手厳しい上司
書類指導をしてくれたのはやはり演劇部だったシェノン先輩だった。
たまに来る暴れる患者を『魅了』して落ち着かせる以外は書類整理に勤しんでいるらしい。説明を受けながら作業をしていると、書類に紛れて縁談の釣書が混じっていることに気づいた。
最近よくある事らしく、慣れた付きでシェノン先輩はそれをゴミ箱へ入れた。勝手に入れてよいのかと聞くと、カイは女神のお気に入りとしてそういう類の誘いをまったく受け付けないのだと言う。リーナ殿下もカイの事を望んでいた筈だが、同様に突っぱねられ続けているらしい。
そんな話を聞いていると、カイがやってきて「暇そうだね」と怖い顔で私に重たいベッドの運搬を命じた。魔法の使えない女子になんてことを!でも出来ないと言って役立たずの烙印を押されたくないので私は頑張った。頑張った結果ベッドが倒れて私は下敷きになって打撲を負い、カイの仕事を1つ増やす羽目になった。ベッドは結局シェノン先輩が魔法で運んでくれることになった。
「これに懲りたら人の噂話などしないように」
「すみません……」
そうはいってもカイの事だからね、気になるんですよ……。
治療をし終えてもらい、立とうとすると、ふとカイが首を傾げた。どうしたのか尋ねると、「いえ、何でも……」と歯切れが悪い。気になって「はっきり仰ってください」と言えば、渋々口を開いて「前にもここへ治療をしに来たことがあるか?」と尋ねられた。誰かと勘違いをしているのかもしれない。私は首を横に振って書類仕事へと戻った。
書類仕事が一区切りつくと、シェノン先輩について備品チェックにいくことになった。項目の書かれた書類と補充品を両手に抱えてついでに顔を覚えてもらうためである。最初に補充量の多い騎士団へ行くと、ちょうどライカンが居て話しかけてくれた。
「諦めの悪いロザリア、無事就任おめでとう」
「ありがとう。ライカンの活躍っぷりはあちこちで見聞きしてるよ。すごいね、もうすぐ近衛への昇進も決まってるらしいじゃん。その若さでの就任は異例の速さだって皆噂しているよ」
「近衛就任の日は、ロザリアも見に来てくれるか?」
「えっ、私でも見に行けるのかな?」
首を傾げる私に、シェノン先輩が教えてくれる。
「近衛のお披露目はお休みの日に行われるし、招待状を持っていれば入れるんじゃないかな」
「俺が招待状を出す。だから来てくれ」
そこまで言ってくれるのなら是非見に行こう。私は頷いて約束し、医療道具やポーションの補充をして次の部署へと向かった。
日々新たな魔法を開発するための研究所でも、たびたび失敗したり、放っておくとすぐに何日も徹夜してぶっ倒れる人が多いため栄養剤などを多めに補充しておく。
その後は調理場に毒検査薬や整腸薬、使用人用の緊急用痛み止め薬などをすぐに使える場所に各自配布してまわる。最後に罪人の管理を行っている法務部に行くと、トゥーリオがひょっこりと顔を出した。しかし、丁度忙しい時らしく軽く挨拶だけをしてまた今度、と言葉を交わし医務部へと戻る。
戻った医務部はあわただしくばたばたとしていた。どうやら急患が入ったようだ。それがどうやら妊娠中のエスメラルダ様の体調だというので、様子を見に向かう人選を慌てて行っている。王子妃なので男だけで向かうのは外聞が悪い。私がエスメラルダ様の友人だというと、すぐについてこいと言われてカイのお供として向かう事になった。
エスメラルダ様の私室に入ると、何人もの侍女が見守る中具合が悪そうに横たわっていた。
カイが身体の不調をさぐる魔法をかけるが特に異常はないようで、悪阻がどうしても酷くこの数日食事が喉を通らないらしい。治療魔法は気休め程度しか効果がないそうなので、栄養剤を処方する。それとは別に私を見たエスメラルダ様が手紙を渡してきた。「あとで1人になったら見て頂戴」というので、帰った後ドキドキしながら開くと、それはランハート様のグッズ欲しいもの一覧とおつかいを頼むわねという走り書きであった。変わらない様子に思わず笑ってしまったのをカイに見られていて「仲が良いんだね」と驚かれた。
「一体どこで知り合ったの?」
「昔魔法学園に通っていたんです。途中で魔力を失ったので退学になったんですけど」
正直に答えると、興味がなさそうにふぅんと相槌を打たれた。会話はそれで終了してしまう。
余りにも寂しくて、私は意を決してカイに話しかけてしまった。
「あの、業務時間外でお話したいことがあるんですけど」
「デートの誘いならお断りしてる」
「そうじゃなくて……聞いてほしいことが……」
「迷惑だからやめてくれない?」
ため息をつきながら言われて、私は黙りこくるしかなかった。それ以上言うと、解雇されてしまいそうなくらい冷えた目つきだった。
業務終了後、落ち込んだまま帰ろうとすると、廊下でトゥーリオが待っていた。
「やあ、ロザリア。夕食を一緒にどう?」
「トゥーリオォォ!」
丁度誰かに愚痴りたい気分だったのでありがたい。私はすぐさま飛びついて了承した。
トゥーリオと訪れたのは王都でも大衆向けの街にある小料理屋さんだ。王都では珍しく魚料理を扱っていて、野菜と一緒に油で素揚げしたアツアツのものを出してくれる。それを岩塩にちょっとつけて頂くのが最高に美味しい。2人とも18歳になったのでお酒を頼んで乾杯しながらだらだらと話をするのだが、初仕事はどうかと聞かれて私はトゥーリオに目一杯愚痴を聞いてもらう事になった。
公私ともに厳しいカイに相手にされないと嘆く私のことを、「ライカンが待ってるよ~~」などと揶揄われる。そういえば前にもカイにバディを解消された時トゥーリオにこうやって話を聞いてもらったなと思い出して懐かしくなった。あの時から比べると、トゥーリオも随分背が伸びて大人っぽくなっている。自分だけ変わってない気がしてますます湿っぽい態度になってしまった私にトゥーリオが微笑みながら提案してくれた。
「ねえ、いつだったか僕がロザリアと一緒に空を飛ぶって約束したの覚えてる?」
「覚えてる。クリスマスパーティーでダンスをしたときだよね」
「今から一緒に飛んでみない?」
食事の代金をそれぞれ支払うと、トゥーリオは私を人気のない公園に引っ張っていった。夜になると真っ暗なので何も見えないが、トゥーリオのらんらんと光る赤い瞳にはどこに何があるかわかるらしい。手を引かれて木の陰あたりに着くと、フードのついたローブを脱いでばさりと翼を出し、私を抱えた。
「えっ、この体勢で飛ぶの!?」
「手を繋いでなんて童話じゃあるいまいし、ちゃんと捕まってないと落としちゃうよ」
安定した動きで空中へ舞い上がると、どんどん上へあがっていく。月が大きく見えて、いつもよりもたくさんの星がきらきら輝いている。肌寒さを感じてくしゃみをすると、ふわりと温度調節の魔法がかけられて、トゥーリオがウィンクをした。
「かなり成長したでしょう?」
「うん。空を飛ぶのもすごい、あんなにたくさん星があるなんて知らなかった」
「下も見てみて」
言われて見てみると、街の灯りが小さい星の集まりみたいに光っていた。道を往く人たちもまた、蟻みたいに小さい。高さを意識してしまって、思わずトゥーリオに捕まる手に力が入った。
「そのままちゃんと捕まっていてよ」
ぎゅん、と凄い勢いでトゥーリオが降下する。落ちるみたいな速さに心臓がヒュンとなって、「きゃあああ」と悲鳴が漏れた。街から少し離れた森の上をすれすれで飛んでまた上に飛んだと思ったら、3回も宙返りをしてすごいスピードで宙を飛ぶ。スピードに慣れてきた私はだんだん楽しくなって、すごいすごいとはしゃいで喜んだ。その後も何度かスリリングな飛行を繰り返した後、トゥーリオはもとの公園に降り立った。
「楽しかったでしょ。いい気分転換になったんじゃない?」
「楽しかった!! トゥーリオありがとう。空を飛ぶのってすごく気持ちいいね」
翼と牙を出したまま、「どういたしまして」といいながらトゥーリオがポーションのようなものをごくごくと飲む。そういえば、空を飛ぶのはものすごく魔力を消費するって言ってたから、その為の薬かもしれない。
「ごめんね。私に魔力があったら今なら喜んで血を差し出してたんだけど」
それくらい最高の体験だった。気分が高揚して思わず言うと、トゥーリオの赤い瞳がきらりと光った。
「ならちょっとだけ貰おうかな?」
そのままべろりと首筋を舐めるとすぐにカプリと噛みつく。私は大人しく吸われているつもりでいるが、トゥーリオは私をしっかり抱きしめて動かない様にしているみたいだ。魔力のあった時に比べて勢いよく飲むんじゃなくって、なんだかちびちびと吸われているような感覚がしてくすぐったい。トゥーリオが口を離すと傷口から垂れる血を舐めとった。
「魔力がないのに意味あるの?」
「魔力補充の薬は血の味がしなくて味気ないんだよ。こういうのは気分さ」
お酒を飲んだ時よりもうっとりとした顔でトゥーリオが襟元を緩め始めた。どうやら気分が高揚しているらしい。
私の頬をさわさわと撫でてくるので調子に乗られたくない私はその手を叩き落とし、「今日はどうもありがとうね」とお礼をいって切り上げようとした。
「ちぇ、ちょっとくらい隙を見せてくれたっていいじゃない」
「あのね。そうしたらトゥーリオはどんどん踏み込んでくるじゃない。私はカイ一筋なんです。明日からも頑張るんです~~」
「はいはい頑張って~~」
ひらひらと手を振るトゥーリオが本当に優しい顔で微笑むものだから思わずドキリとした。
顔が熱くなるのを振り払うように頭を振って、私も手を振り返す。
トゥーリオのおかげで気分転換ができて本当に感謝している。今度お返しに何か贈ろうかな?




