【Sleep in a white hemp field④(白い麻畑に眠る)】
“さすがナトー!”
ピパの落ちた辺りの水面が騒めいている。
“ピラニアの大群だ!”
おそらく大量の血の匂いを嗅ぎつけて集まって来たに違いない。
「何を見ている、行くぞ!」
よく見ると、エンジンが止まっているはずなのにボートはドンドン流されてゆく。
川の流れが速い!
ひょっとして、この先は……。
走るナトーを追いかけて俺も全力で走る。
走る、走る、走る!
ボートを追いこして、川に飛び込む。
チクチクとピラニアに噛まれるが、構っちゃいられねえ。
それに、今はピパが生贄になってくれているので、それほど多くもない。
川に入ると、思ったよりも流れが速いが、なんとかボートにたどり着いた。
「クラウチ社長、大丈夫ですか!?」
ナトーがクラウチ社長の猿ぐつわを外し、話しかける。
「大丈夫だ。君たちは?」
「娘さんと一緒に、貴方を助けに来ました」
「マルタもいっしょなのか!?」
クラウチ社長がキョロキョロと辺りを見渡した時、森の中から馬に乗ったマルタが現れた。
「マルタ!」
「パパ!」
マルタは馬を止め大きな声で叫んだ。
「泳げますか?」
「スマナイ。足を怪我している」
この流れだと手だけでは流れに負けて岸にたどり着くことは出来ないし、俺達がクラウチ社長を抱えて泳ぐことも、単に共倒れになってしまうだけだろう。
「マルタ!」
俺はマルタに合図した。
水深はそう深くなさそうだから馬なら何とかなる。
「トーニ舵を岸に向けろ!」
「舵!?」
「その船外機を操作して少しでも岸の方に向かう様にしろ」
「エンジンが切れても使えるのか?」
「少しはな」
本来船外機はエンジン駆動時にプロペラの動力角を変える事により、舵としての役目を担うが、水の抵抗を軽減するために平たい構造になっているので多少は役に立つ。
ただボート自体が波に押されているこの状況で、どれだけ役に立つか……。
「あれっ動かねえ」
「そんなバカな」
トーニの操作するレバーをいっしょに持ってみると、確かに重い。
なにか嫌な予感しかしない。
「トーニ、船外機が落ちないようにヘッドを抱えていてくれ!」
「ヘッド……こ、こうか?」
思いっきりレバーを引くと、ガタンと何かが外れる音がした。
舵が少し効き、船首がほんの少しだけ岸に向く。
「パパ!」
マルタの馬が近づいてくる。
今度はマルタの馬にクラウチ社長を乗せなくてはならない。
足を怪我して泳げないクラウト社長を、万が一にも川へ落としたら助からない。
「トーニ、手を貸せ!」
「手を貸せって言っても、そうしたらこの船外機が落ちてしまうぜ!」
やはりそうだ。
トーニの撃った弾は、エンジンの直ぐ傍にある、取り付けシャフトに命中したのだ。
「船外機は、もういい!」
「OK!」
トーニが手を放すと、船外機は直ぐに水の中に消えた。
マルタの乗って来た馬にクラウチ社長を乗せる。
「ナトーさんたちも掴まってください!」
「俺たちに構わず直ぐに岸に向かえ!」
「でも」
「でもじゃない。俺たちが馬につかまると、馬ごと滝にのまれてしまうぞ!さあ早く!」
「でも!」
“パシン!”
まだ躊躇っているマルタを見かねたトーニが、馬の尻を思いっきり引っ叩いたので、馬は慌てて岸に向かって走り出した。
「言うことを聞かない子には、お尻を引っ叩く。これはヨーロッパの伝統」
トーニが自慢気に仁王立ちして笑った。
「さあ、俺達も行くぞ!」
「あいよ!」
と、そのとき船底が盛り上がり、ボートが激しく揺れた。
中腰になっていた俺は直ぐにボートの縁にしがみ付いて難を逃れたが、立っていたトーニはバランスを崩して反対側に落ちた。
「トーニ!」
暫くしてトーニが水の中から顔を上げ、にこやかな顔を見せた。
「俺は大丈夫だ!直ぐに追いつくから、先に泳いで岸で待っていてくれ!」
一見何でもないようにみえるが、その笑顔の眉間に1本筋が入っていることに気付く。
トーニが何かを隠しているときや、痛みを堪えているに入るシワ。
泳ぐどころか、流れに負けてドンドン川の真ん中に流されている。
「トーニー!!」
俺は、そう叫んでトーニに向かって川へ飛び込んだ。
流れが速い。
俺が行ったとしても、おそらくトーニを岸まで連れて泳ぐことは叶わないだろう。
だけど、トーニを1人で死なすわけにはいかない。
「馬鹿野郎!こっちに来るな!」
俺は叫ぶトーニを無視して、その胸の中に飛び込んだ。
「コラ!俺に掴まるな、あっちへ行け!糞まみれが移って臭くなっても知らねえぞ」
「どこが糞まみれなんだ?」
川を泳いでボートに乗り込み、再び川に落ちたことでトーニに付いていた馬糞はスッカリ取れて奇麗になっていた。




