⑪ー3 死との邂逅 その3
呆けている場合じゃない。早くアンゴを助けに行かないと。まだ逃げるくらいの余力は残っているはずだ。
カラマーはアンゴの情けない姿をぼんやり眺めている。今が好機なのだ。
傷だらけの触手を操り、アンゴの元へ駆け寄る。気絶はしているものの外傷は無さそうだ。当たり所が良かったのか悪かったのか……
これなら多少揺れても大丈夫かな。アンゴを担いで逃げることはできそうだ。
「逃ゲルナ!」
反対側へ駆け出した私を、カラマーが後ろから追いかけてくる。あの巨体に似合わずなかなかの瞬足だ。
足が多いぶん私の方が速いはずなのだが、満身創痍なせいでうまく走れない。長時間逃げれるだけの体力も残っていないし、追いつかれるのも時間の問題か。
ただ逃げるだけじゃダメだ。反撃の一手を考えないと。
「待テ! マトメテ殺シテヤル!」
「私はともかくアンゴを殺せばどんな影響が出るかわからないぞ! キミだって無事で済むか」
「知ルカ! 俺ハ怒リヲ晴ラセルナラドウデモイイ!」
鈍く光るカラマーの目を見る限り、本気で自分の命すら軽んじているようだ。異性に相手にされないというだけでそこまで自暴自棄になれるのか……私には理解できない感覚だ。
もしかして、あれがアンゴの能力が効かない理由なのだろうか。捨て鉢になれば文字通り怖いものなしになって、「恐怖の大王」すら効かなくなる、と。
アンゴに教えてやりたい情報が得られた。二人とも生きて帰れたら、の話にはなるが……
しばらく逃げ続け、たどり着いたのは水棲族の里で一番大きな湖だった。風は弱く、水面は静かに揺れているのみ。
風流な情景に見えるが、この湖が原因で水棲族は「先祖返り」してしまったのだろう。
それを思い返すと、目の前の巨大な水溜まりがまるで毒池のように感ぜられる。
「観念シロ……」
カラマーが後ろからゆっくりと迫ってくる。これ以上奴から逃げようとすれば湖へ飛び込む他ない。
前門の虎、後門の狼なんて言葉があるが、私を追い詰めるのが虎や狼程度の可愛いものであればどんなに良かったろう。
覚悟を決めるため振り返って深呼吸を繰り返していると、ふいにアンゴが目を覚ました。目をぱちぱちとさせて状況を推し量ろうとしているらしい。
敵わない相手にも立ち向かおうとした彼の気概に報いるため、私も頑張らないとな。
「ココガ、オ前ラノ墓場ダ」
「そうなるかもね。冥土の土産に一つ教えてもらいたい」
「アァ?」
「キミも一度は人魔を愛した者のはずだ。なのにどうしてそこまで人魔を憎む?」
カラマーは深くため息をついた。怪物化の影響か、あるいは元々なのか、醜く歪んだ顔のため彼の表情はわかりづらい。たたなんとなく、どこか憂いを含んだ目をしているように見えた。
「オ前ニハワカラナイ……美シク強イオ前ニハ」
「確かにキミの話をどれだけ真摯に聞こうとも一生わからないことかもしれない。だがね、私は歩み寄ることが肝心だと思っていて……」
「歩ミ寄ッテ、ソノ先ハ?」
「えっと……仲良くなれるとか……」
「ドコマデ仲良クシテクレル?」
「それは……」
カラマーのかすれた声が、木の葉のこすれるような悲しい音色を立てる。
彼の言いたいことはわかるのだ。「仲良くなる」なんて言ったってそれは「いいお友達として」であって、特別な仲になることを意味しない。カラマーはきっと、特別を求めているのに。
だとすれば私は無責任だったのかもしれない。私の放った言葉は飼えもしない犬に餌を与えるような自己満足だ。
正面に立ちはだかるカラマーは閉じていた6本の腕を大きく広げる。もうこれ以上言葉は要らない、と彼の奇腕が雄弁に語っていた。
「オ前、悪イ奴ジャナイ。デモ、オ前、俺ヲ救エナイ」
「そのようだ。なら、決着をつけようか」
「アア」
未だ動けずにいるアンゴから少し離れた場所でカラマーと取っ組み合う。彼とはほんの少し、髪の毛の先ほどはわかりあえたような気もするが、やはり容赦はしてくれないようだ。
太い6本腕は私の触手を握りつぶさんと血管を浮き上がらせている。力比べではやはり敵わないか。
とはいえ、実のところ作戦はあるのだ。もう少し湖に近づけさえすれば……押し合ったまま、少しずつ湖へと身体を寄せていく。
「オレヲ落トスツモリダロウ」
「どうだろうね」
こちらの狙いも読まれているか……だがそれも想定の範囲内だ。
カラマーを湖に落とせば、おそらく彼の奪った人魔の力は失われる。どんな手段を使ってもカラマーを倒し、アンゴの身の安全を確保したい。今の私の願いはそれだけだ。
カラマーも私だけを湖に落とすつもりなのかもしれない。やけにあっさりと湖のほとりまで着いてきてくれた。
そして私たちの身体はもう湖の淵まで迫っていた。水面にきらめく光に吸い込まれてしまいそうな距離だ。
「サア、オレヲ落トセルカナ?」
カラマーが鼻で笑う。お前の力では無理だ、と言外に語っているようだ。
事実、今の私にはカラマーだけを落とす馬力はない。器用に相手だけを突き落とすような技術もない。だったら取れる方法は一つだろう。
じりじりとカラマーの身体ごと湖へ近づいていくと、奴はようやく顔色を変えた。ここに来て私の狙いを理解したのだろう。
カラマーとともに湖へ落ちる覚悟を決めた、私の狙いを。
「クッ……離セ」
「上手く絡まっているだろう? キミの方が力は強いけれど、これなら簡単には逃げられないね」
「オォォォォ!!」
カラマーは暴れて逃れようとするが、あまり激しく動くとその勢いで湖へ落ちてしまうため、どうしても控えめな動きにならざるを得ない。
この場所まで来た時点で決着はついていたのだ。まあ、私の勝ちというより引き分けでしかないのだが、
もうすでに、触手の1本が湖に触れそうだ……
思えば短い人生だった。でも人戻会の幹部であろう敵を倒せるならスキュラの女王としては悪くない成果だろう。
心残りと言えば、子がいないことくらいだろうか。
女王としてというより、一人の人魔として跡継ぎは欲しかった。それも大事な人との間に生まれた子が。そう、願わくば、アンゴと……
最後の一押しで私たちの身体が湖へ傾きかけた瞬間、ふいに私の背筋に凄まじい悪寒が走った。思わず身体中の力が抜け、カラマーの身体を離してしまう。
文字通りあと一歩だったのに、身体が怖じてしまったのだろうか。こんな、こんな最悪のタイミングで……
「馬鹿メ!」
自由になったカラマーの巨大な拳が、私を湖へ突き落とそうと迫ってくる。




