⑪ー4 死との邂逅 その4
思惑通りうまくいった。俺の能力で膝をついたティンテは触手をあのデカブツから離し、その場にうずくまった。
デカブツの拳がティンテに迫っているが、突然来た勝機に油断したのだろう、後ろは無警戒なようだ。
全身に力を込め、弾丸になった気分でデカブツの背中に体当たりをぶちかます。
俺の体重だけならびくともしないだろうが、奴自身が前に踏み込んでいたお陰で簡単に重心が崩れた。
ティンテにぶつからないギリギリの角度で奴の身体を逸らしながら、湖へ突き落とすことまでできるとは、案外俺もやるのかも。
もちろん俺も無事ではなく、勢いのまま湖へと飛び込んでいく。人魔にとっては危険な湖だろうが、俺は元々人間なのだ。仮に「先祖返り」を食らったとしても特に変化はないだろう。
まったくティンテのやつめ……自己犠牲なんて格好つけるなよ。お前がいなきゃ誰がエーゲルに説教してやれるんだ。
水底へ沈みゆくまま、俺は勝利の美酒に浸っていた。一緒にダイブしたデカブツはどうやら苦しみもがいているようだ。
ティンテを救い、敵を倒し、ほとんどすべてが思惑通り動いていた。
ただ一つだけ、大事なことを忘れていた。俺は泳ぐのが苦手なのだ。
透明な膜に覆われたここから這い上がる術を持たない。息も苦しくなってきた。
ティンテは泳げるだろうが、ここに入ってきたら共倒れだし……
うーん……どうにもならんな。ぐっ、水飲んだのかも……うぅ……苦しい、やべぇ意識が……
目を覚ますと、辺りが真っ暗だった。自分はいま確かに座っているのだが、なぜか地面すら見えない。真っ暗な中、透明なガラスにでも座っているのだろうか。
さらに奇妙なことに、暗闇の中で自分の身体だけははっきり見える。周りの景色すら見えない暗さなのに、どうして……
あまりに奇妙な空間に頭が変になりそうで、意味もなく自分の身体をペタペタと触っていると、どこからか声が聞こえてきた。
「おー、やっと来たなあ」
耳慣れない声。なのにどこかで聞いたことがあるような、懐かしい響きすらあるような。
目を細めて声のした方をじっと見つめていると、おぼろげながら声の主の姿が浮かび上がってきた。
その声の主は俺より少し若い男だった。柔和な笑みをたたえた美青年で、ゴワゴワした乳白色の服を着ている。なんだっけあれ、弥生時代の古代人の服装か?
それより目を引くのがその美髪だった。とにかく長い長い髪。足元どころかそのずっと後ろまで髪が伸びている。
……誰だ? 顔はまったく見覚えがないし、こんな特徴的な人物なら覚えてるだろ。
死ぬ前に見る走馬灯ではなさそうだが、なんとなく自分が半死半生の状態であることだけはわかる。理屈とかじゃなく、感覚的にそうであるとしか言いようがないのだ。
「アンタは誰だ。お釈迦様か閻魔様か?」
「どっちでもないなあ。まあ似たようなもんやけど」
「色々聞きたいことはあるんだけど、まず一ついいか?」
「なんや?」
「なんで関西弁なんだ?」
「趣味や」
「そうか……」
一息ついて辺りを見渡すと、やはり無限の闇が広がっているのみ。夜空のようにも深海のようにも見えるが、ただただ暗い。それに少し肌寒いような気もする。
「アンタだろ」
「何がや」
「俺に『恐怖の大王』を授けたのは」
「おー、察しがええなあ」
以前俺が狂躁に陥った時に聞こえた声も、目の前の相手が発したものだろう。神だか仏だか知らないが、文句を言える相手が現れたのは都合がいい。今までの鬱憤を晴らさなきゃ嘘だ。
「アンタのせいでなあ! 俺は酷い目に遭ってきたんだぞオイ!」
「知っとるよ。全部見てたし」
「なら俺のこと助けろよ! せめてこの能力を消すとか!」
「消してもええけど君の存在ごと消滅すんで?」
「はあ!? ふざけんなよ、変なもん押しつけやがって……!」
「しゃあないやん、君らが思ってるほど僕らも万能やないんやし。あと僕は姉ちゃんと違って創るのは苦手なんや」
「ハァ……クソッ、もう……」
長髪の男は耳の穴をいじりながら話半分といった風情だ。
怒鳴ったところで暖簾に腕押しというか、この男に罪悪感を覚えさせるのは無理だろう。
しかし「姉ちゃん」か。今の発言でこの男の正体がなんとなくわかってきた。まさか実在するとは思っていなかったが、目の前にいるんだから疑いようもない。
「なあライン様よ。俺は死んだのか?」
「いんやギリギリ生きてるで。いま君の仲間が必死で救命作業してるし、そのうち生き返れるんちゃう」
正体を看破されたことを気にも留めるでもなく、目の前の神は淡々と答える。人が死にかけてるのにずいぶんと平気なものだ。コイツを人間の感覚で測る方がナンセンスなんだろうけど。
「じゃあ生き返るまで話に付き合ってもらおうか。俺の能力は何なんだ? どうやったら防げる?」
「結論から言うと防ぐんは無理やね。君に与えた力は『死』を想起させるもんやし。姉ちゃんは『生』を司り、僕は『死』を司る。そういうもんやねん」
「そうかい……納得はいかねえし今すぐアンタを殴りたいが、神罰が下りそうだしやめとくよ。それより今は、人戻会だ。アイツらをどうやったら止められる?」
「知らんがな。君らの階層の揉め事やし、自分らで解決せえ……って言いたいところやけど不肖の姉のせいでもあるからなあ。ちょっとぐらいは手助けしたらなあかんか」
半分独り言のようにライン神はそう答えた。
俺には理解の及ばないレベルで勝手に納得しているが、色々と説明してほしいものだ。
「アンタの姉って言えばドナウ神か。ドナウ教の教義のせいで人戻会がおかしくなったってことか?」
「いやいや、教義とか君ら人間が勝手に作ったやつやから。だってあの辺のルールって神への信仰とかより自分らの揉め事を防ぐためにあるやろ? たまに手段と目的がひっくり返ってるやつもあるけど」
やはりライン神は俺に話しかけるというよりずっと遠くを見ているように思える。俺からすれば真っ暗なこの空間でも、彼には何か別のものが見えているのだろうか。
「まずな、人戻会。アイツらアホやねん」
「知ってるが……どこがどうアホなんだ」
「人魔と人間が距離を取るっていう人戻会のルールな、アレは元々弱っちょろい人間が人魔と揉めてケガせんように、って作られたルールやねん。やのに自ら人魔にちょっかいかけにいったらアホやろ」
そこはご説もっともだ。というか、俺ですら感じていた部分ではある。人戻会が復讐者の集まりなのは仕方ないかもしれないが、それで戦争でも巻き起こして関係ない人たちまで巻き添えにしたらもっと被害者は増えるわけで。
復讐をしたいなら直接加害してきた人魔に報復をして、そこまでで手打ちにすべきだろう。
無関係の人魔や人間まで巻き込むのだけは避けるべきだ。
「それで、アホの人戻会を止めるにはどうすれば効果的なんだ?」
「色々手段はあるけどなあ……」
ライン神は初めて俺の顔を真正面から見据えた。そして、ドス黒い笑顔をにこやかに見せる。世の悪意をすべて集めて煮込んだかのような、真っ黒な笑顔だ。
「たとえば、全部壊すことはできるで? そうしよか?」




