第十三話 勢い任せは許しませんよ、涼子ちゃんは。
ハッピーバレンタイン!
……っけ。
「……」
葵ちゃんの言葉に、唇を嚙み締めたまま俯く桐生。桐生に止めを刺したその返す刀で、葵ちゃんは今度は俺を攻め立てる。
「……先ほども言いましたが、昔のお姉様はそうではありませんでした。教えて頂けませんか、東九条浩之。一体、どの様な手管を使い我が姉を籠絡せしめたのですか? どれほどの逆境にも一人で立ち向かっていたお姉様が、誰にも頼ることなく、誰にも負けることの無かったお姉様が……『東九条浩之が良い』と、特定の他人が側に居ることを望むとは……正直、正気の沙汰とは思えません。過去のお姉様を知っているなら、猶更です」
「……」
「なるほど、先ほどのお二人とのご関係を見る限り、女性の扱いは巧いのでしょうね。本当に、尊敬しますよ」
そう言って、言葉とは裏腹に侮蔑の視線を向け、肩を竦めて。
「……大体、貴方はなんなのですか?」
「な、なんなのって……」
「さして勉強が出来る訳でもなく、さして運動が出来る訳でもない、家事が出来る訳でも、顔が良いわけでもない。あまつさえ、お姉様という許嫁が居ながら他の女性と遊び歩く様な不誠実さ」
「……」
「そのような男の何処が良いのか、皆目見当が付きません。一体、お姉様は貴方の何処に惹かれ」
--こんなに弱くなってしまったのか。
「……お姉様を『弱く』した貴方は、果たして桐生家にとって有用な存在なのですか? 許嫁とは『家』と『家』のメリットがあってこそですが……貴方とお姉様の婚儀は桐生家に一切のメリットがありません」
否。
「――断言します、東九条浩之。貴方の存在は、お姉様にとって害悪以外の何ものでもありません」
きっぱりと。
そう、葵ちゃんの声が耳朶に響くと同時、俺が見たのは。
「貴方に……葵に、何が分かるって言うのよ!」
バシン、という平手打ちの音と。
「貴方、東九条君の何を知ってるって言うのよ! そうよ? 貴方の言う通り、私は誰にも負けない様に戦ってきたわ! 誰に認められなくても、誰を敵に回しても、それでも私は私の信じる道を歩いてきたつもりよ!!」
「お……ねえ、さま?」
「でも、その道だって決して楽な訳じゃなかった! 辛くないと言えば嘘になった! どれだけ努力をしても、どれだけ頑張っても、誰も、誰も認めてくれなかった!!」
両の眼に、涙を一杯溜めて。
「――東九条君だけなのよ!! そんな私を、認めてくれたのは!! そんな東九条君が、私にとって害悪なんて、そんな訳、ある訳がない!! 確かに、東九条君は勉強が優れてる訳じゃない! 運動が優れてる訳じゃない! どちらかと言えば不器用で、下手くそで、節操が無い、貴方から見たら、そんなどうしようも無い人に見えるかも知れないわよ!」
そこで……大きく、息を吸い込んで。
「でもね! そんな、不器用で、下手くそで、節操が無くて、そんなどうしようも無い人の癖に、皆の笑顔を一番に考えて、自分が辛くても他人の為に動く事の出来る、そんな東九条君が! そんな……そんな優しい東九条君の事が! 私は、世界で一番、だい――」
「……おお~。桐生さん、こんな公衆の面前で愛の告白か~。これは私たちも負けてられないね~、智美ちゃん」
言葉の途中で割り込んだ、涼子の言葉は静かでも。
桐生の勢いに圧倒されていた俺達には良く届き。
……それ以上に、勢いづいていた桐生にも、良く届いた。
「……あ……あ……ああ……」
先ほどまで、怒りと勢いに染めていた頬を、今度は羞恥で真っ赤に染めて。
「……ささ、桐生さん? 私たちの事は気にせず、先ほどの続きをどうぞ、どうぞ」
そんな桐生に、追い打ちにウインクを一つ。
「か、賀茂さんのバカーーー!」
涼子の言葉で最後の堤防が決壊したか。
眼から涙を流し、そんな捨て台詞を残して、桐生は脱兎の如くはファミレスから逃げだした。
「桐生! ……って、涼子! 離せよ!」
慌ててその背を追い掛けようとして、隣に居た涼子に服を掴まれる。
「駄目だよ~、浩之ちゃん。今、桐生さんを追いかけたら」
「駄目だよって……桐生、泣いてただろう!」
「……相変わらずオトメゴコロが分からないね~、浩之ちゃん。恥ずかしいから浩之ちゃんから逃げたのに、浩之ちゃんが追いかけたら逃げた意味が無いじゃん」
……う……
「そ、そういうモノなのか?」
「そだよ~。浩之ちゃんは、もっとオトメゴコロを勉強して下さい……と言いたいけど、あんまりオトメゴコロ勉強されてもちょっと『もにょ』とするから……今のままで良いか」
「どっちやねん……じゃなくて! 大体、涼子! 涼子があんなからかう様な事言ったからだろうが!」
「おやおや。それじゃ、桐生さんに勢いのまま、こんなファミレスで愛の告白……かどうかは明言を避けるけどさ? それをさせてしまって良かったの?」
「っぐ!」
「桐生さん、結構照れ屋で乙女だからね~。きっと家帰っても浩之ちゃんと目も合わせてくれなくなるよ?」
……確かに。
「……ありがとな、涼子」
俺の言葉に、何時もの笑顔で頷いて。
「……それに」
勢いだけで告白させられて、そのせいで姉妹仲が悪くなるのは嫌だし、と。
そう言って、涼子が視線を向けた先には頬を抑えたままの態勢で呆然としている、葵ちゃんの姿があった。




