんてものじゃない、あれがないと予算が下りないかもしれない超重要書類なのだ!
それなりに大きな中庭の中を必死に行ったり来たりして探すが見つからない。もしかして生垣の間に挟まっているかもしれないと思ったが背も届かないので上から見渡すこともできず、生垣には棘があってかき分けようとすると手に食い込んで痛い。
どうしよう、どうしようと焦りばかりが湧いてきてあんな嫌がらせで仕事を辞めさせらるかもしれないと思うと悔しくて仕方がない。その為に涙を流すのはしゃくだったので歯を食いしばって傷だらけの手を伸ばすと、ようやくかさりと紙のようなものが手に触れた。しかし、無理にひっぱれば破けてしまいそうだ。この書類は特殊な紙でできていて、不正ができないように魔法をかけることができないようになっているので、1度破れてしまえば元に戻せない。
どうしよう、人を呼んでくるべき?でも、呼んでくる間にまた飛んで行ってしまったら?
「可愛いお嬢さん。こんなところで何してるの?」
声をかけられて振り向くと、紫色の髪の美人がつばの広い帽子を被ってこちらを見降ろしていた。右肩に大きな肥料を抱えている。
「ジーンさん!」
「やあ、随分と久しぶりだね。その綺麗な赤色の髪の毛ですぐにロザリアだとわかったよ」
「お願いします! 助けてくださいっ!!」
相手がジーンさんだとわかって、何度も頭を下げる私に対して、理由もきかずに「いいよ」と答えてくれる。
「何かわからないけど手伝ってあげる。その代わり俺のお願いも聞いてもらうよ」
「実は書類を飛ばされてしまって……多分そこの生垣に挟まっていると思うんですけど、取れないんです」
「どれ……あぁ、あれね。お安い御用さ」
ジーンさんは風魔法を使って書類の周りの葉っぱと枝だけを器用に刈り取ると、取り出した紙を私に手渡して今度は支援魔法を唱えた。めきめきと刈り取られた部分が成長して元通りになる。さっき担いでいた肥料は必要ないんじゃなかろうか?
「書類はこれだけ?」
「実はあともう1枚……見つからないんです」
「ふぅん。ちょっと待っててね」
ジーンさんがぱんぱんと手を叩くと、空からは鳥が、地面からはもぐらが出てくる。
「良い子達……紙を探しておいで、破れないようにそうっとだよ。できた子にはご褒美をあげる……さぁ行って」
『獣使い』は魔物以外の普通の動物にも反映されるようだ。ジーンさんの指示でみんな一斉に探しに行くと、すぐに鳥が書類を咥えて戻ってきてくれた。その鳥に小さな果物の実を与えながら、ジーンさんが書類を手にする。
「さてロザリア。今度は君が俺のお願いを聞く番だよね」
「あ……えっと、何をすればいいでしょうか?」
尋ねる私の唇にジーンさんが人差し指でちょんと触れた。
「ロザリアから俺にキスして?頬でもいいから」
「えええ……」
「嫌なら書類は返してあげない。ね、『恋心』戻ったんでしょう……? ほら、俺の顔を見て」
優しい顔のまま赤い瞳をそっと伏せ、綺麗な顔を武器に誘惑をかけてくる。赤面して俯いてしまった私の顎をジーンさんの手が捉えてすくい上げ、目線を逸らせない様にされた。
「ロザリア」
ゆっくりと名前を呼んで催促するジーンさんを、私は困ったまま見上げた。書類がないと困る、けれどジーンさんに頬とは言え自分からキスするなんて……。
想像してますます顔が熱くなっていき、のぼせてしまいそうになる。『恋心』がなければもしかしたら軽く「いいですよ」と言って答えていたかもしれないが、いくら友達と思い込んだって異性なんだもの……好きな人にもできないのに、ジーンさんにできるわけがない!
固まってしまった私に対してジーンさんはふう、とため息をつくと、私に向かって書類を差し出した。
もしかして諦めて渡してくれるのかと思って両手を伸ばすと、さっと引っ込められてバランスを失い、私はそのままジーンさんに向かって倒れ込む。ぎゅっと抱きしめられて私の顎を掴んだまま、ジーンさんは私の口の中に指を突っ込んだ。驚いて少し噛んでしまったが、ジーンさんは気にせずにもう片方の手で私の口に何かを入れた。
ぶどう味のキャンディだ。
甘い味のそれにほっと安心していると、ジーンさんは口から引きぬいた手についた唾液を私に見せつけるようにぺろりと舐めた。
「ちょっと!!」
「今日はこれくらいで勘弁してあげる」
書類はいつの間にか私の手に戻されていた。なんだかよくわからないが、助かったのには変わらないのでお礼を言って仕事に戻る。書類は戻ったし甘い飴も貰えて何だかんだ良かった。唾液を舐められたことは忘れよう。
……と思っていたが、あとでそれがジーンさんによる給餌行為だったことに気が付いて、私は頭を抱えたのだった。




