⑩ー6 うごめく悪意 その6
「出やがったなゼンゼマン……!」
わざわざ人魔の多いブゼン大陸に乗り込むだなんて……と言いたいところだが、実はそこまで驚きもなかった。
ピエホやウンボーが暗躍していたことを考えれば、親玉のコイツがいても不思議ではない。
「いい加減人魔に手を出すのやめろよ……お前の仲間だって傷つくことになるんだぞ」
「仕方ありません。大義に犠牲はつきものですから」
「ウンボーと同じこと言いやがって……あれもお前が吹き込んだセリフか」
「貴方も犠牲は必要だと思っているのでしょう? でなければウンボーに手をかけることなどできなかった。ああ可哀想なウンボー、まさか人の手で殺されるなんて……」
「ち、違う……あれは事故で、俺は殺すつもりまでは……」
「本当に? 『俺の仲間を害する奴は死んでしまえ』と思ったことは一度も無いと言いきれますか? 心の底から?」
「いや……違うんだ、俺、俺は……」
バシン! とティンテの触手がゼンゼマンの影を勢いよく叩く音で空気が切り裂かれた。
お陰で俺も顔面から水を浴びたみたいに意識がシャッキリしてきた。危うくゼンゼマンのペースに呑まれるところだった。
「おお怖い怖い。人魔は野蛮でいけませんな」
「野蛮なのは認めるが、キミたちほど陰湿ではないよ。どちらがマシかな」
「獣に人の道理はわかりませんか。結構結構」
顔にヒビの入ったようなティンテの表情を見るに、煽られた俺よりティンテの方がキレてるようだった。
自分の代わりに怒ってくれる人がいるのはありがたいが、今はのんきに感じ入っている場合ではない。
「それで、貴方は何をしにいらしたので? わたくしたちに嫐り殺されに来たのですか?」
「いえいえ、ただ私は親切心で来たのですよ。もうすぐ人魔の世は終わる。それまでに余生を存分に楽しんでいただかねば、と思いましてな」
「そうやって俺たちを混乱させるのが目的なんだろう」
「ほっほっほ。それも悪くありませんな」
今度は何を企んでやがるのか。どうせロクでもない陰謀なんだろうが。
まさか大規模な「狂躁」でも引き起こすつもりなんだろうか。あれは確かに厄介だが、力づくで止めることも不可能ではないので対処の方法はある。
「わたし、あなたのこと嫌いだよう。顔も見たくないのに」
「存じておりますとも。ですからわざわざこうして馳せ参じたのです」
「ただの嫌がらせで姿を現したってのか? いちいち嫌味な野郎だ」
ゼンゼマンはニヤニヤ笑うだけで肯定も否定もしない。わざわざ俺たちの前に現れる以上、目的があってのことだと思うが、何を狙っているのか掴めず薄気味悪い。
「復讐とかやめて静かに余生を過ごしたらどうだ? 孫のエリスまで巻き込んで、恥ずかしくないのか?」
「アンゴ様には子はおりますか? 孫はまさかおりますまいが」
「いねえよ。だからどうした」
「子を喪った哀れなジジイの気持ちがわかりますかな? 幼くして両親を喪った娘の気持ちは?」
「わかんねえよ。たとえそうなったとしても、種族全体に復讐しようとは思わねえ。実行犯相手ならまだしも」
「そう言い切れるのは幸せなことで」
真正面から否定した俺に対し、ゼンゼマンは怒るでもなく憐れみの目を向けた。そして俺たちに背を向け、独り言のようにポツリと呟く。
「もしも貴方がたの未来を視たいならば、水棲族の里へお戻りなされ。面白い光景が広がっておりますよ……」
「待て! ゼンゼマン!」
奴の背を羽交い締めにしようとするが、やはり空を掴むだけで触れた手応えさえ感じない。
ドライエード様の言ったとおりコイツは無敵なのか。向こうも攻撃できない以上は五分のはずなのに、なぜかやけに絶望感がある。
「戻ろうアンゴ。罠かもしれないが水棲族が危ないらしい」
「ああ……つくづく嫌なジジイだ」
悪態もそこそこに水棲族の里へ向けて走り出す。カナンのいた森にしたのと同じように放火でもしやがったのだろうか。とにかくロクでもないことが起こっている予感だけはしていた。
再び水棲族の里の近くまで戻るが、周囲の雰囲気は不気味なほどひっそりと静まり返っていた。火の手は見えないし騒ぎすら起こっていないように思える。
薄ら寒い風が木立を撫でる音だけがそよそよと聞こえてくるだけだ。
「……ゼンゼマンのハッタリか?」
「どうでしょうね、ここは一つ慎重に……」
シャルフがそう言いかけた時、エーゲルがシャルフの袖を引っ張った。静寂の中では衣擦れの音すら目立つもので、俺たちの視線はみなエーゲルの手元に集まった。
「どうされました? エーゲル様」
「なんか……聞こえない? 声、なのかなあ……」
耳を澄ませてみると、うなり声のようなものが聞こえる気もする。しかし争っているにしては弱々しい声だ。狂躁が起きているわけではなさそうだが……
やっぱり火急の事態が発生しているわけではないのか?
いや、待てよ……なんでこんなに静かなんだ? 水棲族は「邪神様」を呼び止めようとしていたし、俺たちを連れ戻すための準備やらで喧々諤々の議論が起きててもおかしくないはず。
あの変なテンションの宗教団体が静寂に包まれている方がおかしいだろ。
我知らず足が早くなる。水棲族は人の話を聞かないし「邪神様」と勘違いされたのはハタ迷惑だったが、アイツらも悪い連中ではない。
旧い繋がりのあるティンテに友好的なのはもちろん、部外者のエーゲルやシャルフにも親切な気のいい奴らだったのだ。
もしも彼らが窮地に陥っていたとしたら、俺にも思うところがある。
黙ったまま皆で走り続けると、里の入口にはすぐ到着した。直後、目に飛び込んでくる異変。
門番をしているイソギンチャクの下半身を持った人魔が二人、地面に伏せっているのだ。
見たところケガは無い。しかし「楽の勇者」ナギがしたような、平穏な眠りに就かせる技を食らったわけでもなさそうだ。
二人とも目を閉じながらも意識はあり、苦悶に喘ぐ声を上げているのだから。
「どうしたんだ!? 大丈夫かい!?」
倒れた二人はティンテにかけられた声に反応はしたが、どうもうまく言葉を発せないらしい。視線すらこちらに向けられず身悶えしている。
「なんだこれ……どういう状況なんだ」
「わかりかねますわ……毒を盛られたなら痛みで声を張り上げそうなものですが、やけに静かで……」
「喉がやられちゃったのかな」
人魔の一人が首を振った。喉がどうとか、そんなチャチな話ではなさそうだ。
具体的に何が、と言われると困ってしまうが、どうにも不穏な違和感がある。嫌な予感と言い換えてもいいかもしれない。
迂闊に手を出すわけにもいかず俺たちがまごついているうちに、なんと二人の身体が溶け始めた。
「うぉっ!? やべえだろこれ何だよオイこれ」
「わかりませんわ! 身体が溶ける毒なんて聞いたことありませんもの!」
「どどどどどうしよう、わた、わた、わたし」
「落ち着けエーゲル! とにかく落ち着け! 落ち着いて……落ち着け!」
そして。
「ただの……イソギンチャクになっちゃった……?」
二人の身体が溶けた後に残っていたのは所在なさげに佇む二匹のイソギンチャクだけだった。




