⑩ー2 うごめく悪意 その2
次に向かうのはティンテの知り合いのところ。知り合いといっても特定の一人というより、コミュニティごと知っているらしい。さすが女王だけあって顔が広い。
目的地は水棲族の集落だ。ティンテも母に連れられて数度来ただけで道順までは覚えていなかったようだが、有名な集落であるらしく、道行く人魔に尋ねると行き方を教えてもらえた。
「これから会いに行くのはどんな人たちなんだ?」
「悪い人魔たちではないよ……ただね」
「ただ?」
「人間と仲良くやれる人魔はたいてい、私たちの元いたナイキー大陸に住んでいるんだ。こちらのバント大陸に住んでいるのは人間と一緒に暮らすことができない者が多い。価値観が違ったり、生活環境が違ったり、あるいは……」
「宗教が違う、とか」
俺の答えにティンテは目を丸くした。見当はずれなことを言ってしまったかと思ったが、どうやらその逆らしい。
「珍しく冴えてるねアンゴ」
「珍しくは余計だろ」
「人間……とりわけ人戻会が信仰しているのは『ドナウ神』だけど、水棲族が信仰するのは『ライン神』ドナウ様が姉、ライン様が弟らしいけど教義には隔たりがあってね……」
ドナウ教とライン教には様々な違いがあるが、その中でも最も差が大きいのが「死生観」と「人魔に対するスタンス」であるらしい。
ドナウ教において「死」は忌むべきものであり、信念に殉ずる死以外は可能な限り避けなければいけないとされている。(その割に人戻会は死にまくってる気がするけど)
生きることこそ尊く、どれだけ高齢だろうと病人だろうと生き長らえさせることが至上の価値とされている。
一方でライン教においては「死」は日常の1ページでしかない。誰かが死んでも簡単な葬儀をするだけで墓も至極簡素なもののようだ。
生命を軽んじているわけではなく、「死んだでいなくなったのではなく、生まれ変わりによって新たな命を得た」と考えるらしい。
葬儀は質素なものだが、その食事はまるで誕生日会のようなご馳走が振る舞われるようだ。
「アンゴ様の世界ではどのような死生観が主流でしたか?」
「うーん……国によって違うから一概には言えないが……俺の暮らしてた国はドナウ教に近いかも」
「アンゴ様がいた世界でも生命維持が至上命題でしたのね」
「でも自殺者は結構多かったかな……変な話なんだけど、長生きを重視しすぎて生きづらくなってるというか、今ある楽しさより未来の不安ばっかり大きくなって」
「ある意味人戻会に似てるかもねえ」
「そうかな……そうかも」
エーゲルに指摘されて気付いたが、確かに俺が元いた世界にも近い死生観はある。
脳死状態の人やほぼ意識のない高齢者をどう扱うべきか意見は割れているものの、「技術の粋を尽くしてどうにかして生き長らえさせる」という処置を取っている場合は多い。
それが本当に「生命を尊重する行為」と見なせるのか、何より本人がそうまでして生きたいと思っているかなど、倫理的な問いに答えは出せない。
だからって「じゃあ障害者や高齢者は安楽死させます」なんて世論はまず出てこないし、俺だって賛成しかねるところではある。ただ、人戻会と同じと言われるとなんとなく正しくないような気持ちも芽生えてきた。
「もう一つの、『人魔に対するスタンス』ってのはどう違うんだ?」
「ドナウ教では人魔は人間と獣が混じった存在と見なされるんだ。だからドナウ教の中でも意見が割れていて、『半分は獣だけどもう半分は人間なんだから尊重すべき』という派閥と、『半分人間だろうが残りは獣なんだから害があれば駆除すべき』という派閥だね」
「なるほど人戻会は後者ってことだな……」
「ちなみにライン教では人魔と人間に違いはないとされているよ。人魔の身体も個性の一部として見なされるんだ」
「じゃあ人魔はみんなライン教なのか?」
「そこが複雑なところで、『半分獣として自由気ままに生きたい』と思う人魔もいてね……前に会った女王バチなんかはドナウ教だね。『獣が人間を襲って何が悪い』と言わんばかりの価値観を持っていただろう?」
うーん、なかなか複雑な世相のようだ。俺のいた世界のように「人は獣の上位種である」みたいな単純な価値観は通用しないらしい。
人間を獣より上位に置くという点でも人戻会の価値観は元いた世界に近いのか。
「ちなみにティンテたちはどっちを信仰してるんだ?」
「うーん……強いて言うならライン教だけど、信仰というほどでもないかな。教義を遵守しているわけでもないし」
ずいぶんご無体だなと言いかけたが、うちの家族も敬虔な仏教徒ってわけでもないのに家に仏壇とかあったなあ。その割に神社にもお参りしてたり……うっすらとした信仰、という点はこちらの世界も同様か。
「しかしそれだけ教義が違えば宗教間の対立も激しそうだな」
「それが、案外そうでもないんだよね。ドナウ様が姉神、ライン様が弟神だから自然と姉弟の間で争うのは良くないな、って信者もなりがちで」
「へえ……そういう設定なのか。昔の人がうまく考えたんだな」
「設定というか本当にきょうだいだと思っているんだけど……まあ外から来たアンゴからすればそう見えるかもね」
ティンテは釈然としない様子だったが、神の実在にまで触れだすと神学論争になるし俺も望んではいないところだ。
しかしそうなると人戻会は争いを煽る不敬な連中ってことにならないか? 人魔排斥のせいできょうだい間の対立を生み出してるわけだが。
「なら人戻会に本来の在り方を説けば……!」
「どうだろうね。自分たちの都合のいいように教義を解釈する人間はどこにでもいるものさ。だから、一部の過激な信者はどうしても対立を煽ってしまう」
「ちなみにこれから行く水棲族の人魔たちはどうなんだ?」
「過激側だよ、だからこの話をしたんだ。根は悪い連中ではないんだけど、頭が固いというか……」
「そうか……」
水棲族の里では言葉を選んで話した方が良さそうだ。ライン様とドナウ様、万が一にも言い間違えないようによく覚えとかないとな……
「難しい話終わった?」
エーゲルがのっそりと起き上がる。途中から寝ていたのかと思ったが、実は目が覚めていたらしい。
「ほぼ終わりだな。とりあえず水棲族の里に向かおう……ってシャルフ!?」
シャルフは立っていたのだが、そのままこちらに倒れかかってきて思わず大声が出てしまった。意識はあるらしく声に反応して目を開けたが、身体に力が入っていない。
まさか連日の疲労で倒れてしまったとか……? まずいな、またドライエード様のところに戻って治療を……
「いえ、寝ていませんでしたわよ。まったく」
「そう……」
あくびを噛み殺しながら目をこするシャルフ。結局真面目に話をしてたのはティンテだけってことか……なんだかちょっと寂しい。




