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⑤ー6 因業 その6

 突如シャルフに背を押され、前のめりにすっ転んでしまった。

 転んだ姿勢のまま後ろを振り返ると、俺の立っていた場所の近くにドロリとした液塊が溜まっている。なんだあれ? まさか、酸……?


「アヒャヒャヒャ! 惜しい惜しい!」


 声のする方を見ると、俺と同じくらいの背丈の男がケラケラ笑っていた。そいつはいつの間にかフードを脱いでいたようだ。

 真っ赤なスーツにピエロのような派手な化粧。ゲラゲラと笑っているが、そのわざとらしい喜色が不気味な印象を醸し出している。


「アンゴ様、あの道化はわたくしにお任せください。エーゲル様を守りながらでも戦ってみせます」


「悪い、任せた!」


 シャルフは小さく頷くと不気味なピエロ男を睨んだ。奴もさすがに警戒したのか、ニヤニヤしたまま次の攻撃は放ってこない。


 早くゼンゼマンを追いかけないと。奴の姿がもう小さくなりつつある。ほとんどジャンプするかのように起き上がり、再びゼンゼマンのいる方を睨む。今ならまだ走って追いつけるはず……!


「ぬわっ!?」


 ズボンの裾を掴まれ、またしても転倒してしまった。身体能力が上がっているはずなのになんだこの体たらくは……

 ちょっと強くなったぐらいじゃ根っこの運動音痴までは治らないのか、ちくしょう。


「今度はなんだよ……!」


 倒れたまま振り返ってみると、怪しいフード三人衆のうち、最も背の低い奴が俺を見下ろして立っていた。しかしあまりに背が低すぎないか。こんなんじゃ、まるで……


 目の前の相手がついにフードを脱ぐ。「彼女」の顔を見た俺は、思わず見たままの感想を漏らしてしまった。


「ガキじゃねえか……」


 俺を見下ろしている相手は、どう見ても幼い女の子。元の世界で言えば小学校低学年ぐらいの子どもだ。しかも俺を見て泣きそうな表情を浮かべている。

 この子が俺の相手か……? ある意味一番やりづらい相手なんだが。


 もう無視してゼンゼマンを追うか。なんか能力を持ってたとしても、とても戦う気にはなれない。こんな子どもを傷つけるような真似はしたくないしな。


「ま、待ってください!」


 無視だ無視。返事したら発動するスキルとか持ってたら厄介だしな。だいたい漫画だとこういう子どもが強スキル持ってたりするわけで……


「助けて、ください……! わたし、あの人たちに脅されてるんです!」


 痛切な涙声に思わず足を止めてしまう。俺は昔からこういうのダメなんだ。子どもが泣いてる声がすると、ついつい立ち止まってしまう。


「ここでおじさんに逃げられたら、わたし、何されるか……!」


 おじさん。おじさんかあ。まあ小さい子から見たらそうだよな、三十路って……

 って落ち込んでる場合じゃない。この子、結構とんでもないこと言ってるぞ。


「家族が『人戻会』に入ってて、それで、私も……! ひっく……うぅ……」


 ついには泣き出して話もできなくなってしまった。おかっぱ頭に和服を着ているので座敷わらしっぽく見えるけど、たぶん普通の子どもなんだよな……


 まさか俺を倒すためにこんな子を配置したとは考えられない。ただ足止めを食わせるためだけに駆り出されたのだろう。卑劣なジジイのやりそうなことだ。


 しかし同情している場合じゃない。早くゼンゼマンを追いかけるか、それができなくとも仲間の助太刀に行くべきだろう。とにかくここを離れないと……


「行っちゃうんですか……?」


「うっ……いや、おじさんは君を見捨てたりしねえよ。ただ先にやることがあってだな」


「そう、ですよね……わたしなんて要らない子ですから。引き止めてごめんなさい。うぅ……」


 重い。こんな泣き方をされて放っておけるわけがないだろう。戦える敵ならどんなに良かっただろうか。ある意味では最も厄介な相手かもしれない。


「ああもうわかった! じゃあ君を担いでゼンゼマンを追いかけるからな! 人質代わりだ!」


「ほ、本当ですか!? 嬉しいです、嬉しいです……」


 涙ながらに俺の腰あたりにしがみついてくる少女。まだ何もしてやれてないのに感謝されても困るんだが……


「とりあえず君の名前を教えてくれ。何て呼べばいいかわからないし」


「エリスと言います。よろしくお願いします、アンゴさん」


「あ、ああよろしく……」


 俺、名乗ったっけ……? ああ、ティンテたちと話してた中で名前を呼ばれたりしてたからかな。律儀に名前を覚えてくれてるし、案外礼儀正しい子なのかもしれない。


「さて……飛ばすからしっかり掴まってろよ」


「はい!」


「ゼンゼマンのジジイは海の方に向かってったな……」


 港町ヒューゴの近くだからか、海から少し離れたここでもうっすら潮の香りが漂っている。

 ヒューゴの地形としては北側が山、海側が南なのでゼンゼマンが向かったのは南。この世界にも方角という概念があるのは幸いで、道に迷わず戻ってこれるはずだ。


 勢いをつけて南へと駆け出す。エーゲルに分けてもらった吸血鬼の力も長くはもたない。速やかにゼンゼマンに追いついて、人戻会の目的や計画を吐かせないと。


「おおおおお!」


 エリスを背負いながらも、空気を切り裂くようなスピードで地を駆けていく。耳元で騒ぐ風の音がうるさい。今なら陸上の世界記録だって出せそうだ。


 速く速く、もっと速く。夢中で走っているうちゼンゼマンの姿がだんだん見えてくる。こちらの走るスピードが速すぎるせいだろうか、奴の姿が止まって見える。

 エリスは苦しそうにゼーゼー息を吐いているが、もうすぐ立ち止まれるので少しだけ辛抱してもらいたい。


 老賢者のようなフードをかぶったゼンゼマン。その背中にようやく追いついた。この勢いのまま引き倒して追い詰めてやる。


「オラァ! このクソ……」


 ゼンゼマンの身体が倒したつもりだったが、あまりの手応えの無さに途中で怒声がしぼんでしまった。

 おかしい。老人の身体とはいえ、人を押し倒したならもっと手応えがあるはずで……


 困惑した気持ちのまま俺が倒した相手を見ると、それは木の棒にフードを被せただけのカカシだった。


 嘘だろ……肩透かしを食らった落胆から急激に気持ちが冷え込む。それと同時に、エーゲルからもらった力もシナシナと萎んでいってしまった。

 そして吸血鬼の力が切れた時に特有の、全身の痛みが襲ってくる。エリスの前で泣き叫ぶわけにもいかないので必死で痛みを堪えるが、額には否応なく脂汗が浮かんでくる。


「あの……大丈夫ですか?」


 背中からエリスの心配そうな声がする。この子にも済まないことをしたな。エリスを救うためにはあのジジイを尋問できた方が確実だったろうに。


「悪い、ゼンゼマンを取り逃しちまった……お前も困るよな」


「いえ、わたしは大丈夫です。だって」


 ニッコリと微笑むエリス。会ってから初めて見る、満面の笑顔だ。


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