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第十二話 弱くなった桐生さん


 葵ちゃんの言葉に、弾かれた様に桐生が顔を上げる。

「っ! 葵!! そ、それ!」

「何処で聞いたかはどうでも良いでしょう。このセリフ……お姉様、貴方が本当に言ったのですか?」

「……」

「……言ったわ」

「……はぁ。やれやれです、お姉様。良いですか? 桐生の家に婿に入った人間が他所に女を囲う? そんな醜聞、許せると思いますか?」

「……」

「バレなければ良いと思っておりますか? まさか、本当にバレないと? お姉様に言うのは釈迦に説法でしょうが……桐生家には敵ばかりですよ? そんな中、お姉様の伴侶が他所に女を囲っているなど……良い笑いものですよ。お姉様が『安く』見られます。婿に入った男の手綱すら握れない、『魅力のない女』と思われるのがオチです」

「……」

「まあ、愛の無い政略結婚などそう珍しいものでもないでしょうが……それならば、もっと『条件』の良い殿方がいるでしょう。『たかが』東九条の『分家』程度でなくても。お姉様は優秀で、美人ですし、それに桐生家の財力が合わされば鬼に金棒でしょう? 無理に東九条浩之でなくても良いのでは無いですか?」

「……」

「……沈黙は肯定ですか、お姉様? それならば東九条浩之でなくても良いですね?」

「……いや」

「はい?」

「い、いやだもん! わ、私は……そ、その……東九条君が……」

「……はぁ」

 桐生の言葉にやれやれと言わんばかりに首を振る葵ちゃん。その後、視線に冷気を乗せて桐生を見やる。



「――お姉様」



 瞳に、侮蔑が混じる。


「……昔の貴方はそうではありませんでした。成り上がり者、成金、あの人はお金だけ……心無い言葉を浴びせられてもお姉様、貴方はずっと一人で立って歩いてきた。貴方のその力強さ、誰にも慮ることのない気高さを私はずっと尊敬しておりました。桐生家の発展の為、社交界で馬鹿にされないため、名家の婿を取ると決めた貴方のその心意気は貴いと、そう思っておりました」


 思っておりましたが、と。



「そんな貴方が、ただの少女の様に『東九条浩之』がよいと、そうおっしゃいますか」



 視線に、険が増す。



「――全く……少し逢わない間に、随分と」




『弱く』なりましたね、と。




 流石に……言い過ぎだろう!

「葵ちゃん!」

「貴方は黙っていなさい、東九条浩之」

「桐生は悪くないだろう!」

 俺の言葉に……葵ちゃんは桐生に向けていた侮蔑の視線を俺に向け、深い溜息をつく。

「……いいえ。お姉様が悪いのです」

「何でだよ! 勉強が出来ないのも、家事が出来ないのも……そ、その……涼子と智美と遊びに行ったのも全部俺だろうが!」

「そうですね。貴方が眼鏡に適う程の人間ではなく――しかも、お姉様という完璧な許嫁が居ながら、貴方は別の女と遊びに行ったんです。密室で、密着するような遊びを。そして、お姉様はそれに対して異を唱えなかった。言い換えればそれは、女として『負け』を認めたのと同義です。まあ、そうですね? 『他所に女を囲っても良い』なんて、女として完全な白旗宣言ですよ」

「……」

「……いいですか、東九条浩之。桐生の人間たるもの、『負け』てはいけないのです」

「負けてはいけないって……」

「勉強で負けるのは構いません。運動で負けるのも構わないでしょう。美貌も、別に負けても構わないです。ですが、所詮政略結婚と最初から愛することを、愛されることを――『勝ち』を諦めるのは如何なものでしょうか?」

「……」

「勝つ策を捻らず、相手のせいにし、自分に『負け』てしまえば、人間はそこで終わりです。勝敗は兵家の常と言います。『経営者』とは一国一城の主です。今日の負けを糧にし、明日の勝利に繋げれば、それは最終的に『勝ち』。そして、桐生家はずっとその場所で戦って来た。おじ様も、お父様も、どれほどの悪評にも、どれほどの罵倒にも負けず、最後には自分たちが勝つと信じ、戦い続けてきました。それこそが、桐生家が『今』の地位を作っている最大の要因です」

 家訓みたいなものです、と。

「……お姉様も昔はそうでした。どんな強敵だろうと――世間を支配する『空気』というそれにすら立ち向かっておられました。それが、どうです? 私程度の非才の者にこれだけ言われてもなんの弁明すらしない。昔のお姉様なら容赦なく、叩き潰していましたよ? それこそが、お姉様の『勝利』だったはずなのに……『勝ち』を忘れたお姉様、貴方は」



 本当に弱くなりましたね、と。



 ぞっとするほどの冷気を込めて、葵ちゃんは桐生にそういった。


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