第十一話 『別に、他所に女を囲っても構わない』
「予定より一日早いですが……私は今日、帰らせて貰おうと思います」
……あの後。
見事に右頬を撃ち抜かれ、聖ヘレナの教えの通りそのまま左頬まで撃ち抜くべく拳を振りかぶった葵ちゃんを智美と桐生が二人がかりで止め、流石に目立ちすぎるので先ほどまで居たファミレスに河岸を変えての反省会である。俺が悪いのは百も承知なんだけど、流石に『ぐー』は無いんじゃないでしょうか、『ぐー』は。
「……ええっと……葵ちゃん、だったっけ? その、さっきのは浩之ちゃんが悪いと思うけど……流石に浩之ちゃんにももうちょっと弁解というか……あれは事故っていうか……」
「賀茂さん、でしたか? 申し訳ございませんが賀茂さん。確かにあれは事故でしょうが……ですが、あの様な恥辱を与えられ、これ以上この場に留まれというのは苦痛以外の何ものでもありません。引き払わせて貰います」
ちらりとこちらを見やり。
「――もう、査定の必要もないようですし?」
葵ちゃんの言葉に、呆れたように首を左右に振って視線をこちらに向ける智美。『お前が悪いぞ、これは』というその視線についっと俺も視線を逸らす。いや、その……すいません。
「……さあ、お姉様。東九条浩之に挨拶を。『短い間でしたが、お世話になりました』と」
「いやよ! 離して! 離してよ、葵!」
暴れれば暴れるほど、葵ちゃんのホールドはより強固なものに……っていうか……桐生の右手、鬱血してない?
「ちょ……話を聞きなさいよ!」
ようやく葵ちゃんの手を引き離し、喧嘩を始める猫の様に毛を逆立てさせる桐生。
「た、確かに、今回のは東九条君が悪いかも知れないわよ? でもね? あれだって事故よ、事故! 東九条君だって、別にしたい訳じゃ――」
喋りだしていた桐生が息を止めてこちらをじとっと見つめてくる。な、なに?
「――ただの事故、よね? そ、その……葵の下着を見たかったって訳じゃ……」
「無いわ!!」
冤罪も良い所だぞ、おい!
「そ、そうよね! こ、コホン……と、ともかく! あれは事故なの!! その、葵には可哀そうな事をしたと思うけど……で、でも!! それはそれ、これはこれじゃない!? なんで急に査定をやめるっていう話になるのよ!! そ、その……東九条君だって見たくて見た訳じゃないんだから、それぐらい許してあげな――」
「……何か勘違いしていませんか、お姉様?」
「――さい……勘違い?」
尚も言い募ろうとする桐生を、軽く手で制し。
相変わらずの無表情なまま……葵ちゃんは、今まで見た事の無い冷たい眼を桐生に向けた。
「……別に私は下着を見られたことなどさして気にしてません」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……なんですか皆様、その目は」
いや……思いっきり俺の右頬に良いストレートぶっ放して、その上でトドメ刺さんばかりに左手振り上げたやつの言うセリフじゃねーなと。
「……ともかく、その点はさして問題ではありません。問題なのは」
絶対零度の視線と、無表情はそのままに。
「東九条浩之……貴方は今日、何をしていたのですか?」
「な、何を? 何をって……」
「そちらのお二方……賀茂涼子さんと鈴木智美さん、でしたか? 見目麗しいお二人ですね。そんな二人と」
――デートでもしていたのですか、と。
「で、デートって! それは――」
「妙齢の男女が出掛ければデートでしょう。しかも、男性一の女性二、ですか……お姉様という許嫁が居ながら、よくもまあ……」
「べ、別にデートじゃないよ! た、ただ三人で遊びに行っただけで……」
「そうですか。貴方の『ただ遊びに行く』というのは男女三人でゲームセンターに行き、狭い密室のプリクラの筐体の中で抱き合う事を言うのですか。まあ? 名家のお仕事の一つに血のプールがありますし……英雄で無くても色を好むのでしょうね、名家の方々は」
「ちが――」
「違いますか? 私が出逢った……貴方が私のスカートの中を覗き見た時にはお三人で抱き合っていたじゃありませんか」
「あ、あれは……あれも事故! 事故なんだって!!」
「ほう。まあ、転がって出てきたのは事故でしょうが……その前に一体、どの様なやり取りがあったのでしょうか? 余程密着してない限り、あのような態勢にはならないのではないですか?」
「あ、葵!」
「なんですか、お姉様?」
「な、なんですかって……」
「そもそも……良いのですか、お姉様は? 東九条浩之は貴方の伴侶になる方でしょう? その人が、自分以外の女性と、密室で、密着して……その様な事を許しても良いのですか?」
「そ、それは……」
口をもごもごとさせる桐生。そんな桐生を見やり、ポンっと手を一つ叩いて。
「――ああ、そうでしたね。良いのでしたね?」
――『別に、他所に女を囲っても構わない』
「そんな事を言っていたらしいですね、お姉様? なんとも……『負け犬』な台詞ですこと」
冷たい視線で、そんな事を言った。




