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⑫ー1 決戦、そして その1

 降りしきる雨の中でも聞こえてきた悲鳴。近くから聞こえたわけでもなさそうだし、相当大声で叫んでいたのだろう。

 嫌な予感がする。俺たちは互いに合図するでもなく悲鳴の元へ向かっていた。


 目に飛び込んできたのは、あの日見た悲劇の再演だった。

 様々な種類の獣、虫、魚……それらすべての生き物が力なく寝転がっている。まだ襲われていない人魔は猛烈な勢いで逃げ惑い、思わず突き飛ばされそうになった。

 ひ弱な俺の身体を支えたティンテは前方を睨んでいる。この騒動の犯人は、偶然か必然か俺たちが来た方とは逆方向に進んでいるようだ。


「行こう」


「ああ、でも慎重にな」






「ご機嫌うるわしゅう。本日はお日柄もよく……」


「この大雨でくだらん挨拶はやめろ」


 俺たちの姿を認めたゼンゼマンと「腐り手」の男は進撃を止めた。

 パニックになっていた通行人たちはそのまま逃げ去り、現場には俺たちだけが残った形だ。


 「腐り手」の男は髪が長く表情が見えない。その猫背の姿勢からは人間というよりまるで亡霊のように見えた。


「人魔を襲うのはやめろ!」


「人聞きの悪いことをおっしゃる。襲ってなどいませんよ、私どもは自然な形に戻しているだけです」


「何が自然だ……! 水棲族なんかは無理に陸で『先祖返り』させられたせいで死んでたんだぞ!」


「魚の分際で陸に上がろうなどと目論むからです。大人しく水中で暮らしていれば良かったものを」


 ニヤニヤと嘲笑を浮かべるゼンゼマン。そうだ、このジジイとは会話が通じないんだった……うっかり忘れていた。人間の形をしているだけの化物……人魔よりよっぽど人間離れしている奴なのだ。


「もういい、お前の価値観なんざ知ったことじゃない。力ずくでも止めさせてもらう」


「私はわかりあいたいと思っているんですがね……ではアンゴ殿にも、私どもの気持ちを味わってもらいましょうか」


 ゼンゼマンが指を鳴らすと腐り手の男が凄まじい速度でこちらに向かって走ってきた。

 捨て身の特攻である以上、回避は容易ではなさそうだ。いつもみたいにティンテが盾になってくれるか……いや、あの男に触れられたら腐ってしまうんじゃないか。「先祖返り」させられる恐れだってある。

 俺が盾になるか……でもそれだと一回きりしか防げないかも。どうする。奴らの狙いは最も動きの遅いエーゲルか?

 ヤバい、エーゲルの目の前まで敵が迫っている……!


「きゃっ……!」


 腐り手の男が飛び込んでくると同時に、エーゲルの姿が大きな影にさらわれた。まさかエーゲルがやられてコウモリになったとか……?

 いや、それにしては不自然な消え方だ。影の去っていった方を見やると……


「ふん。我の到着が遅れたらどうするつもりだったのだ、まったく……」


 そこには見覚えのある大きな白銀の狼が立っており、悠然とエーゲルをくわえていた。


「ヴォルフ……! ってことは」


「ウチもおるでー」


 ヴォルフの脇から「関西のねーちゃん」ことナギがひょっこり顔を出した。偶然居合わせた……ということもないだろう。

 彼女らも人戻会を追ってこの街にたどり着いたってことか。


「『喜の勇者』様ですか。これはこれはどうも……」


「あーあー、しょーもない挨拶はええって。ウチはアンタみたいな人間一番嫌いやし」


「おやおや、初対面でずいぶん嫌われたものですな」


「初めてちゃうわ。アンタに泣かされた人魔は腐るほど見てきてんねん。どんなクソジジイかずっと想像してきとったからな」


 たいてい余裕の笑みを浮かべているナギが珍しく苦い顔でゼンゼマンを睨みつけた。

 そして腐り手の男は両手をだらんと下げて不気味に揺れている……かと思えば再び駆け出してヴォルフの方へとどんどん近づいていく。

 さっきは間一髪かわせたが、執拗に狙われるといずれあの手に触れられてしまうかもしれない。

 ヴォルフ側からは迂闊に攻撃もできないし、戦うのは不利に思えるが……


「雨ん中楽器吹くんは嫌やけどなあ」


 そう言うとナギは音色を奏で始めた。かつて吸血鬼の街で聞いたのとは違うメロディーだ。

 あの時のような心が鎮まるテンポとは違い、もっと勇壮なマーチが流れてくる。なんとなく、腹の底から力が湧いてくるような……


 すると瞬く間にヴォルフが跳ね上がり、異様な跳躍力でエーゲルをティンテに預けた。そして再び跳ねざま、腐り手の男の背中に強烈な蹴りを叩き込む。

 ヴォルフが強いのは知ってたが、あんなにアクロバティックな動きができる狼だったか……? 生物の出せる速度じゃないように見える。


 5m近く吹き飛んだ腐り手の男は、それでもだらりと立ち上がって寄ってくる。ゼンゼマンと同じく無敵なのだろうか。ダメージを負っているようにすら見えないのが不気味だ。

 雨で見えにくいのだが、近づいてきた腐り手の男が妙な動きをし始めた。顔を空に向け、両手を宙に掲げている……


「まずいな……逃げろ!」


 ヴォルフが叫ぶとほぼ同時に、腐り手の男から水滴が飛んできた。考えてみれば当たり前で、湖に溶けた「腐り成分」は雨にも溶けるわけだ。

 人魔がこれを食らうと「先祖返り」してしまう。クソッ、ティンテたちを守らないと。


 俺よりずっと反応の早いティンテやシャルフはとっくに逃げおおせていた。おそらくシャルフはワープも使ったのだろう。かなり離れた場所にいる。

 ひとまず安心……と言いたいが根本的な解決には至っていない。


 これじゃヴォルフも迂闊に近づけないだろう。俺やナギは直接的な攻撃手段を持たないし……

 少し離れた場所で傘をさしながらニヤニヤ笑うゼンゼマンが憎たらしい。仇敵が追い込まれるのがよほど気分がいいようだ。

 アイツはもう復讐者というよりただの人格破綻者なんじゃないか……?


 腐り手の男はヴォルフのいる方とティンテたちのいる方を見比べた後、ティンテたちの方へ駆けていく。

 もっと近くにいた俺には目もくれないあたり、狙いはやはり人魔であるらしい。

 力ずくで奴を止めに行くか? でも俺もあの「腐り成分」を受けて無事でいられるか……湖では死にかけたし、何より止められなきゃ犬死にだ……

 迷っているうちに腐り手の男はどんどんティンテへ近づいていく。身体の大きい彼女は的として最適なのだろう。


 エーゲルを背負いながら必死に逃げるティンテだが、腐り手の男はもうその背に追いつきそうだ。俺が走ったところでとても庇いきれる距離まで近づけそうにない。


 まずい、このままではティンテがやられる……!



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