⑥ー4 惨毒の魔女 その4
「知らん」
「え?」
「知らん、と言うた」
わざわざ二回も言ったところをみると、聞き間違えではなさそうだ。この婆さん、知恵者らしい態度を取っていたのに……思わせぶりすぎる。
「うん……悪かったね。初めて会った人に助言を請うべきではなかった」
「いんや、それ自体は悪いことではない。ただ、答えが返ってこんこともある。それだけのことじゃ」
「ごもっともだ」
ティンテは口先では納得している態度を示しているが、内心は落胆しているのだろう。それを感じ取った老婆が再び口を開く。
「そもそも人戻会と向き合う必要があるのか、そこから考えた方がええ」
何とも言えない沈黙が場を支配する。四者四様、それぞれ考えていることはあろうが、少なくとも俺は老婆の言葉をどう解釈すればいいやらわからなかった。
「さしあたって、ヒューゴの街で起きていることだけでも教えてもらえませんか?」
「おお、そうじゃそうじゃ。民草は怯えておる。差別心の源泉はたいてい恐れから来るものじゃ。責めて解決するものでもない……」
「この街で狂躁があったせいで、人間が人魔を恐れるようになったということでしょうか?」
「それだけではない。ヒューゴに限らず、以前より人間は人魔を恐れておる。それが表出しただけの話じゃ」
「そんな……」
露骨に肩を落とすティンテ。そりゃあそうだろう。俺から見ても、ティンテは村の人たちと仲良くやれていたように見えたのに。内心は彼女を恐れていたという事実を突きつけられ、冷静ではいられないだろう。
引きこもりのエーゲルや人里から離れて暮らしていたシャルフは特段気傷ついてはいないが、ティンテには同情しているようだ。
二人ともティンテの肩に手を置き、心配そうに見守っている。俺も黙ってはいられない。
「ずいぶん意地の悪い言い方だな、婆さん。人魔に恨みでもあるのか?」
「恨みなどあるものか。耳に痛いことを言うのも年寄りの役目でな」
「だからって、言い方ってもんが……」
「いや、いいんだアンゴ。私が世間知らずだっただけだよ。邪魔したね、おばあさん」
フラフラとした足取りでティンテは家を出ていく。もう少し老婆から話を聞きたかったが、出直した方が良さそうだ。ティンテの後を追い、俺たちも外へ出た。
「気にすんなよティンテ、村の人たちは別かもしれないし」
「慰めは結構だよ。思い返せば、確かに彼らは私を恐れていたんだろうね。彼らは決して私を無下にはしなかったが……逆鱗に触れまいとしていただけだったんだ」
「それは……」
強く否定もできなかった。俺にはたまたま「恐怖の大王」のスキルがあるからティンテと対等に話していられるだけで、もし丸腰で彼女と同行していたらどうだったろう。
ティンテの触手の強力さは俺も身をもって知っている。彼女の機嫌を損ねて胃をえぐられることを想像すると、身震いしてしまう。
「とにかく街へ戻りましょう。辛抱強く探せば、船の一隻ぐらい貸してもらえるかもしれませんし……」
シャルフがそう言いかけたところで、後ろから野太い悲鳴が聞こえた。
俺たちの後ろにはあの婆さんの家しかない。ということは……
「やべえな……! 戻るぞ!」
「婆さん! 無事か!?」
ドアを破る勢いで開けた俺たちの目に飛び込んだのは、目を押さえて転がり回る男とケラケラと笑う婆さんの姿。
男は迷彩服のような緑と黒の混じった着物を着ているが、あまり激しく暴れるので半分服が脱げかかっている。
何これ……どういう状況……?
「えーと、大丈夫か? その、色々と……」
「ワシの身よりそこで転げ回っとる男を心配やってはどうじゃ。劇薬を目に吹き付けられてはたまらんじゃろて」
可笑しそうに安楽椅子を揺らす婆さん。さらっとえげつないことを言っていたが、この男は強盗か何かだろうか。
まだ野太い悲鳴を上げて床を転がり回ってるけど……
「あのー、大丈夫っすか?」
「……っ!」
男は涙と鼻水で汚れきった顔をこちらに向けたかと思うと、ふっと姿を消した。
突然消滅した? 身代わりとかホログラムみたいな能力か? やっぱり人戻会?
「あ……逃げた、かも」
エーゲルがドアの方を振り返る。逃げた、ってことは……
「透明化の能力、か?」
エーゲルがどこを見て逃げたと判断したのかはわからないが、何か感じるところがあったのだろう。
男の荒い息遣いはもう聞こえなくなったし、逃げたのはどうやら事実らしい。
俺も含めて一同が呆気に取られているうち、穏やかな静寂が戻ってきた。ただ一人、婆さんだけが落ち着いてお茶を啜っていた。
「あの、さっきの男は……」
「何者かのう。初めて見た顔じゃが」
「それよりおばあさん、ケガは無いかい?」
「見ての通りじゃ。年寄りと思うて油断しとったな、ヒッヒッヒ……」
婆さんは両手を広げて五体満足を示してみせた。しかし劇薬って……見た目通り魔女なんだな。
「結局、何の目的で入ってきたんだろうなアイツ……」
「強盗にしてはタイミングが良すぎますわね。わたくしたちが出ていった直後なんて」
「おそらくお主らの行き先をワシに訊ねる気だったのじゃろう。小刀をきらめかせていきり立っておったわ」
何事もなさそうにカラカラと笑う老婆。襲撃を受けた張本人が一番落ち着いているのが不思議というか不気味というか……
「あの、貴女はもしかしてブゼン大陸の出身ではありませんか?」
「なぜそう思うね?」
「わたくしたち人魔を見ても驚かず、非常事態にも動じず、あまつさえ手元の武器で反撃する……修羅場慣れしているその御姿から推察しました」
「ヒッヒッヒ……隠していたわけじゃあないんだがねえ」
「ドライエード様に聞いたことがありますの。ブゼン大陸に住む人間には二種類いる……一つは人魔の召使となって生きる者、もう一つは人魔と渡り合って生きる者。貴女は後者ですわね」
「ワシの毒は有毒種の人魔ですら恐れるものよ。『惨毒の魔女』などと物騒な名で呼ばれたこともあったかねえ。レエベンという立派な名があるというに」
魔女っぽい老婆に見せかけた親切な老婆……と見せかけてやっぱり魔女だったのかよ。
見た目通りすぎるだろう。もうちょっと偽装したらどうなんだ。
「レエベンさん、すまなかったね。私たちのせいで巻き込まれることになって」
「ヒッヒッヒ、構わんよ……ワシも人戻会に思うところはあるでな、いずれぶつかる運命じゃ。それが早まっただけのこと」
見た目こそ不気味なものの、やはり悪い婆さんではなさそうだ。俺たちを恨んだっていい場面なのに。破顔一笑で終わらすなんて。
「それはそれとして、さっきの敵は何者だったんだろうな。人戻会の構成員ではありそうだが……」
「すぐ逃げてったからわかんないねえ」
「そうだな。それにしても間抜けな敵だったな、結局のたうち回って逃げただけなんて……」
「いえ、そうでもありませんわ」
シャルフが深刻な顔で口を挟んでくる。いつもの皮肉な冗談ではなさそうだ。




