裁判所と呼ばれる家で⑤ 7/2019に向けた、ある年の10月より
パキラを右脇に抱えて、寄せ植えと多肉植物の鉢をどうにか紙袋に詰め詰め左手で持って慎重に階段を上がった。
前方の視界は悪いけど、温室から吹く風を頼りにどうにか温室へ戻ってこれた。
ガラス扉を開けて、温室にとりあえず、の意味で鉢植えたちを床に置いた。
お客が女性・男性関係なく、望みの設置場所まで運んで育て方の説明までするのが仕事だ。
結婚式場で、ウェディングのためだけに一日だけ花を美しく作るのも楽しかったけど、
何年も大切にしてもらえる鉢植えを届けるのは、なんとも言えない充実感がある。
それってちょっと、未来をとどけるみたいだ。
前方から、泣き声が聞こえた。
そうそう、泣きたいくらい感動する瞬間もたまにあるよ、地元に根付いた仕事っていいよな。
泣き声?
泣き声だって?
鉢を置いて、かがめた腰を伸ばした。
目の前では
ふわああん、
と声を上げて泣く女がいた。
さっきの白いワンピースだ。
泣いている。
口をだらしなく開けて、
置かれた鉢植えを見つめ、声を上げて涙を流している。
「あれ、あの。 あの。」
ふえ、ふえ、うわあん、うわあああん
泣きやむ気配はない。
どうしたんだろう、僕が何かしたか??
なにか? 豪邸ってなんかマナーでもあるのか?
いや、マナー云々で人って泣くのか? 泣かない、よな?
何かの発作か? 病気とか? アレルギーとか?
納品のサインは? もらわないと。いや、そんな場合じゃないよな?
立ち去るか?
いや、いま帰ったら、僕のせいで泣かされたってクレームが入るかもしれない。
放棄も関与も同じくらいやばくないか?
どうしよう。
「だいじょうぶ、ですか?」
掛けた声は、無視されたのか泣き声にかき消されたのか、
返事はなかった。
僕は、彼女に近付くこともできず、
泣く姿をただ見ながら、その原因を考えていた。
鉢植え達が重かったせいなのか、この状況のせいなのか、
体の感覚が薄い。
ふわふわ浮いているみたいだ。
ふえ、ふわあ、ええん。
うわああ。
泣き声はどんどん大きくなっていく。
なのに、彼女の声は、僕の耳の奥のどんどん遠くに響いた。
なんだろう、これ。
夢みたいだな。
でもな、泣いてるよな。実際。
子供でもこんなに長く泣かないんじゃないか?
子供の泣く姿なんて、とんと見てないから知らないけど。
人が泣く姿を、最後に見たのはいつだろう?
僕の妻は泣かない。
なんど体調が悪くて病院に運ばれても、
どんなキツイ薬を静注されても、高熱にうなされても、
子供は望めない体だと去年医者に告げられた時ですら、
妻は泣かなかった。
妻は僕に涙を見せない。
痛いとか、苦しいとか、もういやだとか、
そういう姿を僕に見せない。
季節の変わり目とかさ、台風の日とかさ、
そういう日は体がツライはずなんだよ、担当医師からそう説明されてる。
そりゃ妻だって、不調は顔色に出る。
『妻の顔色をうかがう』って、慣用句じゃなくて言葉そのまま、
ツライも痛いも言わないから、僕は妻の顔色を真剣に毎日見る。
おい、なんでいま妻のことばかり僕は考えてるんだ。
白ワンピースの彼女は、ふにゃりとその場に、座りこんだ。
立ち尽くして泣くのに疲れたのかもしれない。
人って動きながら泣けるんだな。知らなかった。
彼女のそばにはちょうど、年季の入ったアロエ鉢が置かれていた。
座り込んで小さくなった彼女に、図体の大きなアロエが寄り添うように葉を伸ばしていた。
固く閉ざされた何かのドアを、解放したみたいな奔放な泣き方だった。
「ヴウヴ、ヴウヴヴ」
僕の前掛けのポケットでスマホが震えた。
おかげで、迷子になっていた体の感覚を取り戻せた。
スマホの振動は、日常的に感じるそれより激しくて、地面が揺れたのかと一瞬勘違いした。
義父からの着信だった。
もう少しお付き合いください。
10月の福岡文学フリマの準備がクライマックスです。
ドキドキってやつですよ。