⑦ー4 怪物の安寧 その4
ハチの女王は今なんて言った? 俺がここから出られないだって?
どう考えても見逃してくれる流れだったじゃねえか。なんで今さら……
「俺たちを釈放してくれるんじゃないのか……?」
「お主の仲間を釈放してやる、と言ったのじゃ。お主は別」
「なんで俺だけ……」
「なんじゃ。説明しておらんかったのか」
ハチの女王が配下たちを睨む。その鋭い視線に射すくめられたハチ女たちは震えながら釈明する。
「申し訳ありません……! この者が中途で抵抗し始めないために、目的は伏せて連れてまいりました!」
「まあよい。お主、名は何という」
「留萌安吾だ。アンゴでいい」
「そうか。ではアンゴ、わらわを孕ませよ」
ん? なんか耳慣れない動詞が聞こえたぞ。「はらませよ」? 聞き間違いだよな。
「なんじゃ。緊張しておるのか? 見かけによらず初心じゃの」
「いや、その、意味がわからないというか」
「別の言い方をしてやろうか。お主の子種を献上し、わらわが子を授かるよう取り計らえと言っておる」
うん。全然聞き間違えじゃなかった。むしろそのままの意味じゃねえか。なんで俺が選ばれた? まさか一目惚れとか……それはないか。
思考が追いつかない。女王の連れ合いってことは俺は王になるのか? あるいは情夫か側室? それも理由がわからない。自分で言うのもなんだが、俺は悲しいくらいの地味男だぞ。
「何を呆けておる。ありあまる栄誉に頭が沸騰しておるのか?」
「そんな大層なもんじゃなく、単純に疑問なんだよ。なんで俺が……」
「そこか? そこに疑問を持つのか?」
「私から説明しよう」
置き物のように黙っていた女王の側近が突然口を開いた。
やけに背が高く、威圧感のあるハチ女だ。2m近くあるんじゃないだろうか。
「アンゴ殿は稀有な力を持っておられる。その優れた子種を女王は欲しておるのだ」
「なるほど……?」
わかったような。わからないような。俺の能力は先天的に授かったものじゃないし、俺の子どもが凄い能力を持っているとは思えないのだが。無名の大学を出て小さいブラック企業に就職しただけ俺自身の遺伝子は、並かそれ以下なんだが……スポーツや芸術に秀でてるわけでもないし。
「なんか勘違いしてねえか? 俺は転生した時に力を授かっただけで、元々は平凡な人間だったんだが……」
「勘違いしているのは貴様だ。転生した者の力は子々孫々に受け継がれる。なればこそ、貴様の子種には価値があるのだ」
「えっ……」
ここに来て衝撃の事実が明かされた。転生者の力は受け継がれるのか? なら俺の子どもは「恐怖の王子」または「恐怖の姫」ってことになるのか? 字面だけだとふざけてるみたいだが、かなり深刻な話だ。
こんなクソみたいな能力、子どもには継がせたくないしな……(決まった相手がいないのに子どもの心配をしても仕方ないが)
「案ずることはない。親と必ず同じ能力を継ぐとは限らんし、何なら無能力で生まれてくる子の方が多いものだ」
俺の心配を見抜いたハチの側近が語りかけてくる。その言葉を聞いて少しだけ安心したが、今は遠い将来のことを憂慮している場合じゃないことを思い出した。
「つまり俺は種馬として飼われろってことだよな?」
女王は怒気を孕んだ俺の声に軽く身じろいだが、それを隠すように扇子を扇ぎつつ笑った。
「無論じゃ。大当たりを一人引くまで……いや、一人と言わず何人かは欲しいの」
「ふざけるなよ……! 人を家畜みたいに……」
「待て待て誤解するでない。お主の待遇は保証しよう。種馬というのはお主が思っておるより手厚く扱われるものぞ」
俺の怒りに合わせて、女王の余裕の笑みが崩れる。慌ててこちらを慰めにかかるあたり、能力の発動条件も見抜かれているか。
しかし不遜な態度の相手だが、ちゃんと効果はあるみたいでそこは安心した。
「そんなふざけた扱いを俺が受け入れるとでも?」
「あれを持って参れ」
「あれを!」
「あれを!」
俺の質問には答えないハチの女王が扇を振るうと、ハチ女たちがにわかに騒ぎだした。
なんだ? 俺を拷問する器材でも持ってくるつもりか? やってみろ。その前に俺の能力でお前らを……
などと物騒なことを考えている俺の嗅覚に、何やら甘い匂いが飛び込んできた。
こちらの世界に来てからしばらく嗅いでなかった匂いかもしれない。甘ったるくて、それでもどこか優しいような……
「お待たせした!」
テーブルが俺の目の前にどんと置かれる。続いて給仕用の可動机が次々と現れ、そこから繰り出される皿で目の前のテーブルが鮮やかに埋められていく。
蜂蜜の匂いが漂うパイに、蜂蜜がけのサラダ。ステーキからも甘い匂いが漂い、痛烈なほど甘い匂いのする紅茶まで添えられている。
「なっ……?」
俺が目を丸くしているうちに首元にはナプキンがかけられ、手元には銀のナイフとフォークが用意された。
食え、という無言の圧が目の前の机から発せられている。
甘いものは嫌いじゃないが、さすがにここまで極端なものを出されると困惑するというか何というか……
じゃなくて、もっと根本的な問題があるのだ。
「こんなもん食えねえよ……」
「む。口に合うかどうかは食べてから決めてもらえぬか。これが我々のもてなしなのじゃが」
「そうじゃなくて! 仲間が捕まってんのに俺だけ贅沢できるかって話だよ!」
「おおそんなことか。ならばお主らの仲間にも一度振舞ってやろう。それで納得じゃな?」
鷹揚に笑う女王に対して、俺はすっかり毒気を抜かれてしまった。
何を企んでやがるのか。俺を骨抜きにして、油断したところを……とか?
それにしてはあまりに敵意を感じない。女王はともかく、働きバチの連中ならどこかでボロを出しそうなものだが。
「何が……何が目的なんだ?」
「じゃから言うておろう、お主の子種をよこせと。お主が頷けば衣食住は困らせんよ」
「マジかよ……」
この世界に来てから願っていた「居場所を見つける」という目標があっさり叶ってしまいそうだ。あまりにも簡単すぎて、拍子抜けというか虚しさすら感じている。
そのせいか、素直に「はい」と言いたくなくなってしまう。
「でも俺には、ティンテたちと狂躁を止める約束が……人戻会は放っておけないし……」
「そんなことはあの者らに任せておけば良かろう。お主が望むならハチ族からも派兵しようかの」
「いや、しかし……」
「なぜお主が気負う必要がある? 元々この世界の者ではないんじゃろ?」
「それは……」




