カインの新たな日常
最近、カインの日常は少し慌ただしい。
まず朝。普段なら余裕で惰眠を貪っているような時間に、欠伸を噛み殺しつつ起き上がる。
朝食を簡単に済ませ、足早に向かうのはリテアの書斎だ。
部屋の扉をゆっくりと開ける。
……彼女の姿はまだない。今日も無事に、自分の方が先に来られたようだ。
領主補佐が一番優先すべきことは、領主であるリテア――正確には領主代理だが――が円滑に業務を遂行できるようにすることである。それにはまず彼女よりも先に部屋に来て、仕事がスムーズに始められるように準備しなければならない。
というわけで、カインは初日から、リテアより早く部屋に行くようにしているのだが。
(リテアさん、めちゃくちゃ早起きなんだよなあ。マアサさんに聞いたときはびっくりしちゃった……ふわあ、眠い)
元々それほど早起きが得意なわけではないカインは、内心いつもひやひやである。
カインは書斎机に向かう。
朝一番から、机の上に書類が今日も愉快なほどに積みあがっている。イシス領はそれほど大きくはない筈なのに、どこからこれほど書類が湧いてくるのか。
いっそ感心しながら、カインはそれらに目を通しつつ、ものすごいスピードでさっさと分類していく。
そうしているうちに、書斎の扉がキイッと音を立てて開いた。
「おはよう、リテアさん」
「お、おはようございますカイン様。……あの、そんなに早くいらっしゃらなくても良いんですよ?」
「そんなわけにはいかないよ。領主よりも先に来て準備しておくのが、補佐の仕事だからね。ほらほら、座って座って」
「は、はい……」
このやりとりもう何回目だろ、と思いながら、リテアを机に座らせる。
最初はなんだか申し訳なさそうに身体を縮こまらせていた彼女だけれど、しばらくすると一心に仕事に集中し始める。そうなるとちょっとやそっとでは彼女の集中は切れることがなく、そんな彼女の様子はなんだかこちらを圧倒するものがある。
仕事が一区切りすると、カインは書斎を後にし、裏庭の方へ向かう。
そこにはもはやお馴染みの顔ぶれがカインを待っていた。
「義兄上ー! お待ちしておりましたっ!!」
「おお、カイン殿。お嬢さまの方は良いのですかな?」
「まあ、とりあえずは一区切りついたからね。後からまた様子を見に行くし」
言わずもがな、アランとユーグである。カインが二人と剣の稽古をするのは、もはや習慣のようになっていた。
と、そこに新たな人々がやってくる。
「お、カインさんいた!」
「カインさん、俺たちにも稽古つけてください!」
「ええー、また? ……ちょっと面倒だなあ」
「面倒なんてー、ひどいじゃないですかカインさん!」
「おれたちが強くなれば邸の警備も万全、カインさんたちも安心して過ごせるってもんですよ?」
「ま、稽古をつけてもらう側のおれたちが言っても説得力は皆無ですけどね!」
あっはっはー、と能天気な笑い声が上がる。
彼らはハイムウェル邸の護衛兵であり、カインとアランが初めて剣を交えた日、遠巻きにこちらを見ていたらしい。あの時からしばらく時間が経っているのだが、最近になってカインに剣の教えを乞うてきた。
何故今頃になって話しかけてきたのか、気になって聞いてみたところ、
「いやー、最初はなんかこう、突然知らん人来たしお嬢さまの結婚相手とか言ってるし雰囲気もこう、貴族! って感じで近寄りがたい感じだったんですけど、坊ちゃんはなついてるしアランさんには信用されてるみたいだし、悪い人ではないっぽい? と思いまして!」
「それに、お嬢さまのお仕事を手伝ってくれてて、お嬢さまの負担がずいぶん減ったみたいだって噂を聞いて、なんだめっちゃいい人じゃん! って。それが決め手ですかねぇ」
という返事が返ってきた。
どうやらカインがリテアの補佐になったのが決定打となって、カインの評価はいい人、信用のおける人という評価に収まったらしい。
最初は遠巻きにこちらを見てくるだけだった護衛兵や使用人たちが、こうして気安く接してくれるようになった。
……まああんまりにも気安すぎて、カインとしては戸惑うこともしばしばだけれど。
こうして話してみると改めて思うことだが、彼らは明るく、良い人たちばかりだ。
それにハイムウェル家の人々――リテアやユーグ、そして彼らの両親を領主一家として認め、尊敬や感謝の念を、皆大なり小なり抱いていることが伝わってくる。
……そんな彼らに接していると、無意識のうちに自分が育った場所――グラド公爵家のことを思い出してしまう。
よそよそしい使用人。
聞こえてくるひそひそ話。
一人ぼっちの冷たい家。
憎しみの籠った鋭い視線――
「……義兄上?」
「っ」
ハッと、現実に引き戻される。見下ろすと、ユーグが心配そうな顔でこちらを見上げていた。
「ごめん、なんだかぼんやりしていたみたいだ。稽古、そろそろ始めよっか?」
「……はい! 義兄上っ、今日は僕からお相手してくださいね!」
「あはは、りょうかいりょうかい」
ユーグの頭をくしゃっと撫でる。彼は嬉しそうに笑った。
稽古で汗を流した後。カインはお茶の用意をした後、再び、書斎に顔を出す。
そこでは部屋を出たときと全く変わらぬ様子で、リテアが一心に仕事に打ち込んでいた。
カインはちらと時計に目をやる。良い時間になっていることを確認してから、彼女に声をかけた。
「リーテーアーさん。そろそろ休憩しよう。お茶入れたよ」
「へぇあ!? カ、カイン様!」
「……ふふ、ものすごいリアクションしたね今。はい、お茶にお菓子。どうぞ」
「ううう、あ、ありがとうございます……」
顔を赤らめながら、リテアがちまちまとお茶をすする。
それを眺めつつ、新たに溜まった書類の整理をしたり、インクの補充なんかをしたりするのが、カインの密かな楽しみである。
仕事を手伝ったり、お茶を入れたりするのは友人相手にしばしばやっていたことだったが、やっぱり男を相手にするよりも、女性を相手にする方が数段楽しいというものである。
そして驚いたときの彼女のリアクションは面白く、その後顔を赤くするさまは何だか愛らしい。
役得だねえ、と内心にやにやしながら、補佐の仕事はしっかりこなす。そんなこんなで夕方となって、その日の補佐の仕事は終わった。
夕食を摂り、寝る支度をする。このところ朝が早いため、それに合わせて寝る時間も以前よりぐっと早くなっていた。
欠伸をしながらもぞもぞとベッドに寝転がる。
……なんだか最近、とっても健康的な生活をしているなあ、とぼんやり思う。
朝早く起きて、仕事をして。身体を動かし、色々な人と話をして。
面倒臭がりな自分がこんな生活を続けられているのが、我ながらとても不思議だ。
ああ、でも。と、彼は思う。
この生活が楽しいと、どこかで感じ始めている自分がいるのだ。
雑音のしない、静かな土地。明るく朗らかな人々。兄のように慕ってくれる義弟に、穏やかで凛とした結婚相手。
慌ただしくって少し忙しいけれど、平穏で充実した毎日。
幸せ、という言葉が頭をよぎって、似合わないなあ、と思わず小さく笑みをこぼす。
そのままうとうとと、カインは穏やかな眠りについたのだった。




