トゥーリオの正体
ふあ……。
仮眠をとったとはいえ眠い。朝早くに帰ってきた私に、エスメラルダ様は興味津々で何があったのか聞いて来たが、バディの不調を看病していたようなものだというとなーんだ、と自室に帰っていった。
そのまま風呂に入って、朝食をとり学園に行く準備をする。
今日からライカンに魔力を扱う練習に付き合ってもらう約束をしたので気合をいれなきゃ。
いつものようにモモとメアリと一緒に校舎へ向かって歩いていると、トゥーリオに出会った。
「やあ。昨日は無事に過ごせたようだね」
「うん、ありがとうねトゥーリオ。今度改めてお礼するね」
「お礼……せっかくだから、明日の夜ロザリアに頼もうかな?」
ライカンの居た例の場所に来て、と言われて私は頷いた。なんだろう?私に手伝えることかな?
「なに?昨日なんかあったの?」
「満月だったから、ライカンの魔力放出の手伝いをしてたの。だから今日は眠くって」
モモに尋ねられて、私はあくびをかみ殺しながら答えた。
「あぁ……。人狼の。割と皆ライカンが人狼で満月になるとこもって過ごしてるの知ってるよね」
「本人目立つし、あまり隠してる風じゃないものね~~」
メアリも驚いた風もなく頷いている。3人で教室に入ろうとすると、掲示板の前に人だかりができていた。
「あら、なにかしら」
モモが掲示板を見に行った。
「ちょっと!なによこれ!」
モモの怒ったような声が聞こえて、私とメアリも見に行く。
モモが掲示板から剥がしたのは、私をライカンが抱えてキスしているような写真だった。
眠ってしまった私を旧校舎から寮に戻る最中運んでくれた時に撮られたもののようだ。
実際にはキスなんてした覚えもないんだけど、絶妙な角度でそう見えるようにわざと狙ったように見える。
写真と一緒に記事もついていて、「熱愛!人狼とバディになった少女が朝帰り!」という煽り文句がついている。
満月の夜に旧校舎で逢引、その帰り道も人目をはばからず睦まじい様子、と好き勝手な事が書かれた記事をモモは写真と共にびりびりとやぶりすてた。
「面白がってこんな記事を書いて悪趣味だわ」
「大丈夫よロザリア、バディが仲良しなのはいいことよ」
モモとメアリが私を慰める中、教室から顔を出してきたクラスメイトも私を見ると声をかけてくれる。
「Gクラスの連中はそんなんじゃないって皆知ってるよ。ライカンが旧校舎で引きこもってるのも周知の事実だし。大方『無効化』で助けてたとかそんな感じでしょ?」
その通りである。
私が頷くと、周りの人間も「やっぱりなー」とか「この手の奴はだいたい誇張されてるよね」と言いながら掲示板から去っていった。
「ライカンはすごい目立つからね。ロザリア自体、アレス殿下や聖女様と関わりある人だし、良く思わない人がやったのかも」
「気にする必要ないよ、ロザリア悪いことしてるわけじゃないんだし」
貼られた写真と記事は他にも校舎の数か所にあったらしいが、悪質ないたずらとしてすぐに先生たちに回収された。
しかし、実際にキスはしていないし朝帰りも疚しいものではないが風紀を乱しかねないということで、きちんとした距離を保つよう注意を受けた。
そんなこと言ったって私爆睡してただけなんだけど。
放課後になってようやくライカンが登園してきたので私はこの出来事を話した。
別に怒った風もなく、むしろにやついて「その写真はもうねぇのか?」と面白そうにしていた。
先生に注意されたと言うと、困ったような顔をする。
「でも封印を解いてもらうには首に触ってもらう必要があるしな」
「私も寝てるのを運んでもらっただけだし……」
「これくらいで反応しすぎなんだよ。ま、『無効化』の練習しようぜ。うまく扱えるようになったら触らなくてもいいかもしれねぇしな」
ライカンの言う通りである。私は演習場に向かった。
すう、と深呼吸をして集中する。
何度も感じた『無効化』を押し込める感覚。
まだカイには練習するなと言われてたけど、私は早く扱えるようになりたいのだ。
少し試してみるくらいいいよね。
ライカンがいればもし何かあっても対処してくれるはず……
そっとライカンの首に触れさせてもらうが、人狼化は起こらなかった。
「で、できてる……!?」
「俺にはさっぱりわからないが。触ってるんだよな?」
『無効化』が発動するように意識を向けなおせば、ライカンの頭にあっという間に獣耳が現れる。
「できてる! やったあ!」
「おお……なんだ?自由に使えるようになったのか?」
私はぶんぶんと首を縦に降った。そのまま調子にのって、『無効化』を消したり発動したりする。
そのたびに耳や尻尾が出たり消えたりして、10回くらいやったところでライカンに止められた。
「おい、人の身体を弄ぶな」
「はっ! ご、ごめんつい……」
「触り続けてるみたいだが、触らずに発動はできるのか?」
「試してみる」
そうは言ったものの、まだカイには全然習っていないところだ。
私はとりあえずライカンの首にあるタトゥーめがけて『無効化』するよう念じたが駄目だった。
触ってなくても自動で『無効化』されることもあるのに何が駄目なんだろう。
「第三王子の『封印』が強いせいかもな。お前の手を握っていても魔力を発動させるには余分に消費させる必要がある。弱い魔力なら触れなくても出来るんじゃね?」
「そっか、ライカンじゃ試せそうにないね……」
「そうだな、あそこに俺が魔法で弱い火をつけるから『無効化』で消せるかやってみろ」
ライカンは演習場にある案山子の一つに火をつけた。
小さく弱い炎が頭部分で揺れている。
私は一生懸命炎を睨みつけて集中するが、やっぱり『無効化』はできなかった。
しかし、『無効化』状態のまま炎に近づくと、3歩手前くらいで炎はふっと消えた。
「意図して遠くのものはまだ無理みてぇだな」
「うーん、そうみたい。どうやってやるのか今度聞いてみよう……練習に付き合ってくれてありがとうライカン」
「ああ。無理すんなよ」
ライカンの耳と尻尾がないとうまく効果がでているのかはわからないが、意識を集中することはできそうだ。
私は『無効化』を抑えたままでどのくらい居られるのか常に集中してみることにした。
この試みは意外と良かった。
長い間『無効化』ではない状態にすることができているので、そのまま学園生活中も続けようとしたが問題が起こった。
今まで勝手にはじかれていた、魔法による嫌がらせを直接被ることになったのだ。
Gクラスのひとたちはみんな優しいし、エスメラルダ様が一度けん制してからはなくなったと思っていたのだが『無効化』で気づかなかっただけかもしれない。
私は渡り廊下を歩く際に水をかけられてびしょびしょになり、書類を運べば明らかに意図的な強風が吹いて散らばってしまった。
魔法を使って乾かすこともできず、一度寮に帰って着替える羽目になったし、書類は高いところまでいってわからなくなってしまったので先生に謝った。
一体何が目的でこんなことをされているのかもわからず、結局私は『無効化』を張り続けておくことにした。
◇◆◇
トゥーリオと約束した夜、私は旧校舎に来ていた。
今度は鍵が開いている。
そっと中に入ると、小さな土人形が待っていた。
こっちだよ、というように私の足をつついて廊下の方を指さす。
私がそちらへ向かうと、土人形がまた歩いて進むべき道を教えてくれる。
相変わらずすごい蜘蛛の巣や埃をよけながら持ってきたランタンで先を照らして進む。
土人形が扉の前で消えたのでノックをしようとすると、手が触れる前に扉が開いた。
「……トゥーリオ?」
「そうだよ」
扉を開けてくれたのは、長い黒髪の男の人だった。
喋ると赤い舌と共に鋭い牙が見える。
いつものフードマントと眼鏡をしておらず目の色も赤い色に変わっているが、よくよく見ればトゥーリオだとわかる。
優等生の雰囲気はなく、どこか気だるげで色っぽい。
いつもはきっちりとしめられている制服のボタンが、2つも外され、ネクタイもゆるゆるで引っかかっている程度の役割しか成していない。
トゥーリオに手をひかれて応接室のような部屋に踏み入る。
ふかふかの椅子は埃がなく、机も綺麗な状態だった。
ライカンといいトゥーリオといい、自分の過ごす部屋だけはちゃんと手入れしているらしい。
旧校舎の広さを考えれば全部は無理だろうからそうなるのは当たり前ではあった。
しかし、明らかに見慣れないものがこの部屋にはあった。隅の方に立てかけてある、漆黒の棺桶だ。
「手伝いに来てくれてありがとう。早速だけど、ロザリアに少し血を貰いたいんだ」
「あの、トゥーリオってもしかして……吸血鬼?」
「そうだよ。わかっているなら話は早いだろう?僕は魔力を含んだ血を飲まないと生きられない。普段はライカンやもうひとりの仲間に分けてもらっているが、君を見ていたらどうしても乾いて……飲みたい衝動が抑えられなくて」
トゥーリオは私の顎に手をかけると恍惚とした表情のまま微笑んだ。
「すごく美味しそうな匂いがするんだよね。でも、勝手に飲むのはマナー違反だから、こうやってお伺いをたてようと思って」
「あの、でも私魔力を含んだ血なんて……」
「そんなに甘い香りをぷんぷんさせておいて、魔力がないわけない。ロゼリアは『無効化』を抑える訓練を始めたんだって聞いたよ。それで最近は余計に匂いがするんだ」
ふんふんと首筋あたりの匂いを嗅がれている。私は思わず身じろぎした。
「噛むの? い、痛くない?」
「牙を突き立てるから最初だけ痛いよ。でもあとは……優しくするから。いい?」
喋るたびにちらちらと見える牙が尖っていてちょっと怖い。
「お礼を言いだしたのはロザリアでしょ?ね、お願いちょっとだけだから」
「そうだけど、でもこんなことだなんて……」
「はあ。頭がくらくらしてきた。ライカンは満月で会えなかったしもう1人にも事情があって貰えなかったからそろそろ限界だよ」
私から距離をとってソファーに座り込んだトゥーリオは本当に苦しそうだ。
顔から血の気も引いている気がする。
それがトゥーリオの演技だとも気づかずに、心配した私は覚悟を決めていいよ、と返事をした。
トゥーリオの赤い目がきらりとひかって、私はソファーに押し倒された。
両手がまとめて頭の上で拘束される。
「ちょっ……さっきまであんなに元気なかったのに……!」
「そりゃそうだよ。美味しそうな匂いが目の前でするんだもの。本当にくらくらするほどいい匂いだ」
首筋をぺろりと舐められて、ひっと声が漏れる。
「か、噛むんだったら一思いに……!」
「僕の唾液に鎮静作用があるから塗らないともっと痛いよ」
舐められたあとに、がぶりと牙が突き立てられた。
ちゅうちゅうと吸われている音が聞こえる。
時折トゥーリオがごくりと喉を鳴らす音も。
思ったよりも痛くはなく、動けばささった牙に傷つけられそうで私は大人しくしていた。
「ね、ねぇ。まだ……?」
しかし、思っていたより長い。
トゥーリオに片腕でまとめあげられた両腕がしびれてきた。
返事はなく、まだ血を飲み続けている。
ちょっとって言ったのに、大丈夫だろうかと不安になってトゥーリオの名前を呼ぼうとしたとき、トゥーリオの顔が私から離された。
「……邪魔しないでよ」
トゥーリオの髪の毛を引っ張って行為を中断させたのはライカンだった。
「それ以上飲むと、普通の人間は倒れる」
「あ……ロザリア。大丈夫!?」
口についた血を舐めとって、トゥーリオがしまったというようにこちらを見降ろした。
「大丈夫。手、はなしてもらえる?」
「あ、ごめん」
開放されて身体を起こそうとするが、ふらついて私はソファーにまた倒れこんだ。
「う、ぐるぐるする……」
「貧血だ。ほらみろトゥーリオ、危ないところだったぞ」
「ロザリアごめん……!」
さっきまでの怪しい雰囲気は消えて、牙も目も普通に戻り、必死に謝ってくるトゥーリオに私は手を振った。
「だいたい血が足りねぇなら俺を呼べよ。今日ならもう大丈夫だっただろ」
「男の血より可愛い女の子の方がいい……」
「贅沢いえる立場かお前!?」
トゥーリオって意外とすけべだ。
「でもすごく美味しかった。ロザリア、またお願いしたいな……」
「ダメだ。満月の日は俺も助かったから見逃したが次はねぇぞ」
「私も何度も血を吸われるのはちょっと……」
頭はぐるぐるするし、善意で何度もやれるものではない。
できれば今回限りにしてほしかった。
「ちぇ。ロザリアがいいよって言わなきゃダメだもんな~~」
「ロザリア、動けるか?この様子だとまたこの間みたいに寮に運ぶことになるがいいか?」
「お、お願いしてもいいかなライカン。ちょっと歩けそうにない」
私の様子を見てトゥーリオはほんとうにごめんね、ともう一度謝った。
そうしてそのまま部屋の隅にある棺桶の中に入っていく。
どうやら寮ではなくここで寝るらしい。
本物の吸血鬼ではないから、太陽はフードマントを被るので充分な程度には平気だけど、血を飲んだすぐあとは昂るから、と言って棺桶の蓋は閉められた。
私はライカンに抱きかかえられて寮へ帰る。
今度は写真なんて撮られないように、私は『無効化』を使ってライカンに人狼化してもらい、一瞬で寮まで跳んでもらった。