【Toni②(トーニ)】
トーニと一緒にフロントに行って、新聞を返して一緒にお礼を言った。
「あれ、トーニはスペイン語も出来るのか?」
「イタリア人だからな」
トーニは何事も無いように言ったが、確かにイタリア語とスペイン語はよく似ていると言われるけれど、誰もが簡単に話せるわけではない。
しかもトーニは、その他にフランス語と英語も話す事が出来るから、俺はその能力の高さに感心していた。
ロビーに行くと、もうみんな出来上がっていた。
話の真ん中には、ガイドのキャスが居る。
「軍曹、こっち、こっち」
俺に気付いたモンタナが、自分の座っていた席を開けようとして腰を上げた。
キャスの隣の席……。
「構わないでくれ、俺はここに座る」
モンタナにそうことわり窓際の離れた席に向かうと、キャスの目が俺を追っているのが分かったが、それには気が付かない振りをしてそのまま座った。
「ナトちゃん、何していたの?」
部隊の中で、俺のことを“ナトちゃん”と呼ぶのはスウェーデン人のニルス少尉しかいない。
モンタナ伍長やブラーム兵長などは軍曹と呼び、他の者はナトーと呼ぶ。
軍曹とはいえ入隊してまだ2年半。
歳も部隊内で一番若くて二十歳だから、何と呼ばれても構わない。
だからニルスが“ちゃん”付けで呼んでも気にしない。
だいいちDGSE(フランス対外治安総局)のエマ少佐やSISCON(秘密情報制御室)のサオリも俺のことを“ちゃん”付けでしか呼ばない。
ましてニルスは俺より9歳も年上で、優しいお兄さんの様な存在だ。
「ナトちゃぁ~ん!」
「うるさい、黙れ!」
トーニがビールを持って来てくれた時、ニルスの真似をして俺のことを“ちゃん”付けで呼んだので即刻却下した。
「なんで、俺が“ちゃん”付けで読んだらいけないんだよ」
「好感度の問題だ」
そうではなかったがイチイチ説明するのも面倒なので、そう言い捨てると皆が俺の方に振り向き、口々に俺に向かって「ナトちゃん」と叫ぶ。
皆は俺からの好感度を試してみたかったに違いない。
とても嬉しく感じるが、こんな所で試さなくても、答えは決まっている。
トーニにはああ言ったけれど、俺は皆の事が大好きだ。
孤児同然で幼い頃から大人に混ざり、戦場を駆け回っていた俺にとって、この部隊は家族も同然。
しかし俺たちは軍人。
分隊は、友達や仲良しのグループではない。
黙れ!と言おうとしたとき、弦楽器を奏でる音楽が聞こえて来た。
聞いた事のある曲。
そして俺の好きな曲“El Cóndor Pasa(コンドルは飛んで行く)”。
弦楽器を演奏しているのは、カーボーイハットを被ったキャス。
持っている楽器はマンドリン。
キャスが俺の視線に気づいて笑っている。
“この男、一体何者なんだ……”
マンドリンが上手いからではなく、何となくこのタイミングで曲を弾き出すところが、まるで心を読まれている気がして、単なる地元の地理に詳しいだけのガイドではないと思った。
しかし敵でもない。
マンドリンの演奏もさることながら、歌も上手い。
カントリー調の切れのいい優しく甘みのある高音もそうだが、野性的なマスクもこうして歌っている顔を見ると甘くて親しみやすい。
俺が普通の女だったとしたら、コロッとイッテしまいそうなくらい心を揺さぶる。
演奏が終わり、皆がそれに気が付くまで一瞬間があった。
聞き入っていたのだろう。
ハッと気が付いた皆がキャスの演奏を褒め、リクエストをする。
キャスは、機嫌よくリクエストに応え、またマンドリンの演奏を始める。
今度はもう、俺を見ない。
「あのキャスと言う男は、何者なんだ?」
ニルスに聞くと、彼は急に可笑しそうに笑った。
「何が可笑しい」
「だって、そうじゃないか。僕たちはさっきここに着いたばかりなんだぜ。しかも皆一緒に行動していて、特別誰かが余分な情報を得てはいない。そんな分り切ったことを、まさかナトちゃんから質問されるとは思っても居なかったよ。ハンスが聞いたら驚くぜ」
たしかに、ニルスの言う通り。
どうかしている。
俺は皆と一緒にキャスのマンドリンを聴いていた。




