⑨ー5 それぞれの戦場 その5
襲われたカナンが平静に返る頃には、もう野盗の姿はなくなっていた。後にはカナンが吐き出した手斧と野盗たちの衣服だけが残っていた。
「ああそうか。アタシ、食べちゃったんだ」
ほとんど他人事のようにカナンはそう振り返ったそうだ。
頑丈なカナンの身体は斧でも意外と傷は受けていなかった。だが、それでも痛みはある。
もし火をつけられたりしたら流石のカナンでも耐えられない。野盗を返り討ちにしたのは正当防衛として誰も責められないことだろう。
「でもねー、あれ以来知っちゃったんだよね。人間の美味しさを」
野盗の襲撃以来、カナンは人間を見かけるたびに消化液(人間で言うヨダレ)が止まらなくなってしまったようだ。
滅多に人間に会わない生活だったのが幸いして被害は無かったが、それでも衝動を抑え続けられる自信は無かった。
襲ってきた相手ならともかく、友好的な相手まで食べるわけにはいかない。頭ではわかっていても、我慢は辛いものだ。
そしてカナンはナイキー大陸を去ることにした。人間のいないブゼン大陸へ渡ることで己の心と人間の身を守ることにしたのだった。
「人食衝動を止める方法を見つけ、カナンに森での暮らしを続けさせることができなかったのはこのドライエードの失態です。故郷を捨てねばならないのはさぞ辛かったでしょう」
「別にドライエード様が悪いわけじゃないよー。寂しくないと言えば嘘だけど、強いて言うなら巡り合わせが悪かったよねー」
「それでも貴女が逞しく生きている様子を見て、安心してしまった私を無責任だと思いますか?」
「……思うわけないよね」
静かに涙を流すカナンとドライエード様。その姿を見るだけでわかった。カナンもおそらくシャルフに負けず劣らずドライエード様を慕っているのだろう。
詳しいことはわからないが、きっとカナンもドライエード様を親代わりに思っているに違いない。
「ところでカナンちゃんは人魔は食べないの?」
「そうなる前に大抵逃げられちゃうねー。知能の高い生き物はふつう疑似餌に釣られないから」
「えっ、でもティンテは……」
「言うなアンゴ。私に恥をかかせたいのかい」
触手で顔を覆うティンテ。おそらく赤面しているであろう。その仕草が妙に愛らしい。普段がしっかりしているだけに、ドジなところを見て親近感が湧いてくる。
「わたしたちも人間のこと養分にしてるからねえ。カナンちゃんのしたことを責める気にはなれないよねえ」
「でもエーゲルたちは吸い殺すことはないんだよな?」
「……」
「なんで黙るんだよエーゲル。おい。怖いって」
ちょっと不穏な空気になり始めたところで、シャルフが目を覚ました。起き上がり、一通り周りを見渡すとドライエード様を見て固まってしまった。
「嘘……嘘でしょう……貴女は、もしかして」
「そうです。私ですよ」
「ああ、ドライエード様、ご無事で……ああ!」
シャルフにキツく抱き締められたドライエード様は苦しそうな素振りも見せずシャルフの頭を撫でた。
ドライエード様が子どものような身長であるせいで、子どもが大人をあやしているようなチグハグな光景であったが、自然と涙を誘われる。
シャルフは一通り泣き終えると、ようやくドライエード様から離れて正座の姿勢を取った。まだ瞼は腫れぼったいままだ。
「無事で何よりです、シャルフ」
「ドライエード様こそ。それに、皆様ご無事で安心しましたわ」
「死ぬかと思ったけどねー、生きちゃったよね」
植物族の三人は家族同然の仲だったのだろう。互いの無事に心から安堵している様子だった。この時ばかりは死にたがっていたカナンですら掛け値なく喜んでいるように見えた。
「ところでドライエード様、その可愛らしいお姿は?」
「緊急避難用の器です。貴女たち娘にすら話していない、とっておきですわ」
「やっぱり人戻会にやられたのー?」
「ええ、主導していたのは人戻会のゼンゼマンという老人です」
「やっぱりアイツか……」
予想はしていたが、人戻会が犯人でしかも親玉のゼンゼマンが主犯だったか。まあ、重要任務に奴が出てこないはずがないよな。
「しかしドライエード様、なぜ貴女ともあろう方が人戻会に遅れを取ったのでしょう。倒せないまでも、追い払うくらいはできたでしょうに」
「ゼンゼマンだけならどうにか対処できたでしょう……しかしあの男は、もっと恐ろしいものを連れてきたのです」
「そいつは人魔ですか? 人間ですか?」
「おそらく人間でしょうが……人間を辞めている、としか思えません。あんな身体では人間生活が送れるはずありませんから」
ドライエード様曰く、ゼンゼマンが連れてきた若い男は、ひどく痩せこけた目つきの悪い人相だった。
その男の纏う雰囲気自体も不気味だったが、何より不気味なのは男の両手が腐っていたこと。
その腐った手に触れられると、ドライエード様の身体の一部であった樹木はたやすく腐り落ちてしまった。
草花どころじゃなく、ドライエード様のいた城のレンガですらボロボロと崩れてしまったらしい。
「俺が言うのも何ですが、化物ですねソイツ」
「アンゴ様とは似ても似つかない存在ですわ。貴方は能力こそおぞましいですが、心はずっと綺麗ですから」
かなり寛容な性格のドライエード様にすらおぞましいと思われてたのか……とちょっとヘコんだ褒められた部分もあるしプラマイゼロとしよう。
しかし触れるだけで腐らせてくる相手か……できれば会うのも勘弁願いたい存在だが、いずれ戦わないとダメだよな。
「ドライエード様なら手に触れずに無力化できるのではありませんか?」
「それは試しました。あの者の手のひら以外を枝で簀巻きにして拘束したのですが、しかし無駄でした。しっかり手に触れずとも周りの空気ごと腐っていくような……ああ恐ろしい」
ドライエード様の見立てによると「腐った手の男」は能力の強弱を切り替えられるらしい。ソイツが本気を出すと触れた部分だけでなく男の周り一帯が腐り始めるレベルだそうだ。
「ぶん殴って気絶させなかったのー?」
「もちろんそれも試しました。しかしあの男は、殴られた部位が腐り落ち、また再生したのです。まるで泥人形を叩いているような手応えでしたわ」
「手だけじゃなく全身腐ってんのか……」
「花の毒も効きませんし、もちろん酸が通じるわけもなく。アレを倒すとなると燃やすか凍らせるか……いずれも私の手に余る手段でしたわ。ですから、このような身体になって緊急避難をするしかなかったのです」
「なるほど……ドライエード様ですら敵わない存在ですか……」
ティンテの言葉を最後に皆の口が重くなった。木々のざわめきだけがやけに耳に響く。
その空気を打ち破るためか、ドライエード様が再び口を開いた。
「しかしゼンゼマンの能力についてその正体がわかりました。これは大きい収穫かもしれません」
ゼンゼマンの能力。地下道が爆破されても生き残り、ティンテやシャルフの攻撃も軽くかわしてみせたアレか……あの能力を破る方法があるならぜひ教えてもらいたいものだ。




