第六話 テクニカルノックアウト!
……結論、ダメでした。
「……えっと……ヒロユキ? 大丈夫?」
「……浩之ちゃん、顔が土気色なんだけど……どうしたの、何かあった?」
桐生から『実は葵ちゃん、人見知り説』を聞いた翌日、つまり三日目の昨日。遂に被っていた猫を完全に下ろした葵ちゃんの言葉の刃はガシガシと俺を削っていった。その刃の鋭さは筆舌に尽くしがたく、桐生からドクターストップ――『そ、そう言えば葵! こっちの街を案内して無かったわね! 明日は姉妹水入らずでウインドショッピングにでも行かないかしら!? 東九条君も折角の連休だしご実家に顔を出して来たら!?』なんて言葉でようやく解放されたのだ。え? テクニカルノックアウト? かもね。
「……家の前でヒロユキ見たときにもあんまり顔色が悪いからびっくりしたけど……大丈夫なの、本当?」
心配そうにこっちを見てくる智美に俺は片手を挙げることで返す。たまたま実家に帰って門扉に手を掛けたところで、涼子の家から出てくる涼子と智美に会ったのだ。『ちょうど良い所に、ヒロユキ! これから涼子と遊びに行くから、ヒロユキも一緒に――って、アンタ、どうしたのよ、その顔!?』『あれ? 浩之ちゃん、帰って来たの? それじゃ折角だし久しぶりに三人で遊びに――ひ、浩之ちゃん!? だ、大丈夫!? 体調でも悪いの!?』と心配されるまま、駅前のファミレスに引っ張られて今に至るって訳だ。
「は、ははは……大丈夫、大丈夫」
うん、ちょっと心が病みそうなだけで。体自体は元気だから!
「……全然大丈夫のテンションじゃないじゃん。なに? なんかあったの、ヒロユキ?」
「うん、本当に大丈夫そうじゃないし……なにかあったなら相談くらいはしてよ? 解決してあげるとは言えないけど……話すだけで楽になることもあるかも知れないし」
「……いや、すまん。その……ちょっとな?」
「その『ちょっと』を教えて欲しいんだけどな~、浩之ちゃん?」
「いや、そうは言われても……」
これ、どう答えたら良いかも分からんし。なんだ? 『女子中学生に口撃でぼこぼこにされて凹んでます』とか言えないし。そもそも……なんだ? 陰口っぽいじゃん。
「……大丈夫だよ、本当に」
俺が解決する問題だしな、これ。そう言って苦笑して見せる俺に、智美は不満そうにドリンクバーで入れてきたメロンソーダをズズズと啜って見せる。
「……ヒロユキが絶対言いたくないって言うんだったら無理には聞かないけど……でもさ? ヒロユキだって私たちが今のヒロユキみたいな顔してたら心配しない?」
「……する」
「どうにかして解決したいって思わない? 解決できないでも、悩みぐらいは聞いて上げようって思わない?」
「…………思う」
「ね?」
「智美ちゃんの言う通り。他言無用なら他言無用にするし……そもそもさ? 今の浩之ちゃん、相当顔色悪いよ? 普通に心配なんだけど?」
「……」
……はぁ。
「……マジで他言無用で頼む。その……今、ちょっと家にお客様来てて……」
「お客様?」
「桐生の従姉妹。葵ちゃんっていう中学生の子なんだけど……その……あー……」
「……言い難いこと、ヒロユキ?」
「言い難いっつうか……その、なんだ? こう……葵ちゃん的には俺と桐生の許嫁反対らしくてな? いや、反対っつうか……まあ、『俺が桐生に相応しいか』みたいな試験をちょっとされてて……そこでまあ、こう……こてんぱんにやられてる」
あまりの情けなさに言葉尻が小さくなる。そんな俺の言葉に、涼子がきょとんとした顔でこちらを見やる。
「……それって桐生さんの従姉妹がすることなの? 浩之ちゃんと桐生さんの許嫁って浩之ちゃんのおじ様と桐生さんのお父さんの間で決めた事じゃないの?」
「……まあ、その通りなんだが……こう、その葵ちゃんのお父さんも桐生の家の会社の役員やってるらしくてさ? 桐生って一人娘だし……」
「……ヒロユキじゃダメって事?」
「ダメかどうかのテストって事」
完全にダメじゃない……と、信じたい所ではあるのだが。
「……なにそれ?」
俺の言葉に詰まらなそうにメロンソーダーをズズズと最後まで啜り、きゅぽんと音をさせてストローから口を外す智美。あー……
「良いじゃん、ヒロユキ。ダメならダメで。っていうか、ダメな方がいいんじゃない? 態と赤点取ろうよ、むしろ。あっちが嫌だって言うなら、別に許嫁関係続けなくてもさ? さっさとダメだしされて帰ってきたら良いじゃん。そんでまた三人で仲良く遊ぼうよ」
「……なんか怒ってるか、智美?」
これ、怒ってる時の智美だな。目が笑ってねーもん。
「怒ってる? 怒ってるに決まってるじゃん。私たちの大事な幼馴染を勝手に許嫁にした癖に、今更テストだ? 馬鹿にしてんのか! って言いたいもん!」
不満そうに頬を膨らます智美。そんな智美の肩を『まあまあ』と叩きながら涼子が視線をこちらに向ける。
「智美ちゃんのは極論だけど……まあ、私もあんまり面白くはないかな~」
「……涼子」
「ま、それは良いよ。どのみちその……葵ちゃん? だっけ? その子が何か言った所で浩之ちゃんと桐生さんの許嫁関係が解消されるとは思ってないし」
「そうなの、涼子?」
「当たり前じゃん、智美ちゃん。だって浩之ちゃんの許嫁って『家』と『家』の決まり事だよ? それを中学生の小娘がちょっと言ったぐらいでどうにかなるとはちょっと思えないし」
「小娘って」
「ま、私だって女子高生の小娘だけどね。ともかく……だからそんなにテスト云々は気にしなくても良いかなとは思うよ? っていうか浩之ちゃんだって薄々分かってるでしょ?」
「いや、まあそれは……でもさ? さっきも言ったけど桐生の従姉妹のお父さんって桐生家の会社の役員なんだよ。つう事は……こう、いつかは俺が桐生とその……」
「……ま、親戚付き合いは大切だしね。それは理解するけど……どうしよ、智美ちゃん。私、こっちの方が面白くない」
「面白い面白くないは置いとけ。どうなるかも含めて……ともかく! 今のままじゃ俺の評価は地を這う如しって感じだしさ? ダメだしも結構厳しいし……」
「厳しい? なに? 具体的にどんなこと言われたのさ、ヒロユキ?」
どんな事? どんな事って、そりゃ……
……。
………。
…………は。
「……は……はははは……あははは……」
「ちょ、ちょっと浩之ちゃん!? 大丈夫!?」
ああ……遠くで涼子の声が聞こえるよ……あれ? 何だか綺麗なお花畑が見える~……ああ、そうか、死んだじいちゃん(母方)。そこに行けば、幸せになれるんだ――
「しっかりしなさい!」
ガコ、っという衝撃の後で見えたのは、拳骨を握りしめて俺の頭を殴る智美の姿。
「……痛い」
「痛くしたの! なによ、綺麗なお花畑って。心配するような事を言わないでよね!」
「……すまん。それにまあ……ありがとう」
俺の返答に、少しだけ不満そうに鼻を鳴らして、智美は俺に向き直る。
「……何言われたかは聞かないけど……よっぽど酷いこと言われたのね? ヒロユキがそこまで落ち込むって」
「……まあな。『弱い所を突く』と言うのは、どんな場面に置いても基本戦略だろうが……あそこまで良心の呵責なく、俺の弱いところを的確に付いてくるのは一周回ってすげーと思う」
嫌味なしで。
「……具体的な言葉は聞かないけど……どんな感じなの、浩之ちゃん?」
「こう……傷口に塩を塗るとか言うだろ? 葵ちゃんの場合、傷口に塩を塗り込んだ上にその上でタップダンスを踊るというか……」
「……踏んだり蹴ったりじゃない」
「……泣きっ面に蜂じゃない、むしろ?」
智美の言葉に俺はゆっくりと首を左右に振る。
「違う。あれは……『泣きっ面蹴ったり』、だな」
「鬼か」
呆れたように首を左右に振る智美。涼子も引き攣った顔でこちらを見ている。
「……そういう訳で、ちょっと精神的に参ってる。今日も桐生が葵ちゃん連れ出して……『ちょっとはゆっくりしなさい』と、まあそういう意味だと思うし」
「……大変ね、ヒロユキも」
「……まあ、言い方はアレだけど……言ってることはさして間違いないんだよな。チクチク言われるからちょっと心苦しいというか……」
結局、葵ちゃんが言ってる事は唯の『正論』だしな。悪いのは、なんだかんだと言った所で俺だ。俺が色々と至らない事をしてるだけの話で、葵ちゃんだってやたらめったら誹謗中傷をしてる訳じゃなく、俺の間違いをただ正してるだけだし。
……いや、正し方に悪意しか見られないのは……まあ、そうなんだけど。俺、この数日で嫁姑関係って大変だなってこと身をもって知ったわ。アレだよな? そら、あの状況だったらお嫁さん、大変だよな。
「……ま。浩之ちゃんがそう言うなら何も言わないけど。それにずっと居るわけじゃないんでしょ?」
「葵ちゃんがずっと居るとかマジで精神が病むわ。一応、この連休が終わったら帰る予定」
「今日は土曜日だから、明日までか。今日一日、頑張ればなんとかなりそうだね?」
じゃないと浩之ちゃん、完全に廃人になりかねないしと言う涼子の言葉に思わず身震いする。洒落にならんわ、そんなん。
「それじゃヒロユキ、今日一日暇なの?」
「暇っつうか……まあ、暇は暇だけど」
「だよね! んじゃ折角だし遊びに行かない? 涼子と買い物でも行こうかって話をしてたんだ!」
「……買い物だ?」
それ、荷物持ちになるやつじゃない? え? 俺、一応休養で帰ってきたつもりなんだけど……
「いいじゃん、いいじゃん! たまには幼馴染孝行しなよ! それに……こーんな美少女二人連れて買い物だよ? 役得じゃん!」
「……お前らが美少女なのはまあ、認めるけど……」
にしても……荷物持ちか~。そんな俺の表情に気付いた涼子が智美を窘める。
「もう、智美ちゃん! 無理に浩之ちゃんを付き合わせないの! 買い物はまたで良いじゃん。どうせ買う物なんか決めて無い、ウインドショッピングの予定だったし」
「まあ、そうだけど……じゃあこれでバイバイ?」
「まさか。荷物持ちはともかく……折角久しぶりに浩之ちゃんがこっちに帰ってきたのにこれでバイバイは勿体ないよ。だからさ? 浩之ちゃんの好きな事、しよ? カラオケでもゲームセンターでも付き合うよ?」
ほら、命の洗濯、命の洗濯と俺の手を取ってニコニコ笑う涼子。
「行こうよ~、浩之ちゃ~ん。たまには私たちと遊んでくれても良いじゃーん」
「……はぁ。分かったよ。んじゃ……ゲーセンでも行くか?」
最近言ってないし。そう思う俺の言葉に、幼馴染二人は笑顔でハイタッチを決めて見せた。