【Love drug②(ラブドラッグ)】
「おはよう」
「あっナトちゃんおはよう」
「軍曹が俺たちより後に来るなんて珍しいな」
ホテルのモーニングを摂りに中庭に面した食事スペースに行くと、ニルスとブラームに声を掛けられた。
食堂には、もうみんな大体来ていた。
昨日の長旅の疲れや、夜遅くまで酒を呑んだことなど気にもならないと言うくらい、バイキング形式の朝食をモリモリと食べている。
キャスはもう食べ終わったのか、珈琲を片手に新聞に目を通していて、俺を見つけると昨夜と同じ様にコップを持ち上げて、お道化たように微笑んで見せた。
俺は誰にも見られないように、軽く手を返してキャスの挨拶に応えると、その視線から逃げる様に周囲を見渡す。
朝食に遅くなったのは、コイツのせい。
ベッドに入ってからも、ドアばかり気になってナカナカ寝付けなかった。
“あれっ、トーニが居ない”
いつも俺を見つけるなり、恥ずかしいほど声を上げて俺の名前を呼ぶから直ぐ分かる。
「キース、トーニは?」
同室のキースに聞く。
「まだ寝ています。起こそうとしたのですが、放って置いてくれと言われて……」
「まったく、しょうのない奴だ」
「はい……でも、眠たそうなので寝かせておいたのですが、それに今日は特に用事もないようですし、駄目だったのですか?」
「いいかキース。寝不足は少しずつの休憩でも取り戻せるが、食事を抜くことによって起きるエネルギー不足は、その足りないエネルギーを補えたとしても回復には時間が掛かる。まして一旦エネルギー不足に陥れば、フラフラになってまともに歩くことも出来なくなる。いくら戦地では無いからと言っても、俺たちは任務で来ているのだから、規則正しい食事は摂らなければならない」
「す、すみませんでした。じゃあ俺が――」
「いい。キース。君はもう食べ始めている。だから今日は俺が行くからキーを貸せ」
「いや、やっぱり俺が」
「いいか、食事中に席を立つのはマナー違反だ」
キースは上げようとした腰を降ろし、ポケットからカードキーを出し、俺はそれを受け取り部屋に向かった。
エレベーターに乗り行く先のボタンを押した後、奥の壁についている鏡に向かって髪や服装の乱れをチェックしていると、途中の階でドアが開き慌てて何もなかった振りをして佇まいを直す。
だが誰も乗って来ない。
どうやら誰かがボタンを押し間違えたらしい。
「どうした、昨夜から俺は何だか落ち着きがないぞ……」
鏡に映る自分の顔に、そう聞いてみたが、鏡の中の俺は俺を見返すだけで何も答えてはくれなかった。
「やっと来たと思ったら軍曹ですか、おはようございます」
急に声を掛けられて振り向くと、いつの間にかエレベーターのドアが開いていて、自慢のモヒカンヘアーが寝ぐせでパイナップルのようになったモンタナが眠そうな目で立っていた。
「軍曹、目に何かゴミでも?」
「どうして?」
「今、鏡を見ていた様に見えたから」
「い、いや、ゴミが付いていたのを見つけたから拭いていただけだ」
いつも一緒に居て何とも思っていなかったが、俺より20㎝近く背が高い元NFLの選手らしいガッチリした体格のランニング姿は凄くセクシー。
隆起した胸の筋肉に、俺の足が肩からぶら下がっている様な逞しい腕。
思わず触って見たくなる……。
「ぐ、軍曹、どうしたんです。もう朝食は?」
知らないうちに、手を伸ばし掛けていた俺に戸惑ったモンタナの言葉が、俺を正気に戻してくれた。
「まだ食っていないが、先に行っていてくれ。俺はここで降りる」
閉まりかけたドアをすり抜け、慌ててエレベーターから降りた。
“本当に、今朝の俺は、どうにかしている”
閉まったドアに背中を付けて、ふうっと溜息をつくと再び閉まったはずのドアが開く。
「あっすみません。行先階のボタンとドアのボタンを押し間違えました」
「モンタナ気合を入れろ。遊びで来ているわけではないぞ!」
「はい。すみませんでした!」
再びドアが閉まり、エレベーターが下りて行く。
通路から早歩きで来た客が足を止めて、隣のエレベーターの表示を恨めしそうに見上げていた。
隣のエレベーターは丁度9階から8階に止まったところ。
ここは4階だからしばらく待たなければならない。
俺がもう少しこの客に気付くのが早ければ、俺が乗って来たエレベーターで降りられたはずだったのに申し訳ない事をしたと思った。
モンタナには、ああ言ったが、気合を入れなければならないのは俺の方。
こんな所をハンスに見られたら、注意されるだけでは済まない。
“気合を入れろナトー!”
胸をトンと拳固で叩いて、トーニの部屋へ向かった。
コンコン、トーニ。
コンコンコン、トーニ!
コンコンコンコン、トーニ!!
何度ノックしても、返事が無い。
使いたくはなかったが、キースから借りたキーを使って入るしかない。
「入るぞ!」
強気に言ってから、そーっとドアを開ける。
部屋の中に入るが、2つのベッドは空。
トーニが居ない。
エレベーターは2基あった。
1基は俺が使って、この階に上がって来た。
もう1基は9階に居て、この階でエレベーターを待っていたモンタナは“やっと来た”と言っていたから、トーニとすれ違ってはいないはず。
じゃあ、トーニは何所に?
前に見たホラー系の映画の場面を思い出す。
それは集団から離れて孤立した若者たちが、1人ずつ順番に殺されて行くシーン。
確かにアサシン(暗殺者)が、部隊全員の命を狙うのであれば、こういう群れから逸れた者から狙って数を減らすのが定石だろう。
考え過ぎかも知れないが、秘密の任務である以上、何が俺たちを待ち受けているか分からない。
考えたくはないが、一応最悪に備えておくべきだろう。
ベッドで寝ている男を殺した場合、一番手っ取り早い隠し場所はベッドの下。
ただし、そこには逃げ遅れた敵が隠れて居るかも知れない。




