⑧ー1 最強の勇者 その1
ハチから逃げ出したあの日から3日経った。エーゲルの配下の吸血鬼は、主の身を案じていたがひとまずナイキー大陸へ帰ってもらった。
また仲間を何人か連れてこちらの大陸へ戻ってきてくれるらしいが、少し時間はかかりそうだ。
しかし未だシャルフの言う「知り合い」の住処にはたどり着かない。
俺たちは林を抜け、平原を抜け、いまは鬱蒼とした森の中をさ迷っている。薄暗い木立に囲まれていて方角すらもわからない。
「なあシャルフ、俺たち迷ってないか?」
「いえ、もうちょっとで思い出せそうな気がするのです。この辺りに……」
「さっきも似たようなこと言ってなかったか?」
「この方向で合っているはずです。たぶん……」
「本当に大丈夫なのか……?」
「前に来たのは10年ほど前になりますかね……その時の記憶もあります。地形ごと変わっているようなことはないと思うのですが……」
鳥のさえずりと虫の鳴く声がやけにうるさいせいで静寂は感じないが、なんとなく不気味な森だ。
暗い中を歩き続けているせいか、俺だけじゃなく他の仲間まで弱ってきている気がする。エーゲルは歩きながらうとうとしているし、ティンテもフラフラと足元が覚束無い様子だ。いま敵に会ったりしたら終わりだな……
ただ、ハチ女たちとの会敵以来戦いが発生していないのは幸いだった。あの様子だと他の人魔からも絡まれるかと危惧していたが、全然そんなことはなかった。
道中会った人魔たち(鬼やカエルの人魔っぽい人がいた)はこちらに特段の関心を示しておらず、道を尋ねると普通に教えてくれたりもした。
まあ、毎日争ってたら命がいくつあっても足りないしな。この大陸の平和は無関心と不干渉で保たれているのかもしれない。
それはそうと、ティンテは本当に大丈夫なのか? さっきから左右に揺れては木にぶつかったり俺にもたれかかってきたりと、普段の凛々しい彼女には似合わない痴態だ。
「なあティンテ、無理するなよ。どこか悪いのか? 休むか?」
「は、腹が……」
「どうした!? まさかさっき食べたキノコに毒とか……!」
「腹が、減った……」
……心配して損したか。
いや、待て待て。結構深刻な事態じゃないか。人外の巨体を持つティンテなら俺たちよりずっとエネルギーが必要なはず。
それが飢餓状態ってなると、見た目以上に苦しんでいるのかも。
「なんだろう。甘い匂いがする……」
うわ言のようにそう呟くと、ティンテは突然猛スピードで走り出した。そんな力どこに残ってたんだ。
とにかくヤバいな。ティンテがなんか幻覚っぽいものに惹かれている。
シャルフもすぐにティンテを追って走りだしたし、俺もエーゲルを背負って走ることにした。
張り出した枝にぶつからないよう森を進むが、枝をなぎ倒して進むティンテのスピードにはなかなか追いつけない。
身軽なシャルフはギリギリついていってるようだが、さすがにティンテの巨体を止める術は無さそうだ。
ひたすら走り続け、ほとんどティンテを見失いかけたその時、森の奥から悲鳴が聞こえた。お陰で方向はわかったが……早く助けに行った方が良さそうだ。
悲鳴の聞こえた方へ飛び込むと、そこは開けた平地になっていた。いや……地形はどうでもいい。そんなことより目の前にある異様な光景に、俺は言葉を失っていた。
緑の巨大な長い壺?みたいなものから触手が生えている。俺の背丈より大きいその物体は、陸棲のバカでかいイソギンチャクのようにも見える。
しかしあの触手、見覚えがあるような……まさか……
「んん……あれ、ここどこ?」
「エーゲル、起きたのか!」
「何あれ……まだ、夢なのかな……すぅ」
意味不明な光景に思わずエーゲルも二度寝を決め込んでしまった。できるなら俺だって現実逃避したいのだが。
一度冷静に考えてみよう。あの触手がティンテのものだとすると、彼女は逆さ向きであの壺に飛び込んだってことだよな……なんで? マジでどういう状況なんだ?
まったく状況は読めないが、とにかくティンテを助けた方が良さそうだ。耳を澄ますと壺の中からティンテの呻き声が聞こえてくるし。
手近にあった触手の一本を両腕で抱えて引っ張ってみるが、びくともしない。何かに引っかかっているというより、シンプルに重すぎて持ち上げられないのだ。
生身の俺じゃ無理か。エーゲルを叩き起こして眷属化しないと……
ティンテの触手は苦しそうにうねうねと力なく動いている。逆さ吊りにされてりゃさすがのティンテも苦しいか。
「カナン! 獲物ではありません! わたくしの友人ですわ!」
俺がエーゲルのほっぺたを叩こうとした瞬間、シャルフの叫び声が聞こえた。「カナン」? 文脈からすれば誰かの名前だろうか。
「んー。なんだよー、せっかく久しぶりに大型が釣れたと思ったのに」
壺だと思っていたものの裏側から、ひょっこり女性が現れた。シャルフと同じ緑がかった肌に赤い髪が対照的だ。どうもその女性の身体は壺と繋がっているように見える。
「さっさと吐き出しなさい。どうして貴方は昔から食い意地が悪いのでしょう」
「そういう種族だからねー」
壺がぐるりと半回転して、ティンテが吐き出された。蜜で溺れかけていたせいだろうか、ティンテは苦しそうにゲホゲホと咳き込んでいる。
なるほど、ウツボカズラの人魔か……ティンテの言っていた甘い匂いってのは幻覚じゃなく、この人が放ってたんだな。
しかし他の人魔を食おうとするなんてかなり猟奇的だな。さすがシャルフの知り合いというか……正直怖い。
「ティンテ、大丈夫か?」
「ゲホッ、ゴホ……ぶ、無事だ……ゴホッ」
あんまり無事には見えないが、とりあえず応答はできるようだ。
シャルフがこのウツボカズラと知り合いだったから助かったものの、そうでなかったら……想像するだに恐ろしい。
「ティンテ様に謝りなさい、カナン。スキュラ族の女王ですよ」
「んー。でもさでもさ、この人がアタシの中に飛び込んできたんだよ。これもうアタシは悪くないよね?」
「いくらティンテ様が食い意地の張った浅ましいタコだとしても、捕食していい理由にはなりませんよ。食べるなら相手を見極めてからにしなさい」
「そんな悠長なこと言ってたら食えるものも食えなくなるんだけどねー」
カナンと呼ばれた巨大ウツボカズラは、シャルフに窘められつつも反省の態度を示さない。
率直に言って危険人物にしか見えないのだが、なぜシャルフはこんな奴を頼ろうと思ったのだろうか……




