⑨ー1 それぞれの戦場 その1
わたくしの目の前にいる敵は、きっととんでもない極悪人なのでしょう。ドライエード様を追い詰めた組織の一員であり、今度はカナンまで苦しめたまさに仇敵。
しかしそんな彼を前にして、怒りや憎しみとは別の感情を持つこともあります。この気持ちの正体は未だわたくしにもわかりませんが。
「かかってこないのカナ? ならこっちからイッちゃうヨ! アヒャヒャ!」
目の前の道化は俊敏な動きで左右にフェイントをかけつつ、わたくしに近づいてきました。
両手には収まりの良さそうナイフ。しかしその刃物は陽動で、本命は「こちら」なのでしょう。
「まーたかわしやがったネ! 可愛くない女ダ!」
わたくしが身を避け、自慢の溶解液がかわされたことに不満顔のピエホ。ふざけた装いの割にスピードはわたくしより上かもしれません。予測していなければ危なかったのですが、余裕なフリをしなければ。
騙し合い、化かし合いが今回の勝敗を握ることでしょうから。
「あらあら、わたくしを淑女と扱ってくださるのですか。人戻会にしては珍しく殊勝な心掛けですね」
「メスって言った方が良かったカナ? 人魔はメスが多くていいネ! 柔らかい肉ほど溶かしがいがあるものだヨ!」
「……撤回します。貴方は救いのよう変態です。ここで始末させていただきます」
今度はこちらからピエホとの距離を縮めます。こちらの投針が届く距離、角度を見計らい、最適なタイミングで針を飛ばせば……
ここです! このタイミングなら刺さ……らない!? ピエホは背を反らせて針をかわしました。異様な軟体です。あんなに身体を後ろに曲げるなんて人間業じゃない。
カナンが心配ですからあまり時間はかけたくないものですが、これは長い戦いになりかねません。
「遅い遅い! そんなノロマじゃ当たんないヨ!」
「試し打ちですよ。ご所望なら千本の針を同時に打ち込んで差し上げましょうか?」
「アア怖いねエ! そんな芸当がホントにできるならの話だけどサ!」
さすがに簡単なブラフには引っかからないですわね。でも構いません。「本当にできるかも」と可能性を警戒させることに意義がありますから。
またピエホがナイフ片手に切り込んできました。ナイフの達人というほどではないようですが、溶解液を警戒しているとこちらの動きもつい鈍ってしまいます。
そして、ふざけた見た目や言動とは不似合いなほど合理的なナイフさばき。踏み込まず、遠すぎず、こちらの反撃がしづらいタイミングで絶妙に攻撃をしかけてきます。
前腕を軽く撫でられたせいで裂傷ができてしまいました。植物族は回復が早い方ですが、もし深手を負えばすぐには動けません。溶解液ほどではなくともナイフにも気をつけないと。
「逃げれば逃げるほど苦しむだけだヨ! 潔く溶かされナ!」
「貴方こそ潔く刺されてはいかがですか? わたくしなら一瞬で貴方を昇天させてあげられますが」
「生意気でツマンナイね! 悲鳴の一つでも上げたらどうダイ? どうせならオイラがウツボカズラの方に行ったらよかったかナ。溶解液が効かないかも、ってボスから止められてたケド」
カナンの話題が出ると、さすがに反応せざるを得ません。針と溶解液の応酬を続けつつではありますが、ついピエホの話に耳を傾けてしまいます。
「ウンボーの奴は役得だナ! 生意気な植物族のメスを焼殺できるなんて」
「カナンだってそう簡単にやられませんわよ。あまり舐めない方がよろしいかと」
「どうかナ、今ごろ焼け焦げてるんじゃないカ。『保険』も打ってたしナ! アヒャヒャ!」
ピエホは両手を口元に当ててわざとらしくゲラゲラ笑い声を上げました。カナンの身を心配させてわたくしの動きを鈍らせようと思ったのでしょうか。甘いですね。
「オー、危ない危ない。ヒヤヒヤしたヨ」
わたくしの投げた針がピエホの頬をかすめました。惜しいところでしたが、そう簡単に当たってはくれないようです。
「ヘラヘラと余裕ですね。わたくしを苛立たせるために来たのですか」
「それもあるかもネ。ボスの狙いはもっと深いところにあるらしいカラ。ま、オイラは楽しめりゃいいんだけどナ!」
笑いながらも溶解液を飛ばすことは忘れないピエホ。地面に飛び散った飛沫がわたくしの服に跳ねると、また服の一部が溶けてしまいました。
こうなってはレースが台無しです。女心のわからない無粋な方は困ります。
「チクチクと嫌味な攻撃ばかり……わたくしを嬲りものにするご趣味ですか?」
「そうだヨ! 他人の嫌がることほど楽しいことはないよネ!」
「とことんお下劣な方ですね……ニワナに住んでいる人たちとは大違いですこと」
針を10本、両手から放つとピエホは難なくそれをかわしました。そのまま距離を取って近づいてはきません。
その態度に妙な引っかかりを感じました。大振りな攻撃なのでこちらにも隙はできたはずなのですが、そこを突いてこないとは……
そこでふと思いつきました。ピエホの狙いはわたくしを倒すことではないのでは。
そもそもこの男、人戻会なのにわたくしのような人魔と平然とおしゃべりして、人魔にそこまで憎しみを感じていないように見えます。
昔、もっと小さな頃に人戻会の会員と会ったことがありました。あの時のおじさんはこちらに攻撃こそしてこなかったものの、仇敵を見るような目でわたくしたち植物族を蔑んできたものです。
まるで自宅の庭を占拠する雑草を眺めるかのように、迷惑そうな視線でした。
しかし今わたくしの目の前にいるピエホの眼差しには、そういった侮蔑の念は込められていないように思えるのです。
「ピエホ……貴方の目的は何なのですか?」
「ンー? 知ってんだロ。人戻会の目的は人魔の殲滅で……」
「人戻会の目的ではなく、貴方の目的を尋ねているのです」
「……」
ピタリ、とピエホの動きが止まりました。さっきまでは挑発するように指をクイクイと動かしていたのに。
道化の化粧のせいか笑っているようにも見えますが、その白粉の下に険しい顔が透けて見えるようです。
「決まってんだロ。人魔どもを駆除するのが楽しいからサ」
「嘘ですね。貴方は明らかに手加減してますわ。たとえば溶解液を霧吹き状にしたり、容器に入れてぶち撒けたりすればもっと有利に戦えるはず。少し考えれば思いつく発想ですが、貴方はそれをしなかった」
「何が言いたいのカナ」
「その破綻した人格も演技なのでしょう?」
「お前に……お前に何がわかる」
「わかりますわ。わたくしも『同じ』ですから」
ピエホはひどく顔を顰めており、道化の仮面でも繕えないほどになっています。
その歪んだ表情が示すのは、正体を暴かれた怒りか、それとも……




