⑧ー3 最強の勇者 その3
しばらく俺の腕の中で暴れていたシャルフだが、観念したようにその場にへたりこんだ。
この近くに水場はなさそうだし、燃え盛る森に対して俺たちができることはほとんど皆無だ。シャルフもそれを理解していたが、どうしても心が追いつかなかったのだろう。
「大丈夫? シャルフちゃん」
「取り乱してしまい申し訳ございません……」
「ドライエード様の所在もわからないし、こうも立て続けに知人が危機に遭うとね……キミが慌てるのもわかるよ」
「お気遣い、感謝いたします。とにかく今はカナンの無事を祈ることといたします」
言葉とは裏腹にシャルフの顔色はやはり落ち着きがない。チラチラと煙の上る森の奥に目を向けては眉をしかめている。これはしばらく目を離さない方が良さそうだ。
「シャルフ、あんなに辛辣な態度だったけどカナンのことを大切に思ってたんだな」
「ええ、まあ……植物族は温厚な人魔が多く、わたくしやカナンは異質な存在だったのです。数少ない、わたくしの古くからの友人ですわ」
「穏やかな人魔が多かったなら受け入れてもらえなかったのか?」
「親切な方々は優しい顔と穏やかな言葉を紡ぎながら静かに離れていくものです。わたくしたちとて、それに気づかないほど鈍感ではありませんでしたの」
「悪い、無神経だったな」
「いえ、お気になさらず。カナンが北ニワナから離れて以来、久しぶりに会ったのですが、あの子は何も変わっていませんでした。無神経なふりをして、自分だけが損をする振る舞いを選ぶ。さっきだって、きっと森の異変に気づいてわたくしたちを逃がしたのでしょう……」
語り終えたシャルフの目から静かに涙が流れる。彼女は地面の草を握っては離し、握っては離しを繰り返した。まるでそうしなければ自分を保ってはいられないかのように。
森から流れてくる煙の臭いがさらに強くなってきたのを感じた時、ふいにシャルフが立ち上がった。
「すみません、やはり行かせてください。わたくしはカナンを見捨てることはできません」
「シャルフ……」
「止められても行きます。どうしても、わたくしは……!」
「その必要はないんだナァ~!」
シャルフが走り出そうとした刹那、彼女を遮るように現れた影。どこからともなく現れた姿には見覚えがあった。
このふざけた装いは……いつかゼンゼマンたちと一緒に現れた「人戻会」のピエロか。
いつの間に近づいてきてたのか。それより、何が目的なんだコイツ。
「貴方が火をつけたのですか!?」
「アヒャヒャ! オイラじゃないヨ! あのウツボカズラを狙って火をつけたのは『ウンボー』! 人戻会の仲間さ!」
ペラペラ情報を吐くあたり、コイツは真性のバカなのだろうか。あるいは、何か狙いがあるとか。
ヘラヘラ笑うピエロを睨むシャルフ。視線だけで殺せそうなほど強い憎しみが伝わってくる。
「でしたら貴方も同罪でしょう。ここで死んでもらいます」
「待て、シャルフ。戦わずにカナンのところへ行くんじゃ……」
俺がそう言いかけたところでシャルフがこちらに耳打ちをしてくる。
「急に姿を現した、ということはあの道化は足止めかもしれません。皆さんでカナンを探してみてください。無理はしなくとも結構ですから、お願いします」
なるほど……シャルフの意見も一理ある。冷静でないシャルフがカナンを探しに行くのは危険ではある。俺たちだけなら深入りせず効率的にカナンを捜索できるかもしれない。
それに、あのピエロには俺の能力も通じにくいし、ティンテだと溶解液の的にされかねない。戦うならシャルフが一番適任なのだ。
自らカナンを探しにいきたいであろう気持ちを堪えて俺たちに任せてくれる、その心意気に応えてやらねば嘘だろう。
「行かせないヨォ~!」
走り始めた俺たちに向かって、ピエロ野郎の溶解液が飛んでくる。ティンテの触手の先端にぶっかけられた液はうっすら皮膚を溶かしているように見える。
再生力の強い触手とはいえ、さすがに痛みはあったのか、ティンテは思わず顔を顰めていた。
硫酸か硝酸かわからないが、多量が触れれば文字通り致命的だろう。
次の液を飛ばしてくる動作を遮るように、ティンテの針が鋭く線を描いた。思わずのけぞるピエロ。攻撃力の割に防御力は低いのだろうか。針相手だとかわすしかできないようだ。
「立ちはだかるつもりなら名を名乗るのが礼儀では?」
「オイラみたいなのに礼儀を説くなんてオモシロいね! オイラのことは『ピエホ』と呼びナ!」
「わたくしはシャルフ。貴方を殺す女の名前です。あの世で反芻なさい」
夕日がほとんど沈んだ今、森の奥で燃える火だけが眩しい。火の手が浅いうちに早く行かねば。
ここはシャルフに任せて、先を急いだ方が良さそうだ。
「頼んだ、シャルフ!」
「ええ。お互い無事でまた会いましょう」
シャルフとピエホが睨み合う姿を一瞥し、俺たちは再び走り出す。こんな早くまたこの森に足を踏み入れることになるとは。
「シャルフちゃんのためとはいえ、ちょっと怖いねえ」
「気持ちはわかるよ。火事がヤバけりゃ吸血鬼化して全力で逃げよう。俺たちが犠牲になるのはシャルフも望んでないだろうしな。しかしピエホの言ってた『ウンボー』って奴が気になるが……」
「敵が出てきたら戦うしかないさ。人戻会とは遅かれ早かれぶつかる運命なのだから」
木々の隙間を縫うように駆ける俺たち。遠くに赤い火が見える以外は何の変哲もない森のままだ。
広大な森ではすぐに火の手は広がらないか。今日は風が強くないのも関係しているのかもしれない。ここで雨でも降ってくれれば鎮火も早いだろうが、外はあいにく満点の星空。
無責任に光る星を恨んでしまいたくなるのは我ながら筋違いだとわかっているが。
10分ほど走っただろうか。不意にティンテが足を止めたため、後ろを走っていた俺とエーゲルは彼女の触手にぶつかってしまった。
「どうした、ティンテ……」
「待って。何か来る」
耳を澄ますと、ガサガサと木の葉をかき分けるような音が聞こえてくる。
こちらに近づいてくるのは敵か、あるいは獣か。いずれにせよ警戒した方が良さそうだ。
そして枝葉にぶつかりながら姿を現したのは、シャルフの旧友であるカナン。しかしその姿は先ほど会った時とはずいぶん様子が変わっていた。
人間の身体は傷だらけ、ウツボカズラも痛ましく破れていて、見るからに瀕死の様相だ。
息を飲む俺たちに、彼女は息も絶え絶えでこう告げた。
「逃げ、て……」




