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「金曜の夜だぞ。」
目の前の男が口を開き、もう何度目か分からない愚痴をこぼす。
「信じられるか?金曜日の18時以降は絶対に仕事を入れるな、と俺は社長に何度も言ってるのに、『今日の依頼は特別なんだ』とか言って押し付けてきやがった。」
男はそういいながらカチャカチャとドラマでしか見たことの無いような医療器具をリビングの机に並べ始めた。
「いつもは二人でやるんだ。相棒は勝手なやつだがこういう仕事には向いてる。あれで食い意地が張ってなけりゃ完璧なんだが…こんな夜中じゃ連絡もつかない。」
「…じ、じゃあ今日はキャンセルして、月曜日にまた、その相棒とお二人で来るというのは--」
この部屋の主で、今は椅子に縛られている男 ―小坂 俊は声を震わせつつそう言った。
20代も半ばにさしかかり、ようやく仕事にも慣れてきたなと感じているが、部屋に入ったところで見知らぬ男に襲われて椅子に縛り付けられる、という事態に対処できるほど人生経験は積んでいない。
返事が返ってくると思わなかったのか、男はおや、という感じでこちらを振り返る。
「それは魅力的な提案だが、これは仕事だ。断れなかった以上やるしかない。相棒がいないと少し面倒だが、まぁ一人でも出来なくはないしな。それに月曜日まで待ったらお前は逃げるだろう?また探し出すのは面倒だ。」
「逃げませんって!絶対に逃げませんから!」
小坂は必死になって叫んだ。この状況を抜け出すためなら何だってする。靴だって舐められそうだ。
男は並べていた道具を置いて、ハァとため息をだした。
「騒ぐんじゃない。落ち着け。みっともないぞ。」
小坂は構わず喚く。明らかに危害を加えようとしているヤツを前に落ち着いてなどいられない。
「大体なんの恨みがあって僕をこんな目に合わせるんですか!僕はあなたに何もしていないでしょう!」
「531人」
「え?」
「531人だ。いいか、俺は今までこの仕事で531人、相手にしてきた。お前みたいに「前途有望です」みたいな顔をした若い奴から、もう後が無さそうな老人もいた。みんな口をそろえてこう言うんだ。「俺は何もしていない。」「逃げないから縄を解いてくれ」ってな。」
「…そ、それであなたはどうしたんです?」
「別に、何もしてやらない。お前らは口が上手いからな。それにお前と俺はなんの関りも無いが、存在が問題なんだ。記憶がないとはいえ、悪魔であることには違いないんだから ―ああ今のは忘れてくれ。」
「あ、あくま…?」
男がしまった、と顔をそむける。なにかマズいことでも言ったのだろうか?
悪魔というなら、小坂にとっては今まさに目の前にいる男こそ、悪魔に違いなかった。
とりあえずなんとか時間を稼ごうと、小坂が再び口を開こうとすると
「やぁ相棒。口を動かすのはそれくらいにしてそろそろ仕事に取り掛かったらどう?」
と声が聞こえてきた。
突如聞こえたその声に、びくりとして辺りを見回すが、部屋に人影は見えない。
「おや、結局来たのか?連絡が付かないから、またどこかで飯でも漁っているのかと思ったが…」
「漁ってるってなんだよ。ボクをその辺にいる野良猫と一緒にしないでくれないかな?」
視線を男の方に戻すと、なんと男が声の主である、、ネコと喋っていた。
帰宅してから驚きの連続で、もはや声を出すことすら忘れた小坂がポカンと口を開けてそのネコを見つめる。
信じられない、ネコが喋っているなんて、、、
非現実的(椅子に縛られている時点でだいぶ現実とはかけ離れているが)な光景に目を見張っていると、そのネコがこちらをチラリと見て、一瞬目が合った。
「…これが今回の標的?こんなアホ面してるのが特別依頼?嘘だろ? -ロック、前々から言ってるけどキミ、社長にいいように使われすぎじゃないか?」
「そう言ってやるな。こいつは今はただの『小坂さん』だ。特別以来の意味は……まぁ確かに分からんが、受けてしまった以上はやるしかない。どのみちこいつは始末しないとな。」
「ふん、じゃあ早く終わらせようか。ロック、さっさと袋を破れ。せっかく来たのにこれじゃボクが動けない。」
「そう急かすなよ。こんなに時間が掛かってるのは、元はといえばサカナミ、お前が付いてこないからだろう?」
聞こえない、とばかりにネコ -サカナミと呼ばれていた― が器用に耳を伏せる。
軽い会話を交わす二人(一人と一匹?)を見ながらも、小坂は必死に逃げ出そうともがいていた。が、かなりきつく縛ってあるようでロープは緩む気配すら見せない。ついに椅子ごと倒れ、ガタンっと大きな音を立てた。
二人の目が小坂を射抜く。
「一番厄介なのは、自分が悪魔ということを忘れていることだな。」
そういいながら、男 -会話を聞く限りどうやらロックというらしい- がガムテープを持ってこちらに近づいてきた。
「な、なぁ、何が目的なんだ?金か?金ならいくらでもやる!通帳もカードも持っていっていい!だから命だけは――!」
大声で命乞いを始めた小坂の口をそのテープで塞ぐ。グルグルと執拗にまかれたそれはどうやっても外れそうにない。
涙目になってモゴモゴ言う小坂を眺めて、ロックは不満げに呟いた。
「映画なんかだとダクトテープが主流だよなぁ。やはりガムテープじゃ格好悪くないか?」
「洋画の観すぎだよ。誰にも見られないんだから、なんでもいいさ。」
「俺とお前が見てる。だろ?こいつだって死に際に格好悪い …まぁテープが無くても十分格好悪いが、そんな姿を俺らに見せたくないだろうさ。」
「え、なに、ロック、君もしかしてこいつらに気を使っているの?」
「いや別に。なんとなくそっちの方がハンターぽいかなと。よし、始めるぞ相棒。準備はいいか?」
「もちろん、さっさとやっちゃってー」
ロックは、これにしよう、と並べた道具の中からどでかいナイフを抜き取り小坂に近づき、彼の耳元で囁いた。
「悪く思うな。こうしないと悪魔を取り出せない。」
(な、なにを言って--)
次の瞬間、小坂の身に激痛が走り ―彼の意識はそこで途絶えた。
ロックは小坂だったものの動きが完全に止まったことを確認すると、カバンからタブレットを取り出した。名簿を開いて、チェックマークを付ける。それでロックの仕事は完了だった。
「…もう1時か。なぁ、時間外の深夜労働ということで報酬割り増しにならないかな?」
「期待するだけ無駄だよ。あの社長がそんな気の利いた事してくれるはずないだろ?それより早く飯を買って帰ろうよ。ボクはお腹が空いた。」
「お前仕事の前に散々喰ってたじゃないか。それに今も一匹でかいのをくらったばかりだろう?…太るぞ。」
「うるさいなぁ、やつらは別腹だよ。それにそういう契約になっているだろ。君は悪魔を探し出して捕える。ボクは奴らを処分する。それに三食昼寝付きで。忘れた?」
「いや、忘れちゃいないさ…」
契約の話を持ち出されるとロックは弱かった。契約を結ぶときに了承したのは自分だし、たとえこの相棒がどれだけ大食いだろうと、助けられているのも事実だったから。
食費のことを考えると頭が痛い。近くにある24時間営業の格安スーパーを探しながら、ロックは相棒のネコ -サカナミをつれて小坂の家を出た。
彼の部屋は来た時とは打って変わって汚れているが、それは後から別のものが始末してくれるはずだ。