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⑥ー5 惨毒の魔女 その5

 なぜシャルフが不安そうな顔をしているのか不思議で仕方なかった。あの「透明な侵入者」は情けない姿で逃げ出したところなのに。

 また挑んできても返り討ちにすればいい。武器を携帯していなかったところを見るに、身体以外は透明化できないっぽいし……


「戦闘だけが戦いではありませんわ」


「どういう意味だ?」


「想像していただければ簡単です。アンゴ様が食事をしている時、お風呂に入っている時、あるいは寝ている時……誰かの視線をふいに感じたことはありませんか?」


「まあ、あるな……たいてい気のせいだったりするんだけど」


「おっしゃる通り、普通は気のせいだと切って捨てることができます。しかし透明人間が自分を狙っているかもしれない状況であれば?」


「あっ……」


 確かに、透明人間がどこに潜んでいるかわからないなら一秒たりとも安心はできない。文字通り24時間体制で周囲を警戒し続けねばならないのだ。それだけでこちらの消耗は凄まじい。


 しかも面倒なことに、油断しなければ勝てる相手というのは、逆に言えば油断すれば負けかねない相手なのだ。

 俺が思っているよりもよっぽど厄介な相手なのかもしれない。


「やべえな……じゃあ俺たちはどうすれば……」


「なんて脅してみましたが、夜間警戒を怠ってはいけないのは今までと変わりありませんわ。毒殺、焼殺、爆殺、煙殺……わざわざ透明にならなくとも手段はいくらでもありますから」


「オイオイオイ、人が悪いぞシャルフ」


「一つの可能性として捉えておいてください、という意味ですわ。それより厄介なのはこらちの情報が掠め取られることですわね……」


 シャルフの言うとおり、人戻会への対抗手段を得てもその情報が漏れて「対策への対策」を取られる危険性がある。

 戦闘力は無さそうな奴だったし、こっちの方が現実的な危機だろう。機密情報を話す時は今まで以上に周囲に気を配らないと……


「この会話だってもっと静かに話しといた方が良かったかな……」


「こんな風に、ですか?」


 シャルフが近寄ってきたかと思うと、彼女は甘い声で囁いてきた。背筋にゾクゾクとした痺れが走る。心臓に良くないのだが……


「やめろよシャルフ! そういうの弱いんだって俺は!」


「うふふ。油断大敵、ですわね」


「真面目な話をしている時に不埒なことをしないでほしいんだがね。アンゴもアンゴだよ、まったく……」


「楽しそうだねえ。わたしもやってみようかな」


 にわかに座に活気が戻ってくる。どうあれ前向きにやっていくしかないのだ。真剣になることと深刻になることは似ていて違う。


「お主ら、婆がいることを忘れとらんか?」


 なかば呆れた顔で婆さんがヒヒヒと笑う。家主を置いてきぼりにしておくのは配慮が足りなかったか。


 それにしてもこの婆さんは何者なんだろう。古びた机に安楽椅子、煤で汚れた暖炉やところどころ穴の空いた絨毯。赤ずきんの童話にでも出てきそうな部屋だ。まあ、今回は婆さん自身がオオカミみたいなものだったが……

 この部屋を見る限りは普通の老婆と変わらないように見えるが、毒使いということは家の奥に研究室でもあるのだろうか。


「今さらなんだけど、おばあちゃんは人魔の味方ってことでいいんだよね?」


 エーゲルが婆さんの膝に乗っかるように上目遣いを見せる。わざと媚びを売っているわけではなかろうが、なかなか邪険にしづらい態勢だ。


「若い者は物騒でいかんな。すべての生き物を敵と味方に分けられると思わんことじゃ」


 またしても煙に巻くようなセリフ。俺ですら婆さんが何を言わんとしているかわからないのに、エーゲルだったらなおさら理解できてないだろう。


「敵か味方か、区分けをした方が楽なのは事実じゃ。しかし他者には第三の道が選べるということをゆめゆめ忘れてはいかん……『開く』と『閉じる』だけが扉への向き合い方でないことと同様に……」


「うーん……よくわかんないけど、おばあちゃんいい人なんだね」


「ほう?」


「だってアドバイスしてくれようとしてるんでしょ? ならいい人だよう!」


 婆さんはしばらくポカンとしていたが、やがて引きつったような笑い声を出し始めた。


「ヒッヒッヒ……! 敵わんねえ。こういう手合いは苦手じゃよワシゃあ」


 入れ替わりにエーゲルが呆けた表情を浮かべたが、やはり婆さんはケラケラと笑い続けている。

 ひねくれ者の婆さんと悪気のないエーゲルはある意味相性がいいのかもな……


「ブゼン大陸に行きたけりゃあ船乗りの『ムサシ』という男を訪ねな。魔女の紹介で来たと言や乗せてくれるわい」


「ありがとうございます。おばあさん、狂躁にはくれぐれもお気をつけて」


「なぁに気にするこたない。何か起きりゃあそこが寿命よ。ワシは長く生きすぎた……」


「そう仰らずに。せめてわたくしたちがもう一度顔を見せるまではご健在でお願いいたしますわ」


「ヒッヒ……死ねない理由ができちまったねえ」


 なぜか偏屈な婆さんに気に入られたらしい。こっちも(俺を除けば)変わり者揃いだから波長が合ったのだろうか。

 何にせよ、大陸を渡る手段が得られたのはありがたいものだ。街の人たちが人魔を避けている現状で、渡航手段に悩んでいたところ、文字通りの「渡りに船」ときた。


 婆さんにお礼を述べ、家を出ようとするとなぜか俺だけ家に留まるよう言われた。

 妙に嫌な予感がする。学生時代に意地悪な先生から呼び出された時のことを思い出すな……


「お主、この世界の者ではなかろう」


「えっ、まあ……そうだけど」


「この世の者では無い、と言った方が良いか……いずれにしても、お主にしか成し遂げられぬこともある。忌むべき力を与えられたことに意味があるでな。腐らずに」


「色々酷い目に遭ったし、アイツらがいなけりゃとうに腐ってたよ俺は。もらった恩くらいは返すさ」


「結構結構。お主だけはそのまま憎しみに囚われんようにな。憎まず宥さず……お主にしかできんことじゃ」


「想像したくないけど、ティンテたちが人戻会に殺されでもしたら憎むだろうけどな、やっぱ」


「その時はその時考えたらええ。お主の感情はお主のものじゃ」


 それだけ言って、婆さんはまた安楽椅子に沈んでいった。目も閉じているし、これで話は終わりってことだろう。


 見えていないかもしれないが一礼だけを残し、俺も建物を去った。






 そして俺たちが訪れたのは船着場近くの長屋。船乗りや漁師はたいていこの部屋に住んでいるらしい。


「ババアの紹介だと!? 帰れ帰れ! また厄介事を押しつけやがって腐れババアが……!」


 恰幅のいい船乗りのオッサンは老婆の名を出すなり手近にある樽を蹴り飛ばした。

 回避のためティンテが弾いた樽、それが俺の尻を直撃した。割と痛かったが平謝りされると責めづらくて困る。


 さて、やけに乱暴ではあるが、この人がおそらく「ムサシ」なんだろう。

 鍛えあげられた太い腕と、海図が散らばった部屋は彼が腕のいい船乗りであることを物語っていた。


 それにしても、なんだこの待遇。聞いてた話と違うんだが?


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