⑦ー1 怪物の安寧 その1
船での渡航は呆気なく終わりそうだ。夕陽を背景に、だだっ広い港が見えてきた。埠頭には貝殻や網の残骸が打ち捨てられており、ヒューゴの港に比べると管理が行き届いていないように見える。
波止場の広さの割に船の数が少ないあたり、やはりみんな渡航を躊躇っているのだろう。狂躁のせいで早くも人間と人魔の間に溝が出来つつあるということだろうか。
航海自体は思っていたよりずっとスムーズだった。朝に出発して夕方に着いたぐらい長時間乗っていたが、特に大きなトラブルもなくブゼン大陸に到着したのだ。
途中ワイバーンの群れを見かけたり大型の海竜が遠くに見えたが、彼らはこちらの船を見つけると不思議と離れていった。
いや……不思議でも何でもないか。原因は一つしかないし。
「お父さん、いつも船旅は難なくこなせるものなのかい? もっと大変なものだと祖母から聞いていたけれど」
「いやいや、そう上手くはいかねえよ。だから普段は人魔の用心棒を雇ったりするんだがなあ……今回はアンタらに用心棒代わりをしてもらうつもりだったが、出番すら無かったとは」
「不思議なこともあるんだねえ」
「まったくだ。この船に神様でも乗ってるのかもしれねえな。なあ頭巾の兄ちゃん、アンタ実は神か仏なんじゃあねえか?」
「はは……」
強いて言うなら死神みたいなものだけど、今回は俺のクソスキルが役に立ったようだ。
せっかくの異世界転生だから俺も物語の英雄みたく勇敢に戦いたかったが、現実は魔物からも腫れ物扱いなんだよな……
便利と言えば便利なんだけどこう……モヤモヤするというか……
「やっと上陸ですわね……」
「どうしたシャルフ? やけに顔色が悪いが」
「それが、その……」
「まさか港に敵でも見えたか!? それともすでに攻撃は始まってるとか、そういう」
「船酔い、ですわ……」
「そう……」
しおれた枯れ草のように横たわるシャルフの枕元に水筒を置いておく。今しばらくはそっとしておいた方が良さそうだ。
港の近くまで来ると、船乗りのオッサンことファールトさんは手際よく下船の準備を進めてくれた。
初めて会った時の印象どおり、昔ながらの頑固ジジイというタイプではあるが、だからこそ筋は通してくれる性格らしい。
話してみるとそんなに悪い人でもなく、仕事に実直だからこそ危険な航海を俺たちにさせたくなかったようだ。
「世話になったねお父さん」
「おー、こっちこそなタコのねーちゃん。また孫娘と遊んでやってくれや」
「もちろんさ」
ティンテとともに頭を下げると、ファールトさんは船の上から手を振ってくれた。彼は明日の便で帰るらしい。
人間4人分くらいのサイズがあるティンテを載せながらも追加料金を取らずにいてくれたあたり、何だかんだで俺たちに情けをかけてくれたのだろう。
人の温かみに感謝しながら、俺たちは埠頭から街へ移ろうと歩を進める。まあ歩いてるのは俺とティンテだけなんだけど……
エーゲルは例によって寝てるし、シャルフは船酔いでぐったりしているのでティンテが担ぎ上げて運搬している。
いま敵襲があったら結構ヤバいよな……
街へ繋がる道へとさしかかった時、突然目の前に人魔が落ちてきた。それはもう、「落ちてきた」としか言えない速度で。
周囲には警戒しているつもりだったが、さすがに上空から来るとは予想していなかった。ティンテも同じ気持ちだったようで、面食らった顔で固まっている。
俺たちが声も発せずにいるうちに、続いて人魔が二人、また上空から降りたった。
彼女らの背中にはどうも羽が生えているようだが、鳥の羽とは明らかに形状が違う。
薄くて透明な羽。羽毛はないし、高速で上下する動きも、鳥類とは異なるものだ。これは……昆虫類か。
「検疫の時間だオラァ!」
最初に降ってきた虫型人魔が怒鳴る。背丈は小さいが、妙な迫力があった。
彼女らの尻には黒と黄色の縞模様で彩られた筒と、そこから飛び出した針がくっついており、その種族を雄弁に物語っている。
「ハチの人魔か……」
「コソコソしゃべってんじゃねえぜ! コラ!」
ハチの人魔たちを前に、俺たちはひとまず両腕を上げた。敵対するつもりはないという仕草は万国共通のもので、それはこの世界でも通用するらしい。
ハチ娘たちの警戒レベルが一段階下がったのを肌で感じたが、しかし彼女らの針はまだ俺たちの方へ向けられている。
ティンテにいたっては触手までお手上げ状態にしているのだが、それでも足りないらしい。
元々このレベルの警戒態勢なのか、あるいは……
「我々の渡航の目的は、人戻会への対抗戦力を探すためなんだ。この大陸に住む人魔を害するつもりはないんだが」
「目的とか聞いてんじゃねえよ! お前らが狂躁ウィルスを持ってるかどうかが問題なの!」
「どうやってウィルスの有無を確認するんだ?」
「確認する方法? 無いぜ! とりあえず1ヶ月はこの港町から出るなよ!」
「1ヶ月……!?」
あまりに長すぎる。その期間に人戻会が力を蓄えたり暗躍したりすることを考えると、そんな悠長なことは言ってられない。
1ヶ月もあればここで仲間を見つけて、ナイキー大陸に戻って、勇者たちと情報共有することすら可能だろう。
「期間を短縮してもらう方法は無いのかい?」
「それも無いぜ! なんせ未知のウィルスだからな! どう対応すればいいやら私らも知らんのだ!」
「待ってくれ。そもそも狂躁はウィルスで起きるものじゃねえんだよ。人戻会の連中が作った、人為的な現象で……」
「じゃあ何がトリガーになるんだ?」
「食事に混入させてくるみたいだから、飲み薬か何かだと……」
「嘘つきめ! ひっ捕らえてしまえ!」
「嘘つき!」
「嘘つき!」
ハチの人魔3人が針を向けてズンズン迫ってくる。
エーゲルとシャルフを抱えていてもティンテの力をもってすればこの程度の敵は倒せるはずだが、ここで暴れるわけにはいかない。
俺たちは戦争をしに来たわけではなく仲間を探しに来たのだから。
しかし何故俺の言ったことが嘘だと判断されたんだろう。知っている限りの事実を正直に話しただけなのだが。
実際俺は食事に混入された劇薬のせいで狂躁を起こしてしまい、酷い目に遭ったわけで……
まあその疑問はおいおい考えるとして、まずはこの場を切り抜けないと。
どうする……? ティンテの武力も俺の能力も使えないこの状況。どうやって場を収めれば……




