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③―8 血飛沫に舞う花 その8

 長い沈黙。俺の懇願に対してシャルフからの返事はない。彼女はただ困ったような笑みを浮かべ、腹の前で手を重ねているだけ。


「どうしても……話せないんだな」


「申し訳ございません。もっと仲良くなってからならお話できる、というわたくしの言葉は決して衒いではありませんの」


「俺たちを信用しきれてない……ってことだな。わかったよ。とりあえず脱出する術を考えよう」


 俺が短く息を吐くと、それに呼応するようにシャルフも息を吐いた。静かな地下通路では呼吸の音すらよく聞こえる。悪い意味で感覚が鋭敏になるというか、どうにも神経質になってしまうものだ。


「なんとか外のティンテちゃんに連絡できないかなあ……そしたら蓋の上の重しぐらい吹っ飛ばしてくれるのに」


「ティンテ様にもおおよその場所は伝えてありますが、彼女がわたくしたちの異変に気づけるかどうか……」


「そうだな、ティンテが勘づくころにはもう俺たち餓死してるかも。やっぱり自力でなんとかするしかねえよな」


「あとはねえ……うちの子たち呼ぶとか?」


「配下の吸血鬼か。遭難者が増えるだけな気もするし、やめといた方がいいんじゃねえか」


「じゃあアンゴくん……『アレ』やる?」


「それは最終手段に取っておこう。そもそもこの状況で有効かもわからんし」


「あらあら。お二人にも秘密の作戦がございますのね。仲睦まじくて妬けてしまいますわ」


「秘密主義はお互い様だろ」


 あれやこれやと言いながらも、今の俺たちは天井の脱出口を見上げることしかできなかった。


 さて、どうしたものか……







 地下通路に入ってから何時間経っただろう。マンホールをくぐったのが朝だから、今はもう夜か?

 陽光の差し込まない地下では体内時計だけが頼りなのだが、気が滅入っているせいで時間の感覚が曖昧になってきている。


「お腹空いたよお、アンゴくん……吸っていい? ちょっとだけ」


「腹が減ってるのはみんな同じだ。俺の体力温存のためにも我慢してくれ」


「わたくしもなんだか意識がぼんやりしてまいりました。お二人を巻き込んでしまって申し訳なく思います」


「そこは責めるつもりねえよ。それよりシャルフも腹が減るんだな。光合成とかで栄養補給してんのかと思った」


「確かに光合成もできますが、得られる栄養は微々たるものですわ。やはりご飯を食べませんと」


「野菜とか食べたら共食いだったりしないの?」


「人間の皆様も牛や豚を食べるでしょう。それと同じですわ」


「言われてみれば哺乳類同士の共食いだもんな……」


 益体のない会話を続けていると少し気は紛れるが、胃を締め付けるような空腹だけはどうしようもなかった。


 暗い地下通路で蝋燭の明かりだけがチラチラとゆらめく。この明かりすら消えたら……なんて嫌な想像が頭をよぎった。

 今日だけでなく明日も明後日もこの空間に閉じ込められる可能性を考えると、それだけで頭が変になりそうだ。


 エーゲルとの「奥の手」を使いたくないのは、もしその手段でも解決できなかったらいよいよ心が折れてしまうから、という側面もあるのだ。かといって考え続けたところで、良い方法は思いつきそうもないが……







「しばらく時間も経ったし、もう一度蓋を押してみるか……」


「アンゴくん、それ5回目だよう……」


「そうだっけ?」


「30分ほど前に同じことを仰ってましたわ」


「そうだっけ?」


 いかん、時間の感覚だけじゃなく判断力までにぶってきた。腹は減ったしなんだか眠いし、妙に身体が重い。


 時間的にはもう深夜か? 目がショボショボしてきた。腹は減るけど一眠りした方が良いのかな……寝てる間にティンテが助けに来てくれたりとか……




「起きてください、アンゴ様」


「お、おう。すまん。寝てたか」


「わたくしも少し休みたいので、交替で眠りましょう。構いませんね?」


「そうだな、エーゲルは……って真っ先に寝てたなアイツ」


「ではわたくしも失礼して……」


 おしとやかに地面に横たわったシャルフの肩に俺の上着をかけてやる。彼女は一瞬ビクリと動いたが、そのまま静かに寝息を立て始めた。


「さて……起きててもやることねえなあ」


 無駄かもしれないがとりあえずマンホールの蓋をまた押してみるか……


 それにしても、俺たちを閉じ込めたのはどこの誰なんだろう。正体も目的もわからないし、心当たりすら無いのは苦しいところだ。


「ほっほっほ、お困りのようですな」


 ひとり天井を睨んでいると、突然背後からしわがれた声が聞こえた。慌てて振り返ると、そこにはフードをかぶった老人の姿。通路を通ってきたのだろうか。見た目はさながらRPGも「老賢者」って感じだ。


 しかし、向こうの穴も封鎖されているのにどうやって入り込んだんだ? 狙い澄ましたかのような、このタイミング……あまりにも怪しい。


「アンタ誰だ? どっから入った?」


「街側にある穴から入らせていただきました。お察しのとおり私どもが穴を塞いでしまったのでございます。積荷を蓋の上に落としてしまいまして」


「来るのが遅いんだよ……!」


 思わず怒りで総毛立つが、老人は落ち着いた様子で指を一本立ててみせた。


「いやいや申し訳ない。あんなところに穴があったとはつゆ知らず、到着が遅れてしまいました。貴方をここから救出するのはもちろんのこと、他にもそれなりの誠意はご用意しております」


「なんだと……?」


 目の前の爺さんは明らかに怪しい。簡単に信用してはならないのだが、しかしこの地下から出られるというなら話は別だ。暗くて狭いこの空間にうんざりしていた俺にとってはしがみつきたい蜘蛛の糸というもの。


 ただ、無条件で助けてくれるってことはないだろう。目の前の老人からはそんな胡散臭さを感じる。


「外に出るために、アンタは俺たちに何を要求するつもりだ?」


「特に何も。貴方は私に着いてくるだけでよろしいのです」


「そうかい。なら、二人を起こして……」


 俺がエーゲルの肩を掴もうとすると、老人は高齢者とは思えない素早さで俺の手を遮った。


「どういうつもりだ?」


「外に出るなら、まずはお一人でお願いします。我々は貴方を保護したいのですが、訳あって人魔には居所を知られたくないのです」


「じゃあエーゲルとシャルフはここに置き去りってことか?」


「まさか! 貴方を我々の『ホーム』にお連れ次第、人魔のお二人も出ていただきますよ。何も意地悪をしたいわけではないのです、こちらの世界にも色々なしきたりがございまして……」


 老人は卑屈そうに手もみしながら俺の顔色を窺ってくる。なんとなく気味が悪いものの、俺に対する害意は本当に無さそうだ。


 もしやこの爺さんがドライエード様暗殺の首謀者かと思ったが、そう思い切るには根拠が足りない。

 それにこの老人が敵なら俺を助ける理由はないはず。わざわざ外に連れ出さずに、閉じ込め続ければいいだけの話だ。怪しいのはともかくとして、ひとまずは従っておいてもいいのか……?


 いや……ちょっと待てよ。


「なあ、アンタ。さっき『こちらの世界』って言ったか?」


「さようですが……」


「なんで俺がこの世界の住人じゃないって知ってるんだ?」



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