第一話 ビギニング
その日、真中真はついていなかった。
時間潰しでネットサーフィンしていただけのはずが、偶然見つけた投稿系小説サイトのランキング一位の小説がツボにはまり、ほぼ文庫一冊分に値する文字数を読破してしまったことから狂いはじめる。
気がつけば夜中を過ぎ、朝方といってもいい時間になっていた。
「ま、しょうがねーか。満足できたし」
と、投稿系作品でありながら、さすがサイト内一位をとるだけのインパクトある作品だったと納得できたわけだし、気がつけばうっすら空が明るくなっていたことにも「仕方がない」といえるくらいの満足感、読破の達成感が占めていた。
「ん~、あと少しは寝てられるか」
とそのまま起きるよりは寝ることを選んだため、すっかり寝坊をしてしまう。
「やっべぇ!」のあとに、「なんで起こしてくれねーんだよ!」と母親に噛みつくような言葉を発しながら、手際よくショートボブの髪の毛を編み込み、可愛らしくアクセントのリボンで縛る。
真は自分のことを「オレ」というし、制服はセーラー服であるため、一瞬、ボクっ娘と思われるが、そうではない。
正真正銘の男子。
身長は150センチと平均女子の身長よりも低く、さらに見た目がそんじゃそこらの女子の平均よりグレードが高い。
自他ともに認める美少女……いや、美少年なため、彼はそれを存分にフル活用することにしていた。
女装をしていても心は男。普通に女の子が大好きだし、異世界でハーレム体験なんて野望も抱いている、健全的(?)な男の子である。
そんな真は、着慣れたセーラー服の制服に袖を通し着替え終えると、勢いよく玄関を飛び出したまではよかった。
たとえ、膝上のスカートの裾が大胆に跳ね上がり、見ようと思えば下着がチラ見できるくらいだったとしても、気にしてはいられない。
遅刻だけは絶対にしたくない、そんな思いで力強く地面を蹴って走り出した。
ところが、その行く手を阻むかのように黒猫が横切り、ことごとく信号の赤に邪魔されるという悪循環。
しかし、運命はそうそう悪いことばかりではないらしい。
背後から自転車の近づく気配があり、振り返れば腐れ縁の幼なじみが呆れ顔で迫っていた。
「真、後ろ、乗っていくか?」
「マジで? 助かったぜ!」
さすが腐れ縁の幼なじみと感謝しつつ、後ろの荷台部分に跨がった。
「真、その格好している時は横座りな」
座り方に注文を付けられ、言われた通りに座り直す。
真は見た目も生物学的にも男だが、そこらの女の子より可愛い顔をしていること、小柄であることなどを自覚しており、それを生かすために「男の娘」として抵抗なく、いや、とても楽しんでそういう姿をしていた。
あまりにも自然体なので、親はもちろん、学校側も許容範囲内というか暗黙の了解というか、最近は多種多様性を認める言論が一般的になってきているため、認めざるを得なかった。知っている人は、真中真は男であるとわかっているが、そうでない場合は、ほとんどの場合驚かれてしまう。言葉遣いは乱暴とはいえ、声の高さが女の子だと言われても違和感がないくらいなので、尚更だ。
スカートの裾を揃え、少し内股ぎみにしてみた。
その間に信号は青になり、そして点滅し始める。
「よし、これでいいだろう? 出発だ!」
「……それをおまえが言うなよ……」
「細かいこと気にすんなって」
「いや、そっちが気にすることだろう?」
などとやりとりをしている間に、通っている中学の正門が見えてきた。
門の前には生徒を出迎える教師が数名いる。
特に、周りの教師より頭がひとつふたつ分くらい飛び抜けた理科の教師、細川美玲の姿はとにかく目立つ。
真は幼なじみに軽く礼をいって、そこからはいかにも走って間に合う努力をしましたという感じがでるよう、あえて呼吸を荒くした演技を入れながら校門を走り抜けた。
ところが。
「あ……真中くん、ちょっと待って」
これが女性の力だろうか、軽く腕を握ったつもりが、真の体は引っ張られる力に負け、細川先生に寄りかかってしまう。
「なんだよ、バカ力!」
「ご、ごめんなさい。わ、悪気はないのよ?」
見上げるほどの身長差に軽く首のコリを感じながら、見慣れた担任の顔をマジマジと見た。
真が150センチ、担任の細川は190センチ、40センチの身長差は巨人と小人のようにも見えなくはない。
また彼女はとても個性的な目鼻立ち、そして体型をしている。
ひと昔前を何年でカウントするかは人によって違うだろう。
細川美玲はバブル絶頂期に流行った太い眉が目立つ。
彼女なりに眉の手入れはしているが、すぐに太くなってしまうらしい。
もともと剛毛なのだろうか、彼女がコンプレックスに感じているひとつでもあった。
そしてもうひとつ、190センチという長身に加え、バスト90センチの巨乳。
アンダーバストとの差が20センチ、カップでいえばF~Gといったところか。
美玲としては小柄で細身、いわゆる極々一般的な女性平均に憧れているため、平均より逸脱して大きい胸や身長もコンプレックスに入るのだった。
女性的な体のラインがないわけではないが、それを強調したり美しく見えるファッションはしない。
教師という職業上する必要性もないが、美玲の場合は普段も仕事着も大差はない。
平日、仕事できる服はほぼほぼ変わり映えはない。
白い前開きシャツは首元の第一ボタンまでしっかりとしめ、紺ないし黒の上下パンツスーツ。
スーツもおしゃれスーツではなく、大学生が就職活動時期によく着る終活スーツのようなもの。
それに通勤はかかとの低いパンプスだが、校内に入ると運動靴に履き替える。
大人なのだからもう少ししゃれっ気があったり有名スポーツメーカーのものでも履けばいいのに、それをしない。
とにかく、目立たないようにしている感が伺えるが、ほかの教師からはむしろそうしている方が目立つのではないかと思われていることを、本人は知らない。
真の視線の先には、その大きな胸があり、胸の凹凸から担任の顔が見えるようなアングル。
それはまるで、山から太陽が顔をだしている……いや、巨人が顔を出しているような……
もう慣れた光景でもある真は、照れることなく淡々と返した。
「……知ってるよ。で、なに? オレ、急いでるんだけど」
「あ、うん。遅刻じゃないんだけどね。今、隣のクラスの生徒と自転車、ふたり乗りしていたよね? あれ、ダメだから。だから、その……」
担任の細川は黒いウェービーロングの髪を揺らしながら、なんとか真のしたことが規則違反であることを聞き入れてほしいと言葉を選びながら口にする。
時折ウェーブのかかった毛先が揺れるのは、美玲の方がこの体勢に戸惑っているからだろう。
たかが生徒と密着したくらいで……と言われるかもしれないが、まあ、誰もがそれで切り替えられるわけではない。
「ッチ、いちいち面倒くせーな。いいじゃん。それはさ、そっちが黙っていればわからないことじゃん?」
といいながら、真は寄り掛かった体を正し、握られた腕を振り払う。
「え?で、でも……」
と煮え切らない。
そこに学年主任が近づき、
「こら、真中。細川先生に対し、その口のきき方はなんだ? 罰として昼休み、職員室前のトイレ掃除をしろ」
と、別のことで注意を受けたことに加え、無駄な労働をさせられる羽目になった。
素直に走ってくればよかった!と思っても、後の祭りである。
※※※
昼休み、バックレようと思えばできた職員室前のトイレ掃除を渋々やって教室に戻ると、すでにそれぞれのグループができていて、真はそのいずれかのグループに入ることなく、ひとり呆ける感じで外を眺めていた。
今の現世のなんと理不尽なことか……
もし自分が、最近ハマっている異世界転生をしたら、この意識と記憶を持ったまま別の人生を歩むことができるのに……と思いを馳せる。
中学二年という今の時期だからまだ許されるが、三年生になったらその格好は考え直せと言ってくる生活指導の先生の小言が耳から離れない。
学年主任に言われた通りにトイレ掃除をしていいただけだというのに、なぜか生活指導にも捕まり、この日一番の最悪な時間だった。
救いといえば、様子を見に来た担任の細川先生が間に入ってくれたことだろうか。
結果、「細川先生がそうやって生徒を甘やかすからナメなれるんですよ! 真中の生活態度の悪さは、担任のあなたにも責任があると自覚することですね」と小言の矛先が変わってしまった。
さすがに、少しくらいは悪いことをしたと思う真だが、だからといって謝るというのも変な気がする。
そのまま担任を置き去りにして教室に戻ったのだが、とても居心地が悪い。
ああ、もう! と心の中で叫び、邪念のような感情を追い払うと、タイミングよく昼休みの終わりを告げるチャイムが校舎中に響いた。
放課後、部活動に勤しむ生徒、下校する生徒などが動く中、真は自分の席に座ったままだった。
教壇にはまだ担任の細川がほかの生徒と話したり、黒板を綺麗に消したり、大きな体を忙しなく動かしているのを目の端で追う真。
やっと教室にふたりだけになった頃、双方がそれぞれの存在に気づき、目が合う。
「真中クン、まだいたの?」
「いちゃ、悪いかよ」
「べ、べつに悪いなんて思ってないわ。ただ、珍しいから。心配ごと?」
「……そうじゃねーよ。あのさ、昼休みのことだけどさ」
「え? 昼休み?」
細川が軽く首を傾げるが、すぐに思いだし、「ああ」と言いながら、顔が少し明るくなる。
「もしかして、気にしてるの? 大丈夫よ。先生は真中クンのいいところ、いっぱい知っているから。絶対、キミの高校受験、成功できるように先生も頑張るから」
生活指導には、このままでは高校進学も難しいなどとネチネチ言われていた。
「ああ、まあ、そうしてくれるなら、助かるっつーか。……じゃなくて、そうじゃなくて」
「え? ほかにもあったかしら?」
「いや、だから。その、悪かったなって思ってさ」
「なにが?」
「だから、とばっちり、受けちゃっただろう?」
細川は、「ああ、そういえばそうだったかしら?」と気にしていないわとでもいう口調で言う。
真は精一杯の覚悟を決めての謝罪だったのに対し、相手は軽い。
「ッチ、なんだよ、気にしてなかったのかよ」
軽くふてくされる。
「もしかして、心配してくれたの?」
「……してねーよ!」
「……そんな、そんな強く否定しなくても……」
「あ、いや……まあ、ちょっとだけ」
細川は教師でありながら、生徒相手でも表情豊か、そして感情表現も豊か。
真が強く否定したことにキズついたという顔をするので、見せられた方としては少なからず心が痛む。
真が少しだけと認めたことが嬉しかったのか、細川の沈んだ表情が明るくなる。
「あ、もうこんな時間。下校時刻を過ぎているわ。気をつけて帰るのよ」
話を切り替えるように話題を変えた細川は、真中の背中を押しながら教室を出ると、生徒の下駄箱がある方へ彼を見送り、階段を下り姿が見えなくなると、自身も職員室へと急ぎ戻ったのだった。
※※※
真が下駄箱を通り校舎をでると、グラウンドでは野球部とサッカー部がそれぞれ部活動に励んでいた。
その中に幼なじみの姿を見つけるが、声をかけずにその横を通って校門を出た。
しかしそのまま家に帰る気にもなれず、帰り道の途中にあるベンチでしばらくボーとしてから帰ることにした。
部活帰りの生徒の姿がチラつきはじめ、そろそろ日暮れといってもいいくらいの時間、真の足は家に向かう道を歩きはじめ、大きな交差点を渡ろうと足が動いていた。
そのとき、信号は確かに青だった。
なぜなら、真の他にも横断していた人がいたからだ。
だから真は危機感を抱くことはせず、いつも通っている交差点程度にしか思わなかった。
しかし、今日の真はとことん運がない。
自分でも何故なの分からないが、なにかの突起物を踏んでしまったのか、バランスを崩し車が通る真ん中へと飛び出してしまう。
車の気配よりも先に「真中クン!」と呼ぶ声が耳に届き、真は呼ばれた方を振り向くと同時に、動いていた足が止まる。
すると、呼ばれた声よりもはるかに危機感を募らせるような悲鳴が響き渡り、何かが間近に迫っている。
「え? ダンプカー? なんで?」
と思った瞬間、いや、もしかしたら見たものを脳がしっかりと意識していたかも定かではない。
自分になにが起ころうとしているのか、起こったのか、それすらも確認できない状態の中、声の主が担任の細川先生で、彼女の体温を強く感じたことだけは、生々しく最期まで残っていた。
彼はダンプカーに跳ねられ、そしてそのまま……
一方同じ頃、担当クラスの生徒、真中真が交差点の真ん中に飛び出た瞬間を目の当たりにした細川美玲は、考えるより先に体が動いていた。
周りの悲鳴が聞こえたのはその直後。
遠目に真の姿を捉えていた彼女は、かなり前に下校させた彼がこの辺りにいたことに驚きを感じながらも、声をかけることをせず、背後から様子を伺っていた。
彼女的には、学校の外でも先生面をしてと言われるかもしれないと思うと、躊躇して声をかけづらかったといえばそれまでなのだが……
彼女なりに思うことはあった。
しかし、真の危機を目の当たりにした瞬間、考えるよりも先に体が動いていた。
道路の真ん中で真を抱きしめたと感じた直後、痛みなど感じることなく、彼とともにダンプカーに跳ねられて、そして……
そのまま……二人とも即死……
※※※
「ってぇ……て。あれ? 痛くない?」
ダンプカーに跳ねられたのだから、それはもう文字通り死にたいくらいの痛みがあって当然と思った真は、意識が覚醒した瞬間、当然痛いものだと思って声を発した。
ところが、痛みひとつないし、跳ねられたのならこっぱ微塵、もしくは内蔵破裂で飛び出していてもおかしくない。
ゾンビ映画か死霊系の動画かなんかの事態になっていると思い、体のあちこちを触ったり見たりした。
もちろん、セーラー服の中の素肌、下着の中もしっかり確認、ついているモノもしっかりあるし、どこもケガをしていなかった。
「どういうこと?」
と小首を傾げると、横には見慣れた大人の女性が横たわっていた。
「うわっ、先生?なんで?」
しかし、すぐ記憶が鮮明に蘇る。
「そうか、あの時、先生が庇ってくれたから……だから、オレは無傷なんだ……」
ダンプカーに跳ねられたのだ、いくら大人が庇ってくれたとしても打ち身くらいはするだろう。
だが、彼女はそこらの大人よりも身長がありガッチリした体格をしていたため、自分は無傷だったのだと解釈をした。
となれば、先生は瀕死状態であると考えても不思議ではない。
「やっべぇ。誰か、救急車、救急車!先生が、おい先生……!」
真にとって、この場はダンプカーに跳ねられた交差点であるという認識で止まっていた。
当然、そこには人がいて、そして事故が起これば野次馬が集まっているはずである。
だが、なぜだろう。
「ここ」がそうではないと言う空気を感じて、真は辺りを見回した。
続いてでた言葉は「ここはどこなんだーーーーー!」だった。
「ちょっと真中クン、耳元で大きな声で叫ばないで」
その時美玲の意識が覚醒、彼女もまた少し前の真と同じで、認識はダンプカーに跳ねられた瞬間とその場所で止まっている。
「……て、真中クン。ケガはない? 大丈夫なの? 救急車、救急車を、誰か!」
緊迫した表情、顔は青ざめ、わずかだが声が上擦っていた。
しかし、ここが交差点ではないこと、跳ねたダンプカーが見あたらないこと、なにより「ここはどこ?」といえる景色が広がっていたことに思考が止まる。
そもそも、地面が固くない。草が広がっているが、ただの緑色だけではなく、ところどころに色鮮やかな赤や青の色も見える。どうやら花のようだが、真も美鈴も見たことが無い形の花だ。その花の上には虫のような生き物もいるが、近付けば逃げてしまう。世界を探せばもしかしたらいるのかもしれない。しかし、真も美鈴も日本出身で、日常生活でしか見たことない虫や草花の知識を以てしても、今目の前に見えているものは間違いなく見たことがないものであると言えた。
空を見上げてみれば、高い場所を鳥が飛んでいる。だがその鳥は尾羽が非常に長く、聞いたことも無い鳴き声を上げて飛んでいた。また、高い場所を飛んでいるはずなのに太陽を背にした影がやたらと大きい。あれが地上に降りてきたら、どんな大きさなのだろうと真は思う。だが想像してみても、わからなかった。
「なんなの、ここ……。日本……じゃないわよね……。でも私は確かに日本にいたし、これは一体……幻覚?頭を打った衝撃……?」
一人でぶつくさと考え込む美鈴を見て、真はケラケラと笑った。
「いい反応。この景色は、オレの見ている夢じゃないってことだな」
「……ええ?」
わくわくが止まらないといったような様子で話す真とは正反対に、困惑の意を顔で表す美鈴。はあ、と短く溜息をつき、真は面倒くさそうに言う。
「だから、ここは現世じゃないってことなんじゃん?てこと。ってことは天国かな」
「天国……そうよね、あれは確実に即死だったわよね。だけど……天国ってこうも実感できるものなのかしら?」
「そんなもん、知るわけねーだろ!死者と語れるっていうなら別だけどさ」
「そ、そうよね……」
声を荒げた真に、美鈴はしょんぼりとしてしまった。何度も見てきたその光景をまたしても目にしたことで、真は苛立ちを募らせていく。
「ったく、いちいち凹んでんじゃねーよ。鬱陶しいな」
「……ごめん、なさい」
もういい、とばかりに、真は美鈴に背を向ける。そして景色を四方八方見渡した。
「で、ここが天国だとして、当然、出迎えてくれる天使とかがいるって王道の設定でいくとして、なんで出迎えがないんだ?もしかして、オレたちの魂ははぐれて迷子とか?」
顎に手を当てて考える様な姿勢の真。美鈴は真の話を聞き、しょんぼりした表情から青ざめた表情になった。
「ま、迷子?魂が迷子になるとどうなるの?」
「さあ?けど、ラノベとかだと悪霊になったりとかあるし、そうなるかもな」
「あ、悪霊?」
「だから、例えばって話だろ。にしても、なんかこう……」
グゥ~。低い音が鳴り響く。
「あ、鳴った。なあ、この腹からでている音ってさ、空腹の時の音だよな?」
目が覚めてから、無性に空腹感があった。
死んでいるのに空腹ってなんだよ……とひとりツッコミを入れていた真だが、その音が外にも響くくらいになると気のせいではないのかもしれない。
「実は先生もなの……」
と言うので、真は耳を澄ませてみた。
たしかに美鈴のお腹からも空腹の時になる音が聞こえる。
「ねえ、真中クン。死んでもお腹って減るものなのかしら?」
ふたりで小首を傾げる。
死んだ経験がないのだから、答えなどわかるはずもない。
「ま、腹を満たすにしても、そしてここが天国だとしても、オレたちには知らない場所なわけで、とりあえず探るしかねーんじゃないの?」
そう言った真は歩き出す。恐れを知らないのか、その足取りは迷いが無い。その場に立ち尽くしていた美鈴は真の背中をボーっと見ていたが、離れていくことにハッと気付き、慌てて追いかけ始めた。
「ちょっ、移動するの?知らない場所で勝手に動き回るのはよくないわ。遭難した時の鉄則、やたらと動かない、でしょ?」
「遭難って、オレら、遭難中なの?」
美鈴との身長差は、歩幅にも影響を及ぼす。真は歩く速度を緩めていないのに、もう美鈴は真の隣までやってきた。身振り手振りを入れながら、美鈴は必死の説得をする。
「だって真中クンがいったのよ、魂がはぐれてしまったって。だったらきっと誰かが私たちの魂を捜してくれていると思わない?」
「ああ、それな。……なんかさ、オレ、思っちゃったんだよね。ラノベ的にいう天国とか魂のこと話していたらさ、もうひとつの可能性もあるんじゃないかって」
「もうひとつの可能性って?」
美鈴の止まらない疑問の嵐に、真はもう一度短く溜息をついた。足を止めて、美鈴の目をしっかりと見つめながら、今度は真が身振り手振りを入れながら熱く語り始める。
「先生は読んだことないと思うけどさ、ラノベや「なろう系」の定番のひとつ、異世界転生パターンだよ。現世で死んだあと、異世界に転生するってやつ。そうだと仮定すると、この空腹感も説明できる。つまり、オレたちは死んでいない。この異世界に転生したってことだ。だとすればだ、それってつまり、オレの願望が叶ったってことなんだよな」
真の力説に、美鈴はぽかんと口を開けた。
「一体さっきから何を言ってるの……?」
さっぱりわからないと眉尻を下げて暗くなっていく美鈴の表情に対して、真の表情はどんどん明るく、元気になっていった。空を見上げ、真は手を振りかざして声高に言う。
「チート級の魔術とか超能力とか、好みの女の子に囲まれるハーレム生活、勇者と崇められたり……となれば、やっぱ捜すしかないよな、この世界の住人!」
……と意気込んで移動してからどれくらいの時間が経過しただろうか。
辺り一面は先ほどとあまり変わらない緑豊かな草原。だが視界に見える森のような地帯が、真と美鈴がかなりの距離を歩いたことを知らせた。しかし残念なことに、人が生活をしているような場所は見あたらない。
そもそも……
「ねえ、真中クン。方向はあっているの?」
「オレに聞くなよ」
「だったらもっと計画をたてて動いた方がいいわ。戻りましょう」
「戻るってどうやって?変わらない風景、来た道、先生は覚えるっての?」
「え、それは……」
「な~んだ、覚えねーのかよ。だったら意見なんてするなよな」
「そうだとしても、私には責任があるから」
「ああ、大人の責任ってやつ? 別にいいよ、ここは法治国家の日本じゃないみたいだし。そういうの、もう関係なくね?」
「だとしても……」
「そう思うならさ、もう少しもっともらしいことをまとめてから意見してよね。自分は先生なんだからって、言うつもりならさ」
真に先に言われてしまっては、先生である立場的な意見をいえなくなってしまう。
細川美玲はそのまま言葉を飲み込み、唇を閉じた。
とはいえ、こうもなにもないというのも不思議でしかないと真は考えていた。
意図的にこうしているとなれば、さまよっただけでは解決できないだろう。
(この世界の住人は地上に住んでいないのかもしれないということも視野にいれる必要があるか……地上でないなら地下か空?もしそこに誰かいるとしても、行くためには何かしら手段があるはずだ)
どちらも今の自分にはどうにもできないと腕を組み、うーんと唸ったが、いや、まてよ、と考えが方向を変える。
(チート級の能力が備わっているなら解決策があるかもしれない。自分のチート級の能力ってなんだろう?まずはそこから始めた方がいいかも……)
と考えている間に辺りが暗くなっていく。
「ああ、そんな……まだどこにもついていないのに……」
美鈴が不安そうに自分の体を抱き、呟いた。
異世界でも夜という時間帯があることを、今、認識した。
魔力があれば火をおこすことも容易いはずだし、食べるものをどうにかできることも可能かもしれない。
有能な騎士や剣士であれば、獲物を狩る能力も長けているはずである。
気のみ気のまま、はねられた時に持っていたはずの学生鞄すらない状態で、十四年生きていた時代の文明の利器に頼ることはできない。
ならばと「えい!」「やーっ!」「うりゃ!」「それとも呪文か、必殺技か」などと思っていることが自然と口からこぼれつつ、真はあれこれ試してみたが、思い描いていたような結果にはならなかった。
命の危機に陥った時に本領発揮というパターンもあるだろう。
だが、今の状態でそれは期待できそうにない。
あるとすれば、このまま空腹で餓死する可能性だ。
自分が死に直面した瞬間にチート的なにかの能力に目覚める……それに期待するしかないのか。
真がそんなことを考えているとは微塵にも思っていない細川美玲は「真中クン、大丈夫かしら?」と別の意味で心配になりはじめていた。
人は極度の緊張に達すると意味不明なことをすることがある。
まだ十四歳の子供なのだ、わけもわからない場所にいることに不安になり、それから無意識的に逃れようとしているのかもしれない。
私がしっかりしなくては……という気持ちはあれど、どうしっかりすればいいのかがわからない。
彼が疑うことなく納得してくれそうな打開案が、彼女にもまったく思い浮かばないのだった。
当然、美玲も焦りだし、真と大差ないくらいの意味不明なことをし始めていた。
「え、えーい!……えっと……とりゃー!それ!……で、でろ!必殺技!」
真のやっていることを、見よう見真似をし始めたのだ。
美鈴のやっていることに気付いたが、それにツッコミを入れられるほどのゆとりは真にも無い。
空腹は限界、眠気も感じ始め、いよいよこの世界でも死ぬかも……と嫌な予感が頭をかすめる。ならば、どちらでもいい。どちらかが特殊な能力に目覚めて、この危機を脱しなければと、真も美鈴も躍起になっていた。