【To the enemy's bosom④(敵の懐へ)】
ブロロロロ……。
先行してバイクでトーニを追うキース。
木の根っ子にタイヤを取られないように、慎重かつ急いで進む。
キースは元モトクロスライダー。
モトクロスと言う競技は山や森を切り開いた中にコースを作り、そこを決められた数十分と言う比較的短い時間内に速さを競う競技。
もちろんプロのバイク競技選手は、自分の競技だけを練習している訳ではない。
ロード競技の選手が、バランス感覚やタイヤのスリップコントロール技術に慣れるためにオフの間にモトクロスの練習をするのは有名な話で、キースもオフの間にはトライアルなど2輪の違う競技の練習もしていた。
しかしキツイ。
トライアルなら、細切れなセクションを一旦クリアすれば、次のセクションに入るまで少し休憩が出来る。
だが、ここは違う。
モトクロスコースの様にコース幅が2~3mあるわけでもなく、コースはその1/10にも満たない。
そこに木の根やギャップ、アップダウンに傾斜、それに岩や倒木と言った障害物がある。
しかも本格的なトライアルコースの様な崖の上り下りに、沼地や小川まで用意されている。
まるでハードエンデューロ。
ハードエンデューロレースは極端に完走率が低い事で有名なレースだ。
プロが参加しても、完走率が1%しかない超ハードな物もある。
俺はそのレースをヨーロッパで経験したが、完走は出来なかった。
今日乗っているバイクは、その時の使ったハイパワーのモトクロッサーではなく、非力ながら低速トルクに優れたトライアルバイク。
バイクは異なるが、前回の様に完走できなかったで済むレースじゃない。
これはトーニやナトー……いや、俺の仲間たち全員の命を背負ったレースなのだ。
膝のポケットに入れておいたはずのミネラルウォーターのペットボトルは、いつの間にか落としてしまった。
そのまま走り続けると体の水分が不足して脱水症状が出て動けなくなってしまうから、なるべく飲めそうな水が流れている所では、それを飲んだ。
丁度ミニチュア模型の様な滝が流れている所でバイクを止めて水を飲んでいるときに、上空からヘリの音が近づいて来た。
敵か?味方か?
どちらか分からない以上、見つからないようにするしかない。
俺は大きな木の下に隠れて、ヘリを見張った。
ヘリは、軍や警察の物ではなく、民間航空会社らしい。
携帯を取り出して、機体に書かれた会社名とナンバーをニルス少尉に伝えた。
見ていると、ヘリは次第にスピードを緩め、高度を下げ始めた。
おそらく目的地が近いに違いない。
ヘリが見えなくなって俺はバイクのエンジンをオフにして押した。
ヘリのエンジンが止まった時、バイクのエンジン音が聞こえたのではマズイから。
バイクを置いて行くと言う手もあったが、万が一でも必要な状況が訪れないとも限らない。
その時に、必要な物は手元に有っていつでも使える方がいい。
“楽をしようとするな!無駄な努力と分かっていても、必ずしも無駄じゃない時もある。肝心なのは常にベストを尽くす事”
これは日頃ナトー軍曹が、訓練中にへばりかけた俺たちに掛けてくる言葉。
“バイクで来たから、敵に見つかってしまいました”は失敗に繋がる。
だからと言って“バイクを捨てて来たから早く到着しました”はベストじゃない。
“バイクを押して来たので、遅れました”もベストではない。
バイクを押しても走って来るのと変わらない時間に到着する事こそ、ベストだ!
俺はバイクを押して全力で走った。
ドアの前で足音が止まると、手下2人が両開きの白いドアを両方開けた。
入って来たのは予想通り、あの男だった。
「やあ、ナトー軍曹コンニチワ。長旅ご苦労様です」
「やはり、お前だったのか!」
「ピパ、俺のことを話したのか?」
「滅相もねえ、俺はこんな奴に易々と情報をクレてやるほど寛容じゃねえ」
「だろうな」
そう言うと、フランス大使館付き専門調査員のダニエル調査官は、冷ややかに笑った。
成る程、読めた。
通常、フランス大使館へ依頼される情報は直接大使や公使が処理するわけではない。
今回の場合は誘拐事件絡みの依頼だから、慎重に調べる必要がある。
そこで専門調査員であるダニエルが調査に乗り出す。
しかしダニエルは敵側の内通者だから、情報を操作して自分たちの都合いい様に報告する。
それが今回、俺達外人部隊が請け負う事になった依頼内容。
つまり軍人としてではなく、民間人としてコロンビア政府軍や警察と連携を取らずに秘密裏に誘拐犯の捜索に当たる事。
武器は最小限の護身用の武器だけ。
そして最終的にマルタを連れて来る任務に俺が選ばれた訳も。
「何のつもりだ!」
「今度は逃げ出さないで下さい、さもないとマルタお嬢さんやクラウチ社長が死ぬことになる」
「やはりPOCか」
「ナトーさん。貴女は我武者羅で何も知らないようですから、私から“特別に私たちの秘密”を教えてあげましょう」




