⑨ー2 それぞれの戦場 その2
「貴方は本当は人魔なんて殺したくない。そうでしょう?」
「違う!!」
ピエホの息が荒くなり、肩は震え、手は強く強くナイフを握りしめています。図星を突かれた人間とはどうしてこうも痛々しいのでしょうか。
作っていた奇矯な口調すら崩れていますが、本人はそのことにも気づいていない様子。
「思えば貴方の発言は不自然でした。人戻会が力を得る方法をわざわざ漏らしたり、カナンに危機が迫っているのを教えたり。敵を利すること、その意味がわからないほど愚かでもないでしょうに」
「黙れ、黙れ……!」
「その道化の化粧だって自分の本当の表情を隠すためでしょう? 人魔を殺めて悲しむ顔を見られたくないからで……」
不意にナイフが飛んできて、わたくしの頬を掠めました。今のも当てるつもりだったのかどうか……
それにしても武器を片方わざわざ手放すなんて、戦場ではあまりに不用意に思えます。油断というよりは自暴自棄に近い行為。
「俺は、俺はなあ! 人魔に親友をやられたんだ! 良い奴だった……傷ついた人魔を助けた見返りがあんな惨たらしい最期だなんて……許せるはずないだろう!」
「つらい過去をお持ちなのですね。それで、貴方の仇は取れましたか?」
「やってやったよ! あのカマキリの人魔……ガキごと全部バラしてやった! 忘れられねえ、あの光景……地獄を見せてやった!」
「地獄を見たのは貴方の方では?」
目をひん剥いたままこちらを睨みつけるピエホ。息も荒く、まるで獣のようです。でもその怒りの出処は、ひどく人間臭い感情で。
思ったとおり、憐れな人ですわ。恨みをぶつける対象を失って、もはやその感情をぶつける先すらわからない。
かといって、すべての人魔を殺したいわけでもない。そこまでやるのは行き過ぎだと自覚している。人戻会とは思えないほど優しく紳士的な方ですわ。
「もう、戻れねえんだよ……仇のカマキリどもだけじゃねえ、何人も何人もやっちまったんだ。気づいたらこのザマさ」
乾いた道化の化粧の上を一筋涙を流れていきます。なんと美しく、儚げなものでしょう。感動している場合でもないのに、思わずこちらまで涙を誘われます。
きっと、誰かに愚行を止めてもらいたかったのでしょう。人戻会にいる限りはそれも叶わない願いだったのでしょうが。
「安心してください。神に代わって私がすべてを許します」
「お前に俺が救えるってのか!?」
「救えます。貴方はもう、楽になっていい」
「やってみろよ、なあ!」
ナイフ片手にピエホが再び飛びかかってきます。気のせいか、先ほどまでよりも早いスピードです。これを躱して攻撃を当てるのは困難でしょう。なので、わたくしは。
「な、なんで……」
「ああ痛い……きっとこれが貴方の痛みなのですね」
わたくしの腰あたりからドクドクと赤い血が流れていきます。そう、半分植物の身体でも血は赤いのです。人間と同じ。
傷口が熱い。これほど血を流したのは久しぶりですが、不思議と痛みより高揚感がありました。
困惑したピエホは思わずナイフを手放し、そのまま地面にへたり込みます。逃げる相手を襲うことはあっても正面から受け止められたのは初めてなのでしょう。
背中から襲えば相手の表情は見えません。繊細な者におあつらえ向きの戦い方です。わたくしも、かつてそうでしたから。
「何故、何故躱さなかった……」
「信じていましたわ。貴方はきっと、急所を外すと」
「だからって……」
分の悪い賭けではありました。ピエホの当惑した様子こそが演技であり、実際にイカレ野郎だった場合、わたくしの命は無かったでしょう。
しかしわたくしはピエホを信じました。この臆病で必死な暗殺者を。かつてのわたくしに似た、どうしようもない弱虫を。
「逃げてくれよ、叫んでくれよ……俺を悪者にしてくれ……」
「いいえ、貴方を責めるつもりはありません。大切な人を奪われる憤りはわたくしにもわかります。そしてわたくしには貴方を責める資格がありません。己の尊厳のためとはいえ、わたくしも綺麗な手をしていませんから」
「俺は、俺は……」
震えるピエホを抱きしめると、すすけた雑草のような匂いがしました。これが悲しみの匂いというものでしょうか。
人魔に抱き止められるだなんて、人戻会所属の者なら堪えられない屈辱でしょう。しかし、ピエホは嫌がる素振りすら見せず、ただ静かにうなだれていました。
「なんでこうなっちまったかなあ」
「それはわたくしにはわかりません。きっと神様にもわからないことでしょう。運命なんていい加減なものです」
「そうかねえ」
「そうですわ」
「なあアンタ、名前は?」
「シャルフと申します。覚えておいてくださいね、ずっと」
「ああ、そうするよ……」
ピエホから伝わる感触が、ガクンと重くなりました。もう自分の身体を支える機能が失われてしまったのでしょう。
わたくしの刺した長い針がピエホの脳幹に届いてしまった。身体の平衡感覚を失った以上、彼はわたくしに寄りかかることしかできません。
恒常性を失った人間の身体は平常時よりずっと重いものです。わたくしの細い身体では支えるのもやっとなほど。
「ありが、と……」
かろうじて聞き取れたピエホの最期の言葉。たくさんの敵を殺めてきたわたくしも、感謝されたのは初めての経験です。
お礼を言われたのにあまり愉快な気持ちになれなかった。これも初めての経験でした。
ピエホの亡骸を地面に横たえると、空が白み始めていることに気がつきました。もう夜明けが近いなんて、思った以上に時間を食ってしまったものです。
アンゴ様がエリスという少女と話した時もこんな気持ちだったのでしょうか。人戻会がただの悪人集団であればどれほど気楽であったか。
ピエホに引導を渡したことに後悔はありませんが、あれが最適解であったかどうかはわたくしにはわかりません。
ただ、彼の彼岸での安寧を祈るのみです。
さて、わたくしも感傷に浸っている場合ではありません。アンゴ様たちを追いかけないと。カナンも心配ですから。
ああ、でも、意識が……思っていたよりも血を流しすぎたかもしれません。疲労もあったのでしょう……地面が、揺らいで……




