⑨ー4 それぞれの戦場 その4
「これで急場は凌げました。しばらく安静にしておけば、後遺症も残らないでしょう」
「良かった……」
実際ノエルも傷跡さえ無視すればただスヤスヤと寝ているように見える。
安心すると全身の力がドッと抜けて、地面に倒れ込んでしまった。俺、こっちの世界に来てから倒れてばっかりだな……
「ではアンゴ様も診ましょうか。衣服をすべて脱いでください」
「ここで!?」
「医療に必要な行為ですので」
「いや全部は脱ぐ必要ないですよね? カナンもノエルも脱いでなかったですよね?」
「そうでしたっけ、うふふ」
突然キワどいジョークを投げてくるなこの人……緊張し続けていた俺の心を和ませるためなんだろうけど。そうだよな? 全裸の男を見て悦ぶ趣味とかではないよな?
シャルフの親代わりだから多少は怪しい気もするが……
とりあえず上半身だけは脱いで背中をドライエード様に見せると、彼女は冷たい手で俺の広背筋に触れた。
「ふむ……これは、なかなか」
「えっ、もしかしてヤバいケガとかありました?」
「だらしない体つきですわね」
「言わなくていいでしょそれ」
「失礼。お茶目なドライエードが出てしまいましたわ」
なんだろう。シャルフの話を聞いてる限りもっとエレガントな女性を想像していたが、ずいぶんイメージと違うな。
俺のレベルに合わせてくれているのか、あるいはシャルフの前では高貴なキャラを演じていたのか、それとも別の理由があるのか。
いずれにせよ、親しみやすい人柄で俺としてはありがたい限りなのだが……
ドライエード様が俺に薬を塗り終わる頃、ようやくティンテの姿が見えてきた。その背には鎌?のようなものが見える。
医者を連れてくるはずが死神でも連れてきたのだろうか。
「ハァ、ハァ……遅れてすまない……! 鎌鼬の姉妹がなかなか捕まらなくてね」
ティンテが立ち止まると、その背からやけに背の低い人魔がひょっこり顔を出した。猫耳みたいなのが生えている人魔で、どうやらその人が鎌を持っているらしい。治療器具には見えないが……
「ティンテ、走ってもらって悪かったが実はな」
「ああ、そうか……いやそれなら良かったんだが」
聡いティンテは俺たちの様子を見てなんとなく事態を悟ったのだろう。穏やかな寝顔のカナンやノエル、それからあまり緊張感のない俺がいれば急場でないことは明らかだった。
「ほんで、ケガ人は?」
「あっ、すまない先生。先に他の医者が仕事を済ませてしまったようだ」
「そうですかい。じゃあアッシはこれで」
「いやいやそんな! まだお礼もできていないのに」
「仕事もせんで銭だけ受け取れますかいな。またよろしゅう」
そう言うと鎌鼬の人魔は風のように消えていった。後にはさっきまで人がいた気配すら残らない。
そういや鎌鼬って風で斬りつけた後に塗り薬とかで治療してくれるんだっけ……
「ところでそちらの少女は? どうもその子が治してくれたように見えるけれど」
「久しくしておりますね、スキュラの当代女王」
「えっ、まさか……ドライエード様のご息女でいらっしゃいますか?」
「本人です」
「本人? いやしかし、ドライエード様はもっとこう……大人の魅力に溢れる方だったような」
「そうですね……このような有様になった訳をお話しましょうか。その前にどなたかシャルフを運ぶのを手伝っていただけますか?」
ティンテが草に埋もれたシャルフを引き上げ、俺たちのところまで戻ってきたところでカナンが目を覚ました。
「あっ、ドライエード様だー。ってことはここはあの世かな? やけに落ち着くなー、って思ったけど」
「落ち着きなさいカナン。貴女も私も、まだ死んではいませんよ」
「そっかー、助かっちゃったかー……」
せっかく生き残ったというのにカナンはどこか残念そうだ。自らの髪をくしゃりと握ってはそのまま黙り込んでしまった。
「カナン……貴女まだあの時のことを引きずっているのですか」
「それなりにはねー。罪悪感とか、ドライエード様にはわかんないかもだけどさー」
「いいえ、貴女を行かせてしまったことを私はずっと悔いていたのです。皮肉なことに、こんな身体になったお陰で再び貴女と会えましたが」
「そだねー。人生何が起こるかわっかんないねー」
妙にしんみりした雰囲気だ。二人の間に何があったのか気になるが、複雑な事情がありそうで踏み込めない。
「過去に何があったのかな。教えてカナンちゃん」
「エーゲル!?」
「ちゃんと聞いといた方がいいよ、アンゴくん。カナンちゃんが人戻会に狙われた理由とか、ハッキリさせないと」
「それは、確かにそうですが……」
「いいよー、ドライエード様。アタシから話すし」
カナンがまだナイキー大陸にいた頃、彼女はシャルフ同様北ニワナの街から外れた森に住んでいたらしい。
食虫植物は避けられがちで、シャルフやドライエード様以外とはほとんど会わない静かな生活を送っていたようだ。
食べるものと言えば蜜の匂いに誘われてきた獣や虫を食べて森の奥にひっそり潜んでいた。
そんなある日のこと。森の中で遭難した人間が迷いに迷ってカナンの元までたどり着いた。
その人は若い人間の男で、森の中で食べるものも飲み水も満足に取れず餓死寸前だった。それを哀れに思ったカナンは自分の蜜を分けてやり、また森の抜け方を教えてやったそうだ。
森の中で人妖に助けられる……昔話や物語ではありがちなパターンだ。
セオリー通りなら助けられた男はカナンと結ばれるか、あるいはカナンへ恩返しのために金銀財宝を持参してりするのだが、これはあいにく物語ではない。
助けた男とはカナンは二度と会うことはなかった。その代わり、カナンの日常が激変した。
「おう、お前がウツボカズラの人魔か。蜜をよこしな」
「だれー? 知らない人に急に言われても困るんだけど」
「いいからよこせってんだよ!」
「きゃっ」
斧で襲いかかってきたのは野盗のような小汚い風貌の男たち。動きの遅いシャルフは逃げることも叶わず、斧の格好の的だった。
殴られ、切りつけられ、痛みや悲しみ、怒りや恐怖で頭が真っ白になった。耐えられない感情の奔流の中、左腕を切り落とされた瞬間、カナンの中で何かがプツンと切れた。




